第3話

 


「……家内の件とは?」


「昨日、私、この家に居たんです」


「えっ? ……ま、中に入って」


 椎名が手招きした。


「失礼します」


 入ると、暁美は戸を閉めた。


「……居たと言うと?」


「これ」


 ショルダーバッグから求人誌を出して、ドッグイアのページを開いた。


「面接に来てたんです」


「何時頃?」


 椎名は求人誌を一瞥いちべつするとすぐに戻した。


「午後1時です」


「1時? ……で、誰が居たんですか」


 椎名のその言い方は、犯人に心当たりがあるように暁美には思えた。


「サングラスとマスクをしていたので、顔は分かりませんが、声の感じで、40歳前後の女の人です」


「……」


 椎名は辛そうな表情で俯いていた。


「長い髪の。でも、かつらみたいでした」


「で、何が言いたいんですか?」


 突然、顔を上げた。


「……その人が犯人かと」


「それは、警察がやってますよ」


 迷惑げな言い方だった。


「それと、お金を貰ったんですけど、お返しに――」


 バッグから白い封筒を出した。


「私にくれても困る。貰った物なんだから返す必要はないでしょ。貰っときなさい」


「はい。じゃ、頂きます」


 封筒を戻した。


「あとは?」


 早く帰したい感じだった。


「私の指紋がついてると思いますが、私は犯人じゃありませんので」


「あなたでないことぐらい分かりますよ。家内とは面識がないでしょうから」


「はい。テレビのニュースで初めて見て。昨日」


「とにかく、犯人は警察が捕まえてくれますよ」


 帰れと言わんばかりだった。


「どうも、失礼しました」


 会釈をして出た。



 椎名はXを知っている。そして、Xをかばっている。Xと椎名はどういう関係だ?


 暁美は、椎名の玄関が覗ける物陰に隠れた。必ず、Xと接触するはずだ。――間もなく、重ね着した黒いカーディガンに茶色のマフラーを巻いた椎名が出てきた。軽装ということはご近所だ。案の定、駅とは逆方向に行った。そこから暫く歩くと、四つ辻を曲がった。角から覗くと、煉瓦色れんがいろのマンションに入った。


 ……ここがXの住まいか。


 エントランスから覗くと、エレベーターに乗り込む寸前の椎名の横顔が見えた。急いで中に入った。エレベーターは3Fで停まった。


 ……Xは3階にお住まいのご様子。


 1Fに儲けられた郵便受けの3Fの列を見た。表札があるのは、3部屋。


302 米山

303 大城

305 TASAKI


 と、あった。Xがどれかは分からない。表札がない301か、304という可能性もある。郵便物で確認することはできない。それは犯罪行為だ。……あとは、椎名がどの部屋から出てくるかだ。


 4Fの内階段に腰を下ろすと、3Fの廊下に並んだドアを見張った。


 ……さて、椎名はどの部屋から出てくる?


 ――2、3回、ドアが閉まる音や靴音がしたが、階が違っていた。皆、エレベーターを使うようで、階段の上り下りは一度もなかった。――30分ほどすると、近くでドアの閉まる音がした。慌てて覗くと、303の前に椎名の背中があった。咄嗟とっさに顔を引っ込めると、椎名の足音が遠ざかるのを待った。


 ……これで、Xの部屋と名前が判明した。303号室の大城さん。


 大城の顔を確認したかったが、いつ出てくるか分からない。クッションもない階段に長時間座っているのは、肉付きの悪い、貧乳ならぬ貧尻のせいもあって、結構痛い。今日は一旦アパートに帰って、大城を挙げる段取りを考えよう。



 帰宅して間もなくすると、また美智からメールがあった。今はそれどころじゃない。大城を検挙できるかどうかの瀬戸際だ。〈バイト中!〉の返信をすると、インスタントコーヒーにポットの湯を入れた。


 まず、私が会ったXが大城かどうかの確認が必要だ。さて、どんな方法で? ……脅迫状は? 例えば、〈お前の秘密を知っている。バラされたくなければ、100万円振り込め〉とか。でも、私が椎名に会ってるから、そのことを大城に喋っていれば、脅迫者は私ではないかと勘繰るだろう。しかし、私だと分かっても警察には通報できない。しらせれば、加奈子殺しで墓穴を掘ることになる。


 仮に、この大城がXでなければ、金は振り込まれない。身に覚えのない脅迫なら無視するはずだ。だが、もし人違いなら、脅迫状の件を通報する可能性がある。……やはり、大城がXだという確証が必要だ。……どんな方法がある?


 アッ! そうだ、声だ。マスクで声はこもっていたが、アクセントやイントネーションに特徴があった。声を聞けば、マスクをしてなくても分かるはずだ。電話番号を知る手段は……。



 結局、罪を犯すことにした。――大城の郵便受けから盗んだ電話料金請求書を、沸騰するケトルの湯気で開封した。ついでに、発信と着信もチェックしてみた。同じ番号が毎日のようにあった。これが、椎名の携帯電話の番号だろう。このことからも親密なのが分かる。そして、名前も分かった。大城冴子おおしろさえこ。固定電話と携帯電話の番号と住所を携帯に登録すると、封に糊付けをし直して冴子の郵便受けに戻した。

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