第24話 企画だおれの三国志

 彼の予感が当たったかどうかは、米河君も太郎もわかるだろ?

 名刺の作り直しなんて、この時初めて意識させられたよ。


 もちろん、社会人になって、肩書が変わった段階で何度も経験したけどね。

 それは置いといて、確かに西沢茂という選手はプロ野球に1年しかいなかったけど、その後の西沢茂さんは、野球で知合いになった人脈、うまく使って商売していたな。もっとも、解散からしばらくの間は、商業高校出の経験と、それから現役時代のあいさつ回りなどが評価されたこともあって、しばらく、マネージャーの手伝いということで、解散後の後処理を約1年手伝うことになって、それが終ってから、神戸の実家に戻った。あの頃の大卒の初任給が約1万円少々の頃、マネージャー補佐の彼は、元野球選手ということもあっただろうけど、それより幾分多くもらっていて、高卒2年目の事務員としては、それで十分、破格の給料だった。しかも、後始末として比較的出張も多かったようだしね。

 そのときの経験は、後にものすごく生きたようだ。自分の家業をあんなにはしたくないって、会うたびにいつも言っていたな。

 彼はユニオンズの解散の後、どの球団にも呼ばれなかった。その代わり、滝沢旅館に帰ってすぐ、これから1年間、マネージャー補佐として働いてくれと言われた。彼の親父さんには、球団からすでに話が行っていて、それはいい「現場研修」だと、親父さんは大賛成だったそうだ。それから数日間、西沢君は滝沢旅館に残って後処理をして、それから、川崎市の球団事務所に戻っていった。この頃の巨人や阪神の選手は移動時も特別二等車が普通だったところ、ユニオンズの選手は遠征の時も、三等車だった。新しい名刺もすでに作られていてだな、それには、「株式会社川崎球団 清算事業部 部長付経理補佐」なんて肩書を書かれていた。住所は、東京にある球団の事務所が書かれていたね。さすがに実家の洋菓子屋の屋号や住所なんかは、書かれていなかったけどな。

 彼がいよいよ、東京に戻ることになって、岡山駅まで見送りに行ったら、なんと彼は、前年の11月に設定されたばかりの特急「あさかぜ」の特別二等車で帰るっていうんだ。そんな金が出たのか、って言ったら、オーナーのポケットマネーから、差額として、二等車に乗れるように、それから、朝は食堂車で飯が食えるように、ってことで幾分小遣いをいただいているから、折角なので乗ろうと思う、ってよ。それとは別で、友達と飲むぐらいの色を付けてやると言われていたようでな。西沢君が、列車が来るまで飲むつもりでいるから出て来いというわけ。それで、岡山駅前の居酒屋で、まあ、どっちもまだ19歳だったけど、お言葉に甘えて、列車の出発する0時前まで、大いに飲んだよ。川崎龍次郎さんはビール会社もされていたから、封筒にはちゃんと、「ビール代」と書かれていたな。西沢君と顔を見合わせて、大いに笑ったよ。で、もちろん、最初はビールを頼んだ。キリンでもアサヒでもなくて、オーナーの会社が出しているビールだよ。当時は1本120円ぐらいだったか、大瓶で・・・高くてなかなか飲めるものでもなかったけど、ビール代は1000円もあったから、お互い1本ずつ飲んだな。

 いくら当時の二等車と言っても、冷房なんかないし、ようやく東海道本線が前年に全線電化したってことで話題になっていたぐらいの時期だから、神戸あたりまでは蒸気機関車だよ。あの時は春先だったからそうでもなかったけど、夏場なんて、窓を開けるから、煙でススまみれになっていた。もっとも、米河君もご存知の通り、彼の乗った特別二等車は、今のグリーン車並のリクライニングする椅子だったから、ボックスシートの三等車にしか乗ったことのないわしには、うらやましい限りだった。西沢君にしても、二等車なんて初めてで、うれしそうだったな。あとで聞くと、背もたれを倒せて、随分快適に東京まで戻れたけど、なんか、場違い感があって、ちょっと気後れした、って、言っていた。

 現役時は、地元はもとより、遠征に行った時も、西沢君は、あちこちへのあいさつを欠かさなかった。そればかりか、南洋の島出身の日系人の先輩と一緒に、遠征先の街をじっくり観察するようにしていた。その先輩は、その後故郷の島の酋長になって、大いに活躍されたそうだけどな。岡山市に来たときは、西沢君らの案内に駆り出された。彼は外出する時も、いかにもプロ野球選手でござい、みたいな恰好はせずに、きちんとした格好をしていた。ちょっと、プロ野球選手らしからぬところもあったけど、わしも彼には、すごく勉強させてもらった。彼が名刺を渡してあいさつする姿を見たけど、滝沢旅館のときにしたってそうだ、いっぱしの営業マン顔負けのあいさつぶりだった。

