六人目 ぬらりひょん

 5月病の原因とも言われるGWが始まった。

 俺はほぼ部活でゴールデンウィークを楽しむ間も無かったが、ある日、学校から帰ると家の中に我が家の様に寛ぐ赤い髪の女性と、年頃の赤い髪の娘二人が並んでお茶を啜っていた。

 茶菓子には母が焼いたラスクを摘んでいる。

 俺はこういうあやかしを知っている。

 他人の家なのに我が家の様に自然に溶け込む「ぬらりひょん」だ。

 しかし、彼女達二人の頭には耳の横に二本の立派な角がある。

 「菊美きくまちゃん、本当に久し振りで私も嬉しい。桃香もものかちゃんも大きくなったわねぇ。何か食べてみたい物とかある?お出掛けしましょうか?」

 角…と言えば親父繋がり…ぬらりひょんではなさそうだ。

 「桃次!何ボーッと突っ立ってるの?ご挨拶なさい。桃太郎くんの幼馴染で、私の兄嫁、菊美ちゃんと、娘の桃香ちゃんよ。」

 二人が同じタイミングで顔を上げたのでたじろいだ。

 自分の身内以外の鬼に会うのは初めて…イヤ、鬼ノ国に行った時にあちこちで見掛けたがほぼ消え掛けている記憶からこの二人を辿る。

 河で一緒に遊んだ少女が赤髪だった。俺より年齢が2つ3つ上だった気がする。

 「ご無沙汰してます。菊美叔母さん、桃香さん。」

 ちゃぶ台より少し離れた場所に座って頭を下げると、かなり距離のあった筈の菊美叔母さんが光の速さで俺の頭をはたいた。

 「オバサンじゃなくて『菊美』!菊美と呼べ!」

 余りの出来事に大きく目を見開いてしまった。

 母も苦笑を見せる。

 ミニのチャイナ服に豊満な肉体を無理矢理詰め込んだ菊美さんは胡座をかいて豪快に笑う。

 隣の桃香さんは唯黙って紅茶のカップを回して絵柄を見詰めていた。

 「菊美ちゃんとお兄ちゃん、お洋服買いに来たんですって。こっちがゴールデンウィークで丁度良いから桃美や、桃恵や桃士も連れ出してくれるって…。」

 母はそう言いながらちゃぶ台の上に料理を並べていく。

 「親父は?」

 いつもなら母の隣に張り付いてる親父が珍しい。

 「お兄ちゃん…貴男の叔父さんを連れてお出掛けしたわよ。鬼ノ国で貰った金や宝石をお金に換えるんですって。」

 肩を竦める母は呆れている様にも見える。

 母のスカートを掴んで、影の様に付き纏う桃果の姿が目に入った。

 (一番に気付いてやらないなんて俺とした事が!)

 「桃果〜!にいににおかえりして?」

 スポーツバッグを遠くへ押しやり両手を広げる。

 桃果は菊美さんや桃香さんを伺いながら、俺の元へサッと走ってきた。

 「ただいま〜!桃果!」

 オデコにチュウしてやると、顎にチュウを返してくれた。

 「もはね〜、こまってぅの〜。」

 桃果が小首を傾げて小声で訴えてきた。

 「うん、どした?」

 桃果は身体をクネクネさせながら言うべきかどうか散々悩んだ挙げ句、俺の耳元に寄ってきて

 「ととのおせきがないの。」

 囁いてきた。

 いつも親父が座っている席に菊美さんがデンと座っている。

 ナルホド、と笑い声を上げてしまった。

 「そう言う時はね、桃果…。」

 立ち上がって、奥の仏間に置いてあった正方形の簡易テーブルを持ってくる。

 ちゃぶ台の横にそれを並べると、

 「じゃーん!」

 と笑い掛けた。

 桃果はピカピカの笑顔で拍手喝采してくれた。桃果がそんなに喜んでくれるならもう俺は正方形テーブルを工場ごと買い占めても良い!寧ろ、手造りして本物の「にいに、しゅごい!」をゲットしたい。桃果を膝に乗せ、ニヤニヤ左右に揺れる俺を桃香さんが観察してくる。

 

 親父は叔父さんと共にそれから直ぐ帰ってきた。

 ダイヤモンドが思いの外高く売れた、と親父は初恋の相手から告白されたぐらいの熱の籠もった表情で帰宅するなり俺達に話して聞かせた。

 母は「そんなにいきなり多額のお金が入ってきたら金銭感覚がおかしくなりそう!」と一番に話から抜けた。大金を手にした叔父さん達から「今、一番欲しいもの」という話題が上がった。

 叔父さんは母の話ではガリガリのひょろひょろで不健康を絵に描いたような人と聞いていたが胸板が盛り上がってロッククライマーが登りたくなりそうなゴツゴツした身体付きだ。

 「今、一番欲しいのは桃姫さんと二人きりの時間かなぁ。」

 親父らしい事を親父が口にした。

 「俺、自分の部屋〜。」

 桃士は今、親父と母と桃果と同じ部屋で、親父と母のラブラブタイムの餌食になっている。

 「小生は40インチのデスクトップを所望致す。」

 (喋り方は母の言う通りクセが凄い…。)

 「アタシはエロい下着〜。紐で縛ってるみたいに見えるヤツあるよね?」

 「ござったなぁ。」

 (うちを軽く凌ぐ仲良し過ぎてキモい夫婦が此処にいる!)

 豊満な肉体を揺らして笑う菊美さんが叔父さんに抱き着く。それを横目で見ようともせずマイペースに母のラスクを噛じる桃香さん。

 「桃美も新しいタブレット欲しいなぁ。」

 「私は馬鹿じゃない彼氏。」

 いつの間に参加したのか桃李が言いながら席に着いた。

 「桃恵は本当に美味しい物が食べたい!」

 「もははわんちゃんほしい〜。」

 桃果が言い終わるか終わらぬか、親父は桃果の正面まで飛んできて

 「桃果、わんちゃんは残念ながら滅んだんだよ。わ〜!残念!!」

 自分が犬が嫌いだからって嘘を並べた。

 「父ちゃん、なんでそんなバレる嘘吐くのさ。犬なんてその辺でワンワン吠えてんじゃん。」

 「桃恵ちゃん!しっ!メッ!」

 桃果は嘘を付いた親父に拳骨で抗議している。

 「それなら犬より猫の方が可愛いよ〜!ロシアンブルーとかすっごく上品で美人!

 どうせ買うなら猫ちゃんにすべき!くらいの嘘付かなきゃ〜、と言う事でロシアンブルー買おう!!」

 桃恵が無理矢理自分の話をねじ込んだ。

 「桃李、桃香ちゃんお洋服買いに来たの。何処か桃香ちゃんに似合いそうな服売ってるお店知らない?」

 揚げ鶏に大根おろしとネギを山程乗せた料理とポテトサラダを持った母が所狭しと料理が並んだテーブルの隙間を作って置く。

 「桃香ちゃんってどんな服が好きなの?」

 明らかに自分より歳上の桃香さんに対して肩肘を突きながら興味無さげに桃李が問う。

 何処かの制服の様な白のワイシャツに赤いチェックのスカートの桃香さんはロングTシャツにホットパンツの桃李とは少し趣味が違う気がして興味無さそうな桃李の気持ちもなんとなく判った。

 「服には興味無い。

 いつも家にある母上のを借りてる。」

 (母上!?)

