第2話 片目の魚

 私たちの暮らすいやおい市は、平成のはじめに、旧彌生いやおい市を中心にして付近の町村を併呑した結果、県下第三の面積を誇る大きな市となった。

 東には浅科あさしな川のはるかな水源、高原の美術館で有名な霞ヶ原。北には冬場の聖地としてスキーヤーから崇められ、夏場の合宿地獄として高校の運動部員から忌み嫌われる湯平高原を擁している。西には鎌倉時代の寺院建築で名高い茅舎ぼうしゃ温泉が、八百年前から変わらず湯煙を上げ、南には国家の未来にとって有用な人材と、マイナーな専門分野の小さなランプシェードの中で面白おかしく踊ることしか知らない羽虫とを、毎年二対一の割合で輩出する我らが国立大学の学び舎が背をそびやかす。ルグローツク史の講義などを受講して生き生きとしている私が、はたして前者と後者、どちらの分類に属するのかは、余人の判断を待つまでもない。

 いやおい市の市街地は、東西に流れる浅科川の両側に広がっている。浅科川の北岸から太郎山の麓までは城下しろしたと呼ばれ、駅や城跡公園、大学病院、高校、そして映画館を備えたショッピングモールなどがある。

 浅科川の南側から小牧山と須賀山までの地区は、川南と呼ばれ、住宅地と田畑がモザイク模様を織り成している。私の通う国立大学のキャンパスは、須賀山の麓にある。

 城下と川南では、町の性格に大きな違いがある。城下はいかにも、城下町然としており、築城にあわせて行われた区画整理の形跡が目につく。シャッター街となりつつあるものの、洒落たカフェや小劇場を備えた駅前商店街は、町の外からの人間をもてなすためのすまし顔をしている。

 ただ、城下でも洒落た城下町と見えるのは、駅前から三キロ圏内くらいまでである。北にそびえる太郎山に近づくにつれて、広い境内と鎮守の森を持つ寺社が散見されるようになる。いやおいで育った者にとって、山裾に古くからの県立病院と火葬場を抱く太郎山は、黒いベールを重ねたような、妙に暗い印象がある。

 一方川南は、町人の住む城下町を離れ、もともとは農民たちが暮らしていたような、どちらかといえば閉鎖的な雰囲気の漂う地域である。実際、城下に残る地名が、材木町や大手門など、近世初期に城が建てられたことにちなむのに対して、川南のそれぞれの地区の名前は、中世のはじめの古地図にすでに見られる。

 川南の道端には、よく道祖神が祀られている。この辺りの道祖神は、一メートルほどの縦長の石に、道祖神の三文字を刻んだものである。毎年二月の夕方になると、「どおそおじんの、お祭りは、二月四日でございます、公園に、来てください、甘茶もぶくぶく沸いてるよ!」という、太鼓を挟んだ威勢のいい子供たちの呼び声が聞こえてくる。二月最初の土曜日の夜、子供たちは、道祖神をビニールシートで囲った小屋の中に入り、訪れた人々に熱い甘茶と産土神社のお札を配るのだ。

 その素朴なスタイルの道祖神が、近頃姿を消していると聞いた。

 時代遅れの因習として撤去されたというわけではない。毎日通う通学路にあったはずの道祖神が、いつのまにかなくなっているというのだ。もともとは、小学生の間でひそやかに、しかし盛んに交わされる都市伝説だったらしい。反対に、城下の家々の前に祀られている地蔵が、増えているようだとも。

 その風聞を知るともなしに知っていた私だったが、ついに先日、道祖神が消えるところを目の当たりにしてしまった。

 須賀山の山裾を囲むように存在する住宅街を歩くと、場が歪んでいるような奇妙な印象を受ける。実際に、道がどちらかの端に大きく傾いていたり、木造の古い家が傾いていたりするのだ。これは、地に棲む竜のように、小牧山から川南を縦断する断層のせいかもしれない。私は好んで、そんな奇妙な印象を楽しむために、住宅街の路地をしばしば散歩する。

 まだ日の落ちる気配のない夕方、学期末レポートを提出するために大学に向かった帰り、私は住宅街の路地を歩いていた。暑さで思考が拡散するなか、何を考えようかとぼんやり考える。早緑の稲がさわさわと風に揺れる水田が、道路下に広がっている。

