第5話 ハリネズミのように


 それから、駆が文音と再び話す機会を得たのは、一学期の終業式の日のことだった。

 あれから、何度か駆の方から話しかけてみたこともあったのだが、その度に文音からは露骨に無視されてしまい、クラス内でもすっかり「駆が文音にラブコールをかけては失敗している」というのが定番の恋バナネタになってしまっていた。

 駆としてはいささか不本意な状態ではあったが、この際贅沢も言っていられない。どういう形であれ、文音と話をするきっかけになればいいと考えていた。

 そして、期末試験も終わりいよいよ夏休みに入ろうかという終業式の当日になって、駆は下駄箱の中に入っていた自分宛のメモを受け取った。


 学校が終わったら、学校の近くにある児童公園で待っていてほしい。


 たったそれだけの簡潔な内容が丁寧な字でそこに記されている。

 もちろん、駆はその字に見覚えがある。文音の文字だ。

 駆はそのメモをポケットにしまい込み、教室に向かう。

 教室にはすでに文音がいて相変わらず退屈そうにしていたが、駆が入ってきても見向きもせずに黙っていた。

 駆の方も文音のことを気にすることなく友人たちと挨拶を交わし、普段通りに振舞った。

 文音のことだから、メモに気を良くして浮かれた様子を見せてはアウトだろう。極力何事もないように振舞い、その時までは目立たないように過ごさねばならない。そうでなければ、会ったとしてもろくな結果にはならない。

 駆はそう自分に言い聞かせ、ようやく訪れた貴重な機会に沸き立つ心を必死で抑えながら、学校が終わるのを今か今かと待っていた、



 そして、終業式が終わり最後のホームルームを終えた駆は、あえてゆっくりと帰り支度をしていた。無論、文音の動向をうかがう意味もあったが、あまり慌てて行動してはクラスメイトにこのことを気付かれてしまう恐れもあったからだ。

 文音はこちらの方を見ようともせず、いつものようにさっさと席を立つと教室から出て行ってしまう。

 それを見届けた駆は友人たちに今日は今後の生活について特別な話し合いがあると嘘を付き、一人足早に学校を出る。

 学校を出てからしばらくはわざと回り道をして、付いてくる人間がいないか確認し、誰もいないことを確かめた駆は、ようやく約束の児童公園へと向かった。

 児童公園は学校の近くにある住宅地の真ん中にあり、普段は遊び盛りの子供たちが常駐しているのだが、今は既に夏休みで、しかもお昼時ということもあり、子供の姿は見えない。

 その代わり、静かにブランコに腰かけて何事か考え事をしている制服姿の少女がひとりいた。

 駆もまた静かに公園の中へと歩みを進め、少女が腰かけているブランコの隣に腰を下ろす。

 すると、待っていた少女、志度文音は閉じていた目を開いて、駆のことをじっと見つめてくる。


「……時間は指定していなかったけど、結構遅かったじゃない」

「ごめん、志度さん。誰かに気が付かれたら面倒だと思ってね」

「気を遣ってくれたのね。一応ありがとうと言っておくわ」


 文音は口ではありがとうと言っているが、声色は冷たい。駆に対して強く警戒しているのがありありと見て取れる。


「私、目立つのは好きじゃないって最初にちゃんと言ったはずよ。それなのに、今の状況はどういうことなの? 納得のいく説明をしてくれるかしら」

「目立つのが嫌というのなら、屋上でわざわざ俺に会いに来たのはどういうことなんだ? 結局今の状況になっているのもあれが原因だろ?」

「聞いているのは私なんだけど」

「その前に自分の行動の矛盾について説明してくれないか。あの時だって最初に目立つ行動を取ったのは志度さんの方だろ? 俺は努めて目立たないようにしていたよ」


 駆は冷静に文音に語り掛けたが、そんな駆に文音は刺々しい態度で応じる。明らかなけんか腰であった。


「目立たないですって! あんたが何度教室で私に声を掛けてきたか忘れたんじゃないでしょうね?」

「五回だろ。しかも堂々とはやってない」

「それでもクラスメイトの見ている前で、何でもないときに声をかけてこられたら、嫌でも注目されるに決まってるでしょ! おかげでありもしない噂を立てられたこちらは大迷惑よ!」

「志度さん、声が大きい。もし誰かに聞かれでもしたら、さらに面倒になる」


 駆の態度に腹を立てた文音はつい声のトーンが高くなってしまい、駆に冷静に諫められて慌てて声を落とす。


「と、とにかく、私に声をかけるのは金輪際止めてちょうだい!」

「自分から声をかけておいて、都合が悪くなったら止めてなんて、随分と身勝手なんだね、志度さんは」

「う、うるさいわね! ああもう、こんなことなら変な気持ちを出して、声なんかかけるんじゃなかったわ……」


 心底から後悔している、と言わんばかりに大げさに天を仰ぐ文音を見て、駆の方もひどく失望したような顔になる。文音の自分勝手すぎる態度に幻滅してしまったのだ。


「残念だなぁ、本当に……」

「何が、残念だなぁ、よ! 残念なのはこっちの方よ!」

「志度さんはもっと心の優しい人だと思っていたのに……」

「お生憎様! 私はどこの馬の骨とも知れない奴に優しくするほど人間が出来ていないのよ!」


 文音の言葉は更に刺々しさを増していく。まるで丸まったハリネズミのように取り付く島もない有様で、駆はすっかり文音への興味が覚めてしまっていた。

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