八人目 子泣き爺

 一度、気になりだしたらとことん眼が行ってしまうその存在に俺や大守さんはほとほと弱りきっていた。

 彼女は口が巧い。

 貴女の為。仕方無し。良かれと思ってetc.etc…。

 クラスは慈の向こうの教室。

 上丸かみまる 宇宙そらと言った。

 クラスの光田 天璃さんとは幼馴染みだと言う事が判った。

 上丸さんは光田さんだけではなく、巧く言いくるめては色んな人に、甘えて頼って寄生しては問題を起こしている事が判った。

 それで、結局、文句が言えない幼馴染みの光田さんに戻った。

 「光田さん!上丸さんに好きにさせるのもいい加減にしたら?」

 唐突な大守さんの言葉にこちらの肝が冷えた。

 光田さんは人の良さそうなまろやかな瞳を丸くして大守さんを探る様に眺めた。

 「何が?」

 「上丸さん、勝手が過ぎるわよ!」

 まるで上丸さん本人を責める様に光田さんを責める大守さん。

 クラスの視線が集まる。

 「なんであんなに上丸さんを自由にさせるの?」

 大守さんの言葉に教室の流れもソレに乗った。

 「あの人、図々しいよね〜。」

 「何様なんだよってカンジ。」

 「私の友達もヤラれたって言ってた〜。」

 コソコソと言葉が飛び交うと空気も不穏に揺れ始めた。俺はこの空気の淀みが嫌いだ。

 「光田さん責めたってしょーがないよ。

 大守さん、落ち着こう?」

 それだけ残して、粘りのある淀みから一人逃げた。

 

 何か言いたげに休み時間の度に大守さんを振り返る光田さんが気になった。しかし、大守さんは気付いていない様だった。

 あやかしの動きには機敏な彼女も人間の動きには興味が無いらしい。

 いつもの様に、当たり前の様に、昼になると大守さんがくる。

 「お昼どうするの?」

 廊下に眼を向けるも花園先輩の姿は無い。

 「食べるよ。弁当だし。」

 いつもの流れ。

 机の上に弁当箱を出しながら光田さんの存在を探る。

 大守さんも俺の机に弁当箱を置いた。

 いつから俺達は一緒に食べる事になったのだろう…。大守さんに視線を向ける。

 「私、初日に言ったわよね?アンタは私の獲物なんだからおとなしく狙われてなさい!」

 そう言われたらそんな事も言われていたな、花園先輩やアレコレで忘れてたけど…。

 パンを噛じっていた光田さんの所に上丸さんが来たかと思えばそのまま上丸さんはパンごと光田さんを連れ去ってしまった。

 去り際、光田さんは明らかに俺達の顔を見ていた。何か言いたげな眼差しだった。

 「あ〜!クソ!やられた!

 ここで食べると思ってたのに!」

 悔しそうに大守さんが地団駄を踏む。

 「追い掛ければ?」

 「私がそこまでの面倒を!?」

 「じゃあもう放っておきなよ。」

 「やっぱりあやかしはあやかしの味方なんだ!」

 (またそういう話に持っていく…。)

 重量級の溜息を落として母お手製甘い味付け唐揚げを口に放り込む。

 甘い味付けは子供用だ。

 親父用は一味と山椒と擦り生姜で真っ赤なやつ。俺も食べるが甘い方が馴染みの味だ。

 「その後あの三人から何か聞いた?」

 大守さんは少し胸を張る様にして

 「あら、鬼倒くんは聞いてないんだ?」

 自慢気に鼻を高くした。

 「その後、ビーフシチューはサイト自体を閉鎖したらしいわよ。ザマミロ。」

 大守さんは手造りらしきラップに包んであるサンドイッチに噛り付いた。

 「人間はあやかしよりバケモノよ…。」

 小さな声だったので聞き逃した。

 「何?」

 耳を近付ける。

 「あやかしより人間が嫌い。」

 そのまま大守さんの顔を覗き込んだ。

 意外な一言だったから。

 大守さんは人間が好きで、人間の世界を護りたくて陰陽道に居るのだと思っていた。

 「人って、人とちょっと違ってたり、変わった所あると異端視するでしょ?

