第7話 私の居場所

 開け放たれた広い窓から吹き込むそよ風が、レースのカーテンを揺らす。

 一目でハイグレードとわかる調度品ちょうどひんしつらえられた部屋。

 天蓋てんがい付きのベットの中で、上質なシルクのワンピース型ナイトウエアを着てトロは眠っていた。


 ほほでる心地良い風にトロは眠りの中から浮上してきた。

 ゆっくりと目を開けると、見慣れない天井が目に入った。


「えっと……ここ…どこ?……」

「ここはでございます」

「うわっ!」


 巨大なもふもふのキャットフェイスが視界に入り、一気に目が覚めベットにぺたんと座った。


「あ…フユ」

「はい、おはようございます。とは言っても、もう直ぐお昼の時間ですけどね」

「昼?」

「本邸のお部屋のご準備が出来ましたので朝お声がけいたしましたが、ぐっすりお眠りでしたので、起こさずにお連れいたしました」

「えっと…本邸?」

「はい。じん様と旦那様、仁様のおじい様がお住まいの本邸でございます」

「仁さん…あっ!」


 仁の名前に昨夜の出来事を思い出した。

 

「そうだ!仁さんに『ゆうを助けて』ってお願いしたんだ!」

「友様なら救助されましたよ」

「えっ⁉」

「明け方水上邸で庭木が燃える火事があり、消火活動中にガーデンハウス内で倒れている友様が発見され救急搬送されたそうです」

「それって…」


 タイミングが良すぎる…


 フユは猫の顔であるのにもかかわらず、まあいいい笑顔をトロに向けている。

 笑っているのに圧が来る。

 『探し』に行った四稀しきが…と言う言葉をトロは飲み込んだ。


「後ほど仁様がいらっしゃいますから、くわしいご説明があると思いますよ」

「…わかった」


 友の容態ようだいは気になるが、仁さんが来るのを待つしかなさそうだ、とトロは思った。


「トロ様、仁様からお預かりしているものがあります」


 フユはA5サイズのポーチを差し出した。


「こちらが仁様からトロ様に、とお預かりしておりましたものです」


 未だベッドにいるトロに手渡す。


「中をおあらためください」


 フユにうながされ中身を取り出すと、中に入っていたのは通帳と印鑑、キャッシュカードだった。

 名義はすべて『四辻夢』 


四辻しつじゆめ?」

四辻よつつじですよ」


 フユが優しく訂正する。


「トロ様がで生活するための名前です」

「えっ?」

「トロ様は友様が助けられた後はどうなさるおつもりでしたか?」

「………」


 問われて何も考えていなかったことに気付く。


「…考えてなかった……」

「ただ一心いっしんに友様を助けることを思われていましたものね。でもそうでなければ仁様までトロ様の思いは届かなかったでしょう」

「届かなかった?」

「はい。これまでにも仁様はお猫様のご依頼をお受けしておりますが、仁様に依頼を届けられるのはが身をかえりみず、ただ一つの思いをいだいて人を思う猫のみ。我ら四稀しきは敬意を表し『お猫様』とお呼びしております」

「お猫様……」


 優し気に話していたフユが居住まいをただす。


「『依頼を完了してもお猫様依頼主が不幸になっては元も子もねーだろ』、とは仁様の弁でございます」

「そ、そうなんだ…」


 仁のモノマネだろうが、あまり似ていなくてちょっと引いた。


「ですので依頼完了後、お猫様が安心できる居場所の確保まで行っております。トロ様はこれより仁様の遠縁の『四辻夢』様としてここで暮らしていただきます」」


「へっ!?」


 フユの顔を信じられない思いで見る。


「なれないでしょうから、普段はトロ様とお呼びいたしますね。時渡りの家世は時渡りの猫の血筋のものからしか生まれません。遠縁と言うのはあながうそではありませんし、友様の事もすべて終わったわけではありませんから」

「えっ?終わってない?」

「はい。まだ本当の意味で友様が助けられたわけではありません。何のうれいもなく生活していただけなければ『助けた』とは言えないでしょう?」


 フユの問いかけにうなずく。

 確かにまた暴行を受けるような事態に戻ったら元も子もない。


「夢様も自在に変化へんげできるようにならなければ、猫の社会でも人の社会でも生きていくのは難しいですよ」

「…」


 確かに今のトロはケモ耳を消せないし、猫にも戻れない。


「どうすれば変化できるか…わからない…」

「変化は『心』が大きく作用するといわれております。記憶がないのも自由に変化できない要因よういんかもしれませんね」

「そう…なんだ…」

「ですからこの部屋に住んで記憶の欠片かけらを探していきましょう」

 

「…本当にこの部屋を私が使っていいの?」

「はい。これからここがトロ様のです」

「私の居場所…」


 部屋の中を見回す。


 シンプルで上品な家具で整えられた室内。

 窓からやわらかな日差しが差し込む。

 窓の向こうにはそよ風に揺れる青葉の紅葉もみじが見える

 何者にもおびえないでいい空間。

 そして、もふもふのフユ。 


「少しずつここでの生活に慣れていきましょうね」

「フユぅ…」 


 トロのケモ耳がヘコっとしなだれ、あふれる涙にうつむいた。

 ポタポタ涙が落ちていく。


 本当は怖かった。

 何も記憶がない日々が…。

 神社のやしろの軒で過ごす日々が…。

 トロにとってゆうとの時間が生きるかてだった。

 だから友のために一生懸命夜雨よさめの街を駆けた。

 未來さきのことを考える余裕なんてなかった。


 ふわっと優しい感覚が夢を包む。

 気付けばフユが横に座り、夢の体を抱きしめていた。


「よく頑張りましたね」


 ぷにぷにの肉球が夢の頭を優しくなでる。


「ふゆぅ」


 ぽふっともふもふのフユの体に抱きつき、自分の居場所ができたことを噛みしめるのだった。

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ダンスを踊る猫たち ~お猫様のご依頼お受けいたします~ 蒼衣みこ @aoimiko

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