 驚いたのは俺だけじゃ無いらしく、母も桃李も桃美も顔を上げた。

 「キクマ、お前、娘に母上とか呼ばせてんの?馬鹿じゃね?」

 親父が直球で突いた。

 母が炊飯器を持ってきて、皆にご飯をよそい始めた。

 「ふむ、母上、父上は小生が呼ばせているのだが?」

 叔父が細い眼を少し開けて親父を凝視した。

 親父は身体の向きを叔父さんの正面に向けると畳に三指を付いて土下座した。そして、畳にまた大きな穴を掘った。

 「流石、お兄様!凡人の俺には思い付かない学の深さ!お見逸れ致しました!」

 親父のこの腰の低さ。いつもの親父の偉そうな態度が信じられない。叔父さんには相当こてんぱんにやられたらしい。

 「桃香ちゃんは髪の色が明るいからシンプルに白や黒が良いかもしれないわね。

 ロング…じゃないなぁ。う〜ん…やっぱりミニ…なのかなぁ。

 膝下でも動きやすくて良いんじゃないかなぁ。」

 母はそうアドバイスしてみたが桃香ちゃんは他人の話のように、まるで聞いていない様子だった。

 「桃香は獲物狩ったり喧嘩したりする以外はズーッとこんな感じ。

 喋らないし、ボーッとしてるし、ホントつまんない娘なんだよ。二番目のがアタシに似てて今、地獄の懲罰房に入ってるよ。」

 楽しそうにカラカラと笑う菊美さんの隣でジッと座っている桃香さんの眼を覗き込んでみた。

 黒の中に朱も混じったマグマのような瞳が実は心の奥で何かフツフツとたぎらせているのではないかと見惚れた。

 不意に視線が交差した。

 何かを訴えているようで、それでも何も聞こえない。

 人間観察が好きな癖に俺は分析は全く出来ない。心理学者には向いていないタイプだ。

 「しかし、お兄様、桃香ちゃん産後直ぐ会った時より全然身体、出来上がりましたね?

 何したらそんな筋肉付くんスか?」

 早速酒瓶を傾けながら親父が尋ねる。

 「いやぁ、なぁに、運動がてら筋トレしたらコレがなかなかに面白くてスッカリハマった結果で候。インスタント故、戦力にはならぬよ。」

 (趣味でやったら程度で出来た身体じゃないぞ?)

 親父も「そ〜なんだ…。」と小さく笑いながら自分の薄っすらしか割れてない腹筋を撫でた。

 親父は毎朝、腕立て伏せも腹筋も1000回はやってるのに…。

 「お兄ちゃんは運動出来る素質はあったのよ。きっと!」

 母はそう言いながら叔父さんにご飯を手渡した。

 「今ならば小生、桃姫より多少は強くなっているであろうか。」

 叔父さんは母に拳を向ける。そんな叔父さんに親父は両手を振る。

 「もう桃姫さんは引退しましたっ!刀も俺が継承しました!桃姫さんの代りにお相手は俺がしますっ!」

 「冗談は止して欲しいで候〜。

 小生は物書き故、指を怪我する事だけは回避せねば。

 桃太郎殿もお人が悪い〜。」

 クックックッと喉を鳴らして笑う叔父さん。叔父さんの中では母より親父の方が強いというランク分けがされているらしい。

 母のよそったご飯を黙々と食べる桃香さんだけが俺には同じ色に視えた。

 「桃太郎、アンタ今陽溜の手伝いしてるんだって?」

 鶏を小皿に移しながら菊美さんが問う。

 「おう。なんのこっちゃらキトウシって呼ばれてる。鬼倒だからな。」

 親父は適当も良いとこな返事を返しながらポテトサラダをゴッソリ取った。

 「んで、腕のブレスレットのそれは小鬼の角なワケ?」

 「んあ?」

 親父は自分の腕のブレスレットに視線を落として、それから「おう!スゲェだろ?」自慢気に菊美さんに差し出した。

 「まぁ、頭悪いオマエならそんな程度の事しか出来んわな。まぁ、人間界で生きていく術が見つかって良かったじゃん。」

 菊美さんは俺達身内(陽溜だって)言わない事をザクザクと言葉にする。

 その度に親父の眉間に皺が寄る。

 親父が外で働く…コンビニ店員、ファーストフード店員、工場流れ作業、事務…どれもこれも当てはまらない。唯一しっくり来たのはやはり農家だった。

 「ちなみにアタシは強さ認められて地獄勤務なんだ!懲罰房に送り込む奴を捕まえて放り込んで監視すんの。めっちゃ楽しいゼ?

 位も上級に上がって金棒にも星が付いたよ。」

 ドヤ顔の菊美さんから親父は悔しそうに視線を反らした。自慢しようとしたのに墓穴を掘った。

 「オマエ、いつまで居るつもりだよ。」

 親父は自分の皿に山盛りに盛ったポテトサラダを頬張りながら菊美さんを睨む。

 「人間界に飽きるまで〜。」

 (ゴールデンウィーク中って言わなかったっけ?)

 「だったら今すぐ飽きさせてやる!」

 親父はそう言うなり、仰向けになりそのまま滑らせた脚でちゃぶ台の向こう側の菊美さんに蹴りを入れようとしたようだ、が、飛び跳ねた菊美さんが膝頭で親父の脹脛を踏み付けた。その菊美さんは何事も無かったかのように

 「桃姫ちゃん、このネギと大根おろしの鶏肉、サッパリしてて美味しいわ。」

 と感想を述べた。

 「いででででででっ!弁慶の泣き所〜!!!」

 親父が一人、がなる。

 「有難う〜。少しお酢を入れるの。もう年齢的に油物がキツくて…。」

 苦笑の母。

 しかし、母が「止めて〜!」って飛び出さないと言う事は菊美さんの攻撃は言う程本気ではないのか?

 「まだまだ若いって桃姫ちゃん!もうニ、三人はイケるよ!桃香、味しっかり覚えてね!帰ったらヨッロシク〜ゥ!」

 「いでででででででっホント!ガチ!弁慶!死んじゃう!!スンマセン!ゴメンナサイ!!」

 漸く、親父の足が解放されて、桃果は泣きながら親父の胸に飛び込んだ。

 「桃果〜!桃果だけだ!そうやって父ちゃんを心配してくれるのは〜!」

 ちゃぶ台から這い出て来るなり桃果を抱き締めようとしたので、すかさず俺が桃果を奪い取った。

 「桃果に甘えるなよ。桃果が汚れる!!」

 (父親と言う立場と言うだけで俺の桃果に簡単に触れると思うなよ?桃果は俺のモンだっ!!)毒は脳内で吐き、桃果を抱き寄せて「ね?」と言いながらプックリほっぺにくっついていた米粒を取って喰ってやった。

 「キクマ来てから皆が父ちゃんに冷たいです!」

 右手挙手で文句を付ける親父に、母は

 「むかしみたいで懐かしいわね。」

 と嬉しそうに微笑んだ。

 

 夕飯が終り、順番に風呂に入る間、各々待ち時間を有効に使うべく宿題をしたりLINEチェックしたりバラバラに自由に動く。大抵は一番風呂は親父が桃果と行くのだが最近は反抗期気味な桃李が皆が食器を下げている間にちゃっかり裸になって風呂場に駆け込む事が増えた。人前で裸になる羞恥心より家族の誰よりも一番に風呂に入りたい複雑な乙女心…普段、ギャルファッションのベールに包まれている桃李の豊満ボディを拝めるのは夢の如しだが実は複雑なのだ。妹を性的な目で見てしまう後ろめたさも去ることながら、俺はまだ未発達。オカズどころかスナックにもならない。どうせ使えないなら見て喜んでも喜び損だと思う様になってきた下衆な俺。ゴメン!桃李!!

 今日は一番に立ち上がろうとした桃李の手を母が取った。

 「桃李!桃香ちゃんをお風呂に入れてあげてくれる?」

 心底嫌そうな桃李の顔が印象的だ。

 「初めてうちで菊美ちゃんがお風呂に入った時の事、覚えてる?」

 母が食後のお茶を煎れながら懐かしそうに菊美さんを見詰めた。

 菊美さんも懐かしそうに眼を細める。

 「覚えてる!シャワーがさぁ、衝撃的だったんだよね〜!鬼ノ国帰ってソッコー父ちゃんに作らせたからね!後は温かい風呂が気持ち良いのも衝撃的だったし、シャンプーの香りの良いコト!!未だに鬼ノ国製品はそこ迄追い付けてないよ。うちは陽溜に毎回買って来てもらってるけどさ、陽溜、コンディショナーとシャンプーとボディソープの区別付かなくて何度ぶん殴ったか知れないよ。化粧品なんかもさぁ、人間界みたいにこんな色とりどりなくて、皆似たりよったりのメイクだもんさ。陽溜に一度買ってきてって頼んだんだけどリップじゃなくてマニキュア買ってきたからね蹴飛ばしてやったよ。で、結局自分で見た方が早いやってなったワケ。

 アタシは過去相当懲罰房行き喰らってるし、脚に枷だって着けられてて常習者として名が通ってるから人間界行きの許可なかなか出して貰えなくて。でも、桃オニィが元人間だし、桃香も陽溜も一緒って事でやっっっっと許可降りたんだよね。」

