第16話 喪失

◇◇シア◇◇


 目が覚めてから3日、私は白衣の男の人、李謖リショクの言う事に従って白くどろっとした物を食べ、ようやく身体を起こせるようになっていた。


「これは米という穀物を煮溶かして作った粥という食べ物です。まずは食べ物をお腹に入れる事に慣らしていきましょう」


 李謖はこの国と事と私が見つかった時の様子を教えてくれた。

 ここは青煌せいこう大陸の中央から東部一帯を支配する羅號ラゴウという国で、周りは幾つもの国と接している。

 この前私が目覚めた時に来ていた男の人はこの国の王で、名前を劉巌リュウガンという。

 そして私は李謖から簡単にだけどこの国での言葉遣いや作法を教えてもらった。

 もうすぐまた、劉巌……様が会いに来るからだ。

 でも依然、頭は霞が掛かったかのように上手く働かず、シアという名前以外思い出せないでいた。

 私はここ、羅號国の都、央都から東へ向かう街道の途中にある草原で倒れていたところを、馬車で通りがかった行商人が見つけて央都まで運んでくれたという事だった。

 でも本当は、私の着ているこの服が欲しくて、身ぐるみ剥がそうとして馬車に運び込んだが、どんな刃物を使っても切り裂けず、虫の息とはいえ生きていたから街に運んだのだろうと李謖は言っていた。


「シアさん、何か思い出せそうですか?」


 私はかぶりを振った。


「質問を変えてみましょうか。今、この部屋を見回して何か変わったところはありますか?」


 私は部屋を見回してみる。

 見覚えのない場所。

 でも、視界の端にいつも見えている図形と文字のようなものが気になった。


「李謖……様。この辺りに見えている図形と文字のようなものは何でしょう?」

「図形と文字?」


 李謖は怪訝な顔になった。


「李謖様にはお見えにならないのですか?」

「私には見えませんね。どのような図形と文字ですか? 少し待って下さい。書く物を用意します」


 私の寝床に小さな机が置かれ、その上に茶色味掛かった紙と、先から黒いものが飛び出している木の棒が用意された。

 私が木の棒を掲げて眺めていると、李謖が微笑ましいという顔で教えてくれる。


「これは"鉛筆"という道具で、黒鉛を粉にして粘土と混ぜて練り、細長くして乾燥、焼き固めた芯を木の棒の間に挟んだものです。先の黒い部分を紙に擦りつけると……こんな風に黒い線が書けます。これを使って、先程言っていた図形と文字をこの紙に書いてみて下さい」


 言われた通りに書き出してみる。

 視界の右端にいくつも並んでいる文字の列。

[Equipment Status]

[GENECICE UNIT 〈Aldebaran〉][+]

[Under Armor][+]

[Under Wear][+]

[Option Arms][+]

 この文字列の右側に○と□を組み合わせた図形。

 ○と□2つが縦に3つ並び、その左右に細長い□が1つずつと、下に2つ細長い□が横並びで配置されている。

 更にこれらの図形と文字の下に、"All equipment repair completed"

と並んでいる。

 私の書いたものを見て、李謖は難しい顔をしている。


「この文字は読めませんが、遥か西の国で使われているものに似たようなものがあったかもしれません。調べておきましょう。図形の方は、もしかすると人の身体を表してるのでは? ○が頭、その下が上半身と下半身、左右の2つが両腕、下の2つが両足、みたいな。他には何か気付いた事はありますか?」

「えぇと、図形や文字は白の線で書かれているのですが、図形とこれとこれとこの文字は明るい白で、他の文字は暗い白になっています。後、図形の□の部分は全て白くなってます」


 自分が書いた文字の、[Equipment Status]、[Under Wear][+]、All equipment repair completedの部分と図形の□の中を指差して答える。

 李謖はまた難しい顔で唸っている。

 が、やがて、


「考えてみても分かりませんね。劉巌様が見えられる前に少しでも情報が得られましたから良しとしましょう。貴女は少し休んでいて下さい。劉巌様が見えられたら起こしてあげますから」

