第33話 球団解散への手はず

 わしは、ユニオンズが解散するということ、茂やマネージャーの長崎さんから、その2日前の日曜日、岡山市内の喫茶店に呼び出されて聞いていた。なぜ高卒1年目の選手に過ぎないはずの西沢茂君までが事前に聞かされていたかというと、この後しばらくの間、残務整理のためにフロントの仕事をすることがすでに決まっていたからだ。このことは、監督の笠岡さんとコーチ陣、それに笠岡さんと同年のベテラン選手の中内さんと、あとは引退される兵後さんぐらいしか、聞かされていなかった。もちろん他の選手の皆さんも、解散されるであろうことはすでに知ってはいたが、いつ、どのような形で解散になるかということは、まったく、聞かされていなかったと聞いている。

 その喫茶店は、O大学の近くにあった「機関車」という名前で、そこのママさんの旦那さんが、国鉄の機関士だった。直江さんという人で、学生時代には随分お世話になった。当時の機関士や機関助士は序列があって、一番上の「甲組」じゃなければ、特急列車や急行列車の本線運転はできなかった。直江さんは腕のいい人だったみたいで、その時すでに30代半ば、甲組の主力機関士の一人で、特急の「かもめ」や「あさかぜ」の機関士として、姫路や神戸、あるいは糸崎あたりまで乗務していた。一度O機関区まで、直江さんに用事があって行ったとき、ちょうど乗務を終えて、「かもめ」のヘッドマークをもって機関助士とともに事務室に入っていく姿を見かけたけど、素人目にも、かっこよかったな。それはともかくとして、何でまた、O大の近くという街外れの喫茶店で茂や長崎さんと会ったかというと、駅前や街中の商店街の喫茶店では誰が聞いているかわからないからだよ。誰にも聞かれない場所はないかと、前日の土曜日に、長崎さんが茂を通じてわしに聞いてきたから、ちょうど日曜日が休業日になっているO大学の筋にある「機関車」という喫茶店なら大丈夫だということになって、直江さんに明日「貸切り」で開けてくれと言ったら、すんなりOKが出た次第だ。それが、2月23日のことだ。翌24日の昼前、わしはまず滝沢旅館まで行って、そこからタクシーを呼んでもらって、茂と長崎さんと一緒に、大学通りの「機関車」まで行った。

 あのころすでに小学校に上がっていた修身が親父さんと遊びに来ていて、卓司と一緒に遊んでいたけど、わしらがタクシーで出かけるときに、2人そろって、ずっと手を振っていたのが印象に残っている。そんなこと、卓司君、いや、滝沢さんはまだ、小学校にも上がっていなかった頃だから、記憶にはないかもしれんが。


 「機関車」に着いたら、直江さんご夫妻が出てきて、鍵を開けて入れてくれた。直江さんもこの日丁度非番で、奥さんと一緒に昼飯を作って待っていてくれていた。まずは腹ごしらえということで、作ってくれていた野菜サラダとカレーをいただいて、コーヒーを飲ませていただいた。店はもちろん、本日休業の札を出していて、カーテンも閉めていたから、幸い、誰からも見られずに済む。それにご存知の通り、その喫茶店のあった通りは大通りにも面していないし、街中からも幾分離れている場所だから、ちょうどいい。


 コーヒーを飲みながら、長崎さんが、随分改まった口調でわしに言われた。

「あのなあ、大宮君、川崎ユニオンズは、明後日の昼に、岡山県営球場で解散することになった。このことは、誰にも言わないでくれるか、明後日まででいいから」

 ある程度噂にはなっていたから知ってはいたものの、さすがに正面切って言われたら、びっくりもするさ。はい、わかりました、それしか、言いようがなかった。


 それでな、わが川崎球団としては、今いる選手諸君は他球団に移籍、もしくは解雇という形になるわけだが、佐々本のような人気選手は、どこも欲しがるわな、特に二塁が手薄な球団は。もう1年前なら、タイガースあたりも狙ってきただろうが、今年は中日をクビになった佐川というスカウトが、タイガースへの「移籍」土産とばかりに、洲本高校から鎌田実君というショートのできる新人を連れてきていて、彼を二塁に回せば埋まると考えているのか、打診はしたけど、断られた。タイガースなら、遊撃吉田と三塁三宅と組んで二塁佐々本で、完璧な二三遊間ができて、彼なら打力もさらに期待できるから、いいとは思ったが、残念ながら、それは無理だった。鎌田君がそのまま中日に行ってくれたらよかったのだがねぇ・・・。

