第22話 練習後の風呂と解散騒動

 結局、ユニオンズの皆さんは、県営球場での練習の帰り、よつ葉園の風呂に入って帰るようになったわけだ。滝沢さんと、もう一軒、ユニオンズが貸切りで宿泊している旅館の人たちも、今回は大風呂の用意をしなくてよくなって助かったと言っていた。

 ついでに言えば、いつも滝沢旅館で風呂焚きを手伝ってくれている人が、よつ葉園の子どもたちに、折角だからってことで、風呂焚きの講習までしてくれたそうだ。ところで、よつ葉園の風呂のほうだけどな、選手の皆さん、いささかぬるいけど、練習後の汗を球場の近くで流してさっぱりできるからありがたい、って、意外と好評だったよ。子どもたちが入るから、あまり熱くできないことを、前もって言っていたからね。

 その後、大相撲の巡業の時にも力士の皆さんに利用していただいたそうで、森川先生は、それで幾分寄付金が入って、非常に助かったとおっしゃっていた。よつ葉園の子どもたちも、目の前の武道館で大相撲を生で見ることができて、喜んでいたようだ。

なんせあの頃は、娯楽が少なかったからねぇ・・・。

 わしは、大学に入ってからは、今でいうボランティア活動もかねてよつ葉園に週に何度か来ていたが、森川先生が風呂に入っていけとか、飯食って帰れとか言ってくれて、ときには酒も飲ませてもらったりして、本当にかわいがっていただいた。そうそう、修身のお父さんの本屋、確か、よつ葉園にも本を納めていたな。あの子は家が南の方だし、小学校に上がってからは、球場はともかく、よつ葉園に来ることはなかったはずだ。


 昭和32年の春のキャンプの話に戻るけど、この年は、シーズン前からユニオンズにとってはいささか不穏な動きがあって、球団解散が早くから噂されていた。選手としては、気が気じゃなかったと思う。皆さん、練習が終わってよつ葉園の風呂に入ったら、その後すぐタクシーで街に繰り出して飲みに出られていたな。


 この後どうなるかわからない状況だ、練習にも身が入らないし、ならば、一杯飲んで憂さ晴らし、って感じだったね。高卒で新人の本西道夫君という選手がいて、先輩方は風呂までタクシーを呼ばせて、練習道具やユニフォームをまとめて本西君に便乗させて、宿舎に持って帰らせるわけだ。先輩方は、そこで着替えてさっそく街に、って感じだった。わしも、本西君がタクシーに荷物を積込むのを手伝ってあげたことがあった。そのときは、私も一緒にタクシーに便乗して旅館まで行って、その後、彼とある選手のおごりで飯を食ったよ。本西君はプロでは3年ぐらい選手をやったな。その後、高校野球の監督になって、何度か甲子園にも出た。今はもう引退されているけど、時々、近所の子どもに野球を教えてやっている。彼の教えた子どもで、プロのドラフトで指名された選手も何人かいる。


 その「ある選手」というのが、本西君より1学年上の西沢茂君という、内野手として高卒でユニオンズに入団した選手だ。その年でプロ2年目、わしと同級生になる。

 彼に出会ったのは、その前年、昭和31年の2月の初め頃だった。

 このころわしは、修身のお父さんに頼まれて、高校に行くついでに滝沢旅館に雑誌を納品してやってくれと頼まれていてね、自転車で永野書店に寄ってから、学校の行きがけの駄賃で旅館に本や雑誌を届けていた。時には、請求書を届けたり、帰りがけに集金を頼まれたりすることもあった。キャンプが始まって3日目ぐらいだったと思うが、朝の練習に行く前の西沢君に旅館の玄関で会って、そこでえらく丁寧にあいさつを受けて、しかも、名刺をもらって、それからの付合いだ。何歳か年上の選手かなと思ったら、同級生っていうので、お互い、びっくりした。あとで彼に聞くと、野球関係と出身の高校以外で同級生に名刺を渡したのは、大宮君が初めてだったって。わしはその年、ちょうど受験生で、O国立大は当時1期校だったから、入試は3月の初め頃だった。入試が終ったら、おごるから飲みに行こう、っていうのでさ、彼のおごりで居酒屋に行って飲んだよ。いかんせん、出会いがそんな調子だったから、最初こそお互い「さん」付けで、そのうち「君」づけになっていったけど、飲んでいるうちに、どうせ同じ年だし、長い付合いになるだろうから、この際、改まった呼び方はやめよう、ってことになって、お互い、名前の呼び捨てで呼ぶようになった。

 キャンプが終って彼が戻るときには、うちに招待して、わしの父が、と言うより、太郎のおじいさんだな、彼の後援会を作ってやろうということになった。神戸出身だけど、何でも、彼の母方のおじいさんが岡山県出身だったというのもあったからね。

その席で父が、西沢君に一つだけ、条件を出した。それは何かというと、できる範囲で、自分の名前で慈善活動をすること。せっかくなので、嘱託医をしているよつ葉園を紹介するから、あとは君なりに何か、続けていきなさい、ってことになった。そこでまた、わしがよつ葉園に彼を連れて紹介に行ったってわけだ。西沢君、いくばくかの支度金で仕立てたばかりのスーツを着て、わしと一緒に次の日、よつ葉園に行って森川先生にあいさつしたよ。

 それから先、野球をやめてもずっと、彼はよつ葉園だけでなく、今では神戸や東京の知合いの施設にも、いくばくかの寄付活動をしてくれているようだ。


 西沢君は、プロ野球選手としては、大成できなかった。1年目のシーズンで一軍入りはしたものの、出場機会はほとんどなかった。それに、翌年、あの事件が起きたからね。

 それでも、わしと違って社会人だから、少しは金がある。

 岡山市でのキャンプや試合のあったとき、それから、わしが大阪に出たときなんかは、彼のおごりで飲みに行った。というより、少し上の先輩が連れて行ってくれて、彼も私もまとめてその先輩の支払い、ってパターンが多かったけどね。

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