血まみれの恋

公血

血まみれの恋

子供の頃から怖いものが苦手だった。

ホラー映画はCMも見れないし、ハロウィンの仮装をした子どもたちを見て失神しかけたこともある。


ホラー耐性ゼロ。グロ耐性はむしろマイナスだ。

極度のビビリ。チキン野郎。根性なしの腑抜け。

そんな気弱な高校生。それが僕、高橋悠太だった。




◇◇◇



ある日、自分の部屋でのんびりゲームをやっていると、背後に気配を感じた。

振り向くと、そこにが立っていた。


「うぎゃぁああああ!!」


肝をつぶし、僕は椅子から転げ落ちて気絶した。

そりゃ自室で安心しきっていたところに、こんなホラードッキリをされたら、百戦錬磨の芸人だって卒倒するだろう。


目を覚ますと、僕のことを何やら心配そうな顔で見つめる女の子がいた。

と言っても、顔中血まみれでよく表情が分からない。

ん? 


「うぎゃぁああああ!!」

「ふぇぇ? またですか」


危うく本日二度目の気絶をするところだった。

すんでのところで少女に話しかけられたため、思いとどまれた。


「ひぃ!? き、君しゃべれるの?」

「あ、はい。幽霊みたいに透けてますけど、どうやらしゃべれるみたいです」


思ったより普通の子だったため安心した。

話通じない系の悪霊じゃなくてよかった。

とはいえ、まじまじと顔を見るのは怖すぎる。

顔中がぬめぬめとした赤い鮮血で覆われている。

僕は立ち上がると、彼女と目を合わせないよう、視線をそむけたまま話しかけた。



「え、えっと、ここ僕の部屋だよね?」

「は、はい。悠太さんの部屋ですね」

「じゃあなんで幽霊である君がいるのかな?」

「そ、それは……。えと、わ、わたし、悠太さんの事が好きみたいなんです!」

「えええっ!?」


女の子に告白されたのなんて初めてだ。

まさか生まれて初めて告白された相手が幽霊になるだなんて思わなかった。

それに今、彼女は引っかかるものの言い方をした。


「好き……ってどういうこと?」

「実はわたし、記憶が無くて。直前になにをやっていたのかまったく思い出せないのです」

「記憶喪失の幽霊ってこと?」

「そうなりますかね……。でもなぜか悠太さんの事は覚えていて、その……わたし悠太さんに恋心を抱いていたみたいなんです。悠太さんのところに来れば何かを思い出すヒントになるんじゃないかと思ったんです」


なるほど。

記憶を取り戻すために、接点があったであろう僕のところを訪れたというわけか。

でも僕自身は彼女と接してみて思い当たる節がまるでなかった。

顔は怖くて見えないが、声や雰囲気などの特徴が、自分の知り合いと一致しないのだ。


「えっと、君は自分の名前を覚えていたりするの?」

「はい! わたしの名前は如月杏きさらぎあんといいます」

「如月、杏? ううーん。……ごめん。やはり聞いたことのない名前だ。ネットで調べればなにか分かるかなぁ」



僕はPCを立ち上げ "如月杏" という名前を検索してみた。

すると、驚くべき記事が目に飛び込んできた。



『第21回全日本美少女コンテスト グランプリ 如月杏』



美少女コンテストグランプリだって!? 