 皆が湯呑に手を伸ばす。

 てか陽溜どれだけこの人に殴られてるんだ?情けないやら気の毒やら…。

 「何?陽溜、又こっち来てんの?ついこの間来たばっかなのに?」

 親父が口を挟んだ。

 「門の外までね。アタシを門の外に連れ出す為に一緒に出てくれただけですぐ鬼ノ国に引き返したよ。花芽美ばぁちゃんが待ってるからってさ。まぁ、向いに住んでるからさ、結構助けて貰ってるよ。うちの子なんか全員陽溜の背中で育ったしね。うちはお陰で保育園要らず。ウケるよ〜?陽溜が赤ん坊背負って花芽美婆ちゃんの手伝いやってんの。

 あ、今は婆ちゃんって言っちゃ駄目なんだよね。世嗣ときつぐのママって言わないと世嗣が超キレんの!ワラウから!マジ。」

 世嗣は俺の大叔父に当たる。

 でも俺より二つ歳上なダケだ。

 陽溜が婆ちゃんとやっと結婚して出来た二人目。鬼は長生きで、婆ちゃんは陽溜が若返らせたお陰でややこしい話となっている。この辺りは人間に説明しても「え?」と何度も言われた。経験を活かし、以来「若返らせた」の件は抜きにして説明する様になっていた。きっと桃李も桃士も桃美も桃恵もそうしているに違いない。(桃士と桃恵は馬鹿みたいに真相を語ってそうだけど…。)

 世嗣の話になると母の眼がランランと輝く。

 「あの可愛かった世嗣くんがどんなふうになっちゃったのかしら。また、会いたいわぁ。」

 と。

 親父は面白くなさそうに眉間に皺を寄せてそっぽを向いた。親父は世嗣と仲が悪いらしい(親父談。)親父が羨ましがって拗ねてるだけ(母談。俺は母談に一票。)

 やがて、温かい湯気をまとわせながら桃香さんが風呂から出てきた。

 桃李のヤツ、自分のパジャマを貸してやれば良いのに彼女は入る前と同じ格好で現れた。

 「桃香ちゃん、私ので良ければ着てみる?」

 思い出した様に母が手を打つ。

 「桃果がもう眠そうだから俺、入れるね。」

 親父はそう言いながら立ち上がった。

 菊美さんは3杯目から日本茶を日本酒に飲み変えた。摘みはミックスナッツだ。

 「お湯加減、どうだった?」

 ストレートの長い髪をしきりに撫でる桃香さんに尋ねてみた。

 「あったかい。

 桃李はお湯が緑になる不思議の粉を入れてくれた。」

 桃香さんはそう言いながら俯いて

 「良い香り…。」

 少し微笑んだ。

 「桃香ちゃん、私が着ていたものが好みかどうか判らないけど…捨てるに捨てられなくて置いてあるの。

 長いの、嫌いだったら丈は今夜直してあげる。

 ちょっと見てみて。」

 母はむかし着ていたのであろう今よりかなりフリル度高めなワンピースを出してきた。

 桃香さんが好むとは到底思えなかった。

 襟元にフリルの付いた白いパジャマを彼女は手に取った。

 母はウサギのフードの付いたルームウェアも見せたがそれは桃美が欲しいと言い出した。

 ピンク地で白い花びらの舞うパジャマも彼女は手にする。

 母が乙女チックな物しか持ってないから…かもしれないが彼女の意外な趣味に俺は少し興味を持った。

 黒が主で袖や襟のポイントに白地を使ったワンピースを彼女が手にした時、あ、彼女っぽい!と思った。

 彼女には黒が凄く似合う気がした。

 残念ながら母はパステルカラーの物が多い。桃美はキャラクターでゴチャ付いているものを…。桃李はギャル雑誌のモデルのまんまな格好を好んで着ているので、桃李の服を見ると、慈を思い出した…とは言え隣のクラス、学校では会えるんだから懐かしむ程ではないのだが。

 「黒、良く似合うね。」

 何気に口にした。

 「家には余り無い色。

 下着は黒が多いけど。」

 桃香さんがそう言うと、菊美さんが大爆笑を始めた。

 「皮パンが多いからねぇ。」

 もう既に酒瓶は菊美さんの手中だ。

 叔父さんは執筆したいから、と仏間に籠もった。

 むかし、叔父さんの部屋だった所は今は桃李の部屋だ。

 母の部屋は桃美の巣になっている。

 母の父親の部屋だった所を桃恵が占領し、そして、仏間が親父達の部屋だが、今日はどうするのだろう。座敷に布団を敷くのだろうか。

 風呂から親父の声がする。「桃果を取りに来い」コールだ。

 急いでバスタオル片手に風呂場へ向かう。

 桃果は眠そうに眼を擦りながら若干グズっていた。

 「桃果、今日は誰と寝る?」

 「もは、かかとねぅ。」

 髪を拭きながら

 「にいにの所おいで?今日はお客様だからかかはお客様と寝ると思うよ?」

 自然に誘導作戦に出た。

 「やぁ〜!かかがイイ。」

 風呂場から

 「ととは?」

 親父の声がした。

 「ととはやぁ〜!」

 「ガーーーーン!」

 親父がオーバーに叫ぶが俺も同じ気持ちだった。

 眠くて堪らない時は大抵母が良いとゴネるが母が忙しくて抱っこ出来ず代りに誰かに抱っこされてる内に泣き寝入りするパターンも多い。

 桃美も、桃李も、桃士も通った道だ。

 桃果にパジャマを着せ、抱っこするも反り返って泣く。

 そのまま母の元へと行く。

 「今夜、どうやって寝るの?」

 「菊美ちゃんと桃香ちゃんと桃果は仏間に布団を用意するわ。

 申し訳無いけど桃士とパパと叔父さん、桃次の部屋に布団を敷いて貰っても良いかしら?」

 つまらない部屋割だ。

 「桃果、見るよ?」

 「夜中に目が覚めて見慣れない景色に泣かないかしら。」

 そう言われると不安だがそんな事より桃果と寝たい。

 「親父も居るし、その時はその時で連れて来るよ。

 むしろ夜中に目が覚めて見慣れない人が隣にいる方が泣くと思うし…。」

 今でも、「かか」に手を伸ばす桃果をしっかりと抱き締め宥めすかす。

 「じゃあ、次、お風呂行きなさい。その間に桃果、寝かし付けておくから。

 パパも菊美ちゃんもお兄ちゃんもまだ暫く飲むだろうし、桃美はお風呂最後だろうから…。」

 そう言われて渋々、母に桃果を託した。

 離に着替えを取りに向かいながら、縁側に座って月を眺める桃香さんが目に付いた。

 「居間に居なかったの?」

 「酔っ払いの母上は苦手。」

 クスリと笑って傍に寄る。

 「桃次郎の母上は素敵。」

 「安上がりなダケだよ。」

 「…欲しい物、見付けた。」

 え?と声が漏れそうになってまだ明るい時間に話した「今、一番欲しい物」の事を思い出した。

 「桃次郎の母上と、良い香り。」

 そう言ってまた、自分の髪を撫でる。

 「シャンプー、家にあるんでしょ?」

 桃香さんが頷く。

 「桃次郎の家のが良い。

 桃次郎の母上と同じ香り。」

 母は随分と気に入られた様だ。

 「桃次郎も同じ香り?」

 桃香さんが顔を上げる。

 首を左右に振って

 「俺のはブルーの入れ物でメンズって書いてあるやつ。」

 簡単に説明すると桃香さんは

 「香ってみれば良かった…。」

 と、呟いた。

 「今から風呂、行ってくるから出たら嗅ぐ?良い香りとは言い難いよ?多分女性陣が使ってるやつのが良い香りだよ。」

 笑って見せた。

 「此処で待ってる。」

 「言ってもまだ寒いから居間にいた方が良いよ?」

 桃香さんは頑なに首を左右に振る。

 「待つ。」

 俺も何度も頷いて

 「急いで出るよ。」

 離まで走った。

 