 私にはむかしから色んなモノが視えた。

 『其処は曰く付きだから近付かない方が良いよ。』って教えてあげた事もあった。そう言う親切を『気持ち悪い』とか『怖い』って汚いモノを指で摘むような扱いをしてくる。

 私だって視えなかったら良かったのに…って思った事もあったわよ。でも…小豆洗いや枕返し…座敷童子と喋った時に………癒やされたのよ。」

 胸の温度がきゅっと上がった。

 大守さんも照れ隠しの様にサンドイッチを頬張った。

 「うちが何で鬼倒って言うか知ってる?」

 話した事は無いが大守さんの事だから知っているだろうけど…。

 「鬼だからでしょ?」

 思わず笑ってしまった。大守さんはとことんあやかしにしか興味無いようだ。

 「うちもある意味退治家系なんだよ。おとぎ話、『桃太郎』の子孫に当たるんだ。俺。」 

 大守さんの眼が興味有り気にクルリと光った。

 「鬼倒は母方の苗字だよ。」

 大守さんの驚いた顔。そして、片眉を潜めて

 「それがなんで嫁になっちゃったの?負けたって事!?」

 不信気に尋ねてくる。

 俺は勿体つけた様にお茶に口を付けて

 「不戦勝さ。」

 一言だけ答えた。

 「親父は母と闘わなかった。

 親父は母に一目惚れしたんだ。そして人間の、鬼倒の婿養子になった。」

 若かりし頃の親父と母を思い描いてみる。

 親父は母より身長が低かったらしい。

 母は初めて親父を視て、「可愛い歳下の鬼のボク」だと思ったそうだ。

 「退治しなかったの?そう言う風に育ってきたんでしょ?」

 母の野菜たっぷりミートローフを口にしながら大守さんの言葉と共に噛み砕いた。

 「俺のお母さんはさ、優しいヒトなんだよ。大守さんみたいにヒトには視えないモノが視えるんだ。でも異端視するタイプの人じゃない。ずっとそう言うモノと共存してきた。他の人からやっぱり不思議がられて、自分なんか愛してくれるヒトなんて居ないって思ってたんだって。

 其処に親父が現れた。

 闘わなきゃいけないのか不安に思ったらしいけど先ずは話そうって、知り合ってからでも闘えるって思ったらしいよ?」

 話しながら凄く可笑しくなってきて思わず笑った。母は一見大和撫子だが何処までも肝が座っている。あの曽祖父に育てられただけの事はある。

 「鬼倒くんのお母さんって確かに凄く強いわよね。うちの丑子の頭を箒でぶったりするんだもん。」

 大守さんはあの頃を思い出してか頬を膨らませた。

 「そうだよね。あの時はホント…ごめん。」

 母は親父を、家族を何より大切にしている。俺がまだ幼い時、余りに若い親父についてコソコソ噂したママ友が居た。その人達にとったらあくまでコソコソ秘密で。そうする事が楽しくて、だから問題にするつもりは無かった。なのに母はその人達の正面から「桃太郎くんの噂をしないで!」と真っ向から言ってのけた。まだ幼稚園児だった俺は母の勇ましさに震え上がったがニットを被った親父がニットを深く深く被って肩を震わせた姿を見て、親父が泣いていたのを悟った。俺は黙って親父の頭を撫でた。

 俺が中学の時、親父を「鬼のくせに」と罵った時、母は俺を初めてぶった。そして、親父が俺に「人間じゃないくせに」って言った時、母は親父を本気で殴った。母はそう言う人なのだ。

 むかしの母は勇ましくて憧れだったが今の家政婦の様な母の方がなんだかすごく「鬼倒桃姫」らしいと想う。

 五時限目始まる前に戻ってきた、例の大守さんのお菓子ファンの子達がスマホを片手に

 「大守ちゃん、コレ造れる?今度うちで造らない?皆でさぁ。」

 「てかうちらは食べ専だけどね。」

 「造れる様になりたいけど〜絶対に巧くやる自信ないもん〜。」

 そう話しかけてきた。大守さんは不安気に俺を振り返る。俺は薄く微笑って何度も頷いて見せた。

 「オーブンある?オーブンあったら大抵のお菓子は造れるよ?」

 大守さんが精一杯の勇気を出した。

 「オーブン?いや、うちレンジ以外の用途に使った事な〜い。」

 「あたしも!うちのレンジってお菓子焼けるのかな。『チーン』って言うだけだよ?」

 大守さんも彼女達と笑った。

 大守さんという苦味が女の子と言う甘みに溶け込むのが視えた。

 (ガンバレ、大守さん!)

