第10話 時空を超えた「卵カレー」(原稿の下書き)

                           

 2019(平成31)年4月2日の21時過ぎ、会社員大松繁さんの運転するバイクと、私と同じ町内に住む40代の女性が運転する自家用車が衝突。直進するバイクに、右折する自家用車が衝突し、バイクを運転していた大松さんがはねられ、死亡。運転していた40代の女性と同乗していた中学生と小学生の息子2人も、軽いけがをした。


 2019年4月2日。

 その「事故」は、裁判所の手前の交差点で起きていた。

 丁度、4年に1度行われる一斉地方選挙の真最中だった。


 私はこの日、何人かの年配の後援会関係者の方と一緒に、夕方17時を少し回った頃から個人演説会の会場に先乗りして、看板の取付けなどの準備をし、候補者の到着を待ちつつ、会場設営に従事した。演説会は、地元ということもあって盛況だった。

 この日の選挙活動を終え、事務所に帰り着くと、いつものように、候補者及び一部運動員のために炊出しが用意されていた。以前はものすごい活気があったのだが、今回は自宅で食べる人も多いため、候補者とそのご家族、あとは私のような独身者と何人かぐらいが食べるだけ。

 それでも、この炊出し、本当に選挙の楽しみの一つ、なんだよね。

 常木さんたちと一緒に炊出しを食べ始めたのが、ちょうど21時前後。

 この日の炊出しは、カレーと、近所にお住まいでいつもお手伝いに来てくださる森本さんという年配の女性が作ってくださったパスタサラダだった。カレーは、甘すぎず、かといって辛すぎることもなく、中辛の少し手前で、コクもうま味もしっかりあった。

 ふと事務所の大机の上に目をやると、事務所のテーブルの上に卵が1パック置かれていた。卵のことはよくわからないが、どうも、かなり品質のいい卵らしい。

 常木夫人が、折角卵があるのだから、卵カレーにしてみたらどうかとおっしゃる。

 私はカレーならどちらかというと辛いほうが好きなので、その辛さが飛んでしまう「卵カレー」はちょっと・・・ということで、卵を入れたりはしなかった。

 隣にいた中藤明代さんという70歳前後の女性(この人も選挙になるとよく出てこられる方)が、折角ならやってみようということで、卵を割ってかき混ぜ、常木夫人とともにカレーに入れて食べてみたところ、


 「これ、カレーという感じがしなくなったね」


との仰せ。やっぱり、ね。

 卵カレーにすべく卵を味噌汁茶碗に落としてかき混ぜていた中藤さんの姿と、一口食べた後の言葉が、なぜか妙に、印象に残った。あの時の事務所の雰囲気、いつもと少し違って、何か、微妙な空気が流れていたように思えているのは、私だけかも知れないけどね。

  

 私が物心ついて最初に出会った「卵カレー」は、確か、よつ葉園の「食堂」だった。

 この養護施設では、毎週末の土曜か日曜の夜か昼にカレーが出されていた。

 時には、カツカレー。これはたびたびあった。

 稀にだけど、エビフライカレーというのもあった。

 だけど、卵カレーと称して出されたのは、私の記憶する限り、あの日だけだ。

 確か、小学校の2年生か3年生ぐらいのこと。1977年か1978年のどちらか。よつ葉園の献立で、カレーが出されるのはその頃はたいてい土曜の夕食だった記憶が強いが、そのときはなぜか、昼だったと思う。

 まだホワイトボードが普及していない時代。

 食堂には黒板があって、その日の献立が、朝昼晩と毎日、白いチョークで書かれていた。その日の昼の献立には、確かに、「卵カレー」と、はっきり書かれていた。


 「卵カレー」というのは、どうやら、カレーに生卵を入れて食べるものということらしい。ならば、ということで、そうしてみた。カレーのルーのほうに、生卵を割ってそのまま落とし込んだ。卵とカレーのルーをかき混ぜ、さらにライスと混ぜて、食べてみた。卵は確かに、カレーの味をマイルドにする。黄身はマイルドさとともに一種の「コク」ももたらすが、白身は特段コクをもたらすことはなく、ひたすらカレーをマイルドにしてくれる。辛いカレーが苦手な人は、こういう食べ方、いいかもね。