 私は、東城坊とペン書きされた木の表札の家のところで右に折れた。少し変わった名字なので、その路地を曲がるときはいつも目にとまるのである。

 そこで左手に何気なく目をやった私は、違和感に首を捻った。狭い駐車場の隅に、道祖神が確かに祀られていたはずなのに、見当たらないのだ。

 私は、市の広報板の前で立ち止まってしばし考え込んでから、路地をのろのろと歩き出した。

 大学の裏の長い石垣に沿って歩くと、表通りに店を出している菓子屋から、シナモンの匂いが漂ってくる。間口の小さな家先に、白い綿雪を集めたような霞草が咲き群れていた。サボテンの鉢植えを並べた、こじんまりとしたメキシコ料理店と、「ナスカトラベル」と看板が出ているものの、ちっとも旅行代理店らしくない瓦屋根の民家を通り過ぎる。

 思い出そうとすればするほど、大学への行きで道祖神を目にしたかどうか確信が持てなくなる。道祖神は、数日前か、いや事によると数ヶ月前から姿を消しており、今日偶然そのことに気づいただけではないかという気がしてきた。

 そのとき、どおおん、と体を震わすような風が鳴って、私は須賀山を振り返った。山の音、という言葉が一瞬浮かんで消える。

 須賀山の斜面には、磯の岩にびっしりとはりついたフジツボのように、小さな家々が肩を並べている。民家の群れは、その銃眼のような空っぽの黒い窓で、こちらを監視しているように感じた。

 つい先ほどの強い風が嘘のように、山は、今度は不気味でひそやかな湿った風を送ってきた。この風は、須賀山のガイコツ池の表面を撫でたのと同じ風だろうか。底知れぬ緑の水をたたえた広い池の水面に、ときおり影を見せるという、巨大な主の吐いた息を含んでいるのだろうか。

 須賀山の上に口を開けているガイコツ池は、正式な名を須賀湖という。昔は、冬になれば氷を結んだという。私の卒業した小学校の校歌にも、きたる春を喜んで、「須賀湖の氷は晴れる」と歌われていたのを覚えている。私の父の世代は、スケート靴を担いで須賀山を登り、スケートをしに行くのが冬の一番の楽しみだったそうだ。運の悪い子供は、氷が薄くなっているところを誤って踏んで、池にはまってしまう。死と隣り合わせの遊びだった。

 中学校の理科準備室で、ガイコツ池にかつて生息していた魚の標本を目にしたことがある。かすれた鉛筆で記された茶色のラベルが貼られ、埃をかぶったしわだらけの標本は、深海魚のリュウグウノツカイに似ていた。子供の身長ほどもある大魚が、氷上でスケートが行われている間にも、その下の水中に潜んでいたのだと思うと、幽霊話を聞いたときのように、背中がひやっとして、薄暗い理科準備室の中を見回してしまったのを今でも覚えている。

 須賀山は、その筋の者にはパワースポットとして有名である。どうやら古代から聖地として扱われていたらしい。麓の大学がキャンパスを拡張したり、新しい建物を建てたりする前に、発掘調査を市の条例で義務付けられているのは、そのためである。

 学生たちがにぎやかに行き交う足元を掘れば、願掛けのために人為的に割られた土製の皿や、人の顔が墨で描かれた土器が、ごろごろ出土する。大学は、古代の祭祀遺構の真上に建てられているのだった。

 いまでも、須賀山とその周りには宗教施設が多い。山本体を御神体とする須賀神社をはじめ、いくつかの神社、各宗派の寺、カトリックの教会、そして新宗教の支部がひしめき合っている。

 須賀山の成り立ちは、断層の活動による隆起に由来している。須賀山をつくった白河断層が動けば、城下・川南一帯は震度七の大地震に見舞われるという。

 夏休みのはじめの日、私は午前中にバイトに行き、昼過ぎに家に帰ってきた。部屋で寝転がって本を読んでいると、玄関から「ごめんくださあい」と来客の声が聞こえた。

 がらがらと引き戸を開けると、玄関先ににやにやと笑って立っていたのは、大学の悪友である鹿島だった。大学のロゴの入ったスウェットに黒いTシャツを着て、よっぽど外の日差しがまぶしいのか、サングラスをかけている。ちなみに、昨日のルグローツク史の講義中に脳裏をよぎった不愉快な影とは、こいつのことである。