 思いっきり背中を圧した。

 結局、オーブンがあると判っている大守さんの家で皆が集まる事になったらしい。

 その話をしている所へ蓑火三人組が加わり「私達も行きたい!」と言う事になった。

 大守さんはいちいち俺を振り返る。皆が「彼氏の許可要る?」とひやかしてくるので

 「彼氏じゃないよ。」

 そう出来るだけ大きな声で返した。

 数名が「キャー」と声を上げた。

 「鬼倒くんって背も高いしイケメンだし私、結構タイプなんだよね〜!」

 それは聴こえない事にした。その手の話はやっぱり恥ずかしい。そして何より俺には妹達もそうだが桃香が居る。

 「止めといた方が良いわよ。あの人、シスコンでロリコンだから。」

 俺が出る必要もなく、俺の事情は大守さんによって暴露された。そう言うオブラートに包まないところ、ホント好きだな…。

 

 部活上がり、スマホを覗き込むと和心くんからのLINEに気付いた。

 《今日、部活終わったら家に行って良い?》

 いつ来たLINEだ?

 時間は15:42。

 今は18:07。

 返事が無いのを諦めて帰っただろうか…と思いながら

 《LINE、今気付いた!

 俺は全然、大丈夫だよ》

 急いで打ち込んだ。送信して即既読が付いてホッとした。

 《告白したい事があります》

 意味深な言葉だった。

 気持をそっちに持って行かれながら鞄を掴んで先輩達に頭を下げた。

 「お先、失礼します!」

 又、蓑火の嫌がらせだろうか。

 花園先輩との間に何かあった?まさか子供が出来たとかじゃないよな?いや…有り得なく無い。そしたら俺はなんて言えば良いんだ?友達っぽく手放しで「良かったね!」って無責任に言うのか?それはどうなんだろう。…どうなんだろう。巧い言葉が見付からない。