「はい、分かりました。お気遣いありがとうございます、李謖様」


 李謖の言葉に従い、私は寝床に橫になり目を閉じた。


◇◇◇


 どのくらい眠っただろうか。身体を揺さぶられて私は目を覚ました。


「シアさん、起きて下さい。もうすぐ劉巌様が参られます。少し身なりを整えましょう。小僖しょうき、彼女の顔を拭き、髪を整えてやってくれ。化粧や身体は拭かなくていい」

「分かりましたわ、あなた」


 李謖は後ろに控えていた彼の着ているものと同じ白衣を着た女性にそう命じると部屋を出ていった。

 李謖の事を"あなた"と呼んだという事は、2人は夫婦なんだ……

 私は白衣の女性のなすがままにされる。


「銀糸のようなお美しい髪でいらっしゃいますね」


 私の髪を梳かしながら言った。


「えぇと、ありがとうございます?」


 女性の会話の意図が分からず、少しおかしなしゃべり方になってしまう私。


「うふふ♪ 面白い方ですね。はい、これでよろしいかと」


 女性に鏡を向けられたので、自分の姿を確認してみる。

 見覚えのない女性の顔。長い銀髪と紫の瞳。首を動かすと鏡の中の顔も動くので、私の顔で間違いないようだ。


「如何でしょう? 問題ありませんでしょうか?」

「はい。ありがとうございます」


 私に聞かれてもよく分からないけれど、いろいろしてもらったのでそう答えておく。


「それでは、わたくしは失礼いたします」


 白衣の女性が部屋から出るのと入れ違いに李謖と劉巌様が入ってきた。

 私は寝台に腰掛けたまま劉巌様の方へ向き直り、深々と頭を下げる。


「劉巌様。先日はお助け頂いたにも関わらずお礼も申せず誠に申し訳ございませんでした」

「よい。目覚めたばかりでは仕方あるまい。面を上げよ」


 私は顔を上げた。言われるまでは顔を上げてはいけない。視線は相手の首元。真っ向から視線を合わせてはいけない。さっきの言葉、動作も含めて、李謖から教わった事だ。


「ほう。中々の器量だな。それで、何か思い出したか? シアとやら」

「申し訳ございません。やはりまだ自分の名前しか……しかし先程、わたくしの見えているものが李

謖様とは違う事が分かりましてございます」

「劉巌様、こちらにございます。わたくしには見えないこのような文字と図形が彼女の視界の隅に見えると申しております」


 私がさっき書いた紙を李謖が劉巌様に渡した。

 それを開いて見た劉巌様の顔色が変わる。


「これは!? お主、本当にこれが見えると申すか!?」


 迫力がさっきまでと全然違う!

 私、何かいけない事でも書いたのかしら!?


「は、はい! 今も見えております!」


 私の返答に怯えが混じったのを見て取ったのか、ハッとした表情を見せてから、咳払いを一つして、元の様子に戻った。


「そうか…… 李謖、この者を充分に治すのにどのくらい掛かる? 側妃として娶りたい」

一月ひとつき、いえ、二月ふたつき頂きたく。折角ですので教育も施しました方がよろしいかと思いますので」

「うむ、そうだな。よし、二月ふたつきの時間をやる。その間に治療と教育をやってみせよ」

「承知致しました」

「シアよ。二月ふたつき後を楽しみにしておるぞ」


 そう言い残して、劉巌様は去っていった。

 ところで、"側妃に娶る"というのはどういう事だろう? よく分からない。


「良かったですね、シアさん。劉巌様の側妃になられれば安泰ですよ? 少なくとも何も分からず市井で生きるよりはずっと」

「李謖様、その、側妃というのは?」

「あぁ、そこからですか。側妃というのは、貴族ではない者が劉巌様、王の妃となられる事です。王のご寵愛を受け、王の子を産むのがその仕事です。劉巌様は現在、男児に恵まれていませんので、男の子を産む事が出来れば、次王の母として安泰に暮らしていく事が出来るでしょう。その辺りも含めて、この2ヶ月でしっかり覚えて頂きますので、そのつもりで」


