2匹

 無印〇品が大好きだし、もうあの店で死のうと思った。思ったらちょっと呼吸が楽になった。結構良い考えかもしれない。

 YouTubeの雨音のBGMを止めて、イチゴ柄のビニールポーチから化粧品をザラザラ転がす。掛け持ちのバ先のドーナツ屋の、地味臭い女が先日「私今日イチゴ柄のパンツなんです!」騒いでいたのを自動で思い出して気分を害した。(以降その子は悪口を言われる際イチゴちゃんと呼称されている)

 顔を整えて、バレないサイズのカラコンを入れて、前髪を巻こうとしたらアイロンが私より先に死んでいた。

 具体的に言うと、一面に赤茶色の何かが生えた台所シンクの中に落ちていた。仕方がないので裁断鋏を取って前髪を横一線、眉の高さで切り落とす。飼っている青い鳥のピロリンが、後ろのケージの中からチュルルッと甘える声で鳴いた。

 床に転がる空き缶や衣服を、爪先で蹴り寄せながら移動して窓を横に開ける。排気ガスが香る、冬の空気が吹き抜けて頬を刺した。夜だ。

 景色を見下ろす、アパートの六階。ビルの屋上に並ぶ換気用の室外機とパイプパイプ、湾曲する隙間を吐瀉物みたいにベチャベチャ流れる車のライト、宣伝トラック。輝かしい貴金属ショップの看板とラブホテル、金属の室外機、室外機室外機、反響する固い物が回転する轟音。

「今までありがとうピロリン、こんなママなのに一緒に生きてくれて……。私ピロリンがいて幸せだった」

 窓に向かってケージを大きく開け放つ。

「……もう、自由だよ」

 青い鳥はピチと鳴いて、止まり木に留まったまま小首を傾げた。

 片手で鳥を鷲掴んで外にぶん投げて窓を閉じる。胸に穴が開いたみたいに痛くて苦しくて、暫くしゃがんで泣いた。

 もう一度化粧を直し、一番好きなチーズケーキ柄のワンピースに分厚いコートを羽織って外に出る。無印〇品の大型店舗は、タクシーでワンメーター行った映画館の下にある。


 車道に降りて手を挙げると、指先を軽い感触が掴んだ。飛んできたピロリンが中指に止まって、羽の根元をくちばしで掻いていた。ゔっと嗚咽して愛おしさで握り潰しかける。恐る恐るゆっくり頭に乗せると、また甘えてチュルチュル鳴いた。

 コンビニドア横でハイビスカスの造花が赤い。ストロングゼロを買ってストローを刺して噛んで。タクシーでワンメーターなら徒歩だと約20分、指と爪先が寒いけれどピロリンが一緒だし、歩ける気がした。

「インコだ!」「頭に乗ってる、可愛い!」

 逆光で縞状の通行人の、シャッター音が次々過ぎていく。建物から零れる灯りが目を焼いた。人間が間近に多すぎて、すぐにゲシュタルトは崩壊した。誰も彼も胴から左右に不格好に腕を生やし更に先に指が5本、ボウフラみたいにピクピク細かく折れ曲がる。きっと夏になると一匹一匹孵って一斉に浮遊して、視界を病斑みたいに埋め尽くす。汗を掻いた素肌にしつこく纏わりついて「いや人間、形状キモすぎか無理。勝たんしかピロリン」

 鳥が頭上でチュル、と胸を張った。

 飲み終わった缶を投げ捨ててもう一缶、滲んだヘッドライトが真横を通って消える。目頭が熱くて唇が塩辛く、あ、と声が漏れた時「若い女!」と声を掛けられた。

 髪が長くボロ着の、一目でわかるダンボーラーのお爺さんが、ビニール袋に詰まった煙草の吸殻を持っていた。お爺さんの震える手には赤い斑模様があった。爪が真っ黒で、ふと目を合わせる。お爺さんは驚いた風な顔をして、「さ、坂本と申します」と喋った。

