保健室の神様

星来 香文子

保健室の神様



 うちの学校の保健室には、神様がいる。

 恋愛の神様。


 生徒は恋愛で困ったら、保健室の神様に相談すると、解決するんだって噂になってる。


 まだ一年生の私は、特に保健室に行くような怪我や病気もしてないし、恋もしたことがなかったから、そんな噂でしか、保健室の先生の事は知らなかった。


「昨日ね! みっちゃんに相談したら、速攻で解決してねー!」

「もう本当、みっちゃん先生は神!」


 みっちゃん先生というのが、保健室の神様のことなんだなって、認識しかなかった。

 男子生徒も何人か相談していたって話もちらほらと聞く。

 この学校のカップルの半数はそのみっちゃん先生のおかげらしい。


 きっと、美人で優しい先生なんだろう。

 そんなに恋愛について詳しい先生なら、相当経験豊富な大人の女性に違いない。


 噂で聞く限りでは、そう思ってた。



 ————つい、さっきまでは。




「1年の佐倉さくらさんね。先ずはお熱計りましょうか……」


「は……はい」


 具合が悪くて、初めて保健室にきたら、予想外の状況に私は本当に戸惑ってしまった。


 保健室の神様……恋愛の神様みっちゃん……その正体が————



「音がなったら教えてね。はちょっとそっちの部屋にいるから」



 ————光川みつかわという若い男の先生だったから。



 それに、先生はとても背が高くてかっこよくて……横顔が綺麗だった。

 まつ毛が長くて、指も細くて長くて綺麗。



 渡された体温計の音が鳴り終わるまでの間、隣の部屋で作業する先生の、綺麗なその横顔に目がいってしまって、先生はそれに気づいているのか、ニコって少し笑ってくれた。



 なんだろう、この気持ちなんだろう……


 胸がぎゅっとして、なんだか心臓がすごい音を立てて動いてる。



 こんなの知らない。

 私、何か悪い病気じゃないよね?


 今まで経験したことのない感情が、余計に体温を上げた気がする。



 なんだか落ち着かなくて、恥ずかしくて、もやもやしてる内に、ピピピッと体温計の音が鳴った。



「……な、鳴りました」


 体温計を手渡すと、先生は表示を確認する。


「うーん、この体温の割には顔が赤い気がするんだけど……」


「ひゃっ……!」


 先生の大きな掌が私のおでこに触れた。

 びっくりして、思わず変な声が出て余計に恥ずかしい……


 それに、先生の手は少し冷たかった。



「少し様子を見ましょう。そこの奥のベッドを使って」


 3つあるベッド1番奥。

 薄いピンク色のベッドに入って、カーテンを閉める。



「おやすみ」



 カーテン越しに聞こえたその声が、何度も何度も頭の中でループする。


 心臓の音が煩くて、眠れそうにない。



 何これ何これ何これ……っ!?



 よくわからない。

 何なのかわからない。


 何だか気恥ずかしくて、むず痒くて、ベッドの中で脚をバタバタしてしまった。

 もうどうしたら、私は元に戻れるのかわからない。


 目を閉じても、まぶたの裏に映るのは、みっちゃん先生の顔だった。



 * * *



「みっちゃん! ちょっと聞いてよ!昨日旦那がね……!!」

「はいはい、またですか?」

「そうなのよ! 私がいない間に他の女をね……」


 いつの間にか眠っていて、突然聞こえた声に私は目を覚ました。

 聞き覚えのある声に驚きながら、そっとカーテンを少しだけめくって、間から様子を見ると、予想通り私の担任の柴田しばた佳子よしこ先生だ。


 さすが保健室の神様……恋愛の神様。

 生徒だけじゃなくて、先生も相談に来るなんて……。



「酷いと思わない!?」


 みっちゃん先生は、弾丸みたいにいっぱい旦那さんへの文句を言う柴田先生の話をちゃんと最後まで聞いて、うなずいた。


「そうですね。酷い男ですね」


 恋愛の神様から、一体どんなアドバイスが出るのかと思ったら、みっちゃん先生はこれと言ったアドバイスはしていなかった。

 こうしたら、とか、あーしたら、とか、言わないで、柴田先生の話を全部否定しないで、肯定してるだけだった。


 でも、柴田先生にはそれが良かったみたい。


「いやー! さすが保健室の神様ね! 私があと一周り若ければ、あんな男と離婚して、先生と結婚したいくらいだわ!!」

「はは……先生、それセクハラですよ?」

「あらヤダ! ごめんごめん! また来るわねー! ありがとう」



 みっちゃん先生は笑顔で保健室を後にする柴田先生を見送って、手を振った。


 あぁ、綺麗な手。

 笑顔も素敵…………なんだろう、みっちゃん先生から光が出てるんじゃないのってくらい、なんかキラキラして見える。


 私はカーテンの隙間から、先生に見惚れてしまっていて、自然と口元がにやけてしまうのが抑えられない。



 これって、これって……もしかして……————



 ————……恋?



 自分の頭によぎった言葉に、恥ずかしくなる。

 ダメだ。

 このまま先生を見てたらダメだ。


 恥ずかしい……なんか、すごく恥ずかしい…………!!


 カーテンを閉め直して、ベッドに潜って隠れようと思った。

 だけど————


「起こしちゃった?」


 ——閉めたカーテンはすぐに開けられて、みっちゃん先生と目があった。


「はわわっ」


 思わず変な声が出て、自分でもびっくりする。


 近い! 近い! 先生の顔が近い!!