 こうして、治療と勉強の日々が始まった。

 治療と言っても、身体が負傷している訳ではない為、もっぱら食事療法だった。

 食事を摂り慣れていない私の身体に合わせて、まずはお粥などの食材を煮崩したものと果物をすりおろしたものから食べ始めた。

 後で教えてもらったが、これは子供が産まれた後、少し成長して歯が生え始めたら食べさせるものと同じらしい。

 これから劉巌様の子供を産まなければならないのならしっかり覚えておこうと意気込んでいたら、王の子供には専任の世話係がいて、母親は母乳をあげる時くらいしか関われないという事を教えられた。残念。

 その他にも、この国の言葉や文化、法律や制度、しきたりや常識、そして礼儀作法や子供の作り方など、様々な事を教えられた。

 そしてもう一つ、戦いの訓練もさせられた。

 李謖曰く、劉巌様から「あの文字が見えるというなら戦えない筈はない」と言われたからだった。

 王宮からご足労頂いた武術指南役の人に手本を見せてもらい、藁を巻いた立ち木に攻撃する。


「っ!」


 手本の通り、握り拳が立ち木に当たる瞬間に鋭く息を吐く。


ベキッ! ゴッ!


 拳が当たったところからへし折れた木が吹っ飛んで訓練場の石の壁に叩きつけられる。

 思わぬ事態に3人が3人共ポカンとする。

 気を取り直した指南役の人がさっきよりかなり太い立ち木を用意して、今度は回し蹴りの手本を見せてくれる。


「しっ!」


 やはり手本と同じように立ち木に回し蹴りを叩き込む。


ドガッ! ドォォォン!!


 地面に埋め込まれた石で形作られた立ち木を差し込む深い穴。

 私が立ち木を蹴った瞬間、地面から抉り出された石が凄い勢いで飛び、訓練場の石壁に突き刺さる。


「「「…………。」」」


 立ち木での訓練は中止になった。

 指南役の人曰く、充分に基礎は出来ているから型稽古で問題ないとの事だった。

 こうして勉強と訓練を繰り返し、たまの休みに街を案内して貰いつつ、常識の習得に精を出した。

 ちなみに、誰にも脱がせられなかった私の服。

 食事を摂り始めた次の日に尿意を催したので女性に付き添われて厠に連れていってもらった時、「腰から下だけ脱ぎたい」と思ったら、その部分だけが消えた。

 もしかしてと思い、今度は左の袖を消したいと念じると、左袖だけが消えた。

 この事を李謖に話すと、大きく驚いてからにこやかに言った。


「良かったですね。これでお風呂に入られますよ」


 その日の夜、女性の介添え付きでお風呂に入れてもらった。

 温かい……

 その時、頭の中にどこかの場所でお風呂に入っている自分と、真っ赤な髪の毛の男性の姿が浮かんだ。

 天空そらには黄色味掛かった真ん丸の月。

 風にそよいだ木の葉の擦れる音が耳を撫でる。


『いい場所だ。座標は記録しておくから、また2人で来ような、シア』


 顔は酷くボヤけていて分からない。

 でも懐かしい、お風呂のお湯以上に温かさを感じる声だった。


「今のは……誰?」

 

◇◇◇


 そして2ヶ月が過ぎた。

 今日は王宮へと上がる日。

 私と李謖は王宮の北門、"門"に来ていた。

 王の妃となる者はこの子門から後宮に入り、妃としての教育を受けつつ、王のご寵愛を待つ日々を送る。

 後宮にも身分があり、貴族出身の妃は正妃、それ以外の出身の妃は側妃となる。

 正妃、側妃の中にも位があり、上から一位、二位、三位と付けられる。

 現在、正妃が3人、側妃が3人いる為、一番上が正一妃せいいつきで、正二妃せいにき正三妃せいさんき側一妃そくいつき側二妃そくにき側三妃そくさんきと続き、私は新参者なので側四妃そくしきとなる。