確かこの賞は国民的女性タレントの登竜門で多くのスターを輩出している。

グランプリ受賞者は芸能界での成功が約束されているなんて言われていたはずだ。


記事の写真を見ると、信じられないほどの美少女が笑顔で微笑んでいた。

サラサラの長い黒髪。僕の二倍はありそうな大きな瞳。手足は折れそうなほど細く、それでいて胸やお尻、太ももは健康的な膨らみを持っていた。

身長は158センチとの事だが、他の出場者よりもずっと背が高く見える。

これは顔があまりにも小さいため、スタイルがよく見えるからだろうか。


僕は恐る恐るパソコンの画面から目を離し、勇気を出して顔を見てみた。

血まみれで直視出来ないのが残念だが、ちらりと見た感じだと、彼女は日本一の美少女である "如月杏" で間違いないみたいだ。


「えっと、如月さん?」

「杏って呼んでください!」

「あ、杏。君は美少女コンテストで優勝して芸能界でお仕事をしているの?」

「はい。歌やお芝居をしたり、時にはグラビア撮影なんかもしていました」

「なんだ。その事はちゃんと覚えているじゃないか。家族や事務所の関係者に助けを求めてみたの?」

「もちろん、家族とマネージャーには真っ先に助けを求めました。ところが、みんなにはわたしの姿が見えないらしく、いくら叫んでも声が聞こえてないみたいなんです。困り果てて途方に暮れていると、悠太さんの事を思い出したんです。それでダメ元で押しかけてみたら、悠太さんにはちゃんとわたしの姿が見えるみたいなんです。これも愛の為せる技ですかね?」

「そ、そうかもね」



本来であれば日本一の美少女に惚れられて嬉しくないはずがない。

でも今の杏は血まみれの幽霊だ。

極度のチキンである僕じゃチラ見すら出来ない。


僕と杏は今後のことを話し合い、杏の死の原因が判明すれば記憶をもっと取り戻せるのではないかと考えた。

そこで二人で杏の過去を追体験してみることにした。




◇◇◇



杏に連れて来られたのは、住宅街にある小道だった。

僕にとっては何気なく通る思い入れのない道だが、杏はここで初めて僕に会い、恋心を抱いたという。


「覚えてますか? ここの電信柱の下にわんちゃんが捨てられていたのを」

「ああ。もちろん覚えているよ。つい先日の事だよね。白い雑種の子犬だった。あの日は強い雨が降っていてダンボールの中の捨て犬は凍えて震えていた」

「ええ。わたし偶々たまたまあの近くのスタジオでロケをしていまして。『校舎は夜、叫ぶ』って小説聞いたことありませんか? あの作品の撮影初日、休憩時間にふらりとあの場所を訪れたんです。わんちゃんが捨てられていて可愛そうだなぁってなんとなく思ってましたけど、当時のわたしは芸能界での多忙な生活に疲れ切っていて物事を深く考えられる状態ではなくなっていたんです。ただ自分では何もせずに誰かがわんちゃんを助けてくれたらいいなぁって眺めていたんです。悪い子ですよね」

「そんなことないよ。人には皆それぞれ事情があるんだ。君だけが悪いわけじゃない。僕だってあの時、犬を拾い上げてみたのはいいけれど、自宅がペット不可のマンションだって事に気付いて途方に暮れたよ。それで一晩雨をしのげる場所がないかと考えて交番のお巡りさんに頼んだんだ。『明日必ず引き取って、飼い主を探してみせるから一晩預かってくれ』ってね。犬好きの巡査さんで助かったよ。断られたらどうしようと思っていたところだ」

「ふふ。悠太さんって本当に優しい人ですよね。……芸能界の闇をたっぷり見て心が荒んでいたわたしにとって、その悠太さんの行動にはとっても勇気付けられたんです。わたしと同じ年くらいの男の子が、誰にも見られていないのに、誰にも褒められやしないのにわんちゃんのために一生懸命になっている姿を見て、わたしももっと頑張ろうって思えたんです。それからスタジオに戻って……あれ? ここから先が思い出せないな」


まさか誰かにあの現場を見られていただなんて思いもしなかった。

根性無しで臆病者の僕だからこそ、弱い立場のものは放っておけなかったのだ。


杏に「あの犬はすぐに飼い主も見つかって元気に暮らしていると告げる」と、とても嬉しそうな声で笑った。

その笑顔を見れないのが残念だった。

きっと赤い鮮血の下にはまばゆい笑い顔が見れるはずなのに。




◇◇◇



これで僕を好きになった理由は分かった。

だが、肝心の杏が死んだ理由が分からない。

そこで杏に近しい家族かマネージャーと連絡を取ってみる事にした。

語呂合わせでたまたま覚えていたマネージャーの電話番号にかけてみることにした。


「はい。セイントプロモーション掛橋です」

「こちら掛橋智子さんの電話で間違いないでしょうか?」

「はあ。そうですが……どちら様でしょうか?」

「僕は高橋悠太と申します。杏の……こ、恋人です。杏についていくつか聞きたい事があるのですが質問してもよろしいでしょうか?」

「恋人ぉ? そんな話聞いたことありませんけど……、あなた本当に杏の恋人ですか? いたずらじゃないですよね」


完全にいたずら電話だと疑われている。

思ったとおりの展開になってしまった。

杏の指示で恋人を名乗ってみたが、これって余計に話がこじれるんじゃないか?