 改札を潜り、苛々と電車を待つ。

 電車のスピードが物凄くゆっくりに感じる。

 うたた寝している頭がユラユラ揺れる速さ位に感じる。

 何かしていなければ時間の潰し方が判らなくて親父にLINEした。

 《和心くんが来るから夕飯用意お願いします》

 送った後で、母にすべきだったと気付いたがそんな簡単な判断さえ出来ない程、俺は動揺していた。

 電車を降りてとにかく走った。

 行き付けのスーパーが、点滅する信号が、お気に入りのコンビニが後ろへ流れて、幽霊アパートがある大きなカーブを折れて、民家へ続く右手の通りへ曲がる。

 誰かさんの家の壁に足を掛け、飛び上がり屋根を走る。

 滅多な事ではしない鬼の力を出す。今日は友人の為だ。

 見慣れた門構えの前に私服の和心くんが立っていた。

 「和心くん!ごめん!待たせた!」

 和心くんはグレーのパーカーのポケットに手を突っ込んで笑みを浮かべた。

 「いやいや、俺、一回着替えに帰ったし。

 つかめちゃくちゃ走ったんじゃない?汗凄いんだけど。」

 和心くんに笑われて頭から額から滝の様に汗が流れ落ちている事に気付いた。

 「取り敢えず入ってよ。夕飯、準備してもらってるから!」

 門扉を開けて招く。

 「何か悪いな。いつもいつも夕飯御馳走になってる」

 笑いながら申し訳なさそうに俺の後に続いて門扉を潜る和心くんは男の俺が見ても爽やか過ぎるイケメンで、花園先輩が夢中になっても仕方ないよなぁと想った。

 「桃次郎様、お帰りなさいませ!」

 縁側に腰掛けていた春の華が散る着物のネネが振り返った。

 「来てたんだ。」

 なら居間は賑やかだろう。

 縁側から家の中を覗くと皆でゾンビ映画でも観ているのだろう。親父の「ゾンビはあやかしの中で最凶」論を式神達に語っている熱い声が聴こえた。

 「そんな奴等、引っ掻いてやるにゃ!」

 「鬼神様!逆に引っ掻かれたら鬼神様もゾンビになっちまうんですよ?」

 「怖いですの〜。わたくしは無理ですの〜!」

 「西洋のあやかしに負ける訳にはいかないにゃ!」

 「そうですよ!鬼神様!!やっぱ飛び道具要るでしょ?小さくても殺傷能力の高いデリンジャーとか…」

 親父が深夜の販売番組みたいな文句を垂れだした。

 居間は駄目だ。離に行こう、と和心くんに離を指差した。

 「先に行ってて。」

 夕飯を取りに母屋に向かう。

 「あら、庵門くんは?」

 母は俺を視るなり眼を丸めた。

 「部屋で喰うよ。」

 桃果にただいまのチューを三連発。ケタケタと微笑うのでプラス五連発して母に頭を叩かれた。

 「折角だから一緒に食べましょうよ。」

 そう言う母を親父が遮った。

 「そこは桃姫さん、お年頃だから。

 俺等には言えない会話があるんだよ、な?桃次?」

 対ゾンビに備えて自衛隊に入隊出来そうな大きなリュックをトラネと背負いながら親父が親指を立ててきた。

 「父ちゃんが期待してるよーな話じゃないよ。もっとシビアな話。」

 桃美が横から口を挟んだ。「シビアな話」と言う言葉に脚の毛がザワザワと逆立った。

 重たくなったお盆を手に離に向かうと、和心くんは玄関前で待っていてくれた。

 「相変わらず鬼倒くんのお母さんの料理は凝ってるね〜。」

 「凝ってるんじゃなく貧乏思考料理ね。」

 スープはモヤシ多め、豆腐と茸。

 副菜のヒジキと豆の煮物は頻繁に造り過ぎてもう惣菜屋の域に達する程美味い。

 白ご飯に、食べるラー油を載せながら当たり障り無い

 「その後、蓑火はどうなった?」

 なんて尋ねてみた。

 和心くんは驚いた様な顔で

 「有難う!あの後、ホント全く無くなったよ!ランナー仲間とももっと交友出来るようになって充実してるんだ!

 二週間後の記録会、出る?」

 嬉しそうに教えてくれた。

 「1500と5000に出るよ。出来れば5000は15分は切りたいよ。」

 スープに口を付けながら呟いた。

 和心くんは静かに箸を置いて

 「桃次くん。」

 真面目な顔で俺に向き合った。  

 少し動揺が顔に出た。

 「俺、陸上部、辞めようと想ってる。」

 真剣で真っ直ぐなその眼差しから眼が離せない。

 「なんで…?」

 「桃次くんの走りが真剣だからだよ。

 自分の走りが恥ずかしくなってさ。

 最近、毎日走ってるんだ。香音さんも付き合ってくれてるけど3000が限界。」

 予測してなかった告白だけに回答が見付からない。

 辞めてほしくない。辞めないで欲しい。自分勝手な想いしか浮かばない。

 「3000で良いじゃん。3000走りなよ。」

 精一杯だった。

 「今迄楽々5000走ってた奴がいきなり3000に落としたいなんて言ったらメンバーはどう想う?」

 視線が定まらない。

 「調子悪いのかな、とか…。先輩を立てたのかな…とか…。」

 気休めだろうか。

 「先輩からは確かに『調子に乗るな』って言われてたから、うん、その言い訳は通じるかもね。

 でも、俺自身が俺を許せないんだ。

 真剣に走る桃次くんの横で俺は平然とズルした。」

 「俺は…和心くんが今、反省してる気持ちを凄く大切にして欲しいと想う!

 もし、俺の走りで和心くんの中の何かを変えられたなら…それこそ本気で勝負して欲しい!