 俺が鬼ノ国に行って遊んだ時の記憶には確かに俺より二つばかり歳上なしきりたがりの目付きの悪い少年がいた…気がする。

 あれが多分世嗣だろう。

 じゃじゃ馬で飛び回る元気な女の子は居た…が彼女と桃香さんが重ならない。

 当時も菊美さんはお腹が大きくて、まだ赤ん坊も抱いていた。

 陽溜も確か赤ん坊をおんぶしていた。

 楽しく遊んだ記憶はあっても家庭の事情までは知らない。

 あの子が桃香さんだとしたらいつ桃香さんはあんなにおとなしくなってしまったのだろう。

 肩まで湯に浸かりながらボンヤリ考え、早く彼女に会いたくて勢いを付けて湯から上がった。

 簡単に拭いて、居間を通り過ぎ(ここはすっかり宴会場だ。)母から桃果を受け取り、座敷の奥の縁側に向かう。

 「お待たせ!」

 彼女の綺麗な長い髪はまるで輝夜姫の様だった。

 彼女は俺を見付けるなり、俺の頭に鼻を近付けてきた。

 「ホラ、絶対に女性陣シャンプーのが良い香りでしょ?」

 桃果を抱き直しながら笑ってみせる。

 桃香さんは首を左右に振って

 「でも桃次郎と同じ香りが良い。

 桃次郎、良い人。」

 真っ直ぐな眼差しが熱い。恥ずかしくて見詰めて居られなくて俯いた。

 でも嬉しかった。

 「明日、買いに行こうか?…一緒に。」

 桃香さんが一瞬俯いたが顔を上げた時には笑顔だった。

 「いっしょに。」

 反復された言葉に心底照れた。


 布団の一番端に桃果を寝かす。その隣は俺。

 桃士の寝相の悪さと親父のイビキから桃果を護ってやらなければ!

 桃果の隣に横になって、桃果の髪を撫でる。柔らかくて血なまぐさい。クスリと笑いが漏れる。幼児独特の良い香りだ。気分が和らぐ。

 桃果を抱き寄せながら幸せだと感じる。

 桃果はだいぶ歳が離れた妹だけに可愛くて仕方がない。それだけじゃなくて実際可愛いのだけど…。桃果を傷付ける奴が居たら普段は見せない自分の犬歯を剥き出しにして怒れる自信がある。自分の中に眠った鬼を揺り起こす事位容易いだろう。それだけに自分の鬼はどんなモノなのか知りたくなる事もある。

 親父はゆくゆく俺に小鬼の採取を手伝わせる気だ。鬼で無ければ小鬼を捕まえる事は出来ない。桃太郎のあの刀も俺が継承するのだろう。あの刀は鬼である親父が手にする事は困難を極めた。

 瞼を閉じながら人間と鬼の間で心が揺れる。


 翌日早朝、朝練の為離を出た俺は愕然とした。

 縁側の雨戸は開けっ放し。

 菊美さんも叔父さんも親父も座敷で高イビキをかいている。

 (やっぱぬらりひょんだ…。)

 溜息を零しながら門扉に向かう石畳を踏む俺の目に飛び込んだ朱い髪。

 一歩下がると、膝を抱えて座っている桃香さんだった。

 「おはよう。」

 彼女がゆっくり発音してくる。

 「おはよう。」

 彼女は昨夜、母に丈を直してもらった白いワンピースを着ている。

 膝より少し下。母らしい。

 「こんな早朝からどうしたの?」

 桃香さんは俺の瞳に入り込みながら

 「買物行く約束…したから…。」

 そう呟いた。

 俺の眼は完全に桃香さんしか掴んでなかった。

 「あ!そうだったよね!…そうじゃなくて!俺、今から部活なんだ。

 部活、お昼までだから帰ったら行こう?」

 桃香さんは不安気に胸に手を当てながら

 「ブカツにも一緒に行く。」

 と続けた。

 学校という概念の無い鬼に部活を理解しろと、学校には関係者以外立ち入れないというのを理解しろと言うのが無理なのか…。

 考えあぐねた結果、

 「俺の部屋に命の次に大切な妹、桃果が眠ってるんだけど、起きてグズらないか見ていてくれないかな。」

 そう言うことにした。

 彼女は真っ直ぐ俺を見据えて

 「判った。」

 と言ってくれた。

 「一緒に遊んでくれる?」

 これは流石に無理かな…。

 「私も妹弟沢山いる。任せて。」

 真っ直ぐな彼女に微笑みが漏れた。

 「頼むね。うちは親父が頼りにならないから。」

 彼女に手を振りながら駅に向かう。

 いつもは重い足取りだが何故か今日は軽い。いつもと同じスニーカーなのに、ランニングシューズを履いている感覚だ。

 軽やかに改札口を通り抜け、プラットフォームまで一気に走った。


 「我が家はゴールデンウィークだろうが夏休みだろうが関係ないよなぁ。」

 「父ちゃん、あんなんだもん。家族でどっか行くとか頭に無いんじゃない?」

 昼前に部活は終わったが帰宅はやはり昼過ぎになった。

 中庭の木陰にもたれながらボヤく桃美と桃李を見付けた。

 「それなら菊美さんと叔父さんの買物についてけば良いじゃん。」

 声を掛けると二人は飛び上がった。

 「オニイ!ビックリさせないでよ!」

 「ニイの声、段々父ちゃんに似てきたよね〜!」

 (止めてくれ。)

 「菊美さん、下着買いに行くとか言ってなかった?お母さんの話じゃ叔父さんと菊美さんはかなりマニアックなコスプレ好きらしいじゃん。絶対行くの激安の殿堂だと思うんだけど…。」

 彼処ならコスプレも下着も電化製品も手に入る。

 「あ〜…付けマ、欲しいかも。」

 ギャル桃李が食い付く。

 「人混みはダルいよ。」

 人混みが苦手な桃美は乗り気じゃ無いらしい。

 「ならお前は今年もお出掛け無しのゴールデンウィークだな。」

 そう言ってやると唸り始めた。

 「桃恵にも聞いてみよっか。」

 「そ〜だな。ワラワラ人数増えて鬱陶しいけど…。」

 二人はブツブツ言いながら玄関へと回った。

 離に鞄を置いて、着替えと洗濯物だけ手に部屋を出た。

 「おかえり。」

 中庭で次に掛けられた声は桃美でも桃李でも桃恵でもなく桃香さんのものだった。

 「遅くなってごめん。これから軽くシャワーしてくるからそしたら出掛けよう。

 お昼、食べた?」

 彼女は左右に首を振る。

 「食べれば良かったのに。」

 「桃次郎と食べたかった。」

 一気に顔に熱が籠った。

 「じゃあ、買物ついでに外で食べようか。」

 彼女は嬉しそうに明るく笑った。

 彼女が笑うと嬉しい。彼女を可愛いと思う。世界で一番妹達が可愛いと思っていたけど妹達に対する可愛いと少し違う。

 慈の事も放っておけなかったけど、慈に対する気持ちとも違う。

 大守さんとは?花園先輩とは?

 気が付くと俺は周りの女子と桃香さんを比較していた。

 簡単に汗を流すだけだったつもりが桃香さんに「好き」だと言われたからわざわざシャンプーまでした。

 (おかしな俺。)

 それでもこんな自分は嫌いじゃなかった。

 「お母さん、桃香ちゃん連れて買物に行ってくるよ。」

 母は眼を丸めて俺を振り返った。

 手には無数の塩むすびの乗った皿。

 塩むすびは親父の好物だ。

 「桃次が?桃香ちゃんを連れて行けるの?

 女の子の服を選んであげるのよ?スポーツショップじゃ駄目よ?」

 (母の中では俺はどんなセンスの息子なんだ?)