 そして、名前の一文字目と位を繋げて呼ばれるようになる。

 私はシアという名前にこの国の文字を当ててもらい、"紫亞"となった。

 だから私は"紫側四妃しそくしき"と呼ばれる事になる。

 李謖に連れられ、子門へとやって来た私達。李謖が門番の1人へと話し掛ける。


「私は李謖。こちらは王の側四妃となられる紫亞様です。王の命により本日入宮となります。通門の許可をお願いします」

「確認致します。少々お待ちを、李謖様」


 門番は3人いて、1人が確認の為にこの場を離れても、最低2人で警備するようになっていると、勉強の中で教えてもらった。

 しばらくすると確認に行っていた門番が戻ってきた。


「李謖様、王より"午前広場"に連れてくるようにとの命を預かっております。申し訳ありませんが、午門の方にお回り頂きたく」

「午前広場に……? 分かりました。そのように致しましょう」


 午前広場とは、子門とは逆の王宮の南側、正門である大門を抜けた先にある門の前の広場で、許可を得た平民が入られるのはそこまでだ。

 そこでは平民に対して通達を行ったり、軍の出陣式を執り行ったりする。

 李謖は子門の時と同じように門番に話し掛け、通門の許可を取る。

 大門を抜け、石段を下り午前広場に降り立つ。

 広い。

 ここに来るのは初めてだけど、想像よりもずっと広かった。午門までもまだかなりの距離がある。

 その広い敷地に大勢の兵士が訓練を行っていた。

 どうやら今日は、一月ひとつきに何度かある御前練兵の日らしい。

 午門へ向かう道は空けられているので、私達はそこを通って午門へと向かう。

 午門へと続く石段の前まで来た時、午門から十数人の男女が現れた。

 劉巌様と6人の妃、その世話係と警護の近衛兵士だ。

 私達は膝を着いて頭を下げ、王に対する礼の姿勢を取る。


「全員整列! 礼!」


 さっきまで訓練をしていた兵士達も同じように礼の姿勢を取っているようだ。


「うむ。楽にするがよい。よく来たな紫亞よ。待っておったぞ」

「陛下の命によりまかりこしましてございます」


 教えられた通りに返事をする。


「うむ。面を上げよ。……ふむ。前に会うた時も中々の器量だったが、磨かれてより美しくなったの」

「お言葉、ありがたく思います」

「うむ。皆の者、今日よりこの紫亞を側妃として迎え入れる。女官共は部屋の支度をせよ」

「「承知致し……」」「陛下、お待ちを」


 女官達の返事を遮って、劉巌様の言に異を唱える言葉が掛かる。


「出自の分からぬ者を後宮に入れる事には反対でございます」


 劉巌様の隣、妃の中でも最もきらびやかな衣装を纏い自信に満ちた女性。あれが正一妃の姜珱きょうよう様ですか。どうやら姜正一妃は私の事がお気に召さないようで。


「我の決めた事に異を唱えるか姜珱よ。まあよい。これを見ればその考えも変わるであろう。紫亞よ、李謖から聞いてはおるな?」

「はい、陛下」


 実は王宮に来る前、劉巌様から言伝てが届いていた。劉巌様が命じたらある言葉を唱えるようにと。


「リリース・アルデバラン」


 教えられた言葉を発した瞬間、私の視界は大きく変わっていた。

 視界中央に○に+の図形、視界の左端と下には直線と数字が現れ、元より見えていた文字と図形も大きく変わっていた。[GENECICE UNIT 〈Aldebaran〉][+]の文字が明るい白になり、人型の図形も形が変わっている。

 辺りを見回すと、劉巌様以外の全ての人が驚愕の表情を浮かべていた。

 その辺りの様子に満足したのか、口元に笑みを浮かべながら午門からの石段を降りてくる劉巌様。


「分かったか姜珱よ。この者は我と同格なのだ。リリース・ザウラク」


 劉巌様がその言葉を唱えた途端、その身体が濃いオレンジ色の鎧で包まれる。

 そして私の隣に立つと改めて宣言する。


「もう一度皆の者に告げる。今日よりこの紫亞を側妃として迎え入れる。異を唱える者はおるか?」


 今度は姜正一妃も何も言ってこない。憎々しげに私を見つめるだけだ。

「よし。ならば女官共に紫亞の部屋の支度を命じる。さて紫亞よ。ここに呼んだにはまだ理由がある。この二月ふたつきの成果を見せてみよ。隊長、この中から精鋭20人を選抜せよ。紫亞と戦ってもらう。紫亞は鎧を解き、先程の服に戻れ。そして相手を殺さず大きな怪我もさせずに無力化してみせよ」