 彼は出身の商業高校で学んだ知識に加えて、ユニオンズ時代に作った人脈を生かして、商売を彼の代でさらに大きくして、東京進出も果たした。今は会長に収まって悠悠自適だ。ユニオンズのOB会にもちょくちょく出ていて、先輩方の世話役を仰せつかって大変だったと言っていたね。彼も、修身や卓司のことはよく覚えていて、確か、葬儀の翌日だったと思うが、西沢君が久しぶりにわしの携帯に電話をかけてきて、岡山市に行くから飯を食おうと言うので、よつ葉園出身の馬場君のやっている寿司屋で一緒に飲んだ。もちろん今回は、彼じゃなく、私のおごりだよ。そこで修身が先日亡くなったことを言ったら、まだ若いのに、なあ、って、残念がっていた。修身とは、彼が週刊誌の記者時代に、東京に進出した店の取材に来たことがあって、その時に、ああ、あの時の少年だったのか、って話になったそうだ。その記事、わしは読んだ記憶がなかったけど、当時のコピーを持ってきてくれていてね、修身がなかなかいい記事書いてくれたと言って、喜んでいた。ただ、その後の彼の行状をかいつまんで話したら、随分もったいない人生だったな、って、残念がっていた。もし連絡をくれたら、うちの公報で雇ってやってもよかったのにと言っていたけど、さすがにそれは、西沢君に迷惑になっただろうな。

 そうそう、彼の高校時代の数学のテストの漢詩の話、週刊誌の記者の頃聞かされたようで、あの話は、傑作だったってね。改めて、大笑いだったよ。


 大宮さんのお話が途切れたところで、私は、携帯のメールを示して、3人にお見せした。それは、永野さんから来たSNSのショートメールだった。


「今すぐではないけど、協力するから、二人でプロ野球の球団のない地方から見たプロ野球三國志(ママ)を書いてみませんか?」


と、そこには書かれている。改めて確認してみたが、私がこのメールに対して返信したメッセージは保存されていない。おそらく、メールが来た後電話で返答したからだろう。というのも、私の携帯電話の契約は、基本的にナビダイヤルや時報などのサービスは有料だが、通常の通話はどこの会社の携帯電話が相手であれ、固定電話であれ、あと、IP電話までは、通話料は一切発生しないもの。メールで返せば、自分の契約している会社の電話にはともかくとして、他者の場合、1通につき1円弱の金がかかってしまう。私の場合は、月にしてもせいぜい数十円プラスされるかどうかの負担しかかからないほどではあるが、それでももったいないから、できるだけ通話にしてかけるようにしている。

 晩年の永野さんは、SNSメールにしても、ひらがなばかりの文面だったことがしばしばあった。内容は、数日間2000円(3000円の時もあった。4000円以上のことはほとんどなかった)貸してくれ、4日後に返すから、とか何とか、そんな内容のものばかりだったけど、早稲田の文学部出身で、文学に造詣の深い永野さんらしくない文面ではあった。

 しかしこの時は、亡くなられる数か月前とはいえ、しっかりした文面だった。それどころか、「三國志」とわざわざ表記してきたあたりに、この人の教養レベルの底深さが伺い知れようというもの。

 単なる私信のメールだし、作品名というわけでもないのだから、今どき、普通なら「三国志」と書こうものだが・・・。


「せいちゃん、その「プロ野球の球団のない地方から見たプロ野球三國志」って、なんなのよ? それを読んで、意味、わかった?」


 たまきさんが、永野さんの文章を読んで私に尋ねてきた。

「幼稚園中退にして阿呆学部出身の私には、一瞬、何のことかと思いましたよ」

「裏学歴はもう、おねえさんは、耳にタコができるほど聞いています。それよりね、結局のところ、わかったの? 何なのかが・・・」

「ではたまきさん、マジでお答えしますよ。その前にまず、岡山県内には、サッカーやバレーはともかくとして、プロ野球のチームはどこも本拠地を置いていませんよね」


「ああ、確かにないね」

と、太郎さん。さらに続けて、こんなことをおっしゃる。


「ひょっとして、岡山県内、あるいは岡山市内のプロ野球球団のファンの多いチームに絡んだ何かの話じゃなかったのかな? ここは、近県の阪神、広島、それに全国区の巨人と、おおむねこのどこかの球団のファンが多いでしょ。そこでプロ野球に関わっている人やファン同士の接触とか、そういうことを君と一緒に書きたかった、ってことかもしれないな、ぼくもこれ以上のことはわからないけど・・・」

「確か、そのような感じだったと思いますけど、詳しいことは、覚えていないんですよね、不思議と・・・。今これを読み返しても、果たして、どんなことをテーマにして、どんな物語にしたらいいのか、今となっては、正直、何も湧いて来ないんですよ・・・」

「そんなことなら、結局、それも「企画倒れ」ってことね」

「企画にすら至っていませんから、企画倒れ、というより、企画ならず、ってところが実体かと。たまきさんのおっしゃるほど、いいものじゃないですよ・・・」

「そこまで卑下しなくてもいいでしょ」

「あ、でもね、永野さんから、プロ野球がらみの小説、書いてみてくれと言われたことはあります。確かあの時は、何とかベアーズだったか、韓国のとある弱小球団を引合いに出されて、後、川崎ユニオンズも引き合いに出ましたけど、弱小チームが力をつけて、毎年優勝争いをしているチームを倒して、それこそ、日本シリーズで日本一になるような、そんなストーリーを言われていたような覚え、ありますねぇ・・・」

「じゃあ、書いてみたらいいじゃないか。今からでも・・・」

「さすがに今の私には、無理ですよ、太郎さん・・・」

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