「ふーんそっかぁ。またねぇ」

「はい、また!!」

 鳥もチュルッピィと鳴いた。


「申し訳ございません、ペット同伴でのご入店は固くお断りしております」

 無印〇品の女店員は、全然申し訳がある顔をした。

「お姉さんのぁ、気持ちはわかるんですけど何か、今回だけなので本当にちょっと」

「お断りしております」取り付く島も無かった。

 明るい店は閉店間際で、レジの前には人の壁が波打つ。ざわめく話し声、痙攣的に連動する五指。ストロングの空き缶を踏んで潰して、滲んで流れる逆光を両手で追いかける。店員の、絶対自分を可愛く思っている笑顔に段々腹が立ってきた。ポケットの中には私の、胸の穴を塞ぐための裁断鋏がある。

「さ、坂本と申します!!」

 さっきのお爺さんが私の真後ろで叫んだ。

 人が一斉に振り向いた。思わず鋏を握る。色んな指が忙しなく何かを言い合う。ピィ! 鳥の声で我に返った。

 心細さが急に恐怖に取って代わられて、急いで暗い所へ逃げる。お爺さんも一緒に来てくれて、走りながら途中で私の手を取った。温かく、強張った砂の感触がした。私も手を握り返した。人波を掻き分けて走る、男が、女が、パトロール中の警察官が振り返る。こんなの初めてで、まるで映画みたいだと思った。


「坂口、どうしよう、びっくりした。まだ心臓ドキドキする……」

「坂本と申します」

 坂口は高架下の暗がりの壁沿いの、段ボールで作った小屋の前まで来て止まった。小屋にはピンクのスプレーで『友達最高!』と書いてあった。

「坂口、助けてくれてありがとう、私本当どうしたら良いかわかんなかったの」

「はい。僕は今はこのようですが、昔は大企業に勤めていました」

「うん、もう本当に毎日辛くって、色んな事ちゃんとできないし」

「はい、僕は若い頃は女性にもモテました」

「もうしょっちゅう嫌になっちゃうんだよ、ううんずっと前から全部嫌で」

「若い頃はヤンチャもしました。貯金が五十万円あり昔は大企業に」

「ねぇ聞いてる?」

「はい。昔は大企業に勤め」

「知らんし」

「キエーーーッ!!!」

「きゃーー!!」

 何と愛想と気遣いの無い女だ! 今迄甘やかされて来たんだろう、若さと外見以外に何も、……まで言って坂口は静かになった。裁断鋏をギュッと両手で握る。胸の穴が痛くて仕方がなかった。私が言いたい言葉を探して、溢れ出した涙に戸惑っている内に、坂口は私の胸元を見つめたまま5メートル後退する。直後駆けだし、すぐ見えなくなった。足下から出てきたねずみの親子が二匹、追うように煌めく街へ駆けていく。

「可愛い、ねずみ……」

 すぐ頭上を轟音を立て電車が通った。振動する。屈んで坂口の小屋を覗いた。


 天井から懐中電灯がぶら下がる。また電車が通ってしばらく振動した。段ボールを切り取って作られた窓があり、カーペット代わりに布団が二枚並んで毛布が畳んである。

 段ボールで作った棚には、週刊誌と割り箸と新しいストロングゼロが整頓されて、小さい卓袱台の上にカセットコンロとアルミ鍋がある。鍋の蓋を開けると、汚れた一万円札がいっぱい入って、頭上で鳥がピチ! と歓声を上げた。

「どしたの気に入ったの? 良かったね可愛いねぇピロリン」

 鍋をひっくり返して、鳥を鷲掴んで中に入れて蓋を閉じる。お金をいっぱい抱きしめて、すぅと深呼吸をすると実家の死んじゃったポチコの匂いが胸を満たした。喉の奥と鼻がつんと熱くなる。

「ポチコ……もうお姉ちゃん寂しいよ……でも、ピロリンがいてくれるしね……」

 ポチコの毛布に包まれて、ストロングゼロを開けて飲んだ。そのまま凄く久しぶりに、ぐっすり安心して深く眠った。轟音を立てながら煌めいて回転する、水流に優しく流される夢を見た。



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『青い鳥』

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