第3話「後の祭りというやつ」

 あの時夢見た近未来……チユリが暮らす西暦2141年は、恐らくそういう時代だろう。夢見た人たちはもういないし、想像していたのとはかなり違う世界だろうけど。

 納品を終えて修羅場しゅらばは去り、今日はチユリも余裕を持っての出社だ。

 オフィスのゲート前では、網膜をチェックしてくれるロボットが今日も忙しそうである。


「オハヨウゴザイマス、ミズ・チユリ」

「おはよー、お疲れ様」


 今や社会のインフラにして同胞、ロボットたちは大きく別れて二種類存在する。

 一つは、今しがた言葉を交わしたタイプ、用途を限定されたマシーンとしてのロボットである。その容姿も、セキュリティゲートと一体化してカメラに両手が生えたような格好だ。

 もう一つは、人間と完全に同じ容姿や性別を持つ、アンドロイドである。アンドロイドは法的にも人間と同等の権利が保証されているが、製造や販売もされるし、なんらかの形で人間や組織の保護下にあることが多い。


「それにしても、メリアめぇ……ぐぬぬ」


 廊下の自動販売機に携帯電話オプティフォンを押し当て、朝のコーヒーを購入。それを手に、チユリはどこか閑散とした社内を自分のデスクへと歩く。

 今朝のことを思い出して、恨めしいやら微笑ほほえましいやら。

 早速朝から、一時の同居人であるメリアがやらかしてくれたのである。


「あの、どこでああいうのを覚えて……あ、そっか。ホントのオーダー主か」


 何らかの手違いで、チユリは自分がオーダーしたイケメンアンドロイドではなく、メリアを受け取ってしまった。どう見ても十代の、それもすこぶる愛らしい美少女である。

 勿論もちろん、そっちの趣味はない。

 見るのは好きだが、それは娯楽としての創作物ならという意味である。

 しかし、回収されるまではお世話になるのだからと、メリアは甲斐甲斐しく働いてくれるのである。そして、どうにもノリが空回りしているのだ。


「ああいうの、好きな人がいるんだろうなあ。……っと、ありゃ?」


 プログラマーたちが集められた一室は、死屍累々ししるいるい……嵐の後の静けさというか、先日までの修羅場が嘘のようだ。そこかしこにデータのディスクが散乱し、まだ頭上には砂嵐を映す光学ウィンドウが無数に浮いている。

 何人かは床やソファで力尽きており、これは寝せておいた方がよさそうだ。

 そして、チユリのデスクの前では、振り返る笑顔があった。


「あら、おはようございます。チユリさん」

「お、おはよ……ああ、いいよいいよー! 自分でやるから!」

「いえ、お気遣いなく。手持ち無沙汰なものですから」

「でも、秘書さんにそういうことさせちゃね」


 スーツ姿の折り目正しい美人は、この会社の社長秘書だ。何人か雇われているはずだが、この女性型アンドロイドとは何度か仕事で一緒になったことがある。

 アンドロイドは優秀なので、本当にヤバい時はあちこちに駆り出されるのだ。

 チユリも、弱音も吐かずにひたすらキーボードを叩く彼女を頼もしく思ったものである。その社長秘書が、チユリのデスクを掃除してくれていた。


「チユリさん、この手の栄養ドリンクの飲み過ぎには注意してください? どれも糖分が非常に多く含まれています」

「は、はいぃ……」

「それと、プリントアウトした資料は使用後にシュレッダーへ」

「す、すんません。いや、紙じゃないと駄目な人がまだいてさ、それに裏は白紙じゃない? こう、ちょこちょこメモする時はやっぱり紙とペンが早くて――」

「社の規則ですので、よろしくお願いします」

「はーい」


 クスリと笑って、社長秘書は最後にデスクを綺麗に拭いていくれた。昨日までこれに突っ伏して仮眠してたかと思うと、ものすごい汚れっぷりに自分でも辟易へきえきする。

 すると、社長秘書はそっと周囲を見てから声をひそめる。

 酷く整った美貌を近付けてくるので、チユリも耳を傾けた。


「うちの社長も、紙じゃないと駄目な方ですね。困ったものですが、しかたありません。私も裏の白紙を無駄なく使ってますが、最後はシュレッダーで。いいですね?」

「はーい。……えっ、秘書さんはなにに使ってるの?」

。最近凝ってるのは人物画です」

「は、はあ」

「チユリさんは絵が大変お上手だとお聞きしましたが」

「や、それは! 違っ! 違うやつだから! うん、ちょっと方向性が!」


 真顔で社長秘書はまばたきしてから、やはり静かに微笑んだ。とても自然な所作しょさで、機械とは到底思えない。

 聞けば、最近彼女は給料で画材も買って、ネットで絵画教室を受講してるそうだ。

 チユリが描くのは漫画のイラストなので、ちょっと格式が違う感じだ。

 社長秘書は最後に「お互い、最後はちゃんとシュレッターに」と釘を刺して、行ってしまった。彼女がひまそうにしているということは、社長は今日は自宅でダウンかもしれない。

