第2話「それはまるで夢のような……?」

 チユリは夢を見ていた。

 夢見る暇もなく徹夜が続いた、仕事での忙しい日々がフラッシュバックする。チユリの職業は、プログラマー。AIが社会に広く普及した現在でも、IT産業から人間の労働力が消えることはなかったのである。

 AIを育てるのもメンテするのも、やはり人の手が必要だからだ。


『えっ、先輩もアンドロイドを? それって、結婚ですか?』


 社内はあの時、納期が迫って修羅場だった。

 悲鳴や嗚咽おえつが聴こえる中で、向かいのデスクの同僚にチユリは得意げにうなずく。

 勿論もちろん、その間も両手はズガガガガガ! とタイピングを続けていた。


『そうなんだよー、これで干物生活ともおさらばって訳。ニシシ!』

『先輩……やらしい顔になってますよ。っと、これ、デバック終了です』

『こっち回して! よしよし、って……ん? ソウジ君、今……、って言った?』


 社内ツールを介して、後輩から最新のコーディングが送られてくる。

 彼の名は、ソウジ・V・フォーゲルシュタット。

 最近入社してきた新人ながら、チユリにとっては頼れる相棒、戦友のような存在だ。付き合いは悪いし常に定時退社、こんな真夜中に会社にいるのが珍しいタイプの人間である。因みに、独系三世で祖母が日本人である。

 とっつきにくいが仕事はできるし、チユリとは何故なぜかすぐに打ち解けたのだった。


『あれ、言ってませんでした? 僕、結婚してますけど』

『まーじかー! よし、おっけ! ……ソウジ君も、パートナーはアンドロイド?』

『ええ。ほら、指輪だってあります。仕事中は外してるんですけど』


 モニターの向こうで、ソウジは緩めたネクタイの奥から細いチェーンを引っ張り出す。そこには小さなリングが光っていた。

 思わずグヌヌとなったのを、チユリは今でもよく覚えている。


『うわ、ほんとだ……いいなあ』

『先輩だって、アンドロイドに限らず引く手あまたでしょうって』

『そんなことないよー! 仕事はクッソ忙しいし、それに、こぉ……なんての? 一応さあ、最低限の理想ってあるじゃない』

『最低限、ねえ』

『そそ! そゆとこも融通がきくし、まずはアンドロイドでってね。よし、こっちのツリーは終了! ソウジ君、あがっていいよ。今なら終電、間に合うし』


 優秀な後輩のおかげで、恐らくチユリも明け方前には一眠りできそうだ。

 最近はデスクの下で寝袋生活なので、ちょっと身体の節々が痛い。

 年は取りたくないもんだと、そう思うアラサー女子の切実さが実感であった。


『ああ、大丈夫ですよ。ここまで残業したんだし、最後まで付き合いますって』

『妻帯者って聞いちゃったからなあ、いいっていいって』

『そうですか?』

『そうですよー、ほら帰った帰った! リア充、しっし!』

『はは、じゃあお先に失礼します』


 こんな生活が日常化して、もう何週間たっただろうか。

 このプロジェクトは、半ば完全に破綻していた。唯一揺らがないのは納品日だけで、仕様からなにから全てが毎日目まぐるしく変わる。顧客は次々と無理難題を要求してくるし、営業はそれを勝手に安請け合いする。

 慌ただしく人が行き交う中へ後輩を見送り……チユリはヤケクソで叫んだ。


『絶対、辞めてやるーっ! ナギ様と南の島でイチャラブ生活してやるんだーっ!』


 もう、自宅に届いているだろうか?

 自分がオーダーした、これから恋人をやってくれるアンドロイド……容姿から性格まで、盛りに盛った夢の結晶。二十代も末期になって、未だにチユリには浮いた話の一つもない。それが幼少期からのサブカルチャー趣味をますますこじらせていた。

