第29話 虚像と実像の狭間で

 それはともかくといたしまして、2015年の一斉地方選挙の時の話に戻ります。

 永野さんは十何年ぶりに、谷橋さんの選挙参謀に就任することになったのですが、確かにその時期はある程度くずれ止まりのようなところがあって、何とか経済的に持ちこたえていましたが、その選挙が終わってからの永野さんは、それまでとはいささか別人になってきたような気もします。その選挙を境に、永野さんはめっきり老いて、なおかつ、肉体的にも精神的にも、いろいろな面で衰えが出てきたように思えてなりませんでした。


 以前は気前のいいところが少なからずあったのに、そんな機会も目に見えて減りました。その代わり、親子ほどの年齢差のある私に対しても、例えばですね、電気代が足らないから4000円貸してくれとか、病院に行かなければいけないから2000円貸してくれとか、そういう電話が頻発するようになりました。もっとも私には、数日後に返すからと言って、たいていはその数日後、三備銀行の口座にその金額が振込まれていました。ただ、年金の入る前というので何日か遅れ、年金の入った日にくしやわで飲むからというので、そこに来られた時に、直接渡してもらって「回収」できたこともありました。最後に帰ってきたのは、昨年の12月半ばの、年金の支給日でした。それで結局、私と永野さんとの間には今生の金銭の貸借はすべてなくなりました。もっとも、年金の支給日ともなれば岡山駅前に出てきて飲むのが慣例でしたが、この時は、それも無理でした。申し訳ないが、体が言うことを聞かないから出られない、申し訳ない、とね。その月末には携帯の電波も支払いができないためか、止まっていましたし、さらには、北林さんの電話の電波さえも、切れている時期がありました。単に金がないというより、借金取りに追われていたのかもしれませんね。あとでいろいろな人から聞いた話もまとめてみると・・・。

 谷橋選挙の後は、永野さんはどこの選挙にも関与しておられませんでした。亡くなられる1年か2年ほど前、宇野市の市長選があるので、赤田さんの選挙には入られないのですかと、それとなくお聞きしたことがありました。ご本人は、わしが行かなくても十分当選できる見込みも体制もすでに備わっているから、わしの出る幕はすでにないから行かん、などとおっしゃっていまして、そのときは、そんなものかと思っていました。ですが、今思うと、あいつは入れるなと赤田陣営に限らず、対抗馬の陣営からも相手にされないというより、むしろ実態は、「永野を呼ぶな」という話だったのかもしれません。

 糾弾演説さえしたことのあるという、恩人の藤田勝巳元市長が2015年の選挙後間もなく亡くなられてしまったことも、宇野市がらみの選挙から遠ざけられる引き金になったのかもしれませんね。藤田さんという方には直接お会いしたことはありませんが、晩年は完全に政界から引退されていて、私が永野さんと知合いになった頃にはすでにほとんど影響力はなかったですからね。もっとも、谷橋さんの県議選については、永野さんを手伝わせてやってくれと谷橋さんに頼まれたという話をお聞きしています。


 マスターの滝沢さんが、テーブルの上の皿に目をやった。

 オリーブオイルは、すでに、パンに吸い込まれてしまっている。

 滝沢さんはオイルの使っていない部分を使って残ったオイルをさらえ、パンを口に入れた。オイルを口の中で絞り出すように飲み込み、何口も噛んでパンを飲み込み、残っていたコーヒーを飲み干した。

