その3 忘年会

「学生諸君、今年も一年間お疲れさまでした。来年も一生懸命頑張っていい成果を出しましょう。それでは、乾杯!」

 前田先生の挨拶のもと、研究室の忘年会が始まった。恭太は同期や先生だけでなく、先輩や後輩とも気軽に話すことのできる、研究室のイベントをいつも楽しみにしていた。


「うわあー、今年も疲れたなあ。そしていよいよ来年は修論で忙しくなるなあ」

 葉介がビールを一気に飲み干してから、そうしみじみと言った。

「本当ねえ、正月もあまり気が休まらないわ・・・」

 百合子も葉介に同意する。恭太は二人の会話を楽しく聞いていた。それと同時に、修士修了したらすぐに就職してしまう彼らとこうやって話ができるのも残り少ないことを感慨深く思っていた。

 もっとも葉介たちは、恭太のように感慨深くは思っていなさそうで、ただただいつもの飲み会と同じように他愛もない話をしては盛り上がっていた。



「はーい、皆さーん。せっかくの忘年会なのだから、いろいろな人と話しましょう。今から席替えしてください」

 恭太の同期であり、忘年会の幹事である拓斗が、開始一時間くらいしてそう全体に声をかけた。皆グラスを片手に席を移動し始める。

 恭太も、別の席に移動しようとするが、空いている席がすぐに見つからなかった。

「え、えーーと・・・」

 恭太が辺りをキョロキョロと見まわしていると後ろの方から声が聞こえた。


「桜田君、ここ空いているよ」

 振り返ってみると、二学年上の小早川こばやかわ 勇樹ゆうきが恭太に声をかけてくれていた。一番端の勇樹の向かいの席が空いていたのだ。

「あ、ありがとうございます。失礼します」

 恭太はそう言って、勇樹の向かいに座った。


 博士二年の勇樹は、普段はとても寡黙なので、恭太はあまり話したことがなかった。恭太は、少しだけどのような会話をするか戸惑ったが、博士のことについてせっかくだからいろいろ聞こうと考えた。

「先輩、今年一年間お疲れさまでした。最近、忙しいのですか?」

「うーん、いつも通りかな」

 勇樹の返事はそっけないため、なかなか会話が続かない。研究発表の時などは、勇樹は生き生きとしているため、研究以外のことには興味がない人なのだと恭太は思った。


「あ、先輩は年末年始どうされるのですか。帰省とかですか」

 恭太は、博士についていろいろ聞くのは諦めて、もっと単純な話をすることにした。

「いや、帰省はしないよ。年末年始は論文書いたりしようかなって思ってる」

「え、年末年始も研究されるのですか?」

 恭太は驚いた。恭太は、自分は研究することがとても好きだと思っていたが、年末年始は休むことしか考えていなかった。きっと、勇樹は恭太以上に研究が好きな人なのかもしれない、と恭太は思った。

「先輩は本当に研究が好きなのですね!尊敬します」

 恭太がそう言うと、勇樹は首をかしげた。

「うーん、そういうことになるのかな。来年の頭には論文を投稿しなきゃいけないから年末年始も作業しなきゃってだけなんだけどなあ」

「いや、そういうのがすごいんですよ」

 恭太は、勇樹のことを凄いと心から思う一方で、自分とは違う何か特別な才能を持った人だと感じていた。



「落合先輩も年末年始も研究していたけどなあ・・・」

 しばらくして、勇樹がそう呟いた。

「え?あの落合 美菜先輩ですか?」

 恭太はとても驚いた。勇樹が突然美菜の名前を出したことにも驚いたし、研究とプライベートをしっかりと両立しているイメージのあった美菜が年末年始に研究していたことにも驚いた。

「あ、うん。そうだよ。桜田君はあまり落合先輩とかかわりなかったから知らなかったかな?自分の場合、昨年度博士の先輩としていろいろお世話になったけど、落合先輩は自分以上にハードワーカーだなあとつくづく痛感させられたよ」

 恭太は美菜の顔と、ハードワーカーという言葉を頭の中で繋げようとするが、なかなかその二つは繋がらなかった。確かに美菜は研究に対する強い思いがあって、非常に優れた研究成果を出した人であった。しかし、美菜は研究以外の活動もしていたはずだし、国際学会の後に旅行した話などをたびたびしてくれていた。


「そろそろ忘年会を閉めたいと思いまーす。二次会をしたい人は勝手にしてください。僕は明日の朝帰省するのでもう帰ります」

 拓斗が再び全体に声をかけた。恭太はもう少し勇樹の話を聞きたいと思ったが、恭太自身も明日朝から莉緒と出かける約束をしているため、帰る準備を始めた。

「あのさ、桜田君・・・」

 その時、勇樹が声をかけてきた。

「たとえ、同じ研究室で博士に進学するとしても、修士と博士ではまったく研究室とのかかわり方とか研究の見え方とか変わるんだよね。今日の自分の話を聞いて、少し不思議に思ったかもしれないけど、来年の今頃にはきっと自分の話の意味がわかっていると思うよ」


 帰りの電車の中で、恭太は最後に勇樹が話した言葉を何度も思い返していた。同じ研究室であっても、そんなにも見え方というものが変わるのであろうか。自分が考えている博士課程と、実際の博士課程にはどれくらい乖離かいりがあるのであろうか。考えても考えても、まだ実際に進学していない恭太にとっては、わかりようのないことであった。

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