 大人気ゲーム『聖剣乱舞流せいけんらんぶる』、通称『せいらん』の推しキャラ、草薙剣クサナギノツルギことナギ様だけが心の活力だ。

 そんなナギ様に似せて、優しく男らしいナイスガイを注文したのだった。

 この時、チユリは夢にも思わなかった……これは夢だが、夢じゃない。

 疲労困憊でようやく帰宅したチユリを待っていたのは――






「ん……あ、あれ? そっか……あたし、寝落ち、っていうか気絶しちゃったんだっけ?」


 ふと目が覚めると、チユリはベッドの中にいた。

 奮発して新調した、一人じゃ広過ぎて寝心地の微妙なダブルベッドである。

 だが、隣にナギ様は勿論もちろん、あのもいない。

 自然と頭上に手を伸ばせば、いつもの位置に眼鏡めがねがなかった。

 それで身を起こせば、すでに外は夕暮れ時である。

 遠景のビル群に今、真っ赤な夕焼けが窮屈そうに落ちてゆくところだった。


「……あれ? あたし、パジャマ着てる……そっかあ、全部夢かあ。うんうん、あれは夢だ」


 しかし、現実逃避も今は虚しい。

 着替えた記憶はないし、枕元に眼鏡もない。

 ぼやける視界でまぶたをこすれば、寝室の小さなテーブルの上に眼鏡と畳んだ着替えがあった。もそもそとベッドを抜け出せば、キッチンの方から音がする。

 リズミカルに歌う包丁とまな板と、軽快なハミングが聴こえた。

 これがナギ様だったら、どれだけよかっただろう。

 あれはやはり、夢ではなく現実だったのだ。

 小さく溜息ためいきこぼすと、パタパタと小走りに駆けてくる足音。


「おはようございますっ。あ、エプロン勝手にお借りしちゃいました」


 出た。

 キラキラと現れた。

 見るも可憐な少女は、間違いなく例の箱入り娘、誤配達ガールである。

 まばゆい笑顔は、なるほどこれは殿方とのがたならイチコロだという説得力に満ちている。チユリだって、思わず愛らしい姿に赤面してしまった。


「あ、えっと、確か」

「メリアですっ。あ、マスターのことはなんとお呼びしましょうか」

「え? マスターって?」

「わたしをめとってくださる方、あなた様ですっ!」

「え、ええぇ……」


 困惑しつつ、視線を逃がす。

 どうやらメリアは、完全に自分をオーダー主だと思い込んでいるらしい。当然だ、彼女たちはアンドロイド……購入する人間を最初から好きになるよう、プログラムされているのだ。

 だから、メリアを責められるはずもない。

 人の意思や想い、欲とエゴで生まれてくる彼女たちにも、今という時代には人権がある。メーカーに回収してもらうまでは、無下にすることもできない。


「じゃあ、うーん……チ、チユリでいいよ」

「はいっ。改めて、よろしくお願いしますっ! チユリ様」

「様、は余計かな」

「え、えと、チユリ? なんだか親しい感じですね、チユリッ」


 ドキリとした。

 下の名前を呼ばれるなんて、両親以外からは初めてである。

 自分を間近に見上げて、メリアはにこりと微笑ほほえんだ。

 かわいい。

 とうとい、エモい、ひたすらにてぇてぇ!

 でも、残念だけどチユリにはそっちの趣味はないのだ。いわゆるノンケというやつで、ゲームのキャラに惚れることはあっても、現実では異性との恋愛に憧れるうぶなアラサーなのだ。

 そして、無駄に面食いで夢見がちで、


「とりあえず……まあ、いい匂いだね」

「今、朝食の準備をしてました。でも、遅めのブランチを兼ねた夕食になりそうですねっ」

「そだね。着替えも君がやってくれたの?」

「はいっ! あと、冷蔵庫の食材を少し。生鮮食料品が全然なかったんですが、冷凍保存の揃えがよかったので助かりました」

「ま、仕事柄ね……料理、得意じゃないし。それより、ちょっといいかな」

「あ、じゃあお鍋の火を止めてきますねっ!」


 メリアはくるりと身をひるがえした。

 次の瞬間、チユリは思わず「なんじゃとてーっ!」と絶叫してしまった。

 絶対に女の子がしてはいけない顔になっていたと思う。

 何故なら、エプロン姿のメリアは……エプロン以外を身に着けていなかった。

 マシュマロみたいなお尻に、くびれた柳腰、淡雪あわゆきのように白い背中。

 唯一、うなじにある小さな多目的コネクタだけが、彼女がアンドロイドであることを無言で物語っていた。だが、それがなければ完全に人間、それも美少女だ。


「ちょ、ちょっと待って! なんで裸なのよさーっ!」

「はい? ああ、これですか? ふふ、大丈夫ですっ」

「いや、大丈夫とかそういう……需要はあるけど、あたしは」


 ニッコリ笑って、メリアは人差し指を立てながらウィンクした。

 これがゲームやアニメだったら、死ぬほど眩しいエフェクトが飛び散っている。


「大丈夫なんですよ? チユリ、わたし……!」

「……はあ」


 なに言ってるの、この

 でも、なにをやってるかは完全にわかる。

 これは俗に言う『裸エプロン』というやつだ。世のオタク男子の大半が好きという、非現実的でありえないけど夢みたいなシチュエーションである。チユリだって『彼氏ワイシャツ』とかが好きだから、とやかくは言えないかもしれない。

 勿論、男×男ヤオイが好きだ。

 そう、チユリはオタクな上に腐女子ふじょしだった。

 だから、メリアなどアウト・オブ・眼中である。

 それなのに、見ていて不安な程に胸がときめいた。


「と、とりあえず! 服っ! 服、着て!」

「は、はいっ。……あの、お嫌いでしたか? ちょっと、はしゃぎすぎてしまいました。ゴメンナサイ……」

「いや、いいけどさ。実は、話しておかなきゃいけないことがあるんだ。コンロの火を止めて、それから着替えてきてね。それと」


 苦笑しつつ、チユリはそっとメリアの頭を撫でてみた。

 サラサラとしたブラウンの髪は、まるで秋に実る稲穂のよう。


「ありがとう、メリア」

「あっ……いいえっ、どういたしましてっ! わたし、嬉しいです!」


 にんまりと無邪気に笑って、メリアはキッチンへと走ってゆく。

 その背を見送り、さてどうしたものかとチユリは途方に暮れるのだった。

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