 「まぁ街彷徨いたらどっか気に入る店あるだろ。」

 適当に言ってみる。

 俺は服には拘らない。(だからスポーツショップか…。)着る物は大抵スポーツブランド。(母の言うことは当たっている。)親父は服だけは拘る。(ほぼ陽溜頼みだけど。)俺は全く興味無い。

 ………桃香さんをオシャレに仕上げる自信が無くなってきた。

 母は俺の不安を察知したのか、

 「街を歩く女の子がどんな格好をしているのか良く見る事ね。個性的過ぎても駄目。でも桃香ちゃんを更に可愛く引き出す、コレが今日の目標よ。」

 母はそう言いながら「がんばれ〜!」と俺の胸を何度も叩いた。

 桃香さんは二本角が目立たない様に角の上に団子を作って隠している。

 菊美さん似で肌は少し褐色。

 華奢で俺より頭二つ分程背が低い。

 駅に向かう迄、何が食べたいかについて話し合った。

 カレーやグラタン、ポットパイ、エビチリやキムチ鍋…鬼ノ国にもあると言う。

 「何が好き?」

 そう尋ねると、桃香さんは

 「小麦粉。」

 と答えた。

 「小麦粉?」

 「パンケーキも、お好み焼きも、パンもパスタも好き。」

 その答えには笑って応えた。

 「ハンバーガーや、ケーキ、クレープは?」

 桃香さんは唇を噛んで薄く笑って

 「ハンバーガーはパン作り名人の水戸瀬みとせが一度作ってくれた。

 ケーキは…母上はいつも失敗する…。」

 桃香さんの手を取る。

 「ケーキの美味しいカフェに行って、軽く食べて買物してから小腹が空いたらクレープ食べよう!」

 無計画でもどうとでもなるものだ。

 俺の行き当たりばったりのプランに、桃香さんは笑って頷いてくれた。


 クラスの女子がカプチーノが美味しいと噂していたカフェに入る。

 ミルクレープとニューヨークチーズケーキ、エビとアボガドのサンドと厚切りベーコンとトマトとオニオンのサンド。期間限定キャラメルナッツカプチーノとソイラテ。

 オープンテラスに席を取ってテーブルに並べると、桃香さんはキラキラと眼を輝かせて

 「どれも綺麗!」

 立ち上がって眺めた。

 「好きなの食べて。」

 彼女は「勿体ない」を幾度と繰り返していたが

 「桃次郎と半分こ。」

 と言い出した。

 「俺はいつでも食べられるから大丈夫だよ。」

 そう言っても彼女は聞かない。

 「二人で食べる、決めたの。」

 一つのケーキを二つに割る姿は「一杯のかけ蕎麦」に通ずる物があったが何故か心が暖かくなった。感動的な映画を観た時の暖かいとはやはり少し違う。桃香さんと居ると感情にも種類が幾千とあるのだと感激した。

 「美味しい!どっちも好き。」

 いちいち素直に喜んでくれる事が嬉しかった。

 軽く食べて、服屋の入口に並べてある物をチョロっと覗く。

 こんな彼方此方服屋があるなんて知らなかった。

 夏に向けて、キャミソールタイプのワンピースが何処の店にもあった。

 彼女は目もくれず、店を入口から中を少し伺う程度。

 一軒の店で脚を停めたのでやっと彼女のお眼鏡に叶ったか…と思いきや、彼女が選んだのは白地に面白いイラストが描かれたTシャツ。

 一つはド真ん中にヤシの木が一本。

 一つは鮭。

 一つは「糞が!」と毛筆体でデカデカと書かれてある。

 「欲しいの?」  

 尋ねると

 「鬼ノ国でも走り易そう。」 

 そう言われて少し納得した。が、デザインがデザインだ。

 「せめてコレにしない?」

 泡立つ炭酸を飲むシロクマ。

 「桃次郎はコレが好き?」

 好きかと言われると

 「そうでもないかな…。」

 「じゃあ要らない。」

 彼女はどれもこれも元に戻してしまった。

 やっと決まりそうだったのに俺が振り出しに戻してしまった。(阿呆か俺!!)

 「桃次郎の服が良い。」

 自分を改めて見下ろすとジャージの上下に中は白のTシャツ。

 母のふくれっ面がまざまざと思い描ける。

 「俺の服はオシャレじゃないから駄目だよ。」

 「オシャレじゃなくて良い。

 桃次郎と一緒が良い。」

 (それだと俺が困るんだって…。)

 俺が唸っても悩んでも、彼女は店内を全く見なくなった。

 視線は俺に固定され上から下までジャージの鑑定をされている様な気分になった。

 「じゃあ、色とかワンポイントで可愛いの無いか探してみる?」

 妥協案だったが俺の頭の中の母はお冠だった。

 

 店内を彷徨く事30分。

 小豆色だが肩に桜の柄の入ったジャージを見付けた。背中に「合格」とある。何がだ?何にだ?とツッコミたくなったが知った事か!

 「桃香さん!コレ、どう?」

 掲げると彼女も手に、黒のジャージを持っていた。

 「どんなの見付けたの?」

 二人で見せ合う。

 桃香さんが手にしていたのは胸に猫のワンポイントイラストがあって、背中に猫の足跡が一つポツンとあるだけだった。

 「可愛いじゃん!」

 (俺のセンス、ホント酷いわ。)

 「ソレ良いよ。ソレに決めなよ。」

 「桃次郎が決めてくれたやつも欲しい。」

 「でもコレ…背中の文字が…。」

 どんなに制しても桃香さんは引かない。

 俺の手から服を奪って

 「ください!」

 俺に言う。

 余りの迫力に「どうぞ。」と返すと彼女はポケットから万札を取り出した。

 「いくぁですか?」

 (「いくぁ?」舌っ足らず口調も去る事ながら俺から買えると思ってるのか?)

 そんな愉快で可愛い桃香さんの面白仕草に俺は腹を抱えて笑ってしまった。

 可愛くて笑ってしまうなんて桃果以外有り得ないと思っていたのに。

 真剣な桃香さんは俺の笑いに不服だった様で黙って眉間に皺を寄せた。

 「桃香さん、買い物の仕方を教えて貰ったの?」

 桃香さんは眉間に皺のまま、頷く。

 「誰に?」

 「もは。」

 (ダブルで可愛いの来た!!!)

 人生初の「萌え」を体験した。

 「品物は店員さんに渡すんだよ。」

 店の中で一際オシャレでスタッフの名札を首から提げている女性を指差した。

 

 彼女は買って直ぐその服を着たがり母が丈を直したワンピースを「もう要らない。」と言った。(母、浮かばれず!)店員さんに試着室に案内され、早速小豆色ジャージを着た彼女がドヤ顔で店の袋を提げて出てきた。

 「買い物完了だね?」

 彼女は俺の足元を見詰める。

 俺も自分を見直した。

 (靴かな。)

 彼女の靴は陽溜と同じ様な革のハーフブーツ。

 俺のはスポーツシューズ。

 スポーツショップには行かない、母との約束…。

 「ちょっと寄り道して良い?」

 桃香さんに問うと桃香さんは期待を込めた様な眼で何度も頷いた。

 入ったのは靴屋。

 ごくごくフツーの靴屋。

 母に文句を言われる筋合いの無い店だ。

 プライベート用として愛用しているメーカーのレディースを探す。

 白は汚れが目立つので赤にした。

 桃香さんの髪に合わせた。

 「桃香さん、コレ、履いてみて?」

 一足渡してみる。

 サイズは23.5。

 「キツくない?」

 足先でトントンと地面を叩く桃香さんに尋ねる。

 桃香さんは黙って頷いた。

 爪先はしっかり靴の中に収まって踵にも余分な空きも無さそうなのをチェックして

 「ちょっと待ってて。」

 レジに向かう。

 俺も小遣いを堪らなく沢山貰っているワケではないがどうしてもプレゼントしたかった。

 同じメーカーの、同じ様な靴を持ちたかった。

 「直ぐ履きます。」

 と値札を取って貰って、桃香さんの足元に置いた。

 「俺からのプレゼント。履いてみて。」

 桃香さんのきょとんとした顔。

 「いくぁですか?」

 今日二度目のその台詞にまた噴き出しながら

 「それは良いよ。俺のプレゼントだから。」

 靴を勧めた。

 代金より、彼女に履いて欲しかった。

 履いた所が見たかった。

 彼女の笑顔が見たかった。

 桃香さんが自分の靴を脱いで、赤い靴に足を入れた。

 「俺と同じになったでしょ?」

 自分の足を前に出して見せる。

 彼女も足を前に出して「同じ!」と微笑った。

 二人で似た様なダサいジャージ姿でCDショップへ行き、一つのヘッドフォンで色々聴いた。ワールドミュージック、ポップ、ラップ、クラシック、ボカロ。

 彼女が気に入ったのは意外にも「J-POPのラブソング」だった。

 片想いの女性の歌を、彼女は「カワイイ」と目を細めて聴いていた。

 ランニングの最中に聴けるテンポの良い音楽は無いかCDを探して夢中になっている間、彼女はCDを三枚も買っていた。

 「店員さん、どの人か判った?」

 桃香さんが頷いたのでホッとしたが

 「自分、違いますって言って教えてくれた。」

 と彼女が続けたので、やはり間違えたか…と苦笑した。

 欲しかった服を買い、好きになったCDも見付け、取り敢えず一段落かな…と思った矢先、シャンプーの事をスッカリ忘れていた事を思い出した。

 「桃香さん!シャンプー、買いに行く?」

 しかし、桃香さんは俯いてジャージのジッパーを下ろし、

 「これはお揃いじゃない。」

 と零した。

 ジャージの間から豊かな胸の曲線が見えて慌ててジッパーを上げた。

 「そんなの俺のをあげるよ。」

 「桃次郎のを?」

 桃香さんが子供の様に明るく微笑った。

 胸の何処かを弾かれた感覚。

 何のスイッチを入れられたんだろう。

 凄く胸が高鳴る。

 「桃次郎のが欲しい!」

 短文な彼女の話し方を愛しいと思った。彼女の、一定の音で喋る声も愛しいと思う。

 桃香さんが歩くスピードを落とした。

 俺の歩き方が速すぎたか人混みに疲れたか…順番は前後するがクレープでも食べに行くか、と桃香さんに提案する。

 