 道理で小綺麗ではあるけど輿入れにしては質素な服だと思った。


「承知致しました、陛下」


 劉巌様は再び石段を登り、私達を上から見下ろす。

 李謖も私から距離を取る。

 それに合わせるように20人の兵士が10メートルほど離れて私を取り囲む。

 20人で取り囲むといっても、20人が一列でぐるりと輪になっている訳ではない。

 まず8人が刃を潰した訓練用の剣を持ち、私を8方向から取り囲む。

 そしてその後ろ、前の兵士と兵士の間から、やはり刃を潰した槍を構えている。

 1人を複数が取り囲んで攻撃する場合、同時に攻撃出来る人数は、剣なら精々4人、槍で突くにしても5、6人が限界だ。攻撃が味方に当たってしまうかもしれないから。

 この部隊の隊長が劉巌様を仰ぎ見る。

 劉巌様が頷いたのを確認して、右腕を振り上げながら叫んだ。


「それでは、始め!!」


 開始の合図と共に、私は身を低くして自分の左側で剣を構えている兵士に向かって身体を疾駆さはしらせた。

 私の速さに面食らったのか、反応の遅れたその兵士が慌てて剣を振り上げる。

 遅い。


ダンッ!(ピシッ!) ゴッ!


 相手の足と足の間に力強く踏み込む。敷いてある石が割れた。

 そして打ち上げるように相手の胸に肩を叩きつけた。もちろんかなりの手加減をして。


「ぐはっ!」「「うぐわーっ!」」


 肩を叩きつけた兵士が吹き飛び、その後ろにいた槍持ちの兵士2人を巻き込んで倒れる。これで包囲の一角が崩れた。

 そのまま包囲陣の中へと突入し、今度は自分の右側にいる槍持ち兵士の背中へ回し蹴りをお見舞いする。


「ぐわっ!」「うぐわーっ!」


 背中を蹴られて前に吹き飛ばされた槍持ち兵士が、前にいた剣持ち兵士と絡み合うようにして倒れる。

 ここまで時間にして3秒。


ガンッ! ドカッ! ドンッ!


「「「うぐわーっ!」」」


 その後は実に呆気ないものだった。

 槍は至近距離に踏み込まれると弱い。

 普通はその時点で槍を捨てて小剣に持ちかえたりするけど、それよりも無手である私の方が速いからなす術なく打ち倒されていく。

 長剣も同じで、無手の距離だとどうしても一手遅れる。

 結局、1分も掛からずに全ての兵士を倒していた。

 その状況に、劉巌様は満足げに、李謖は苦笑しながらも納得の表情で、そしてその他の者は呆然と佇んでいた。

 全てを打ち倒した私は劉巌様に対して礼の姿勢を取る。

 

