【短編】坂道の花子さん

NAOKI

坂道の花子さん


 人は死に際してこの世に執着を残していると成仏できないという。


 美咲みさきが幽霊として中学の通学路に現れるようになってから20年が経つ。


 幼少の頃から病気がちだった美咲は、学校を休むことも多く友達が出来なかった。

 身体の線は細く痩せこけ、肌は白く透明でいて、まるで生気を感じさせない。普通であれば羨望の的だろうつぶらな瞳も、頬がこけた青白い顔の中にあれば、逆に印象を悪くしていた。


 教室でも、いつも一人で座席にうつむいて座っており、呼ばれる渾名あだなは”おばけ”か”幽霊”が通例だった。


 美咲にしても、皆と同じようになりたいと何度も願ったが、医者から運動は控えるように言われていたため、友人と野外で自由に遊ぶこともできない。また、頻繁に学校を休むので、クラスの友人と何を話して良いかも分からなかった。


 中学3年に上がったばかりの春、美咲の病が急に悪化し、数日後にあっけなくこの世を去った。死にゆく朦朧もうろうとした意識の中で、美咲は何故自分はこの世に生を受けたのだろうと考えていた。


 それがいけなかったのだろうか。

 次に意識が戻った時、美咲は中学校の正門から真っ直ぐに伸びる坂道の薄暗闇に一人で立っていた。


 坂道の両側は地元特産品の果樹園になっていて、周囲には1軒の家も無い。そのため、道を照らすのは等間隔に並んだ街灯だけであり、遠目からでは男女の区別もつけられないほど暗然としている。


 身体に重さは感じられず、自分は幽体なのだということは直ぐに理解出来た。自分は死んだのだという記憶は鮮明にある。どうやら生前の渾名あだなの通り、本物の”幽霊”になってしまったようだ。


 とはいえ、美咲はこの先どうして良いか分からず、困惑していた。

 美咲が持つ宗教観は、死んだら三途の川を渡ってあの世に行く、といった程度である。物語の世界なら、ここで神様か仏様が何かしらの助言をくれるのだろうが、そんな気配すらない。


 幸いと言って良いのか、孤独や無為に慣れている美咲は、何もせずじっとその場に立っていることにした。



 ******



 しばらくして美咲にも状況がつかめてきた。


 どうやら日中はほとんどの人に美咲の姿は見えないらしい。まれに霊感が強い人が美咲に気付くこともあったが、すぐに視線を逸らし足早に去っていく。

 夜になると、視認される頻度が上がってくる。一体、どういった条件であれば見えるのかは不明だが、美咲が道の真ん中に立っていたりすると、それに気付いた人は悲鳴を上げて大慌てで逃げ去る。


 ただ、美咲には人を怖がらせたいという気持ちがあるわけでは無い。また、気付いてもらいたいと思っているわけでもない。出来ればあの世に行きたいのだ。

 美咲の人生は確かに不遇ではあったが、誰かを恨んでいるということはない。学校では皆から避けられるような存在だったが、別にイジメられるということも無かった。親しい友人もおらず、特に現世に執着することは思い当たらない。


 そもそも、死後、何故この坂道に幽霊として現れることのなったのか、理由の見当もつかない。死んだ病院ではなく、多くを過ごした自宅の部屋でもない。通学路の坂道など、朝に上り、夕に下る、それだけで何の思い出も無い。ましてや頻繁に学校を休んでいた美咲である、他の生徒と比べれば坂道を通って登下校した回数も少ない。

 

 ならば学校にあまり通えなかったことが、この世に執着している理由なのか、と言われればそんな自覚は美咲には無い。


 自覚は無いが、それ以外に思い当たることもないので、美咲は生徒と共に朝夕と登下校してみることにした。


 やってみて分かったのは、美咲は坂道以外には移動できないということだった。学校の正門から坂道を下りきった国道との突き当りまでの300mぐらいが美咲が移動できる範囲で、校門をくぐり校舎の中に入ったり、誰かの後について家まで行くなどは出来なかった。


 自分はどうすれば成仏するのだろう、そんなことを日々考え続けた。



 ******



 10年が経った。

 美咲はまだ成仏出来ないでいた。


 最近、美咲はあることを思いついた。

 自分で出来ないのであれば、人の力で強制的にあの世に送ってもらえば良い。

 つまり、除霊やおはらいのたぐいである。


 そのためには、多くの人に気付いてもらう事と、行動を促す程の恐怖を植え付ける必要があった。美咲は様々な実験を試みた。


 まずは背後から声を掛けてみる。

 これは今まで何故やらなかったのかと思うほどに効果があった。

 特に下校が遅くなり、一人または二人の少人数で帰る生徒は、ほぼ美咲の声に気付く。生徒が誰の声だと不思議に思って振り返ると、そこには青白くゆらゆらと動く美咲が立っている。当然、それを見た生徒は恐怖におののき、全力で逃げていく。