 絶対辞めて欲しくない!俺のワガママだけど聞いて欲しい!」

 頭が地面に近付いて、俺は無意識に土下座している事に気付いた。

 頭を上げると、驚いた和心くんの眼差しとぶつかった。

 「俺の事、卑怯者って思わないの?」

 真面目な和心くんらしい自責の言葉だ。

 「和心くんが自分を責めてるならもうそれで良いじゃん。」

 この言い方、親父ッポイなぁ…と胸の中で想った。

 「じゃあ、桃次くん、俺のペースメーカーになってくれる?」

 先日、俺がお願いした事をそのままお願いされた。

 「俺で良ければ。」

 桃美の言った「もっとシビアな話」がやっと胸に落ち着いた。

 お互い、やっと安心した笑いが零せる様になった。

 そこで昼間の「あやかしにはあやかしが集まる」話題を振ってみた。

 和心くんは視線を上に向けて

 「どうかな…意識した事無かったな。

 正直、低級妖怪が何してても関係無いし…。

 その人が妖怪かどうかなんて俺には判らないし、多分、本人も妖怪の血が流れてる事に気付いてない場合も多いと思うんだよね。

 その差がそんなに大きいとは思わないし、問題視する必要無いんじゃないかな。

 俺は俺の周りに集う人は皆、人間だと思ってるよ。

 唯、桃次くんは匂った。強い鬼の血の匂い。」

 和心くんの言葉は桃太郎のソレと一語一句違わぬ物で心でしっかり受け止める事が出来た。

 余りに真剣な俺の顔に和心くんが大笑いする。

 「なんかさ、男でも女でも、この人ボスかな〜って雰囲気で判る人居るでしょ?

 桃次くんはソレに近い!」

 頷いて見せるも、俺はボス面に見えたのだろうか…。

 「その陰陽師さんは、職業柄、鼻が効くのと、勘が良いんだろうね。

 悪く言うと早合点。無害な妖怪捕まえて、『貴方、妖怪だから消えなさい!』って言いかねないよね。  

 アマビエとか、シーサーとか、付喪神つくもがみとか、世の中には沢山の良い妖怪も居る訳だから見極めて欲しいよね。」

 流石、神様でもある天狗の和心くん!言う事が立派だ。

 「和心くん、大人だなぁ〜。

 俺、大守さんに睨まれたらそう言う事先ず言えなくなるから。いつもオタオタしてしまうよ。」

 ピリ辛キュウリを摘みながら両手で藻掻いて見せる。

 「俺、苦手なタイプだ〜!!」

 和心くんも大笑いする。

 「俺は花園先輩が苦手なんだよ。

 モロ女〜っていう空気が駄目だ。」

 「じゃあ、桃次郎くんのタイプってどんなのよ?」

 和心くんにニヤつかれて俺も思わず思い出し笑いを見せた。

 「余り表情を変えない、それでも嬉しいのは簡単に見抜ける娘って可愛くない?