 だが、どうも、カレーを食べている感じがしなくなって、今一つだな・・・

というのが、当時小学校低学年だった私の、正直な感想。


 いくらなんでも小学生だから、そうそう辛いカレーを食べ慣れていたわけではないはずだが、それでも、生卵をそのまま入れてしまったら、辛みのないカレーになるな、という印象を持った。外国に出向いてカルチャーショックを受けたときのような衝撃を、今もなぜか覚えている。大げさな言い方かもしれないが、実際、そうとしか言いようのない、何だか、やり場のないショックを受けたような、そんな感触だった。悪く言えば、カレーが台無しになってしまうような・・・。


 今でこそ、岡山駅前のデパートの地下のカレー屋のカウンターで、最初に「辛口」と注文しているにもかかわらず、中辛を入れられそうになった時、思わず、

「中辛なんか食えるかっ!」

などと言いつつ、辛口を改めて頼んで食べているほどの私だから、まあ、その頃から、辛い物好きになる素地はあったのだろう。


 さて、卵カレーの日の話に戻ろう。

 場所は、よつ葉園の食堂内。

 その日、私が座っていたテーブルよりも入口寄りのテーブルには、壁を背にして何人かの高校生や中学生の男子が座っていた。特に誰がどこと決まっていたのかどうかは、かなり昔の話なので、もう記憶にはない。小学生のそれも低学年と高校生ともなれば、朝や夕方はまだしも、昼食が一緒になる日というのは、ほとんどない。その日は確か日曜か祭日か、ひょっとすると土曜日だったか、あるいは、春休みか夏休みの時期だったかもしれない。だが、そんな記憶があるぐらいだから、そうそうあるパターンじゃなかったのではないかな、とは思うが、何しろ40年以上も前のことだからね。

 ただ、今述べた通り、何人かの年長の男の子が座っていたことは間違いない。

 そしてその中に確かに、当時高校2年生か3年生の大松さん、もとい、大松君が座っていた。他に誰がいたかとか、何君がいたかとか、そういうことは、もう記憶にない。

 だけど、大松君がいたことは、確かだ。

 彼は誰かに、何かを話していた。

 ひょっとすると、卵カレーの味の話だったかもしれない。

 私にはその日の食堂内の光景がなぜか、ずっと、脳裏に焼き付いていた。

 その後、よつ葉園で「卵カレー」というメニューが正面切って出されたことはない。それこそ、当時大人気だったアイドルグループ「キャンディーズ」が解散した前後。彼女たちはその「解散の日」以降、揃っての「出演」は一切していないのだが、我ながら、キャンディーズのその後と何だかダブるような表現ではある。

 私の記憶に加え、私が小6で「退所」後も大学合格時までいた同級生のZ君や、児童指導員としてその後就職されて30年近く勤められた尾沢さんに聞いても、そんなメニューは記憶にないし、一時期担当していたグループホームでさえも、「カレーを作ったついでに卵を入れて食べる」ことをした覚えはない、とさえおっしゃった。

 カレーに生卵を入れるなんて発想、今どきの人は、それほどないんじゃないかな?

と思ったけど・・・

 どうも、そうでもないようだ。ネット情報では・・・(苦笑)。


 よつ葉園でこそ「卵カレー」に出会うことはその後なかったわけだが、大学生になった頃、時々行っていた喫茶店でカレーを頼めば、間違いなく「生卵」をつけてくるところがあった。別に「玉子カレー」とも「卵カレー」ともメニューには書かれていなかった。

 その店のカレーは、それほど辛いわけじゃなかった。

「卵はいいから550円のところを50円負けてくれませんか」

と言ったけど、マスターいわく、勘弁してや、とのこと。

 かくなるうえは、いたしかたなかろう・・・

 モトを取ろうなんてさもしい考えで、というわけじゃないけど、しょうがないから、できるだけカレーの味を損なわないように生卵も食べるにはどうしたらいいか、一計を案じてみた。