 クレープの販売カーが公園に停まっている。

 部活仲間と寄る時は大抵サラダチキンやフランク&チーズなんかの調理系。甘い物は滅多に食べない。

 でも今日はティラミスが良い、と思った。

 桃香さんは「クリームとフルーツがたっぷりなの」とリクエストしてきた。

 それぞれを手に、お揃いのダサいジャージ姿で噴水の前に座った。

 「桃香さん、外側の紙は破りながら食べるんだよ。」

 そう言ってクレープを手渡す。

 「桃次郎は何?」

 「ティラミス。コーヒーとチーズとチョコ。食べてみる?」

 少し紙を破って傾ける。

 顔を傾け、クレープに噛り付く桃香さん。

 顔を離す時、目と目が合った。

 桃香さんの口の周りにクリームチーズやココアパウダーが付いていたが今度は笑えなかった。

 人差し指でそれを掬って、自分の口元へ持っていった。

 「美味しい?」

 尋ねると、桃香さんは俺の手に手を重ねて

 「もっと桃次郎といたい。

 ワタシ、鬼ノ国に帰りたくない…。」

 真剣に伝えてきた。

 俺も、桃香さんともっと一緒に居たい。

 俺達は従姉弟同士で結婚できないし、きっと付き合う事すら出来ないだろう。でも、俺は桃香さんが好きだ。ああ、好きってこう言う事なんだ。改めて知る。

 「俺も…帰したくない。」

 二人の間からは噴水が見えなくなった。

 隙間無く二人でくっついて暫く無言でクレープを食べた。

 食べ終わっても、二人で黙って手を繋いでいた。

 二人の中では世界は動きを止めていた。

 本当にこのまま時が停まっても、世界が滅んでも構わないなんて無責任な事を想った。

 俺達の沈黙を破ったのは桃香さんの

 「同じ服。」

 という一言だった。

 「そうだね。お揃いでダサいね。」

 微笑って返す。

 「シャンプー…買いに行かないとね…。」

 まだ本当は帰りたくないけど。

 「シャンプー…。」

 桃香さんも心此処に非ずで呟く。

 お尻が重い。

 ポケットの中のスマホが小さく鳴った。

 尻を蹴られた気分だ。

 画面に「母 新着メッセージ1件」の表示。画面をタップすると「パパ、急遽今夜お仕事入りました。ママ一人ではご飯になりません。桃果お願いします」というメッセージが来ていた。

 親父が夜仕事を入れる事は珍しい。相談者によっぽど成長した小鬼でもが付いていたのだろうか。そう言う時はやはり家を見に行く事がある。家に大きなひずみが出来て、厄災の元凶になってしまう。「怪現象」の源とも呼ばれる。

 「桃香さん、急いで家に帰らなくちゃならなくなったよ。本当はもう少しゆっくりしたかったんだけど…。急がせてごめん。」

 桃香さんは「気にしないで」と立ち上がり

 「どうせ帰る家は一緒。」

 手を差し出してくれた。

 その手を握って俺も立ち上がる。

 「明日も一緒に居られる?」

 「明日は俺も部活休みだから一日一緒に居られるよ。」

 家まで二人で走った。

 俺がずっと自分に禁じてきた鬼の力で。


 家に着くと、親父は相談者の前ではそうである様に狩衣かりぎぬ差袴さしこ姿で、足袋を探していた。

 この格好の親父はいつもの何万倍も頼もしく視える。

 「桃太郎くん、数珠玉は持った?」

 「ああ、大丈夫。桃太郎の刀良し!ハンカチ良し!ティッシュ良し!スマホ良し!財布も良し!妻の愛…」

 思わず顔を背ける。

 この忘れ物チェックも親父のいつもの事なのだが、最後の「オチ」は「妻の愛」と称していってらっしゃいのキスをせがむ。

 母も苦笑しながら応える。これが年頃の俺には利く。

 母に見送られて、親父が玄関から出ていく。

 すれ違い様、頭にポンと手を置かれた。

 まだまだデカイ親父の手。

 桃太郎の刀が神妙にガシャリと音を立てた。

 それだけで震えた。

 俺には届かない、デッカイ存在だと痛感させられる。

 どんなにふざけてても馬鹿でも親父は……凄い。

 「おか〜〜〜〜えりぃ。」

 だらしなく菊美さんが手を挙げる。

 この人はまだ酔っているのか、もう酔っているのか判らない。

 桃香さんは台所で桃果片手に鍋をかき混ぜている母に抱き付いた。

 「桃香ちゃん、お帰りなさい。

 新しい服については桃次に言わせてもらうとして、楽しかった?」

 桃果は俺が抱っこして母から引き継いだ。

 桃香さんはギュッと母にしがみついたまま、

 「楽しかった!楽しくて幸せ!今日は桃次郎貸してくれて、有難う!!」

 顔も上げず一気に言葉にした。

 母はかき混ぜていたお玉を置いて、

 「一番に私に感想を言いに来てくれて有難う。とても嬉しいわ。でも、貴女のお洋服代を作ってくれたのは貴女のお父さん、服を買う機会を与えてくれたのは貴女のお母さんよ。私は二人の時間の邪魔をしただけ。

 さぁ、お母さんにお礼を言ってきなさい。」

 母が小声でそう言うと、桃香さんは恥ずかしそうに重い足取りで居間へと向かっていった。

 「大丈夫かな…。」

 「大丈夫じゃないと困る。親子だもの。」

 母は根拠の無い自信を満面の笑みに変えた。

 俺は腕の中の桃果を見詰めた。

 「お姉ちゃんと買い物ごっこしたの?」

 「お姉ちゃんじゃないよ。も.も.の.か!

 お買い物、したことないんやって!もは、おかねのはやぃかた、教えたげたの。」

 「桃果は何でも知ってるもんな?」

 「そ〜よ!もははいつまえも若くないの!」

 (また出た!オモカワ桃果語録!)

 桃果は、母の口癖か、「もう子供じゃない」と言いたいのか最近、この台詞がお気に入りなのだ。

 「も〜!桃果は可愛い!可愛い!可愛い!可愛い!ぎゅ〜〜〜〜ってさせろ〜!」

 桃果を抱き締めて左右に揺れる。やっぱり桃果は可愛い!!桃香さんも可愛いんだけどやっぱり桃果とは違う。

 桃香さんはいつ戻ったのか俺を見詰めて白けたような顔で

 「桃次郎、陽溜みたい。」

 と呟いた。

 「そう?まぁ、確かに陽溜は誰にでもするけど、普通は子供には皆するよ。」

 桃香さんが近付いてくる。

 母に背中を肘で付かれた。

 (ヤバい!「普通」と言う言葉を簡単に使ってしまった!)

