第4話 孤高の存在


 駆が学校に復帰してから一か月が過ぎた。

 母親の死についても一応気持ちの整理をつけ、引き取られた叔父夫婦の下で元気に過ごしている。そんな駆の様子を見た周囲の人々は皆安心したと口を揃える。

 ただ一人だけ、そんな駆の姿を見て落ち着かない気持ちになっている人物を除いては。


 ある良く晴れた日のこと。

 昼休みに駆はふと思い立ち、一人で屋上に出た。今日はいつも一緒に食事をしている友人が休んでいて、何となく手持ち無沙汰であったのだ。

 屋上は相変わらず人影がまばらであったが、空を見上げると気持ちの良い青空である。この青空を眺めながらぼんやりするだけでもいい休養になる。人の数は多くない方が良い。

 そんな風に考えて、駆がちょうどいい場所に腰かけて気持ちよさそうに体を伸ばしていると、そこに声を掛けてきた人物がいた。


「随分気持ちよさそうね。ご一緒させてもらっていいかしら、道生くん」


 声のした方を向くと文音が立っている。ひどく難しそうな表情をしていた。


「どうぞご自由に。志度さんも青空を眺めに来たのかい?」

「そんなところかしら」


 文音は素っ気なく答えると、やや駆とは距離を空ける感じで腰を下ろす。

 こんな風に駆が文音に声をかけられるのは初めて会った時以来のことだ。あれから一か月が過ぎて、駆もすっかり文音のことを意識しなくなっていたのだが。


「最近は中々元気そうね、道生くん。一か月前はまだどこか暗いところがあったのに」

「一か月前は……まだちょっと、母さんが死んだことを引きずっているようなところがあったからなぁ。そういうのが表に出ていたかもしれない」

「今は違うのかしら?」

「母さんが死んだこと自体は忘れられないのには違いないけどさ。でもいつまでも悲しんでいるだけじゃあダメだって思うんだ、俺」

「悲しんでいるだけでなく、前を向いて先に進まなきゃいけない、ってこと?」


 いたって真面目な表情で語られる文音の言葉に、駆は少し照れくさそうな表情を浮かべた。


「まあ、ちょっと格好つけて言うとそんな感じになるのかな。母さんにも死ぬ前に「強く生きて」って言われたし、だったら少しでも力強く生きれば、母さんも天国で喜んでくれるかなって思うんだ」

「案外強いのね、道生くんって」


 文音は感心したように駆のことをじっと見つめてきて、駆は少々困惑してしまう。一体全体、どうしてこんなことになっているのだろうか。

 駆が文音と目を合わせようかどうか迷っていると、文音は自分から視線を外して、ふうっと小さくため息をつく。


「そういうところ、ちょっと憧れちゃうな。私は昔のことをいつまでも引きずっちゃうタイプだから」


 自嘲気味にそう話す文音の目は、どこか悲しげだった。

 駆は不思議そうな表情を浮かべて、文音のことをついじっと見つめてしまう。さっきまで目を合わせようか逡巡していた自分が嘘みたいだった。


「志度さん、どうかしたのか?」

「あ……、え、えっと、その……何でもない! 何でもないの! 今のは忘れてくれないかな、道生くん?」


 今の自分の様子に気が付いたのか、ひどく慌てた様子で文音は言葉をまくしたてるとそのまま立ち上がる。


「え? ちょ、ちょっと志度さん……!」

「いいからとにかく忘れて! ……私もう教室に戻る」


 それだけを言い残すと、文音は駆け足で屋上から降りていった。

 その場に取り残された駆は、わずかにいる他の生徒からの好奇の目にも構わず呆然とした表情を浮かべていた。


 その日の午後、駆は何とか文音ともう一度話すチャンスを伺っていたが、授業の合間には文音は他の女子生徒と話をしており、ホームルームが終わると文音はさっさと下校してしまい、結局話すことが出来なかった。


 翌日になると、屋上での一件が他のクラスメイト達の知るところとなり、駆と文音はそれぞれ男女のクラスメイト達につかまり、あれこれと詮索をされることになった。

 駆は友人たちからの質問にうんざりしながら応対しつつ、文音の様子を伺おうとしたが、文音はどうやら適当な理由を付けて保健室にでも逃げ込んだらしく姿が見えない。文音に逃げられた女子たちは、どうやら次善の策として駆に目を付けたらしく、駆の周囲にいた男子たちを追い払うと駆に文音とのことについて、あれこれと聞いてきた。

 男子同士のそれとはまた質の違う質問攻めに駆はすっかり打ちのめされてしまったが、女子たちの話を聞いていて分かったこともある。

 文音は女子の間でも孤高の存在であるらしい。容姿端麗、学業優秀、運動神経抜群と、非の打ちどころがない文音ではあるものの、こと人付き合いに関してだけはどこか他人を避けているようなところがあるという。

 それでいながら、性格が冷たいなどというようなことも無く、ちょっとした頼み事でも嫌な顔一つせず引き受けてくれるようなところもあり、比較的付き合いがあるという女子からは、「内心は優しい子なんだけどね。どうしてなのかな、人と深い関係になるのを嫌がっているようなところがあるのよね」という評価を受けていた。

 一通り女子からの詮索をやり過ごして駆はすっかりくたびれ果ててしまったが、内心では文音に対する興味が膨らみつつあった。

 今は無理かもしれないけれど、いつか文音に屋上で漏らした言葉の意味を聞こう。駆はそう誓った。

 その日、文音は授業に出ずに早退した。

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