0-2 指令/6307 4EE4

 潮風の匂いの染み付いた廊下を歩いていると、ケナはどこか懐かしさにも似た記憶を覚える。それを郷愁と呼んでいいのか、わからないとも思ったようだ。彼の生まれた国は、もうすでに亡いのだから。


 それでも旅程の間飽きるほど見た真っ青な海辺は、やはり憧れだったのだと気付かされる。狗奴国の都の地下世界は、それ自体の指し示す字面とは裏腹に明るく、厳粛ながら開放的で、何にも困らない世界だった。


 海風も潮騒も、その気になればおのが屋の座敷の中に再現はできる。それでもそれらは、そこにあるものではなく飽くまでも作られるものであり、地下世界に先立ってあるものではない。

 その思いがそれらを味気なくさせてしまう気がしてならない、そんなことをケナは、本物を目の前にして思っていた。彼が自室に作り出すものと、寸分も違わないはずなのに。


「久しぶりに日向に出た気分はどうかね」

 彼の執務室に案内されていたはずが、部屋の近くより出迎えられていた。ワタヌキミクラ、靑鰉国の大臣おほおみである、ワタヌキムマレの養父。


「使者なのだから日向に出るのはしょっちゅうですとも。わざわざお出迎えとは恐れ入る」


「よく焼けている、その言葉に違いはなさそうだな。長旅の労いもないのは礼を失しているだろうさ、口煩く言うようだが、何しろ君は我が国の大使である以上に、狗奴国と靑鰉国の友好の印そのものなのだから」


「......あんたを血縁だとは、あんたの待遇によって快く思うところが多い。だが、正直それだけだ。たとえ大使であろうと孫だろうと、ここまで良くされる筋合いはない」


「フン、その言葉、私への労いと受け取っておこう」

 ミクラはそう言ってケナを座敷へと通す。しとねに座するが、ケナは立ったまま尋ねる。


「手短に聞きたい。俺が招かれた理由は?」


「18日前のことだ。百禽国ももとりのくにへ、我が国よりある武官が政治的亡命を行ってより、ヤサカ様とヒムカとの間で遠隔会談が行われた。以前よりかねて不審な動きが見られており、頻繁に百禽との連絡を......」


「武官の名前は」


「......カラタケ。ツマ独立戦役において従軍経験があり、筋金入りの国粋主義者。百禽との国交が回復して以降、軍司に存在していた極右団体に所属、工作部隊長として活動していた」


「存在していた......か。抜かりないな」


「亡命を行ったのは団体の解体、支援していた大連おおむらじを更迭して以降になる。ただ大事なのは、百禽の官吏の誰かの手引きを受け、今はそいつの命令を受けているものと思われること。そして今はおそらく、再び我が国に潜伏しているものと思われる」


「おそらく、か。よこしまなるとはいえ元臣民の動向すら掴めんとは、ヤサカオホセにも苦手な分野があると見える」


「悔しいが、それこそが問題なのだ。事実上追放を行い逮捕に失敗して以降足取りを失い、それ以前の依頼人との通信記録すら引き揚げを行えていない。災いの芽を摘むことが出来なかったおかげで我々は、ヤサカ様のご威光に傷をつけてしまうこととなった」


「その尻拭いのためにわざわざ俺を呼び出したのか。なんでまた」


「決して自分の手を汚さずにいたいわけではない。先ほども言った通り奴は高度な隠匿を行い、加えて高い戦闘能力を有しているものとみられる。場合によっては我が国の機構を掌握し、我が国の工作員に対し侵電を行える可能性がある。となれば、安全なのは貴国の工作員となる」


「凄腕の黒客くろまろうどというところか」


「あるいは百禽の協力者の中に、彼をそう仕立て上げられる指導者がいるかだ。それも国家間を超越して、我らの通信機構網を一部でも掌握できるレベルの」


「……全てそいつを押さえればわかることだ。潜伏先は?」


 ミクラは、その島の名を少し申し訳なさそうに答える。オキ島、奴が隠れるに恰好の土地だと。

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