僕は隣にいる杏の言う通りに話してみることにした。


「はい。本当ですよ。証明するために杏と掛橋さんしか知らないことを話しましょうか?」

「にわかには信じられませんねぇ。まあいいでしょう。一応、おっしゃってみてください」

「岩手県でバラエティ番組の仕事を終え、二人で帰りにわんこそば屋に寄り、何杯食べれるか挑戦したそうですね」

「なっ!? それをどこで聞いたんですか」

「それで杏は24杯食べて、掛橋さんはちょうど五倍の120杯食べたそうですね」

「そ、それは恥ずかしいから誰にも言うなって言ったはずなのに! もう杏ったら!」

「他にも鳥取の砂丘でサンドボードをしたら、掛橋さんが勢い余って5メートルくらい吹っ飛んだ話とか、新潟の地酒が美味しくて飲みすぎて潰れた掛橋さんを杏が担いでホテルまで運んだこととか……」

「あー、もういいです!! なに? 杏ってそんなおしゃべりな子だったの? 普段は控えめで自分の事なんかまるで喋らない子なのに彼氏の前ではべらべら秘密を喋っちゃうわけね。どうせ二人してわたしの失態を突っついて笑い合ってるんでしょ!?」


掛橋さんの怒声が電話越しに響き渡る。

どうやらかなりおっちょこちょいな人らしい。

悪い人ではなさそうでほっとした。


「それで僕が聞きたいのは杏のことなんです」

「ああ。そうね。悲しい事故だったわね」

「杏はですし、詳しい事情を聞く事が出来なくて困ってたんです。もしその……、原因を知っていたら教えて欲しいのですが」

「あれは先日の映画撮影の現場でのことよ。杏は準主役の大事な役を任されていてとても張り切っていたわ。でもまさか撮影初日であんな事故に巻き込まれるなんてね」

「詳しく聞かせてください」

「もちろんよ。人気ミステリ小説『校舎は夜、叫ぶ』を実写化したもので、杏は犯人に殺される主人公の友達役を演じてたわ。あの日、犯人に襲われる重要なシーンの撮影中、悲劇が起こったの。大道具担当が片付け忘れた赤いペンキが杏の頭部に落下したの。重量のあるペンキ缶が直撃し、杏はそのまま意識を失ったわ。杏は血なのかペンキなのか分からないほど顔中赤い液体まみれになってしまって、現場が大パニックの中救急車に運ばれていったの」