 生卵をすするという手もあろうが、それはちょっと、今一つだ。

 ルーに入れてはカレーの味を損ねる。それなら、ライスのほうに入れればいいのではないか? そこで私は、ライスのほうにまずは卵を入れて、その上にソースをまぶし、卵かけご飯とカレーライスという感じで食べるようにしてみたら、カレーの味もそれなりに楽しめて、これはいけそうだな、という感触を得られた。これなら、卵かけご飯とカレーライスとを一度に楽しめ、3つぐらいの味が楽しめるじゃないか。

 ソースで卵かけご飯というのも、意外と洋風で、乙なものだということも分かった。最近あるSNSで、戦前の大阪の阪急デパートのレストランで、ライスだけ頼んでソースをかけて食べていた若い学生やサラリーマンがいたという話をある作家が紹介されていたが、なるほど、それもありだな、と思った次第。


 もちろん、そんなことを積極的にしたいと思っていたわけじゃない。

 だが、20代前半の頃、一度だけ、「戦略的に」「卵カレー」を食べたことがあった。

 とあるカレーチェーン店の、1300グラムカレーを20分以内に食べたら無料というのにチャレンジしたときのこと。1300グラムともなれば、もはや普通のカレーの4杯分以上のシロモノだ。この企画、1300グラム以上ならいくらの量でもよく、トッピングもし放題。ただし、20分以内に食べきれなければ通常通りの代金発生、というわけ。

 さすがに揚げ物などのトッピングは、食べきるのが厳しくなるだけだからパス。

 だが、カレーだ。いささか熱い状態で提供される。それでは時間がかかってしまう。そこで、カレーのトッピングとして、生卵を1個だけ入れることにした。これで、冷めた部分を早い段階で作り出し、そこから食べていけばいいとの考えだ。

 

 この「戦略」は、見事にはまった。

 結果的には、13分で完食できた。

 途中でトイレに行ったりひとたび食べたものを吐いたりしたら、その時点で失格なのだが、記念写真を撮られ、店を出るまでは何とか持ちこたえた。

 実はその後、カレー店から少し離れた裏通りの公園近くで、少しばかり吐いたけどね。この日は1食分の食費が浮かせられたことが、何よりうれしかった。

 ところで、カレーに生卵を入れることのどこが「戦略」なのだろうか。

 今思えば、あれは「生活費を節約する」ために、リスクはあるものの「1300グラムカレーに挑戦する」という戦略を選択し、その戦術として、20分以内に食べきるべく、いち早く口に入れられるようにするために「カレーに生卵を入れた」=そうすることで少しでも早く冷まして食べられるように、というのが、正確なところかも知れないね。

 それからは、生卵をカレーに入れるなんて、25年以上考えも思いもしなかった。

 そんな食べ方も、あの日のよつ葉園の光景も、時々思い出すことはあったが、さして気にも留めなかったし、人に話したってそもそも仕方ないし・・・。


 私の人生、生卵がちょくちょく「衝突」してくる傾向にあるようだ。

 昨日は朝にゆで卵を1個、夕方に目玉焼きで2個、卵を食べた。そう言えば朝には玉子焼きも少し食べたから、合わせて4個ほどを食べたことになる。今朝は、宿泊先の神戸サウナの朝食で、生卵2個を使って卵かけご飯にして、しじみの味噌汁をすすりながら、腹ごしらえをした。そういうわけで、今、生卵が2個、私の胃袋と衝突している。いや、激突しているといった方が実態に合っているかもしれない。

 少し食べすぎたかな? 腹が重い。

 しばらく休んで、ひと風呂浴びて、岡山の自宅に戻ることにしよう。

 サウナの休憩室で休みつつ、ふと、思った。

 なぜ、あの日のあの時間、あの選挙事務所に「卵カレー」が出現したのだろうか?

 なぜ、卵カレーの日の記憶だけが、はっきりと残っていたのだろうか?

 なぜ、私はそのどちらもの場所に、居合わせたのだろうか・・・?


 大松君は、あの日、よつ葉園の食堂で、

「卵入れたら、カレーの味がせんなぁ」

なんて言っていたのかもしれない。

 60歳を前にした会社員の大松繁さんが裁判所前の交差点で事故に遭った丁度その日のズバリその時間、常木三蔵選挙事務所でカレーを食べていた中藤明代さんのように・・・。

                              (引用終り)

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