 私は不機嫌を隠さずに仏頂面を作った。

「おい、何しにきたんだ帰れ」

「サークルの帰りなんだ。ちょっと休ませてよ」

 私が渋々入り口から体を退けると、鹿島は「いつも悪いね。お邪魔しまあす」と、図々しくも乗り込んできた。

「あっちいな。寮まで帰んのだりいんだよな」

 わが家は、大学から徒歩十分の須賀神社のすぐ隣にある。鹿島が住んでいる学生寮は、浅科川を渡った先の城下にあるので、かんかん照りの長い橋の上を歩いて帰るのは、確かに気が進まないのだろう。

 私は、腕組みをして茶の間のソファに座った。

「期待されても何も出さないからな」

「お構いなく。勝手知ったる人の家だし」

 鹿島は、承諾も得ずに冷凍庫を開けて氷を取り出すと、蛇口からコップに水を汲んだ。台所で立ったまま水を飲み干し、「ああ生き返るわ」と、本当に勝手なものである。

 鹿島は台所から茶の間にずかずか入ってくると、ソファの上にひっくり返った。

「ほんとこの家の位置ちょうどいいわ。なんか涼しいし。玄関なんて、寮の俺の個人スペースより広いし。暑いうちは、この家から大学通おうかな。どうせ部屋余ってんだろ」

「人の家を都合のいい別宅にしようとするな」

「いいじゃん、いま流行りのシェアハウス。家賃払うからさ。いくらよ」

 両親、私、兄の木立、兄嫁である椿姉ちゃん、まだ赤ん坊の竜胆りんどうの六人が暮らしていたこともある築三十年の日本家屋は、大学生の私一人が住むには広すぎるのは事実である。

「絶対に住ませないからな。それと、明日からもなるべく来るな」

「なんで? なんかあんの」

「東京の高校に通ってる姪が、しばらく帰ってくるんだよ」

「へー、姪なんていたんだ。でもいま高校生って、結構年近いじゃん。お前のうちは磯野家?」

「兄貴と俺は十五歳離れてんだよ」

「その姪御さん、なんて名前?」

「竜胆」

「ひらがな?」

「いや、漢字」

「いかついな。でもなかなかいいセンスしてる。かわいいの?」

「いい加減にしろ」

 鹿島は、よく引き際をわきまえている。私がにらみつけると、話の矛先を転じた。

「ところでお前、今日これから暇?」

「なんで」

「須賀山に登って、ガイコツ池でも見に行こうかなーと思って。ご一緒しない?」

 私は、思わず目をそばめた。私の知る鹿島稔は、この炎天下にわざわざ汗を流して登山をするような男ではない。

「ガイコツ池に何があるんだ?」

「今度知り合いが雑誌作るんだけど、なんか文章書いてくれって依頼されててさ。ガイコツ池の底に潜む怪魚って、いいネタじゃね?」

「怪魚?」 

 私の頭には、中学校の理科準備室で鋭い小さな歯をむき出していた、リュウグウノツカイの標本が浮かんだ。

「あら、ご存知ない? 昔から、あの池の魚は片目だって言われてるらしいよ」

 片目の魚、と聞いて、頭のどこかが光った。それは、知っている話のような気がする。

「農学部のどっかの研究室が、遺伝子をいじったピラニアを放し飼いにしてるって噂はよく聞くけどな」

「その話、リアリティありまくるんだよな。うちの研究室のやべえ奴らならやりかねない」

 鹿島も農学部である。やつは、日常では専門についてほとんど話さないので、どんな研究室にいるのかは全く知らない。きっと、専門として選んだものの、研究分野に興味がないのだろう。

「お前、こういう怪奇じみた話好きじゃん。行こうよ」

「お前もよくだな。だけど、暑いから俺は行かない」

「ええー? いいじゃん、暇だろ。行こうよ、ほら」

 鹿島がこういう口調になるとしつこいことは、経験上わかっている。

 私が「わかったよ」と、ようやく重たい腰を上げると、やつは口角を上げた。


第三話 ガイコツ池 につづく

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