 まあ、佐々本ほどの選手なら、1球団に断られたところでまだ行先はあるが、うちの殆どが、峠を越した選手か、これからどう頑張っても、他チームではレギュラーなんてとうてい覚束ない若い選手ばかりだ。本人のいる前でいうのも難だが、この西沢も、そのうちの一人だ。

 確かに彼は、これ以上、野球をやらせても伸びる可能性は、はっきり言って薄い。もう2年ほど死ぬ気で頑張れば、このところ売出し中の南海のキャッチャーで、ほら、野村克也君、鍛えれば、彼みたいに目を出すことも、ないとは言えないが、それは正直、砂漠で金を見つけるぐらいの可能性しかないだろう。加えて、西沢の親父さんにこの冬会って、野球は程々に見切ってやってくれと頼まれている。君もご存知の通り、西沢は洋菓子屋の息子で、しかも長男だ。野村君のように京都の田舎から出てきて、野球でないと身を立てられないほどの切迫した環境でもない。

 大宮君は病院の院長さんの二男坊で、好きにさせてもらえているようだが、お兄さんはお医者さんになったそうじゃないか。そこでだ、西沢には、私からも説得して、選手の道を諦める代わりに、もう1年ほど、川崎球団で働いてもらうことにしたのだよ。


 なんだかなぁ・・・、そんな話になってきた。

「じゃあ、この西沢君は、いったい、どんな仕事をすることになるのです?」

「会社清算のための事務の補佐をやってもらう。彼は商業高校出身で、簿記の資格があるだけでなく、高校時代から、親父さんの会社で帳簿付けなどを手伝っていて、その手の事務もきちんとできると伺っている。どうせ親父さんの会社を継ぐのなら、他の会社の、と言っても、いささか特殊な形にはなるけれども、株式会社川崎球団の清算業務に関わる事務と取引先との折衝で、一種の「現場研修」をやってもらおうと思ったわけだよ。ちなみに給料は、O大を出たばかりの大宮君の先輩諸君の初任給よりも幾分いい金額を出すことで話が進んでいる。具体的な金額や条件は、今はまだ言えないが」

 長崎さんの話をついで、茂が言うには、こうだ。

「そういうわけで、俺は、野球はこの際、「引退」することにしたよ。明後日のことだけど、解散にあたっては、川崎オーナーの息子さんが昼過ぎに球場に来られて、まずは、選手にあいさつをされる。その後、選手はそれぞれ、各球団に割振りされて、それでも残った人は、解雇ということになる。俺も解雇だ。一応、ね。ただ、明後日までは、他の選手に俺がこの後フロントに残って残務処理をすることは、黙っておけと長崎さんから言われている。あと、ベテランの兵後さんは、母校の大東亜大学が野球部の監督にくれという話になっていて、すでにその話は本人も了承されている。本当は昨年末で引退されたかったのだが、大学側にも事情を話していて、あと半年ほど、つまり、この春まではユニオンズにいて欲しいと頼んでいるのよ。あとの4人は、俺よりは年上だけど、まだ若手だからね。そりゃそうだろ、クビと言われる人たちの中で、自分だけが、球団に残って当分仕事しろ、なんて話が今から伝わったら、ますます、チームの雰囲気が悪くなるじゃないか。ただでさえ、解散するって新聞をにぎわせているわけだし・・・」