「それが……、杏の死因なんですね……」


話を聞いていた杏が、がっくりと肩を落とす。

さすがに自分の死んだ理由を直に聞かされるのはショックが大きかったらしい。

ところが、掛橋さんの予想外の言葉に僕と杏は驚愕した。


 意識不明の状態でずっと眠っているわ。報道規制がかけられているからマスコミに情報は漏れていないの。オフレコでお願いね」




◇◇◇



掛橋さんから病院の名前を聞いて、僕と杏は病室へと向かった。

一時期は面会謝絶の危険な状態だったが、現在は小康状態を保っているらしい。


ベッドで眠っているのは頭に包帯を巻いた如月杏、その人だった。

初めて血に覆われていない杏の顔を見た。

目を閉じて眠るその姿はまるで眠り姫のように美しく、絵画の1シーンのようだった。


「恥ずかしいからまじまじと見ないでください……」


血まみれの霊魂である方の杏が恥じらう。

おそらくこの状態に一番戸惑っているのは杏だろう。


「わたし、今どういう状態なんでしょうね」

「おそらく幽体離脱の状態なんだと思うよ。てっきり僕は、亡くなった少女が霊となって自分の前に現れたんだと思ってたけどね」

「わたしも自分は死んだと思ってました……。顔中血まみれだし。これって赤いペンキだったんですね」

「ねえ、身体に戻れるか試してみなよ。抜け出た魂も肉体に戻れば定着すると相場は決まってるものだからきっと大丈夫だよ」


今の杏の記憶は、肉体に戻った時引き継がれるかだろうか。

たとえ記憶をリセットされてしまっても、このままでいるより元に戻った方が良いに決まっている。


「わたし、今日の日の思い出を絶対に忘れません。短い時間でしたけどこんなに楽しかったのは初めてです。悠太さんがちっともわたしの顔を見てくれないのは残念でしたけど」

「それは勘弁してよ」


僕らは腹を抱えて笑いあった。

未だに怖くて血まみれの杏を見ることが出来ない自分が情けない。


「そのままでいいんです」

「え?」

「悠太さんはそのままでいてください。怖いものが苦手で臆病で根性なしで、それでいてとっても優しい今の悠太さんのままでいてください」

「杏!」

「さようなら、悠太さん。わたしの事忘れないでくださいね」




霊魂の杏はベッドで眠る自分の身体へと飛び込んだ。

すると、すぐにベッドで眠る包帯だらけの杏が目を覚ます。

どこか呆けたような表情でこちらを見つめている。


「あなた……誰ですか?」

「……覚えていないのかい」

「え、と……あれ、どこかで見かけたような気はするんですが……すみません。思い出せません」

「……ナースコールを押すよ。掛橋さんと家族にも意識が戻ったと連絡をしておく」

「あ、あの、どこへ行くんですか」

「さようなら。杏。僕のことは……思い出さなくていいよ」


僕みたいな小市民と、芸能界のスター候補にして日本一の美少女の如月杏とでは釣り合いが取れるはずがない。

売出し中の彼女にスキャンダルなんてあってはいけないし。

きっとこれで、いいんだ。

幽体離脱なんて出来事がなければきっと僕らは出会いもしなかったのだから。

血まみれの恋は……叶わないものなんだ。





◇◇◇



数年後、渋谷駅前の巨大な広告ビジョンには如月杏の化粧品の広告が流れていた。

CM出演本数ナンバーワン。

主演映画とドラマは軒並み大ヒット。

今や誰もが認める国民的スターだ。



外は強い雨が降っていたため杏は傘を差して、住宅街の小道を歩いた。

そこで、びしょ濡れになりながらうずくまる影を見つけた。

その影は何かを拾って立上る。

どうやら少年が捨て犬を抱き上げているらしい。

こちらに気付き、どこか困り顔の少年に杏は語りかけた。


「一緒に探しにいきませんか?」

「……飼い主を探すのかい?」

「いいえ。わたし、ちょうど犬を飼おうと思ってたんです。このワンちゃんはうちで引取りますよ」

「それじゃなにを探しにいくんだい?」

は忘れてしまいましたか?」

「忘れるわけないだろう。あれからずっと……君の事を追いかけているよ。出演するメディアはすべて目を通しているんだ」

「それならどうしてあの時姿を消したんですか」


少年は叱られた子供のようにしゅんとなった。


「君に迷惑をかけたくないと思って……」

「本当に?」

「……」

「本当に……?」

「ああ!ごめん。勇気がなかったんだ。僕は本当にどうしようもないほどのビビリで臆病者で。君が売出し中のタレントだと知って自信がなくなったんだ。こんな情けない自分では釣り合いがとれないなって思いこんでしまって」

「そのままでいいんです。私は今も昔もずっとあなたの事を情けないだなんて思っていませんよ」


真っ直ぐ見つめる杏の眼差しは力強い。

どんな緊迫感のある現場でも逃げずに正面から挑んできた、俳優の目であった。


「血まみれだった君とは目も合わせられなかったね」

「今は目を合わせられるじゃないですか」

「これでも勇気を出しているんだ。本当はすごく怖くて恥ずかしい」

「あの時はお顔を見せてくれませんでしたからね」

「勘弁してよ。もう」


いつの間にか雨は上がっていた。

傘を畳んだ杏の顔に光が差し込む。


「一緒に探しにいきませんか?」

「……一体なにを?」


美しく微笑む彼女の姿は、やはり絵画の1シーンのようだった。


「血まみれの恋の続きです」

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