VOL.8

『ならば、せめて我が先祖の墓所に詣り、それから、拙者自身の墓というものを見てみたいものだ。』

『ご案内しましょうか?』と、副住職氏が俺達に言う。

『いや、それには及ばぬ』

 俺達は副住職氏に礼を言って応接室を出ると、本堂を横切ってそのまま墓所へ通じる道を歩き出した。

 左近氏・・・・いや、正確には吉良公は、先に立って、”勝手知ったる他人の家”とでもいうように、俺達を先導して行った。

 やがて、苔むした石畳が続くなだらかな丘に出た。

 そこには五輪の塔が幾つから並んでいる。

 左近氏は一番大きな五輪の塔の前に進み出ると、しゃがみ込んで静かに手を合わせ、頭を垂れた。


 そして、彼は一際立派に造られている五輪の塔の前に立ち、傍らの立て札に

”吉良上野介義央公墓所”とあるのを見て、

『これが拙者の墓か・・・・』と呟き、同じようにしゃがみ、手を合わせ、五分ほどの時間そのままの姿勢でいた。

『不思議なものだな。自分で自分の墓に頭を垂れるとは・・・・』

 そう言って静かに笑い、こちらを振り返り、

『さあ、これで思い残すことはなくなった』

『あ、あれ・・・・左近さん、足!』

 マスミが驚いたような声を上げる。

 俺もジョージも目を向いた。

 

 何と、左近氏の姿が、足の方から少しづつ薄くなり始めたのだ。

『どうやら、元の世界に戻れるらしい。』

『ちょ、ちょっと待って!』

 マスミが提げていた大きめのバッグを開け、中から取り出したのは、あの白い絹の単衣と、そしてどこから手に入れたのか、雪駄の一揃えだった。

『そのままの格好で首を討たれるのはまずいでしょう?』マスミの言葉に、少しばかり涙が混じったように聞こえた。

『もっともだな』

 左近氏はそういい、微笑んでみせた。

 彼女はかいがいしく、人目もはばからず(もっとも、今日に限って何故か参拝者も観光客の姿も全くなかったが)、左近氏の着替えを手伝った。

『お主達には本当に世話になった。何か礼を差し上げたいが、生憎手元には何もない・・・・いや、』

 そういって左近氏は片袖を破り、マスミに渡す。

『そこもとにはこれを差し上げよう。お二人には・・・・すまぬ』

『いえ、私は依頼人から貰いますから、それで十分です』俺は言った。

『俺はダンナから貰うから、心配しなさんな』今度はジョージが言う。

『有難う』

 そう言いかけた頃には、左近氏の身体は腰の辺りまで薄くなり、殆ど見えなくなっていた。

『左近さん・・・・』マスミの声に涙が混じる。

 もう一度彼はこちらに向かって笑いかけ、やがて全身がすっかりかき消えてしまった。

『消えちまったな・・・・』ジョージが言う。

『元の時代に戻ったのかな』彼から渡された片袖を握りしめて、マスミが言った。何となく声に涙が混じっているようだ。

『でも、どっちみち殺されてしまうんでしょう?なのに何で』

『それは・・・・あの人が侍だからだろう。本人がそう望んだんだしな。残念だが、過去を変えることは誰にも出来ん。』

 墓所の中には、冬の冷たい風が吹き抜けて居た。

◇◇◇◇◇◇◇◇

 割り切れない気持ちで、俺達はそのまま東京に帰った。

 折しもその日は丁度十四日(実際には少し早目なんだが)で、本所にあった吉良邸に赤穂の浪人達が討ち入りを果たした日である。


 マスミは約束通りの探偵料ギャラを払ってくれた。

 彼女は『左近さん(間違っても上野介なんて呼び捨てにはしない)から貰ったあの片袖、大事に取っておくことにしたわ。いつでも傍に置いておくつもり』と殊勝な口ぶりで語っていた。

 ひょっとして彼女、あのおっさんに惚れたのかとも思ったが、そこまでは訊ねなかった。 

 テレビでは相も変わらずご存知モノの忠臣蔵関係のドラマや歴史ドキュメントが幾つも放送されているらしい。

 当然、吉良は悪役だ。

 俺はネグラで肘掛椅子に腰かけ、バーボンのグラスを舐めながら画面を眺めている。

 演じる俳優は、あの穏やかな”本物”とは似ても似つかん。

 それにしてもあの時空調整官とやら、こんな歴史を維持していていいと思っているんだろうか?

 俺自身で”過去を変えちゃならない”なんて思っていながら、そんなことを頭の片隅で考えていた。

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