 美咲もなるべく怖がってもらえるよう務めた。昔、雑誌やテレビで見た、人の想像の中にある”幽霊”のイメージに限りなく近付け、”遊ぼう”とか"一緒に帰ろう”など霊に取りかれると思わせるような言葉でささやいた。


 ケータイで写真を撮っている生徒がいれば、画面に映るように背後に立ってみる。坂道を通る車があれば後部座席に座ってみたりもした。美咲が生前に心霊現象として知っていたことは一通り試してみた。


 しかし、残念ながら僧侶や除霊師が来訪するまでには至らなかった。

 美咲が子供の頃のように、霊媒師と芸能人が心霊スポットに幽霊を探しに行くというようなTV番組はもうないのだろうか。


 さらに悪いことに、美咲の懸命な努力が、思惑とは逆に動いてしまった。

 それまでも、坂道には幽霊が出るという噂は広まっていたが、あまりに目撃情報が多く出て、心霊写真も出回ったことで、日が暮れてから坂道を通る生徒が極端に減ってしまったのだ。


 迂回するような道は無いので生徒は必ず坂道を通るが、日が暮れる前に急いで帰宅したり、なるべく集団で帰るようになった。学校の用事でやむを得ず帰りが遅くなってしまった時は、もう全速力で駆け抜けていく。


 これでは、美咲が気付いてもらおうと思っても誰も見つけてくれない。

 幽霊なりに懸命に努力したことが報われず、美咲はひどく落胆した。



 ******



 それから更に10年の月日が経った。


 ここ最近は美咲も活動を控えめにしていたため、幽霊の噂も元の都市伝説レベルまで落ち着いてきていた。


 美咲は、そろそろ積極的な活動を再開しても良いかと考えていたが、先の失敗もあったので、やり方を変えなければならない。また、最近の生徒は登下校中にスマートフォンと呼ばれる携帯端末を見ながら歩いているため、なかなか美咲に気付いてくれなくなった。


 声を掛ければ以前の二の舞になると、どうしても美咲は躊躇ちゅうちょしてしまう。

 とはいえ、何もしなければ永遠に成仏できないままなので、なるべく自然体で幽霊らしくいることに努めた。見える人には見えるし、夜になれば少しだけ見つかりやすくなる。




 きっかけは単純だった。

 それは、小春こはるという、いつも明るく少し勝気で、相当肝が据わった女の子との出会いだった。


 ある日の夜、学校帰りに一人で坂道を下る小春の背後に、美咲はそうっと忍び寄った。たまたま気分が乗ったのか、いつもより少しだけ距離を詰めた。


 気配を感じた小春は、振り返り美咲を見つけると驚いた顔で叫んだ。


「なによ、あんた誰」


 悲鳴では無く、大声で詰問されて吃驚びっくりしたのは美咲の方だった。


「あっ、えっと、美咲です」


 思わず普通に名乗ってしまった。


「美咲って、あんた幽霊?」


 物怖じせずに聞いてくる小春に美咲は戸惑ったが、今更いまさら消えることも出来ないと会話を続けた。


「はい。幽霊です」


「あの都市伝説の”坂道の花子さん”ってやつね。初めて見たわ」


「あっ、はい。初めまして。花子では無くて美咲です」


 思わず丁寧に挨拶してしまった。

 美咲は20年たっても姿形は変わらず、まだ中学生のままなので、小春も遠慮などせずに続けて質問してくる。


「で、あんたは何がしたいの」


「何がしたい・・・。成仏したいです」


「すればいいじゃん。自分で出来ないの」


「はい。どうすれば成仏できるのか良く分からないのです」


「そうなの?それでずーっとここに居るってわけね。どのぐらい幽霊やってるの」


「もう20年ぐらい」


「ええー。中学生ぐらいで死んで20年って、私の母親の世代じゃん」


「すみません。でもどうしても成仏できなくて・・・」


「謝ることないけど。なんか大変そうね」


「あの、お坊さんに来てもらってお経をあげてもらうとか出来ませんか」


「私には無理だよ、中学だし。一応、お母さんに相談してみるから、写真撮っていい、写るでしょ?」


「はい。写真には写ると思います」


 小春は、手に持っていたスマートフォンのカメラアプリを立ち上げると、美咲と並んで自撮りをした。


 小春は帰宅すると、母親に写真を見せて相談したが、変な悪戯いたずらはやめなさいと叱責されただけで、真面目に取り合って貰えなかった。とりあえず貴重な体験だと3年A組のLINEグループに写真を送っておいた。