「ところで、他球団に行く選手の皆さんは、どうされるのです?」

「隣のK市でキャンプをしている京映スターズに行く選手は、数日間滝沢旅館からK市のキャンプ地まで列車で通ってもらって、機を見てK市の宿舎に移動してもらう。近鉄パールスにも何人か移籍することになっているが、彼らには、よつ葉園の風呂で身支度をしてもらった後、旅館に戻って荷物をまとめてもらい、その日のうちに夕方の特急で大阪に赴かせる。明日には、キャンプ地の球場で合流だな。その他の球団に行く選手も、順次、移籍先の球団のキャンプ地に移動して、新チームに合流してもらう。解雇になった選手については、球団側で個別に対応することになっている。西沢には、そういうわけでしばらくの間滝沢旅館に残ってもらい、まずはこちらの残務整理をやってもらう。ところで西沢、背広とワイシャツ、きちんと洗濯できているだろうな?」


 長崎さんが突如、茂に話を振った。

「はい。明日には仕上がります。旅館に届けてもらうことになっています」

「よろしい。明後日からは、君は原則、背広で仕事だ。いまさら言う必要もないだろうが、社会人として恥ずかしくないよう、身だしなみはしっかりしろ、いいな」

「はい!」

「それから、新しい名刺は明後日渡すから、今後はそれを使って、仕事をしてもらう。おまえさんの将来のことも考えて、球団のものとは別に、親父さんの会社の連絡先を書いた新しい名刺も、うちで用意してやる。それも、うまく使いたまえ」

「ありがとうございます」

 茂の間の業務連絡が終わった後、長崎さんがわしに言った。

「大宮君、この4年間、岡山市では結構お世話になったな。ありがとう。君がO大に現役で合格できたのは、私も本当に、うれしかった。それに、こういう形で、正直、これはあまりいい話ではないけれど、職業野球の歴史の一端を見てもらうことができたのが、何より、私としてはうれしい。君が将来、この経験をどのような糧として生きていくか、私は、陰ながらじっくりと拝見させていただきたい。それから、困ったことがあったらいつでも、私のところに連絡してきなさい。できることは、協力させてもらうよ」

「ありがとうございます。今後とも、よろしくお願いいたします」

「さて、今年のうちのキャンプの最優秀選手は、大宮君だな」

「え、私が?」

「そりゃそうだろ、よつ葉園の風呂の件にしても、君がいなければ、話がすんなりいかなかった。あれで、球団も、滝沢さんも、選手らも、みんなが助かったわけだ。よつ葉園さんにしても、これで運営費がいくらかでも確保できる。そして何よりだな、よつ葉園の子どもたちにとっては、いい思い出になると思うよ。野球選手に身近に触れ合うことができたわけだからな。うちの球団は球界の孤児と言われてきたが、まさかその球団が、「孤児院」とさえ言われている施設とつながりがあったという歴史が、こうして、ひとつ、残るわけだよ。それを知った後世の人たちが、どんなことを思ってくれるか・・・」

「でも、その歴史を証明するものって、何か、ありますか?」


 長崎さんが、わしのその言葉を聞いて、一瞬、びくっとされた。しばらく考え込んで、ふと思うところあってか、茂に向かってこんなことを言った。

「明後日の件、新聞社も来るだろ。彼らは必ず、カメラをもって撮影する。そこでひとつ、考えたことがあるが・・・西沢、こんなのは、どうだろうか?」

 ここで長崎さんが、せめて記念撮影ぐらいはしたいが、「さよなら川崎ユニオンズ」なんて横断幕を事前に準備したら、やっぱりそうだったのかと、選手らに不信感を持たれてしまいかねないから、それはちょっと、やめておこう、と言われた。もし作る時間が当日あるなら、せめて、模造紙か何かを持ち込んでおけば、それで何とかなるかもしれない、と。それなら、連絡事項を書いて選手に示すためだった、という言い訳も成り立つから、事前に何かやろうとしていたのかと、不審に思われることもないだろう、とね。


「記念撮影ですか? 当日はあわただしくなりますし、長崎さんの作られた日程を見せていただいた限りの感想ですけど、あまり時間もなさそうです。でも、うまく事を運べば、球場で写真を撮ってもらう時間ぐらいは、何とかなりますよね」