 「うちの両親は、二人は抱き合っても、ワタシ達にはしない。」

 返す言葉が見付からなかった。

 俺達に背中を向けて黙々とピーマンを切っていた母が俺の代りに

 「愛の形は様々なの。甘やかす愛もあれば突き放す愛もある。見守る愛だって。貰える愛と求める愛が食い違っていたらとても寂しいわよね。そう言う時は好きな人を作れば良いのよ。

 自分の欲しい愛の形をくれる男性を好きになれば良い。そう言う事よ。」

 母は幼い頃、実の母に捨てられた。母の兄である叔父さんもだ。母の母は末の娘だけ連れてこの家を、先祖に桃太郎を持つ鬼倒の家を捨てた。高校生の頃、実父も亡くした母には桃香さんの気持ちが判るのかもしれない。

 桃香さんを見てると俺はまだ愛されてる方だ。

 親父は子煩悩だった。馬鹿だけどいつも一緒に居てくれた。

 同じ子沢山の家なのに俺と桃香さんは随分と違う事を恥ずかしく思った。

 

 親父が帰る頃には菊美さんはすっかり出来上がっていた。

 桃李と桃美と桃恵と桃士は叔父さんとボルダリングジムに行ったとかで随分と叔父さんと菊美さんと打ち解けていた。

 親父は疲れきって帰ってきた。

 余りに数の多い小鬼は、陽溜が術を施してくれている数珠玉に封じている。

 しかし、歪が出来てしまっている土地は浄化しない限りまた、小鬼が集うと言う。

 そう言うのこそ大守さんの仕事なんじゃないだろうか。

 左右の耳の横で元気に跳ねる兎の尻尾みたいな髪型を思い出す。

 「何でこんなに地場が悪いんだ?

 人間界ってのはすぐ地場が狂う。」

 座敷で差袴を脱ぎながら親父がボヤく。

 母はそれを受け取りながら

 「お疲れ様。」

 と労った。

 今夜の夕食風景は桃果が親父の膝を陣取り、菊美さんの相手は母と桃恵が、桃李と桃美と桃士は叔父さんにベッタリと言う珍しい組み合わせだった。

 俺は桃香さんと二人、台所の二人掛けテーブルで食べた。

 食後、桃香さんが外に行きたがるので桃太郎の蔵に招待した。

 本当は離の俺の部屋でお茶でも飲みたかったが色々(周りに)詮索されるのが嫌だったので打開策だ。

 「親父は初め、この中に入れなかったんだって。桃太郎や、鬼に敵討ちされた先祖達の怨念が強過ぎて。」

 冗談ぽく笑ってみせた。

 桃香さんは戸惑う事無く奥に進む。

 この蔵に未だに桃太郎が居るのかは俺には判らない。桃美みたいに視える能力が無いからだ。

 「女の子の匂い…。」

 瞬時に慈のだと察した。

 「座敷童子を匿ってたんだ。」

 慈がドレッサー代りにしていたテーブルの上に腰を降ろす。

 蔵の奥の猿の剥製が此方に向かって牙を剥いている。

 「何処に行ったの?」

 部屋の真ん中で立ち止まりながら桃香さんが尋ねてくる。

 「貧乏神のところ…。運命を感じたらしい。」

 肩を竦めると桃香さんが歩み寄ってきた。

 「良いな。毎日きっと幸せ。」

 桃香さんが俺の足元に膝を抱えて座る。

 「この蔵に居た頃よりは間違いなく…ね。」

 言いながら、俺はもっと慈に何かしてやったら良かったのに…とまた後悔した。

 最初は気になって覗きに来たりしていたが段々、気にならなくなった。酷い事をしたと思う。

 「ワタシもこの蔵に住む。」

 「は?」

 「決めた。」

 彼女の真っ直ぐな眼差しに目を丸くした。

 「そんな事したら菊美さん達が困るよ。」

 「ワタシは母上と父上の為に産まれた訳じゃない。」

 (そりゃそうだ…。)

 まともな事を言おうとしたのに、何がまともか判らなくなって、宙に浮かしたままの手を弄ばせた。

 「毎日、食事造って、陽溜に手伝ってもらいながら弟妹の世話する。

 世嗣だって遊び回ってるのに…ワタシはどうして出来ないのか。

 母上と桃次郎の母上見比べてた。

 全然違う。

 もはが羨ましい。」

 俺ではなく、桃果が「羨ましい」と言う桃香さんを背中から抱き締めた。

 「ずっと一緒に居られたら良いね。」

 そんな事、出来る訳ないのに。

 鬼になって鬼ノ国に住み着く勇気もない。

 桃香さんが此処に居続ける事は(少なくとも)菊美さん達は反対するだろう。それが判っていながら無茶を口にしたりする。 

 俺は嘘付きだ。

 桃香さんの体温は俺より少し低め。

 指先が冷たい。 

 頬も冷たい。

 団子にしてある髪も冷たい。

 少し弄ったら簡単に団子が解けた。

 2cmほどだけど確かに角だった。

 角の根っこに「絆」という文字をあしらったシルバーの飾りが着けてある。

 「これ、陽溜から?」

 「そう。ワタシは人間と鬼の最初の子だから『絆』を強める為にって。

 角飾り。」

 「良いな…俺も欲しいな。」

 角なんて隠してばかりだけど…。

 そう言えば俺は陽溜からアクセサリーを貰った事がない。興味が無いと言えばそれまでだけど。

 でも俺も欲しいな。

 耳…尖ってる…。陽溜と親父と菊美さんと叔父さんと同じ。

 眼の色…赤の奥に黒が入ってるのが凄く綺麗だな。

 長いまつ毛。

 桃李の人工まつ毛とは違う。

 桃香さんには俺がどう視えてるんだろう。

 ちゃんとまだシャンプー香ってるかな。

 汗、かいてないかな…。

 やりたい事と、やってる事と、考えてる事が噛み合わない。

 次の記録会では更に記録が出せるかな、とか鬼ノ国の自然溢れる大地と、朱の目立つ柱の建物や草の匂い、ザワつく教室の、名も無きあやかし達。俺の頭の中ではそれらが自由に動き廻って、俺の脳内にいつもの日常をわざとらしく創り上げる。

 現実の俺は、桃香さんと唇を重ねていた。

 無意識に呼吸を止めていた事に気付いたのは唇が離れてからだった。

 頭の中の雑踏が消える。

 意識が桃香さんへと戻る。

 「今、何考えてた?」

 「家族。」

 思わず笑った。

 「俺も似たような事。」

 何なんだろう。自分を抑制する為なんだろうか。

 「桃次郎、好き。」

 「俺も…好きだよ。桃香さん。」

 口にすると火傷しそうな言葉だ。

 今でも喉が熱い。熱くてジッとしていられない。何か行動に移したい。衝動的な何かに。

 桃香さんがもたれかかってきたので又、抱き止めた。

 蔵の奥に眼を向けると、忠誠を誓う様な凛とした犬の剥製と目が合った。

 視線を揺らした先に一瞬、幻の様に不都合な物が映り、確認の為にもう一度視線をそちらに向けた。

 扉の前に立って満面の笑みの親父。

 口元を手で隠していてもそのフザケた目元が何を言いたいのか判る。

 舌打ちしながら桃香さんから手を離す。

 桃香さんも気付いた様で親父に視線を向けた。

 「桃次郎の父上。」

 「よぉ、桃香。デッカクなったなぁ。

 昨日は話せなかったからよ、今日は話したいなと思ってたんだけどあらら、おほほ、お邪魔虫しちゃってごめんなさいネェ。」

 親父は扉の前に胡座をかいた。

 「親父、こっち来れば?」

 「いや、其処はお前等の空間じゃん?だから此処で良い。」

 「そんな事言わずこっち来いよ。話したいんだろ?」

 俺は親父が此処に来られない理由を知っている。

 「大人の気遣いってやつを受け入れなさい。桃次郎よ。」

 「桃次郎の父上、ワタシが嫌い?」

 思わず噴き出してしまった。

 「いえ、お気遣いなく。」

 親父はまだ大人のフリをする。

 「親父は犬と猿ときじの剥製が怖いんだよ。」

 俺の笑い声に親父は子供みたいに

 「なら、桃次郎は怖いモノねぇんかよ!

 あの…あれだ…幼稚園のトイレがギィギィ鳴るの怖いっつってたじゃん!」

 (幾つの時の話だよ。)

 「別に俺は怖くないし。」

 そう言って、犬の剥製を抱えて親父に差し出す。

 親父は顔色を変えて  

 「桃次!触ったらメッ!噛むから!ソレ、噛むタイプだから!怖いだよ!

 こっち向けねぇでくれよ!」

 奇声を発しながら慌てふためく姿が面白過ぎる位、人格が崩壊していた。

 桃香と二人で大笑いしてやる。

 「お前等!大人気おとなげねぇぞ!