「修身君、高校生ぐらいの頃から普通に酒を飲んでいましたからねぇ。あの人は、女じゃなく、酒で身を滅ぼしたのかなぁ・・・」

「じゃあ卓司君、修身が酒を飲まなかったら、あるいは、飲めなかったら、長生きできているだろうか? わしは、そうは思えんな・・・どうかな、茂?」

「哲郎の意見に、私も賛成だな。飲まなきゃ飲まないで、彼のこれまでの人生を思い出してみれば、別の形で、例えば、暴食がたたって病気を、なんてことになったかもしれない。私の会社に役員で来ていただいている元銀行員の人がいて、その人、若いころから酒がほとんど飲めない代わりに、よく、食べるのよ。バイキングなんかでね。元プロ野球選手の私でも、え? と思うほど、よく食べる。ただ、そういう生活がたたって、以前、糖尿病で入院されたそうだ。私の会社に来られる前の話だが。無茶しなさんなって私も何度か申し上げて、うちに来られてからはそういう無茶は控えておられるけど、若いころ同じような調子で食べていたという彼の大学の同期生は、50代半ばで、どこかの高校の塾対象の説明会に行っているときに脳溢血か何かで倒れて、その後60歳になる前に亡くなられてしまったと言っておられた。その人は独身だったけど、それゆえ、残されたお姉さんやお母さんが大変だったみたいだ。なんでもその人は、岡山市内で塾をしていたらしい。仕事については何とも言えないが、どこか憎めないところがあったって話だ。ひょっとして、塾関係者に知合いの多い米河さんなら、ご存知かもしれんな、井原則文さんという人で、南甲大学を卒業されている人だけどね」

「え? 井原さんですか? その方、確かに存じております。その人より若い塾関係者の皆さんから、どういうわけか「変ちゃん」と呼ばれていましてね・・・。何で変ちゃんなのかと先輩にお聞きしたら、見ていたらわかろう、あの人、変だろ? ってね」

「井原さんは、酒を飲まれる人だったのかい?」

と、太郎さん。何度か、仕事がらみでお会いしたことがあるとのこと。

「いえ、まったく飲まれませんでしたね。飲まれた話を一度たりとも聞いたことがありません。ただ、お姉さんの話では、飲み会のような場所に居合わせることはお好きだったようです。私は、同席したことはなかったですけど。とりあえず、話を戻しますね」

 そう申し上げて、残っているコーヒーを飲み干し、グラスの水を一口だけ飲み、さらに話を続けた。


 永野さんは、恩人筋の藤田元市長の口添えもあって、谷橋さんの選挙に携わられたわけですけど、結果的には、申し上げた通り谷橋さんは定数2のところを次点で落選してしまいました。この連休期間にお話を聞くと、とてもじゃないけど、芳しくない話のオンパレードでしてね、ここでご紹介するのもいささか気が引けるほどです。

 この選挙が終わって間もなく、谷橋さんは永野さんの携帯電話を着信拒否にされました。あまりに素行がひどいばかりか、不誠実過ぎて、最早お付合いできかねるところまで至っていたからというのが、その理由です。

 藤田さんの口添えもあったし、市議選に最初に出たときの恩義もあったから来てもらいましたが、あまりにも「劣化」していて、県議選では、足を引っ張る行為ばかりが目立った。それだけじゃなく、谷橋さんの周りだけでも相当な数の金銭トラブルに関わる情報が入って来て辟易させられた、というのもあります。最初、常木三蔵岡山市議のところで秘書をやっていて月30万円はもらっているから、こちらでも25万はくれという要求でしたが、そこまでの金はないということで、半額以下の月12万円で来てもらった。それまでの永野さんなら、それなら、月30万どころか35万はくれる誰それの事務所に行くとでも言ってコチラからお断りとなったのでしょうけど、その頃はすでに、橋田後援会の元関係者をはじめ保守系の筋には悪名が轟いておりましたから、そんなに都合よく入り込める場所なんかない。常木をはじめとする野党系の事務所はというと、そこまでの金を用意できる事務所自体がないし、あったとしても、どんな人物かを聞けば、二の足を踏むどころか、直ちにお引き取り願われてしまうのがオチ。実際常木の事務所で30万円も毎月もらって仕事をしていたわけでもない。困窮している永野さんからしてみれば、それを受けなければ「0」ですから、それよりは月12万円でも、いやいや、極端でもなんでもなく月5万でも受けたほうがいい状況でしたからね。結局、永野さんは月12万円の条件で、谷橋さんの事務所の仕事を半年間引き受けた。