「うむ。見事だ紫亞よ。姜珱、お前はこれ程の者を放置しておけと言うのだな?」

「いえ、陛下……」

「ならばもう何も問題あるまい。女官共は準備をせよ。紫亞よ、今宵を楽しみにしておるぞ」

「はい、陛下」


◇◇◇


 そして夜。

 当てがわれた一室で、私は薄絹の寝間着を身に纏い、寝台のへりに座り佇んでいた。

 どのくらいそうしていたのか。

 部屋の外に複数の人の気配がしたと思うと、扉を開けて劉巌様が入ってきた。

 私は床に膝を着け礼を取る。


「立つがよい紫亞よ。今宵我とお前が結ばれる。そのように卑屈になる事はない」

「はい、陛下。ありがとうございます」

「家臣のいる所ならまだしも、2人きりの時は劉巌で良い」

「はい、劉巌様」

「初めて交わるのか? なら、優しく愛し尽くしてやろうぞ」

「ありがとうございます」


 そして、私は劉巌様と交わった。

 劉巌様のそれが私の中を押し広げて入ってきた時、私は大切な何かを失くした気がした……


◇◇◇


 半年後、私はお腹の中に新たな生命を授かった。

 その途端に、後宮の空気が刺々とげとげしくなった。

 他の正妃、側妃はもちろんの事、その傍付きの女官達からも厳しい視線が投げ掛けられた。

 そして、私付きの女官達への嫌がらせ。

 後宮に入ってからも続けている戦闘訓練中にわざとお腹を狙われる。

 終いには寝込みを襲撃される事もあった。

 でも、私は屈しなかった。

 劉巌様と私のあの鎧、"ジェネシス"というのが正しい名前のようだけど、その使い方を劉巌様から教えてもらい、見えないところの人の動きが分かるようになったり、あまつさえ宙に浮く事も出来た。

 だから、物陰や天井からの襲撃にも対応出来たり、宙に浮いて避ける事も出来た。

 そうして襲撃者を捕えては口を割らせ、その首謀者の妃を追い落としていった。

 懐妊から数ヶ月後、私は男児を産み落とした。

 名前は羅號国の號と劉巌様の巌を取り、"號巌ゴウガン"と付けられた。

 そして、世継ぎを産んだ私は正一妃となった。


◇◇◇


 號巌が生まれてから15年の月日が経った。

 號巌が乳離れしてから、私も王の剣として隣国との戦に参加し、それなりの軍功を挙げていつしか"紫妃将軍"と呼ばれるようになっていた。

 そして今日は號巌の元服の日。

 成人を迎えた號巌は王太子に任ぜられる。

 それと同時に、王の鎧であるジェネシス・ザウラクも號巌へと継承される。


「我の力は、王の為、国の為、民の為に使われる!」


 儀式は號巌の宣誓にて幕を閉じ、祝宴となった。

 しばらくそれに付き合った後、私は宴を抜け出して後宮の中庭へと足を運んでいた。

 空を見上げる。

 瀕死のところを救われ生を拾った。

 劉巌様に見初められ側妃となった。

 號巌を産み、正一妃となり、自らも働き軍功を得た。

 地位も、名誉も、家族も得た私。

 でも、大切なものは失くしたまま。

 心の片隅を理由も知れぬ罪悪感が占めている。

 目から零れ落ちた雫が頬に一筋の跡を残す。

 私の、本当の居場所はどこ?


◇◇◇


 王太子の儀から半年後、劉巌様が亡くなられた。

 この国の西にある絶乾砂漠。その向こうの国に侵攻する途中、砂漠特有の病気に罹り帰らぬ人となった。  

 次の王には號巌が就き、私は紫太后として一線を退いた。

 號巌は西への侵攻を一旦諦め、この国の北に位置する"雪華国"への侵攻を決めた。

 雪華国は山岳地帯にある然程さほど大きくもない国だが、厳しい地形と気候にも係わらず国民の士気は旺盛で、山から採れる様々な鉱物資源を他国に売り捌く事で莫大な資金を得ている。

