第9話 むなしい指摘

「ところでだな、マニア氏にお尋ねするけど、ああいう人物が出てくる背景って、どんなものなのかな? 君なりの意見をお聞きしたいんだけど」

 

 いきなりそんなこと尋ねられても困るけど、まあ、しょうがない。思うところを答えよう。その前に少し間をあけ、ビールの大ジョッキを頼んでトイレに行ってきた。

トイレから戻ると、すでに大ジョッキがテーブルに来ていた。今日はこれで4杯目だ。


「そうそう、確か4年ほど前、私が住んでいたH県のA市で立候補した、元都市銀行員で三田義塾出身の困ったオッサンの話、覚えておられます?」

「ああ、覚えているよ、君の渾身のリポート、あちこちでウケたそうだな。市議選に立候補したのはいいけど、リアガラスを割られた東京方面ナンバーのベンツで、選挙運動ともつかぬ活動をされた人のことだね。確か、中田哲さんとかいう人だっけ」

「ええ、太郎さん。あの中田なる御仁、本来は銀行員で時間観念もしっかりしていたはずだけど、東京からA市に戻ってきて、何を考えたのか、人にやたら粘着してだらだら与太話ばかりして、最初はまあ、それなりにお付合いもするけど、そのうち、こんな奴に構えるか、ってんで、着信拒否にしましたよ。しばらくは、かなり電話がしつこくかかって来ていましたが、あの選挙の終る頃には、ぴたりと止みましたよ」

「ところで、その中田さんと北林さん、何か共通点でもあるの?」

「じゃあたまきさん、あるように思えます?」

「なんとなく、ありそうな気がするけど・・・、どうなの?」

「ありますね」

「どんな共通点なのよ?」

「一定の年齢まで生きてきて、ある時を境に、それまでとは違った方向に向いて、何かをしようとうごめき出した。その点では、方向性は違うけれども、まさにそこが中田氏と北林氏の共通点じゃないかと。銀行員として時間にびっしり縛られた生活から、時間に縛られないだらだらした生活に入り込んで、それを人にも向けていったのが中田の阿呆なら、それまで実質的に引きこもりのような生活をして来られたのが突如、社会性に目覚めて、まあ、正確には、社会性の「ようなもの」とでもいうべきでしょうけど、いずれにせよ、何かを始めようと思って動き出したのが、北林ウルトラ大先生ってわけです。どちらも、それまでの自己を否定して、何か別の自己を求めて動き出したという点では共通です」

「何だか恨みでもあるのだろうけど、「阿呆」は、ないだろう」

「いや、あれは「アホ」じゃなくて「阿呆」でしょう」

「まあ、「アホ」か「阿呆」かというなら、その中田氏なる御仁、君からすれば「阿呆」の範疇に入ることは認めないではないけどな」

「もういいから、やめなさいよ。せいちゃん、いつか言っていたでしょ、「馬鹿」に「馬鹿」と言っても虚しいだけだって。「阿呆」に「阿呆」と指摘するのは、虚しくないの?」

「阿呆を阿呆と呼んでも、何も悪いことはないでしょう」

「阿呆はわかったから、もうやめなよ。ところでマニア氏、その中田氏や北林氏のような「高齢者」は、今後、もっと多く出てくるように思うかい?」

「間違いなく、増えますね。大体、これまで以上に高齢者が増えるわけでしょ、全体数が増えれば、それに比例して「阿呆」とカテゴライズすべき人物も増えるでしょう」

「統計的な問題だけなの?」

「それだけでも、まんざらないでしょ」

「じゃあ君は、社会的にもそのような人間が増える要素があると言いたいのかい?」

「ええ。増えますね。間違いなく。高齢者の交通事故もそうですけど、別に交通事故だけに限った話ではなく、暗数ともいうべき部分で、問題行動に走る中高年者は、間違いなく増えていて、それで迷惑を被る人はそれに比例して増えること間違いなしです。迷惑をかける人間が一人いるとするなら、それで被害を受ける人が一人ということはなく、確実に複数名はいるでしょうから、たいていの場合ね。係数が幾分高くなる形で、比例して迷惑を受ける人も増えようというものです。まさに、中学で習う一次関数のグラフそのものです。いや、二次関数かもしれませんな」

