その5 最終発表会前日

 修士研究の最終発表会を翌日に控えた夜、電車に乗っていた恭太は、理美からメッセージが届いているのに気が付いた。


「恭太、今日もお疲れ様。実は、千葉のおじいちゃんが入院しちゃったみたいで、今から様子を見に病院に行ってきます。何かあったら困るから今日は千葉に泊まって、おじいちゃんの様子が安心できるようだったら明日家に戻ることにします。恭太が忙しい時期なのにごめんね。だけど、恭太は心配しなくて良いからね。」


 恭太は少し動揺した。祖父の元太は、いつも年齢を感じさせないくらい元気いっぱいであり、入院するということが恭太には予想外であったからだ。また、理美のメッセージには、なぜ入院したかなどの説明がなかったため、どの程度深刻なものなのか想像ができなかった。恭太は、自分自身も今すぐにでも病院にかけつけたいような気持になった。


「あーあ、よりによって何でこんなタイミングで最終発表会があるんだよ・・・」

 恭太は思わずそう呟いた。博士進学する立場から良い発表をしなければならないという重圧を感じている一方で、なかなか納得できるような発表の流れを決めきれないでいた。

「連絡ありがとう。おじいちゃん早く良くなると良いね。お母さんも無理しないでね。こちらは問題ないのでご心配なく。おじいちゃんの看病よろしくお願いします」

 恭太はそう理美に返事した。



 家に着いた恭太はすぐにパソコンを開いた。明日の発表に向けたスライドの修正と発表する内容の整理をする必要がまだあったからだ。

「ああ、スライドの一枚目から直さなければいけないな・・・どうしよう」

 恭太は頭を抱え込んでしまった。


 スライドの一枚目。いわゆる研究の緒言に相当するところである。学科内の発表の場合だと、研究分野の異なる先生方にも研究の重要性を最初に理解してもらう必要がある。後半の研究内容の詳細な部分は、結局理解してもらうのは難しいので、最初のスライドが一番重要と言っても過言ではない。


 恭太は、一枚目の重要性をこれまで甘く見ていた。というのも、研究の緒言は、同じ研究室であればどうしても似たような内容になるのが普通であるため、先輩方の過去のスライドを参考にすればよいと考えていたからである。実際のところ、葉介を始めとする他の同期は、スライドの一枚目がとても似通った見た目になっていた。


「これは博士に進学する人の緒言とは思えないね」

 恭太は、前田先生に言われた言葉を思い返していた。恭太もはじめは葉介たちと同じようなスライドにしており、それを見せたときに言われてしまったのだ。

 前田先生は恭太にこうも言った。

「これでは、『この人は何も考えずにただ言われたことを進めていただけなんだな』と他の先生に思われてしまっても仕方がないよ。正直ガッカリしたな」


 作業を開始して一時間以上経過しているが、何も良い案が思い浮かばず、恭太は何も進められないでいた。恭太は、徹夜覚悟で進める必要があると感じてきたので、立ち上がってコーヒーをれることにした。


「ああ、夜のコーヒーはきくなあ」

 恭太はコーヒーを飲みながら、スマホをチェックするとメッセージが二つ届いていることに気が付いた。一つ目は、莉緒からだった。

「恭太、明日の発表頑張ってね。あんまり無理しないで自分の信じたようにやったらいいと思うよ」

 莉緒には苦しんでいることを隠しているつもりであったが、どうやら感づかれていたようだ。「信じたようにやったらいい」といったあたりが、何とも莉緒らしい応援の仕方な気がして、恭太は少し元気が出た。


 もう一通は、理美からだった。

「夜遅くにごめんなさい。おじいちゃんの容態だけど、命に別状はないとのことなので安心してください。ただ、しばらく入院していなきゃいけないみたいだし、今は安静にしていなきゃいけないので、これからもしばらく大変かもです。発表終わってしばらくして落ち着いたら、恭太の元気な姿おじいちゃんに見せてあげてね」

 恭太は、命に別条がないということには安心したが、元太がしばらく大変そうであることには気が重くなった。

「おじいちゃん、介護とか必要になっちゃうのかな・・・」


 祖父の介護ということを考えたとき、恭太の頭に美菜のことが浮かんだ。まさに高齢者の介護ロボットこそ、恭太の憧れの先輩である美菜の研究内容だったからである。


「あれ、そういえば美菜先輩は修士の最終発表でどういう発表したのだろう」

 恭太は、ふと美菜の発表内容が気になった。美菜の研究内容は、恭太の研究とすごく近いといったわけではなかったため、恭太はこれまで美菜のスライドを調べてこなかった。しかし、博士に進学する先輩のスライドとしてはとても参考になるような気がしてきた。



「うわ、すごい・・・」

 美菜のスライドは洗練されていた上に独創性に優れており、スライドを見るだけで説得力の高い発表をしたことが容易に想像できた。そして、そのスライドを眺めているうちに、恭太は次々とイメージが湧いてきていた。気が付いたころには、無心で発表スライドの修正に取り掛かっていた。



「これだ・・・」

 美菜のスライドを見てから一時間後、恭太はついにスライドを納得できる形で仕上げることができた。恭太は、もっと早くに美菜のスライドを見ておけばよかったとも少し感じていたが、それよりも良いスライドができたという自信で胸がいっぱいになっていた。そのあと、話す内容を簡単に整理し終えたときには、午前四時になっていた。徹夜覚悟であったことを考えると、二時間も寝られるという喜びを感じながら、恭太はベッドに入った。

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