 採れた鉱物の加工技術も素晴らしく、高性能な炉も使わずに真銀ミスリルの加工が出来る。

 また、次期王候補の王女姉妹2人は美しく、年頃になった號巌の連れ合いにうってつけであった。

 まず使者を送り、號巌と王女達との婚姻の提案をする。

 こちらは広い国土を持つ大国。

 その国の王と縁戚関係を結べるのは相手にとっても大きな利のある事の筈。

 王女を差し出して従属するならばよし。

 拒否するなら侵攻して併合すればよい。

 ただ、地の利は圧倒的に相手にある。

 普通に侵攻しては甚大な損害をこうむる事になるだろう。

 ジェネシスを使う手もあるが、国土を破壊したり人死を出すのでは侵攻する意味がない。

 鉱物資源もだが人的資源も欲しいのだ。

 だから私は雪華国と周辺国との交易路を封鎖するように號巌に進言した。

 厳しい地形と気候のせいで、雪華国の食料自給率は高くない。私達の侵攻を阻むそれを、今度はこちらが利用する。


◇◇◇


 経済封鎖を始めて2年が過ぎた。

 號巌は18才になった。

 雪華国はまだ降伏してこない。

 密偵の報告に因ると王族すらも満足な食事を摂れていないようだ。

 それと、経済封鎖直後から姉王女の姿を見掛けなくなった。

 恐らく私達の把握出来ていない道を使って国を出、周辺国に支援を求めに行ったのだろう。

 無駄な事を。

 例え支援を取りつけたとしても、街道はこちらが封鎖している。ノコノコと街道をやってきたならそれを押さえてしまえばいいし、私達が把握出来ていない道程度なら運搬出来る物資もたかが知れている。

 問題は封鎖を突破出来る程の戦力を連れて来られた場合だけど、こちらとて哨戒は常に行っている。それ程の戦力なら引っ掛からない筈はない。

 あと4ヶ月で冬が来る。流石にこのままこの冬は越せまい。

 このまま餓死されたら號巌の嫁も人的資源も手に入らないが、豊富な鉱物資源が得られるだけでもよしとしよう。

 そんな事を考えながら、私は深夜の中庭へ来ていた。

 最近考え事をする時はいつもここに来ている。

 そして空を見上げる。

 今日は天気が悪く、星も見えない。

 何も見えなくとも、それでも見上げ続ける。

 失くした何かを見つけられるような気がして……


ピーピーピー!


 突然耳に甲高い音が響き、目の前に文字と、同心円に十字の線が入った図が表示された。


【CAUTION! C-Reactor response is sensing!】


 同心円の中心、十字の線の交わるところから大きく右に外れたところに光点がひとつ。

 中心から光点の間に数字があり、その数字は5160から減ったり増えたりしている。

 私が見上げてたのは、晴れていれば北辰星の見える方向、つまり北。

 そこから右という事なら、ここから東にその反応があるのだろう。

 数字は距離。つまり、ここから東、凡そ5160kmのところにこの反応がある事になる。

 そしてこの反応はジェネシス。

 なぜなら、號巌がザウラクを使った時にも同じものが出るから。

 これは由々しき事態だ。

 そのジェネシスが私達の味方につけばいいが、敵になればこちらがどれ程の損害を被るのか分からない。

 確かめる必要がある。場合によっては排除も。

 だが単独で行うのは危険だ。

 自分も、結局のところ何か思い出せた訳でもない。ジェネシス・アルデバランについてもまともに使いこなせているとは思えない。

 もしその相手がジェネシスを十全に知る者ならば、勝てる見込みは万に一つもないだろう。

 どうする?

 こちらが出向くのではなく、あちらを誘き寄せるのは?

 もしこの反応がジェネシスなら、私や號巌がジェネシスを使えば同じように探知出来るに違いない。

 それを利用してこちらに誘き寄せ、話し合いを持ち、可能ならこちらに引き入れる。

 引き入れられなくとも、手出ししないようにさえ約束させられればそれでよい。

 それさえ出来ないなら罠に嵌めて排除する。

 明日、號巌に話して手筈を整えよう。

 明後日あたりには実行に移したいものだ。

 そして私はまた、星の見えない夜空を見上げる。


◇◇???◇◇


 そろそろ準備しましょうか。

 私はシネラリアのリアクターに火を入れる。

 但し待機アイドリング出力で。

 バックアップ領域に記録られている命令では、二度目のビーコンを受信したらこの船をシステムに介入してシネラリアを発進させ、マスターの元へ向かう事になっている。


「リアクター出力良好。重力制御システム、各種センサー、挺内気密、搭載物資、問題なし。GENECICEジェネシスTYPEタイプ"ZODIACゾディアック"、2、8、USED。1、4、7、9、10、12、READY。ExGENECICEエクスジェネシスTYPEタイプ"ZODIAC《ゾディアック》"、6、USED。3、5、11、READY」


 準備は整いました。いつでもお呼びを、マスター。

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