 無口なんだけどその一言一言が凄い意味あるんだよね。」

 懐かしい。会いたい。抱き締めたい。

 「やけに具体的だね?居るの?その娘。」

 素直に頷く。

 「従姉妹に当たる。だから結婚は出来ない。」

 和心くんは止めていた箸を又動かし始める。

 「どうかな。人間界とあやかしの婚姻は少し異なるからね。

 俺等天狗はより強い血統を求めて近親結婚なんて良くある話だよ。そもそも天狗の結婚は親が連れて来るのが常識だからね。

 俺は従わないつもりだけど。

 鬼には鬼の結婚のルールがあるんじゃないの?」

 「命を掛けて闘うって聞いた。雄が勝てば結婚成立なんだって。

 親父は人間式で結婚したけど。」

 俺は桃香と闘えるんだろうか。

 「そうやって、そこそこのルールがあるんだよ。

 結婚はまだ先の話として、まぁ、若い内は恋愛を楽しもうよ!」

 和心くんに肩を叩かれて急にスッと楽になった。

 背負っていた物が音も無く消えた感じ。

 「そこそこのルール。」

 その人、その人のルール…。

 ナルホド、そうか、そうなんだ。その通りだ。

 和心くんはランナーとしてだけじゃなく同じあやかしとしても、男としても尊敬出来る最高の親友だ。


 鬼倒家の朝は騒がしい。

 ドライヤーで髪を巻く桃李が洗面台を独占するからだ。

 桃士がブリブリ怒りながら離に歯を磨きに来た。

 「俺も離、使わせてよ!兄ちゃん!父ちゃんが母ちゃんにベッタリ引っ付いて甘えて見てらんねぇし、狭いし俺も部屋欲しいよ!」

 まぁ、此処は二間あるから別に桃士がこっちに来たって俺は構わない。夜中にスマホゲームするのだけは簡便だけど…。

 母屋の洗面台は桃李と、桃美のバトルで朝を迎える。

 俺は巻き添えを避ける為に朝食も離で摂る様にした。

 母屋に行く用事は桃果におはようのチューと、行ってきますのチューの為だけ。

 今朝も桃果の「にいに、しゅき。」が聞けたのでご機嫌だ。 

 教室入口で、光田さんとかち合った。

 「おはよう。」

 声を掛けると、オズオズと

 「宇宙の事なんだけど…。」

 と、口にした。

 「そんなにワガママに見える?」

 凄く応え難い質問だった。

 大守さんなら「当たり前でしょ!?」とキメる所なんだろうが、俺は俺目線の回答は避けた。

 「光田さんが平気なら俺はそれで良いと思う。

 でも、もし光田さんがしんどいと思ってるなら断る事も対等の友達としてすべきだと思う。

 上丸さんの為にもね!」

 一歩、教室に入る。

 何となくいつもより明るく視えた。

 本当に濁っていたのは空気じゃなく俺の眼だったのかもしれない。

 後ろから大守さんは先日のお菓子友達二人と蓑火の三人に挟まれて教室に入ってきた。

 「おはよう。」

 俺から挨拶してみる。

 「お…は…」

 相変わらず大守さんは俺にはふくれっ面だ。

 周りの女子がキャーキャー騒ぐ。  

 「鬼倒、ロッカーの上に靴乗っちまったんだけど取ってくんね〜?」

 喧嘩馬鹿な鬼まがいが片足でケンケンしながらやって来る。

 「良いよ。」

 ロッカーの上に手を伸ばし、靴を取る。

 鬼まがいは肩を竦めて

 「アリガト、サンキュー、ごめぇん。」

 と片手を挙げた。鬼にしてはなかなか可愛いじゃないか。

 鬼まがいが靴を履きながらオフザケ仲間の所へ戻っていく。

 自分の席に座ってふと廊下に視線を送ると唇を突き出した慈と視線が合った。

 唇を突き出して返してやったら慈が「プハッ」と笑った。まさか俺がそんな顔をすると思わなかったのだろう。心の中で(してやったり!)と思った。

 とっくに華の散った桜の葉が青々と揺れる。

 鳥が二羽、喧嘩でもしているのか高い声を上げ合いながら飛んで行く。

 自然溢れる鬼ノ国には日常茶飯な風景なのだろう。桃香と同じ景色が見たい…。


 通常通りの日常が見方一つで安穏と感じる。俺の心が平穏だからかな。それだけ俺の心はささくれていたのかな。駆け足で家路に向かう。いつものスーパー、いつもの信号、いつものコンビニ…あれ、いつも其処にどんよりとある廃アパートにブルーシートが掛かっている。ショベルカーやクレーン車が所狭しと停まっていてどうやら解体しようとしている様だった。

 いつもの風景が変わってしまう寂しさを少し感じて、新しい風景に期待を少し寄せる。

 玄関を開けると見覚えの無い下駄に「おや」と思う。

 中から豪快な笑い声が聴こえた。この高慢な声には聞き覚えがある。

 居間に向かおうとする背中に飛びつかれた。

 「お帰り!にいにちゃん!桃恵に一番にチューしてちょ!」

 首にぶら下がった桃恵が甘えた声を出す。

 「只今!桃恵!!」

 ギュ〜ッと抱き締めるとキャッキャと声を上げる可愛い桃恵。

 「もしかして庵門くんのお父さん来てる?」

 「うん。さっき来て父ちゃんと飲んでる。」

 俺の胸に頬をスリスリしながら可愛い桃恵がそう言った。

 今回は母に叱られない様、宅飲みにしたらしい。

 「…で、和心の奴緊張してブルブル震えてンだわ。」

 「へぇ、良いなぁ、息子の彼女。」

 二人の会話につい居間に顔を出してしまった。

 二人が同時に此方を振り返ったので頭を軽く下げた。

 「和心くんに、彼女紹介したの桃次なんだって?」

 親父がお猪口で酒を煽りながらニヤリと笑ってきた。

 「あ、うん、強い血統のあやかしと付き合いたいって言ってたから。」

 子供を産みたいは親父には言わない。

 「桃次郎くん、アリガトね!良い女だよ。和心には勿体ない。まぁ、ツレにしてみたら同じ天狗と付き合って欲しかったみたいで機嫌が悪くてな。俺にまで八つ当たりするんで実際困ってンのよ。」