「しかも、y軸との切片の値が0からどんどんプラス方向に移動していくってか?」

「まあ、そうですな。太郎さんのツッコミ、なかなかですね」

「そういうツッコミとやらを誘発させまくっている君には、勝ち目ないよ・・・」

 

 このところ、いろいろと高齢者の困った事件や事故が多いのは、まあ、対象者のパイが大きくなったゆえのことではあるけど、そんな話ばかりしてもあまり前向きにもなれるものじゃない。この日はとりあえず、その手の話はこのあたりまで。


 肝心要の選挙の話があまりできなかったが、それは結局、後日に回すことになった。というのも、知人がらみである事故が起こっていたからだ。

 特に私にしてみれば、幼少期から知っていた人だっただけに、ね。


「それよりちょっと、あの事故のことですけど・・・」

「大松さんのことね。せいちゃん、この前、急に電話かけてきて、何事かと思ったら、その話だったわね。何かあったの?」

「ええ、たまきさん、実はね、大松さん、私も幼少期によつ葉園でお付合いのあった方ですけど、御存じのとおりね、ちょっと、妙に、記憶に残っていたことがありましてね、それ、文章にまとめてきましたから、お二人とも、読んでみてくださいよ」

「それなら、ぼくも読ませてもらうよ」

「じゃあ、太郎さん、たまきさん、どうぞ。2部用意していますので」

「あの事故のことか。ぼくは翌日の昼の番組に入る前に、こんなことがあったって聞かされたから、よく覚えているよ。君に連絡しようとも思ったけど、選挙もあって忙しいだろうと思って、連絡はしないでおいたが・・・」

「ええ、私も太郎君と一緒にいるところで聞かされたけど、太郎君が、あいつは今選挙で忙しいからやめとけ、っていうから、伝えないでおいたのよ」

「いやあ、私も1週間ぐらい経って、岡山県内にいないよつ葉園の元保母さんから聞かされたぐらいですけど、ちょっと、びっくりしました。でも、電話で申し上げたでしょ、あのお話。それをまとめてエッセイにしてみましたよ」

「これは、すでにどこかで発表したのかい?」

「いや、まだです。書きさしでして・・・」

「とりあえず、酒飲んでどうこう言うのも難だからさ、帰って読んでみるよ。感想、メールで送るからさ」

「それじゃあ、よろしくおねがいします」

「卵カレー・・・? 一体、何があったのよ?」

「まあ、読んでみてくださいよ」


 たまきさんが、軽く読み流しつつ、私に尋ねてきた。

 「なんでまた、こんなこと、覚えているのよ? もう40年以上前の話でしょ?」

 「ええ。私も、不思議でたまらんのですよ」

 「それに、何? 事故が起こったちょうどその時間じゃない、ちょっと、太郎君、これ、読んでみてくれる?」

 帰って読むと言っていたはずの太郎さんまで、真剣に読み始めた。

 「選挙事務所で、カレーに生卵を入れて食べた人がいて、それで何か感想を述べた。ただ、それだけの話だろ? それが何か、特別な話にでもつながるのかい? カレーに生卵を入れる「卵カレー」自体は、それほど珍しい組合せじゃないと思うけどねぇ? それと、大松さんの事故と、何がつながるのさ?」


 「ネタバレ、行きます!」

 私は、何かを宣言するように言った後、ジョッキに入っているビールを飲み干した。

 「ご存知の通り、私は辛いカレーが好きでして、辛さの妨げになるようなものは、カレーに入れたりしません。生卵なんて、辛さをなくすどころか、カレーの味を壊すだけのシロモノです。なぜ私がそんなことを言っているかというと、幼少期の経験がありましてね。あのよつ葉園で、私の知る限り、たった一度だけ出された「卵カレー」、そのときの衝撃と、そのとき居合わせた人の記憶。これと、先日の選挙の時の「卵カレー」の話を、組合せてみてくださいよ。これが、このエッセイの下書きです」

 「まあいいや、帰ってじっくり読ませてもらうよ」


 すでに2時間近く飲んでいたので、この日はそのあたりで会計をしてもらった。

 せっかくなので、私がお二人に渡したエッセイの下書きを、ご紹介しよう。

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