 もっとも、その12万円に見合うものがあったかというと、谷橋さんご本人に言わせれば、あったかどうか以前の問題でした、と、吐き捨てるように言われましたね。もう言いましたっけ、事務所開きの神事の時も来た時から酒臭かったって。さすがに「ソトヅラ」の悪いことはできませんから、お神酒をガバガバ飲むようなことこそされませんでしたが、その前から飲んでゴキゲン、では、さすがに、ね。

 酒の話はそれだけじゃなく、もう、いつものことでしたけど、選挙期間中こそなかったものの、選挙期間前の5か月間、しばしば昼間からたびたび事務所内でもこっそり缶酎ハイやビールを飲んでいたようで、ある時、見とがめた谷橋さんご本人が、さすがに怒鳴ったなんてこともありました、って。確かに、永野さんのつてもあって、ウグイスの中条さんや、男性スタッフの何人かを引込むことができ、それについては確かに皆さんよくやってくださったので感謝していますとのことでしたが、永野さんに関してだけは、とてもではないが感謝できるような要素がなかった、とね。

 永野さんが選挙参謀として谷橋陣営に加わったことは、宇野市内の関係者にはあっという間に伝わりました。本人があちこちでそう述べたことも確かですが、本人がいちいち言わなくても、そんな話はあっという間に街中に伝わります。なんせ、人口7万人ほどの小さな街ですからね。しかも、選挙に出てくるような人間は、誰がどこに行っているとか何とか、そんな話は、あっという間に伝わります。例えば私が民社連の常木三蔵の事務所にいることなど、中学の先輩や高校の後輩になる民自党系の市議は皆さんご存知ですし、それだけじゃなく、SNSを通していろいろつながりだってありますからね。政令市の岡山市ほどの街でもそうですから、まして宇野市なんかでは、もっとその手の情報は早いでしょう。

 それこそ、インターネットなんてなくても、いや、場所によってはネットなど比較にならないぐらい、情報が渡るのは速い。それも、その手の情報を必要としている人のところに、確実に入る。それを伝え聞いたあちこちの人から、様々な情報が谷橋事務所に入ってきます。知らぬは永野さんばかりなり、でして、谷橋さんの周りの人たちには、永野さんがらみの金銭トラブル情報が続々入って来ていました。


 皆さんの前でお話しするのは気が引けますけど、その具体例を挙げますね。

 永野さんは選挙の約1年前、それこそ谷橋さんの事務所に入る半年前に、宇野市内の知合いの眼鏡屋さんで眼鏡を新調されました。チェーン店ではなく、昔から続いている眼鏡屋さんです。常木市議の秘書をしていて給料も35万円はあるから、月末に給料が出たらその時に払うとか何とか、そんなことを言っていたようでしてね。ところが、何か月たっても支払いがされない。眼鏡屋さんはもともと谷橋さんの支持者ではなく、近藤さんの支持者の方でしたが、永野さんが谷橋陣営に参謀で入ったという話を近藤陣営の関係者から聞かされ、谷橋事務所に、永野さんの眼鏡代6万円がまだ払われていない、と言ってきました。この話を聞いた谷橋さんが永野さんに話を聞くと、確かに、まだ支払いができていない、どうしても払わなければならん借金がたくさんあって・・・、などとおっしゃる。 

 結局谷橋さんは、最初の月から6か月間、1万円をひいて永野さんに報酬を渡すことにされました。その6万円、立替えしてすぐ全額支払ったので、眼鏡屋さんからは相当感謝されたそうで。選挙後に眼鏡の調子が悪くなったと言って修理をお願いに来られて、さすがにそのときは永野さん、修理代の1万円、即金で支払ったそうです。

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