 伯父さんもお酒を煽る。

 「良い子」ではなく「良い女」と言うのが伯父さんらしい。

 「桃次郎くんは彼女居ないのかい?」

 伯父さんは俺に、じゃなく親父に聞く。

 親父は口角を上げて片方のすきっ歯を覗かせながら俺を見た。

 「うちの家系は『敵対』してる相手に惹かれるらしい。」

 角を掻きながら台所へ向かう。

 母は食事の準備をしながらつまみを作っていた。

 「ただいま。」

 「お帰りなさい。ご飯パパ達の横で食べなさい。狭そうならテーブル出すから。」

 そう言いながら茹でた豚肉を冷水にさらす母の横から大皿に盛られたサラダを少し貰う。

 「俺は部屋で喰うから良いよ。」

 母は

 「そんな事言わないでご飯の時は家族揃って食べましょうよ。」

 俺の顔を覗き込んできた。

 和心くんと花園先輩の話だけなら横で聞いていられるが親父が俺と桃香の話を他人にするのを他人事の様に傍聴しているのが耐えられそうにない。

 「今日は宿題が難しいから友達に電話で教えて貰いながら飯喰うつもりなんだ。」

 咄嗟の嘘は嘘っぽい嘘しか出てこない。

 本当の話じゃないのだから仕方無いが。

 「電話しながらご飯はお行儀が悪いわよ。なるべく食べながらの会話は避けなさいね。」

 母はそう言うと俺が取ったサラダの上に茹で豚を乗せてくれた。

 他のおかずは豚の角煮にミミガー。

 豚でも家に飛び込んで来たのか?

 「豚三昧…。」

 「桃李にも言われた。陽溜さんがね、持ってきてくれたの。『貰ったんだけど捌けないから貰ってくれ』って。」

 「親父が捌いたの!?」

 「勿論。ママがやる訳ないでしょ?」

 母は何やらもう一品作り始めた。

 「まさか庭に血とか骨とか落ちてないよね?」

 親父の事だ。土に還る…とか言って埋めてそうだ。

 「ママの親友、坂田のお姉さん覚えてる?」

 「金太郎の子孫の?」

 俺が幼稚園の頃、よく遊びに来てくれていた。

 今は福島の方で旦那さんとペンションを営んでいる。

 「まさか、坂田のお姉さん所まで捌きに行ったの?」

 「そうよ。うちの台所では狭くてそんな事出来ないもの。骨の処理のお礼に腕と豚足とロースを半分置いてきたって。」

 何処の田舎の話だ、と聞き流した。

 「で、お母さんは何してるの?」

 「豚足。沖縄料理のレシピを検索して、やってみようかな…ってね。豚って捨てる処が無いんですって。」

 料理好きな母としては造れる品が増えると言うのは嬉しい話なのだろう。今まで一度だって手造りミミガーが食卓に並ぶ事は無かった。コンビニの惣菜では良く食べるが。

 「じゃあ、貰ってくね。」

 「お風呂はどうする?」

 「桃果、入れるよ。桃恵入って一段落したらLINEでもして。」

 母の豚づくし料理を盆に乗せる。本当に豚だらけだ。

 「うちは桃次に反抗期が無いから助かる。」

 母の屈託無い笑みに俺は苦笑しかなかった。絶賛親父から逃亡中だからだ。

 離に向かいながら家族の笑い声を聴いた。

 家族は俺が居なくても家族の形を保っているのだと現実を突き付けられた気がして少し寂しくなった。俺には妹達が一番だったし、世界の中心だったが妹達にはそうじゃないのだ。まぁ、仕方無い。判ってはいるが更に桃香に心が擦り寄っていっている事実をどうする事も出来ず「寂しい」に溺れる。大守さんは「死ぬ時はどうせ一人」と言っていた。ずっと独りが好きだった俺が今は独りを恐れている。俺の中で何が変化したのか。こんな自分を惨めでダサイと思うけど以前の自分に戻りたいとは願わない。


 母からLINEが来たのはそれから一時間ちょっと過ぎの事だった。

 桃果はお風呂に連れて行く玩具を選んでいる最中だった。

 いつも一緒のアヒルちゃんは、「今日は風邪みみ(きっと風邪気味と言いたかったのだろう)」なのだそうだ。

 「かえぅちゃん、はいぃましょーって言ってぅよ。にいに良いでしか〜?」

 喋る時に何故か物凄く力むところが可愛い。

 「にいには桃果と入りたいんだけどカエルさんが『どうしても』って言うなら良いですよ?」

 学校のワイシャツを脱ぎながら応える。

 「よーしても?