「そうだな、球団としても、公報を兼ねている私が、カメラを用意する。明後日までは西沢に事務をやらせるわけにはいかないから、私が記念撮影をするよ」

そこでわしが、長崎さんに、ひとつ、提案をした。

「長崎さん、今のお話を聞いて、ひとつ、いいことを思いつきました」

「どういうことだ? 大宮君」

「球界の孤児と孤児院のつながりを、写真で残せばいいのです」

「どこで、どんな写真を撮るの?」

「もちろん、球場で、です」

「だけど大宮君、グランドの中からでは、よつ葉園は映らないじゃないか」

「それはもちろんわかっています。そこでですね、こんなのは、どうです? 選手の皆さんはグランドで、ユニオンズのUのマークに並んでもらいます。カメラは、外野の観客席から撮影します。角度いかんでは、よつ葉園の園舎と、あのモルタル造りの白い風呂が映ります。銭湯で記念撮影というのもいいかもしれませんが、それよりも、球場と選手と、孤児院、今は法令で養護施設となっていますけど、この3つが1枚の写真に写る方が、見る人のインパクトは強いかと思います。どうでしょうか、長崎さん?」

 当時はまだ住宅も今ほどたくさん建っていなかったし、球場の周りも、今でこそ総合グラウンドとして整備されているけど、当時はまだ、練兵場の跡地で、木も植えられておらず、外野席の上の方からは、よつ葉園はもとより、ずっと先の三野山までが見張らせたからね。あの地も随分、のんびりした場所だったよ。

「なるほど・・・」

 長崎さんがわしの提案に、随分感心しておられた。そこで、茂が、長崎さんに言ってくれたのよ。

「俺は岡山市どころか、岡山県の出身じゃないし、基本的に球場と旅館の行き来ばかりだから、この街のことは詳しくないけど、大宮君の今の話を聞いて、ひとつ、思いつきました。球場からよつ葉園を望むことのできる写真が撮れるなら、いい写真を撮れる場所を早めに見つけておきましょう。それなら、長崎さん、明日でも球場から、よつ葉園がカメラに入る位置を探しておきます。そこから、撮影、お願いします」

「そうか、西沢、場所のことはおまえに任せたぞ。あと、くれぐれも、他の選手に解散の件は、このことも含めて、明後日までは口外しないように。大宮君も、大学の関係者や知合いには、一切話さないで欲しい。ただし、あの本屋の、永野さんだっけ、あの人には、伝えて欲しい。岡山市では、毎年お世話になったからね。それから、よつ葉園さんにも、風呂は事情によって、今週の火曜日まででいいということと、火曜日は少し早めに、3時より少し前から選手たちを入れてやって欲しいということ、それから、今週のうちに改めて私がお礼に伺うということで、帰りに伝えておいて欲しい。園長先生に解散の件を伝えるべきかどうかは、大宮君に任せる」

「はい。わかりました」


 もう亡くなられて久しいが、当時機関士をしていた直江さん、この話の一部始終を聞かれていたけど、このことは、国鉄の同僚たちにも話さなかったって言っていた。

 数年前に出された川崎ユニオンズの本があるだろ、ほら、米河君が買ってきて、私に見せてくれた、あの本。よつ葉園が映った記念写真があっただろう。あの写真を撮影されたのは長崎さんではなくて、あるスポーツ新聞社の人だけど、あの位置を教えたのは、長崎さんだ。確か次の日、茂が、球拾いの名目でスタンドに行って、確認していた。その日はわしもすでに後期試験が終わっていたし、1期校の入試前で講義もなかったから、昼間から球場に遊びに行って、茂の撮影地確認を手伝った。わしと茂がお互い顔見知りであることは他の選手の皆さんもご存じだったから、特に不審がられずに済んだ。というより、哲郎のことは選手も監督もコーチもマネージャーも、みんな知っていたからね。

 岡山県営球場の左翼席は御存じの通り芝生で、それほど高くなかったから、幾分高い三塁側の内野席の一番左翼席寄りの一番高い位置にある椅子の上に立てば、よつ葉園を背景に入れて撮影できることも確認できた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る