 てか歳上敬え!桃次!後で母さんに言い付けるから!」

 (この歳で母親にチクられて怖い事なんかあるか。)

 「じゃあ、お互い今のは無かった事で。」

 俺って大人だな。

 「お前が桃香に惚れる位、俺にはお前が産まれた瞬間から見抜いとったわ!

 桃香は桃姫さんの血が流れてる。

 お前には俺の血が流れてる。

 惚れて当たり前だよ!」

 「気持ち悪い例え出してくるなよ。」

 思わずツッコむ。

 桃香さんの血液の半分は菊美さんだ。

 「そんな事どーでも良いんだよ。それより俺が言いてぇのは…キクマは鬼としては最高に優れてるけど母親としては駄目だ。

 でも、鬼なんだから鬼として最高なら、最高の母ちゃんだって胸張ってやってくれや!」

 親父の言い分は支離滅裂だ。

 だけど、桃香さんは改めて足を正して背筋を伸ばした。

 「俺の母ちゃんは俺を置いてバンドの追っかけやってんだ。俺が生まれてからずーっとさ。でも俺がピンチの時はゼッテェ駆け付けてくれるんだ。

 人間と違って鬼は情が薄い。

 だから俺の母ちゃんや桃香の母ちゃんみたいで当たり前なんだと思う。

 ん〜…違っててもそうだと思おうぜ!

 優しい母ちゃんが当たり前で、うちの母ちゃんは最悪って思ったら自分、ツレェじゃん?桃香がピンチになった時、キクマはゼッテェホンモンの母ちゃんのツラ見せるよ。」

 親父のクセにズルいと思った。

 何も見てない様で桃香さんの心の中を見抜いてた事も。俺と桃香さんがこうして蔵でコソコソしている事を察知した事も。俺の苦悩も。俺が言いたかった事を全部簡単に口にしてしまった事も。

 「お前等が付き合おうが乳繰り合おうが自由だけどな、コレだけは言わせてもらうぜ?」

 親父は扉を手に、背中を向けた。

 「結婚は出来ない」事実を突きつけられる覚悟をしながら桃香さんの手を握った。

 親父は俺を真っ直ぐ見据えるなり

 「桃次郎のファーストキッスの相手は父ちゃんです。」

 言い捨てて走って逃げて行った。

 「一瞬でも格好良いと思った瞬間を返せ!!」

 馬鹿は幾つになっても馬鹿なんだ。


 結局、菊美さんはゴールデンウィークが終るその日まで家でダラダラと過ごした。

 我が家の様に。ぬらりひょんの様に。

 ぬらりひょんが来た事でうちの家計は火の車になったが悪い事ばかりでもなかった。

 桃李が明るく、妹達を少し思いやる様になった。

 俺も桃香さんを、桃香と呼べる程には進歩した。

 菊美さんのお陰で30kgの米袋を持って歩く位は出来る様になった。親父が留守の時、力仕事が出来る奴が居ないと…と言う事だ。

 叔父さんは今、鬼ノ国で本を出していると言う。

 と、言ってもパソコンで配信程度らしいが「先生」と呼ばれ慕われていると言う事で人間界にいる時より断然生き甲斐を感じていると言うのだ。

 誰もが別れを惜しむ中、迎えの陽溜がやってきた。

 いつもの茶色いベストで全身の入墨をさらけ出して。

 親父が直ぐ様

 「服着て来いっつって服やったじゃん!」

 と噛み付いたが、陽溜は親父を「まぁまぁ。」とあしらいながらベストを脱いで、ベストの中に隠している品々を広げた。

 「数珠玉、要るでしょ?」

 上目遣いの陽溜にズバリ言い当てられ親父は怯む。

 「最近の数珠には数珠玉を使わないんだってね〜。プラスチックとか天然石とかなんだって?手に入れるの苦労したよ。」

 陽溜のベストの裏は陽溜がアクセサリーを造る時に使う物が詰まっている。

 金や銀、銅の塊とか、天然石、数珠玉だってそうだ。自分の作品をいつも幾つか潜んでいていつでも商談出来るのも陽溜らしい。

 陽溜は俺の前迄来て

 「石の様に硬い意志と、誓いと願いを込めて。」

 それぞれ「次」と言う文字と「香」と言う文字が刻まれていて右隅に小さなダイヤが嵌め込まれているタグを二つ俺に手渡してきた。名前の左上には陽溜が日頃から大切にしている「縁」の文字。陽溜にも俺と桃香の未来が視えていたみたいだ。否、花芽美婆ちゃんが視たのかもしれない。「次」のタグを桃香に手渡した。

 「互いの名前を持っておこう?」

 照れくさくて微笑ったら凄く嬉しそうな笑顔を返された。参った。

 「さぁ、皆!おいで!」

 陽溜がそう言って大きな手を広げる。

 桃果も桃李も桃美も桃恵も桃士も菊美さんも飛び込む。

 「桃香!桃次郎!」

 陽溜に呼ばれて桃香は俺の手を取った。

 「行こう!」

 鬼にしておくには勿体ない。俺の曽祖父はいつも無垢な笑顔の陽だまりみたいに暖かいヒト。

 「桃太郎!桃姫ちゃんも!」

 陽溜に呼ばれると皆子供になる。

 モジモジしていた親父も、叔父さんや母に押されながら飛び込んできた。

 「ひまま、だいしき〜!!!!」

 桃果が叫ぶ。

 「陽溜、今度は私のも造って〜!」

 「私も私も!!ネックレス欲しい〜!!」

 「陽溜!また来てね!」

 誰も陽溜を「お爺ちゃん」とは呼ばない。

 陽溜は陽溜だから。

 「陽溜も、皆大好きだよ。

 いつもバタバタしててごめんね。忙しくてゆっくり出来ないけどいつも皆の事を考えてるからね。」

 陽溜の金糸のような髪の毛が太陽の光を受けて更に金色に輝く。

 皆の勢いに圧されて倒れていた陽溜は立ち上がるとベストに結び付けてあった巾着を母に手渡した。

 「今はこれしか出来なくてごめんね。桃姫ちゃん。桃太郎がいつも面倒を掛けているのにそのお礼もお詫びも出来ない情けない保護者で本当に申し訳ない。」

 陽溜は改めて深々と頭を下げた。

 「止めてください!陽溜さん!桃太郎くんはいつも私の側に居てくれる素敵な旦那さんです。謝られる様な事なんて何一つありません!」

 下げた頭のまま、眼だけ親父を見て陽溜は微笑んだ。

 「桃太郎、俺はお前に甘過ぎた。でもお前の奥さんはもっと甘い。」

 陽溜は愉しそうに笑った。

 ふと、陽溜が親父の首から下がっている金の楕円を見詰めて満足気に眼を細めた。それはいつも陽溜の角にぶら下がっていた物だった。

 「ソレは俺から桃太郎へ。

 桃太郎は桃次郎へ。

 『最凶で最高』を呼び出す笛。」

 親父も視線を落として楕円を振って歯を剥いて笑った。

 陽溜は空を見上げて大きく息を吸って吐き出した。

 「自分の出来る役割って言うのは思っているより小さなモノだよ。

 欲張ってもっと、もっとって目指してみても限られた事しか出来ない。

 なら、自分の出来る範囲を全力でこなす方が賢明なんだと判った。

 高みを目指せ。でも無理はするな!…だよ?」

 最後は陽溜らしく穏やかに微笑んで〆た。

 

 皆が帰った後、母は巾着を開けて悲鳴を上げた。

 あらゆる天然石が山程入っていた。

 元々宝石に興味の無い陽溜らしく俺達の為に貯めてくれていたらしい。

 宝石について妹達や親父が騒ぐのを背に俺は離に向かった。

 皆が…桃香が帰ってしまって哀しくて寂しくて不安で、自分で自分がコントロール出来なくなってしまった。

 ジッとしている事が出来ない。勢い任せに町内を走った。我武者羅に走った。

 和心くんに「一緒に走って欲しい」とLINEをしておきながら返事を待つ事が出来ずひたすら走った。走りながら考えていたのは桃香の事だった。走るリズムも「にいに」では無くなっていた。桃香が俺の胸の中で物凄く大きな存在となっているのを改めて知る。自らの想いの重さに破滅しそうになっていた。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

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