棄教

「話を聞いてくれてありがとう。こんな話を聞いてくれるのは貴方だけです。」

 告解じみた事を始める。俺はカウンセラーに向き合い語り始めた。


 難儀な仕事をしていました。胎児の売買です。中絶した胎児を実験材料として提供し、社会の発展に貢献してきたのです。

 残酷な事に思う人もいるでしょう。何故、このような仕事についたか。それは中絶を促進さることにもなるからです。

 女性の権利の促進を通じて社会の発展に貢献できるのが実感できました。やりがいのある仕事でした。

 仕事の話ではなく、この仕事を始めた理由を聞きたいのですか?それではまず、私の信仰について語らなければなりません。

 貴方もご存知の通り、私はキリスト教徒でした。熱心な信徒ではなかったと思います。真摯に神に祈る事は信仰を棄てるまでの間でもありませんでした。

 神に祈るという行為自体が不躾がましい人間の傲慢に思えるのです。神は人と取引をしません。故に人の望みも叶えないのです。従って、神への祈りを叶えてくれる存在があるとすれば、それは悪魔と呼ばれるものでしょう。人の傲慢さを教えるために存在するようなものです。ならばこそ、私は神に祈りません。それは昔から変わらない信念です。

 そんな私ですから、信仰自体にも懐疑の念を抱いていました。正確にいうのならば、宗教それ自体に疑問を懐いたのです。神の教えと言いますが、果たしてそれが本当に神の教えである保証がありません。人と契約するのならば悪魔であろう。そう私には思えたのです。

 それを確信するのには幾つかの事件がありました。ある知人からセクシャリティについての告白を受けたのです。彼女は自身のアイデンティティと社会規範の間でもがき苦しんでいました。私は、彼女に自分が救われるように生きるべきだと諭しました。しかし、それが容易な考えであった事を悟りました。

 彼女のやりたかった事と彼女のセクシャリティの告白を同時にできるほど、彼女の精神は強くはありませんでした。私は彼女と度々会い、その時は彼女は本来の自分をさらけ出していたのかもしれません。ただ、私にも私の生活があります。彼女の事ばかり気をかけることはできませんでした。もしくは、私と会っていた事によって、彼女の社会との軋轢の大きさが日増しに大きくなっていったのかもしれません。

 彼女は亡くなりました。今思い返せば、それが信仰を棄てる切欠になったとは思います。

 信仰を棄てる決定的な出来事は、また別の方と交流したことです。

 その方は子供を授かりました。しかし、望んでいた訳ではありませんでした。それでも自らの子供ならば愛することが出来るのではないか、とまたも私は安易に考えてしまいました。

 私は、その方の代わりに子供の面倒をみたりもしました。彼は子供のために働かなければならなかったからです。その中で子供にアザが幾つかあることに気がつきました。それを彼に問いただすと、彼は初めは口を濁していましたが、正直に私に答えてくれました。

「俺もあいつを愛している。だけれども、あいつがいなければと考えない日もない。

 あいつの為に仕事を休むとき、休日にあいつを連れて出掛けるとき、夜泣きで起こされたとき。

 あいつがいなければ、こんな事をしなくても良いのだと考えてしまうんだ。」

 彼はそう告白しました。また、別の告白を受けました。

「総司のことは大切に思っている。だからこそ、どうしようもない感情に押し潰されて手をあげてしまうんだ。でも、あいつがいなければ俺はもう生きる気力も無くなる。本当は手放すべきなのかもしれない。ただ、それができないんだ。」

 私はその話を聞いた時に返答に困りました。信仰心の浅い私でしたから、信仰を持てば大丈夫だとは口が裂けても言えませんでした。また、子供を私が引き取ることも考えられませんでした。

 この親子は最終的には別れて終わりました。子供は施設に引き取られ、彼は苦悩を抱えて今も苦しんでいます。

 その時に私は信仰を棄てる決意をしました。もうこれ以上の不幸を抱える事はできないと思い至ったのです。

 神はそれでもなお彼らの生き様を愛していたのかも知れませんし、慈しみをもって見守っているのかもしれません。これらの出来事にも意味があったのだと言うのでしょう。

 しかし、もうそれらに耳を傾けることすら疲れました。それからの私は信仰に背く行為に加担します。これが胎児の売買です。

 ただ、この行いも無駄だと悟りました。信仰への反発心からの行いでは駄目だと思い至ったのです。中絶を認められる社会になれば、彼のような人は減るでしょう。しかし、それは言い訳に過ぎませんでした。私は不幸をただただ見たくないのです。独善的な考え方です。その考えが今度は私自身を蝕み始めたのです。




これ以降、精神疾患の症状についての告白のため、別途報告書を作成する。

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