 そう思って見送っていると、向かいのデスクから親しみのある声が響く。


「おはようございます、先輩。だから言ったじゃないですか、裏紙うらがみ使うと怒られるって」

「怒られてはいないでしょ。怒ってないもん、秘書さん」

「ないもん、って……えっと、彼女なんて名前でしたっけ?」

「あ……そう言えばあたしも知らない。でもなあ、まさかアンドロイドが芸術とは」

「それ、ロボハラ発言ですよ」

「なにそれ」

「ロボットハラスメント。……まあ、これにうるさいのはおおむね一部の人間だけらしいですけど」


 今日も後輩のソウジは、朝から熱心に作業を進めている。

 すでにシステムは納品され、現場で稼働を始めている。それでも、不測の事態に備えて一部のプログラマーが社で待機することになっていた。

 とはいえ、周囲でしゃんとしてるのはソウジだけである。

 そのソウジが、手を止め身を乗り出してきた。


「それで先輩、どうでしたか? 恋人との甘い新生活は」

「なんか、そっちこそセクハラっぽいじゃん」

「それは失礼、でもこう……気になりまして」

「ははーん、さてはおぬし

「あ、それはないです。先輩は頼れる上司、尊敬できる仕事の同僚、それだけですから」

「チッ……いや、それがさあ」


 綺麗に片付いてしまったデスクで、コーヒー片手にチユリも仕事を始めた。

 緊急性のある作業はもう残ってはいないが、面倒事めんどうごとが残っている。仕様書を現行のシステムに合わせて修正するという、本来とは逆の手順をやるハメになっていた。これというのも、あとからドンドン機能が追加されたからである。

 ソウジの方でも、打ち合わせの議事録を整理かいざんするかったるい作業の真っ最中だ。

 ゆるくて静かな空気の中、チユリは手を動かしつつ今朝の騒動を語る。


「実はさあ、なんか……業者のミスで、全然違うアンドロイドが届いちゃって」

「えっ? そういうことってあるんですか?」

「一応問い合わせたから、後で返事が来ると思う。えっと、回収? ……回収されるとどうなるのかな」

「アンドロイド本人の意思にもよりますが、技能や知識を初期化した上で、新しい職能に合わせて再インストール、ですかね。記憶や人格は、本人が望めば維持されます」

「なんか、悪いことしたなあ」


 メリアのことを、差し支えない範囲でチユリはソウジに語った。

 その話が今朝のドタバタに及ぶと、ソウジはついに笑いを噛み殺せずに顔を手で覆った。プルプル震えている後輩を見て、チユリはプゥ! とほおを膨らませる。


「いや、すみません先輩……い、いいじゃないですか……かわいくて」

「笑い事じゃないってば! 裸エプロンの次は、だよ!」

「そういうのもセットで購入したんでしょうね、本当の持ち主は」

「あ、いや……そこは、そのぉ……そ、そうだな、うん! 多分!」


 少しだけ、嘘だ。

 今朝、チユリを起こしてくれたメリアは……とても際どい下着を着ていた。純真無垢をそのまま女の子にしたようなメリアに、毒々しいピンクと黒のレース。そう、スケスケのフリフリである。

 

 クローゼットの奥に封印してた、いつか使うかもと思っていたやつである。

 それを身に着け、華奢きゃしゃ過ぎて細い身体からずり落ちるままに、メリアは優しく起こしてくれた。朝からメガトン級の破壊力で、チユリは顔から火が出る思いだった。


「まったく、なにが『わたし、理解ある方なのでっ』だよー、もぉ」

「はは、かわいいじゃないですか」

「……ソウジ君さあ、アンドロイドと暮らすって、どんな感じ?」

「かなりいいですよ。人間なんかよりずっと。まあ、比較するものでもないですが」


 ソウジには、家庭を共有するパートナーがいる。

 それは、アンドロイドの女性だそうだ。それが彼の人付き合いの悪さ、どこか周囲に壁を作っている態度と関係があるのだろうか? そう思うと、今の素朴な質問が急に失礼なことのように思えてきた。

 誰にだって、触れられたくないプライベートというものがある。


「ゴメン、今のは忘れて。あたし、無神経だった」

「いいですよ、先輩なら別に」

「……それ、どゆ意味?」

「僕は先輩みたいな人なら、好きですから」

「おっ、惚れたなあ? どう? 今なら美少女アンドロイド付きで一晩! どうよ!」

「浮気はしないと決めてるんで。……まあ、先輩みたいな人は珍しいし。あと、仕事できる人は好きです。それと、趣味に生きてていいじゃないですか。趣味の内容はともかく」


 そう言って笑うソウジは、間違いなくイケメン男子だった。会社は収入を稼ぐ場所と割り切って生きる彼は、女性社員たちから見ればクールでミステリアスな年下の男の子なのである。

 その彼が、アンドロイドの女性と結婚生活をしている。

 ちょっと想像もつかない反面、局所的な共感がないでもない。

 チユリだって、結婚適齢期がどうとか言ってくる上司は、正直鬱陶うっとうしい。

 旧世紀に置いてきたかった多くが、まだこの社会にはこびりついているのだ。


「まあ、朝から一生懸命構われた訳ですよ、メリアに」

御愁傷様ごしゅうしょうさま。でも……クッ、ククク……だって、小さい女の子がでしょ?」

「そうだよー、そうなんだよー、キリッとどすけべ下着で『よく眠れたかい、ハニー』って……あたし、そういうの求めてるように思われたのかなあ」

「一生懸命なんですよ、多分。アンドロイドもロボットも、みんな真摯で真面目ですから」

「なるほどねえ……」


 その時、ノイズ混じりで頭上を彷徨さまよう光学ウィンドウが、一斉に文字の洪水をほとばしらせた。同時に警報じみた電子音が鳴って、周囲が慌ただしくなる。

 どうやら現場の運用で、システムになにかしらの不具合が出たらしい。

 突然忙しくなる中で、今はソウジと仕事に集中し始めるチユリなのだった。

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