 よーしても…は言ってない。」

 「どうしても」の意味が判らなかったのか桃果はポカンと考え始めた。少し意地悪だっただろうか。桃果のパンツを降ろしながら考えた。

 「桃果が絶対に大好きで仕方無い子を連れておいで。その子と入ろう。」

 すっぽんぽんの桃果はピョンピョンその場で跳ねながら「だいしちはにいにとねえねととととかか!」と言ってくれた。

 大喜びでズボンのベルトに手を掛けた。喜ぶタイミングが悪過ぎる。これじゃ俺はド変態だ。でもド変態でも良い。素っ裸ではしゃげる位、俺も桃果が大好きだ。

 桃果を捕まえて浴室のドアを閉めた。湯を掛けてやると笑いながら俺の周りを走って逃げる。

 「お風呂の中で走る人誰?そんな悪い子居ないはず〜!!」

 キャタキャタと笑う桃果の声が愉しげに響く。

 「もは、ひままももものかもだいしきよ。」

 振り返ってそう笑顔を見せる桃果を抱き締めた。

 「にいにもなんだ。にいにも、桃香が大好きなんだ。大好きって大嫌いになるより辛いね。」

 桃果がまたポカンと小首を傾げる。

 「だよね。桃果には意味判んないよね。」

 浴槽に浸かりながら桃果に馬鹿な事を呟いてしまったと苦笑する。

 「にいに、つあぃのつあぃのとんでて〜!!もはぁにいにのつあぃの成敗しゆ!!」

 (桃果…命を掛けて愛してると叫ぶよ…。)

 俺は何があっても妹を愛し続けると決意する!

 桃果を抱き締めると桃果に頭を撫でられた。俺は世界一幸せな高校生とは言えないけれど、世界一幸せな兄貴だ。

 桃果と泡で大いに遊んで笑って、風呂から出た時には母に「外にまで声聞こえてたわよ?」と笑われた。  

 桃果は眠たいのピークで母に抱っこされて秒殺で眠りに付いた。

 庵門くんのお父さんは既に帰っていて親父が居間で独りで豚足つまみに飲んでいた。

 母が風呂に入っている音が遠くから聞こえる。

 親父は俺に座る様に手招きした。

 親父の話は下世話か馬鹿な話しかないので相手にしたくなかったが親父は勢い付ける様に酒を煽って、お猪口を机にタンと叩き付けてから

 「キクマは俺の初恋の相手だ。」

 急に話し始めた。

 「キクマがお兄様との結婚を決めた日、キクマからも告白された。『ずっと桃太郎が好きだった』って。俺達はずっと両想いだったけど違う相手を選んだ。それで良かったと当時も今も想ってる…でも、桃香はキクマの血を引いているしお前が桃香に惹かれるのは運命だった気がする。俺とキクマの遺伝子が求め合った。無論、互いに鬼倒の血が流れてるんだからそういう意味でも自然な流れかな、と思う。

 桃姫さんには言わねぇでくれよ。今の俺には桃姫さんしか居ねぇんだから。」

 親父は一度も俺に視線を向ける事無く、手元のお猪口を見詰めたまま、用意していたように言葉を連ねた。

 「俺は…上手く行く事を願ってる。

 桃香は愛情不足だ。お前が補充してやれ。」

 親父は一人、納得した様に何度も頷いていたが、最後、俺の顔をしっかり見据えて

 「以上だ!」

 と締め括った。

 親父の初恋がキクマさんなのも、キクマさんの初恋が親父なのも初めて知った。

 「遺伝子」レベルで恋をしたのなら仕方無いか…と思う。「上手く行く事を願ってる」親父の言葉が心上戸だった。

 笑みが込み上げてきた。

 親父は相変わらず馬鹿でチャラくて子供っぽくてワガママで大人気なくて何処までも馬鹿だけど、今日気付いた。俺の頼もしい先導者で心強い味方だと。

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