「ごめん、ごめん、驚かせたね……」


 先生はそう言いながら私のおでこに手を当てる。



「熱は下がったみたいだけど……まだ顔が赤いね。もう少しいる?それとも、家に帰る?」



「か、帰ります」



 このままここにいても、先生の前だと平常心じゃいられない。





 * * *




 みっちゃん先生は、やっぱり神様だった。


「着いたよ。ここであってる?」

「は……はい! ありがとうございました!」


 わざわざ車で家まで送ってくれた。

 そんなに離れた距離でもないのに。


 ほんの短い時間だったけど、すごく緊張した。

 さっきの保健室とは全然違う、車内で先生と二人きりなんて、本当に心臓が爆発するんじゃないかって思った。


 それに、保健室の薬品の匂いとは違う、車の香水はバニラのような甘い香りだったから、余計にドキドキした。



 車から降りると、みっちゃん先生は助手の窓を開けて……


「佐倉さん、また体調が良くないようなら、我慢しないでいつでも保健室に来てね」


 そう言って、車を走らせた。



 体調なら、ずっと良くないよ!

 みっちゃん先生と会ってから、どんどんおかしくなってるよ!!



 心の中で叫びながら、走り去る車に向かって手を振った。



「どうしよう、私……——先生が好きだ」



 私は保健室の神様に、恋愛の神様に恋をした。







 * * *





「どうしたの? 佐倉さん、今日はどこが悪いの?」


「えと……あの……ぐ、具合が悪いので、ベッドで横になってもいいですか?」



 あれから、何度も保健室に通った。

 あれこれと理由をつけて。

 わざとちょっと怪我をしたりもした。


 だけど、なんど通っても、みっちゃん先生に、好きだって伝えることができないで、もう私は3年生になっていた。

 もうすぐ、卒業式なのに……言えないままだった。


「いいよ、一番奥使って」


 このまま卒業したら、もう、ずっと先生には会えなくなるのかな?

 そんなの、嫌だな……————


 いつまで経っても何も言えない自分が情けなくて、嫌いだった。

 たった一言、それが言えたらどんなにいいだろう。



「それでね、みっちゃん先生相談があるんですけど……」


 私がベッドの中で悩んでる間に、こうして何人もの生徒が相談にやってくる。

 聞いていて気がついたんだけど、先生はその相談相手がどういう言葉をかけて欲しいかとか、わかって対応を変えてるみたいだった。


「わたし、あの……好きな人がいて、その、塾の先生でね……。告白したいんですけど…………どうしたらいいかわからなくて」


 私は思わず聞き耳を立ててしまった。

 気づかれないようにそっとカーテンの隙間から、様子を見る。


 私と同じように、先生に恋をして、告白できないでいる。

 上履きの色で、その生徒が2年生だってわかった。


 みっちゃん先生は、いつものようにその生徒の話を聞くと、うんうんと頷いて、こう言った。


「君の今すぐにでも、自分の気持ちを伝えたいのはわかるよ。それで両思いだったら、どんなにいいかとも思う。だけどね…………まだ2年生、17歳だよね?」

「はい……」

「恋をして、相手に思いを伝えるのはとても大切なことだけど、まだ未成年で、17歳だ。もしもその先生が君の気持ちを受け入れても、どんなに二人が真剣でも、先生の方は、生徒に手を出したって、世間からは冷たい目で見られてしまう。今はもう少し我慢して————」


 両思いになったら…………私はそんな希望、抱いてるわけじゃなかった。

 でも、もし、私があの生徒みたいに、みっちゃん先生に告白したら、みっちゃん先生にとっては迷惑なことなのかもしれない。

 やっぱり何も言わない方がいいと思った。



「————大学に合格して、ちゃんと高校を卒業してから告白したらいい。今したらダメだよ。もしも、その先生も君のことが好きだったら、お互いの気持ちを知ってしまったら、取り返しがつかなくなるかもしれないからね。どんなにいい先生でも、男は男だから。気をつけてね」


 みっちゃん先生はそう言って、私の方を見た。


 目が合った気がして、私はさっとカーテンから離れる。


「わかりました。気をつけます!」


 生徒は相談を終えると、入ってきた時より少し元気そうに保健室を出て行った。

 音だけでそれを確認して、私は何にもしてませんってフリをして、ベッドで寝たふりをする。


 危ない。

 危ない。

 聞いていたのがバレるところだった。


 でも、卒業したらって、先生の言葉が私にも少し勇気をくれた気がして、なんだかホッとした。

 卒業したら、会えなくなる。

 でも、その前に、好きだって伝えよう。

 そしたら、もしフラれても、もう会うこともないし……————


 そう思いながら、本当に寝そうになっていた。


 だけど————


「ねぇ、佐倉さん。今の聞いてたでしょ?」

「えっ!?」


 先生がカーテンを開けて入ってきて、私のベッドに腰をかけた。


「もうすぐ卒業式だね」

「は、はい……そうですね」


 なに!?

 なになに何これ……っ!!


「いつになったら言ってくれるの?」

「えっ……————あの、先生?」


 先生は座ったまま、カーテンを閉める。


 そして、あの綺麗な横顔は笑っていた。


「まだ、言いたくない? それとも、君が言わないなら、僕が言おうか?」


 

 ————ああ……薬品と、バニラみたいな香りがする。


 私は、起き上がって、先生の白衣の背中におでこをつけた。




「待ってください。自分で言います……でも、もう少し、あと5分待って」

「いいよ」


 なんて言ったらいい?

 どう伝えたらいい?


 どんな言葉で、この気持ちを伝えたらいい?





「先生、私、先生のことが——————……」








— 完 —







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