君ありて、幸福

「イチカはやっぱりすごいよ!」


 そう言いながら彼女の頭を撫でる。てのひらの中の彼女は少し不機嫌そうに唇を尖らせているが、それがまた愛おしい。

 だがそれも、永遠ではない。

 彼女には彼女の世界があり、彼女独自の交友関係がある。中には彼女に気を持つ同級生もいることだろう。一緒に過ごす時間が長い、というのはそれだけで強みだ。


 小さいころから一緒だった。俺の後ろを一生懸命についてきて、振り返るとそこにいるのが当然だった。

 でも成長と反比例するように、一緒にいる時間は少なくなっていった。

 それでも何か大事な用事やら相談やらがあればお互いの家に足を運んだし、家族間の交流自体も変わりなく盛んだったのでそこまで距離は感じていなかった。


 イチカがいて当然。


 そんな価値観が大きく揺らいだのは一年前。進路希望で突き付けられた選択肢。

 自宅から通える範囲に、当時の俺の学力で合格出来る希望学科のある大学が無かった。レベルを上げればあるにはあるが、それ相応に落ちるリスクはともなう。

 引っ越しをして一人暮らしか、学力を上げて実家から通うか。

 学力に関しては頑張るだけなのでまぁ良いとして、それよりも問題だったのはその選択肢に動揺した事だった。


 そこで気付かされた。俺はその当然しあわせを守りたいんだって。


 今は学生だから守られて、養われて、自分の事に精一杯で良い。だが人生はそこで終わりじゃない。いつか自立の時が来る。俺にも彼女にも。

 その時に彼女は、俺を選んでくれるだろうか。ただの幼馴染というだけの、まだ何者でもない俺のことを。

 答えはたぶん……うん、想像したくない。

 でもそれはあくまで俺の想像で、そうと決まっている訳じゃない。人の心は変えられる。俺の中での当然いちかのように。


 大人になろう。イチカを守れる、大人な男に。

 守りたいモノの為に、大学生活を駆け抜ける覚悟を決めた瞬間だった。

 

  × × ×


 新生活が始まった。

 入学してからはとにかくガムシャラだった。

 就職に有利だという教授の噂を聞けば講義を受けに行き、サークルもそれ基準で選んだ。とにかく将来のために動きまくった。

 正直、講義もサークル活動も内容にはあまり興味はなかったけど、彼女のためならいくらでも頑張れた。

 

 我ながら気持ちの悪い、独り善がりな暴走だという事は分かっている。

 そもそも兄妹のような存在であるイチカに愛を向ける、ということ自体が気持ちの悪いことなのかもしれない。俺達は幼馴染と呼ぶには近すぎる……気がする。

 イチカからすれば俺はただの『年上の幼馴染』であって、それ以上でもそれ以下でもないかもしれない。


 もしこの想いを伝えたら……俺たちの関係はどうなるのだろうか。


 × × ×


「わざわざウチまで来てもらっちゃってすみませんでした、先輩」

「良いのよ、お金関係だもん。学校だとちょっとね」

 そんな話をしながら庭先まで並んで歩く。西日が強くてかなり眩しい。


「葵くんはさ……彼女とかいないの?」

「どうしたんですか急に」

「ほら、私みたいなのが家に上がっちゃって良かったのかなって」

 一瞬、イチカの顔が脳裏に浮かぶ。

「それはまぁ……大丈夫です」

「そっか……大丈夫、か」

 それを聞いた先輩は、何故だか残念そうに目を伏せる。


「それじゃ書類は今週中にお願いね」

 それから先輩はそう言い残し、夕陽へ向かって去って行った。

 その背中を眩しさに目を細めて見送る。


 そこでふと、視線を感じて振り返る。だが誰もいない……?いやもしかして?

「イチカ?……イチカ!」

 なんとなくそんな気がして声をかける。しかし返事はない。


 曲がり角を左に行けば彼女の家までは一直線だ。その角まで行き——しかし彼女の姿は見えない。

「気のせい、だったか?」

 何かあればまた来るだろうと、それにもし俺の勘違いならそれはそれで良いかと、あえて連絡はしなかった。


 イチカとはそれ以降、会えなくなった。

 

 × × ×


『今夜、報告したいことがあります』


 光陰矢の如し、と言うが時間が経つのは矢なんかよりも圧倒的に早くて、あっという間に大学生活も残すところあと一年となった。


 教授の下での活動が功を奏し、また、留学や課外活動の実績があったことも追い風となり、四年生になる前に実質的に内定が貰えた。あとはちゃんと卒業するだけだ。


 でも、頑張れば頑張るほどに不安が増す。


 顔を合わせてくれなくなってから久しい。家族間の交流も昔程ではなくなり、親を通してイチカの状況を聞くに留まっていた。


 そんな彼女から連絡が来た。

 指定の時刻は今夜、日付が変わる前。場所はうちの庭だという。

 腕に巻いた時計を見ると既に指定の時刻の五分前だ。


 今日から四月になり暦の上では春になっている、が夜はまだまだ冷える。でも、今はその空気が火照る身体に心地良い。


 俺も彼女に話したい事とか報告したい事とか沢山ある。はやる気持ちに歯止めが利かない。

 イチカに会える、というだけでソワソワしている自分がちょっと笑える。少しは大人になれたと自分では思っていたが、実際はそうでもないらしい。


 大人な男になって彼女を守ろう、なんて格好つけて息巻いていたけれど、いつの間にか余裕なんて無くなっていた。


「……伝えよう、この想い」


 どんな結果になるかは分からない。でも、伝えよう。いや、伝えたい。

 

 その果ては……皆様のみぞ知る、という事で。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もしあと5分、早ければ 森木林 @morikirin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