 坂道の花子さんとツーショット!名前は花子じゃなくて美咲さんだって



 ******



 翌日、すっかり日が沈み辺りが暗くなってきた頃。


 数人の女子生徒がお互いの手や服をつかみ団子状になって坂道を歩いてくる。

 街灯と街灯の間の暗がりで立ち止まると、口々に美咲の名前を呼び始めた。

 美咲は何が起こったのか状況が掴めなかったが、呼ばれたので姿を現すことにした。ただ、大人数のためか、なかなか美咲を見つけてくれない。少人数だと良くて、多いと駄目な理由は美咲にも分からない。


 しばらく名前を呼んでいたが、美咲を見つけることは出来ず、諦めて帰っていった。



 その翌日。

 昨日と同じぐらいの時間に、別の5人組の生徒が坂道に現れた。同様に美咲の名前を呼び続けていたので、美咲は近寄ったり声を掛けたりしたが、なかなか気付いてもらえない。とりあえず、心霊スポットに行ったことのあかしか、皆で集まって自撮りを始めたので、美咲も背後に混ざって写ることにした。


 それからは、毎日のように生徒が訪れるようになった。次第に、二人以内であれば美咲を目で見ることが出来るとか、一人であれば会話もできるなど、様々な噂が飛び交った。学校は自制を促したようだが、生徒たちの興味と興奮は止まることを知らない。毎夜かわるがわる色々な生徒が美咲を訪ねてきて、実際、美咲は何人かの生徒と会話もした。


 小春が通り掛かると美咲は必ず挨拶をした。小春が一人で帰る時は、校門から坂の終わりまで並んで歩いて帰ることもあった。ちょっとした雑談や色々な相談も受けた。美咲には20年のギャップがあり良く分からないこともあったが、出来る限り真摯しんしに受け答えするように努めた。


 そうしている間に、美咲は自分の体が徐々に変化してきたことに気付いた。体が軽くなり少し薄くなっているようだ。幽霊の美咲が感じるのは違うかもしれないが、気持ちも晴れやかだった。


 そうか、自分はきっと仲の良い友達が欲しかったんだ。他愛もない世間話や悩み事の相談などをしながら、一緒に並んで坂道を下校してくれる友達が。


 20年もかかってようやく辿り着いた答えだった。

 


 春になり卒業式を迎える頃、一人で下校する小春を見つけた。


「小春ちゃん。あの、今まで、いろいろ有難う」


「ああ、美咲じゃん。もうすぐ卒業だから少し寂しいね」


「うん。あのね、なんか私、成仏できそうなの・・・」


「マジ、良かったじゃん。確かになんか薄くなってる気がする」


「それでね、最後にもう一度小春ちゃんと写真が撮りたいのだけど」


「いいよ。撮ろう」


 かつて一緒に写真を撮った時のように並んで、小春のスマホに写った。

 画面には、偽物の心霊写真だと言われてしまうぐらい薄っすらと、美咲の姿が写っていた。


 美咲は徐々に足の感覚がなくなるのを感じた。もうすぐお別れだ。

自分と別れるのが寂しいなどと言ってくれた友達は初めてだった。仲の良い友達と別れるというのは何と寂しいことなんだ、と美咲は目に涙を浮かべる。


「小春ちゃん、本当にありがとう。もう会えないと思うと残念だけど・・・。ほら、足の方から消えていってる」


「ほんとだ。じゃあ美咲ともこれで最後だね。ちょっと寂しいけど、まあ成仏だからね、皆にも言っておくよ」


「うん。じゃあね、小春」


「うん、またどこかでね」

 

 特に意識もせずに放たれた小春の言葉が美咲の心に深く残った。

 やがて、美咲はすうっと霧が晴れるかのように、消えて居なくなってしまった。



 *****


 小春の進学した高校は、駅との間にある住宅街を通って登下校する。

夕方であれば買い物をする主婦や帰宅する子供たちで賑わいもあるが、日が落ちてしまえば、住宅街の道路は全くといって良いほど人気が無い。


小春が一人で帰宅する時に、後ろを振り返り電柱の影の暗がりを覗けば、そこにはまだ中学生のままの美咲が立っている。、なんて言わなければ良かった。




人はこの世に執着を残していると成仏できないという。



(了)




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