これでいいとは思いませんが、これしかできない私には

増田朋美

これでいいとは思いませんが、これしかできない私には

これでいいとは思いませんが、これしかできない私には

今日はよく晴れた天気で、みんな連れだって外へ出かけていた。昨日のテレビの天気予報では、明日は雨が降ると報道していたのだが、そんなことは全然起こりそうもないので、大外れだとみんな言っていた。

「やれやれ、今日出られてよかったな。雨で土砂降りになるとか言ってたくせに、大外れだ。」

と、杉ちゃんが、タクシーの中で、そんなことを言った。

「まあいいじゃないかよ。よい方に転んでくれたんだから、それでいいことにしようぜ。」

と蘭は、杉ちゃんに言うが、杉ちゃんは、まあなとだけ返事をした。

「なんで?雨が降ってほしかったの?」

蘭が聞くと、

「いやあ、雨のほうが、お湿りになっていいじゃないか。のんびりしていて、僕は好きだよ。ザーザーぶりの大雨ではなく、こういう小雨は、好きだなあ。」

と、杉ちゃんが答える。まったく、車いすに乗っているのに、そんなこと言うなんて、杉ちゃん本当に変わっているな、と思いながら、蘭は、タクシーの窓から外を眺めた。道路を、楽しそうに若い男女が歩いているのが見える。

「えーと、すみません、行き先はどちらでしたっけ。私、運転手としてはまだ新人なものですから、よくわからないのですよ。」

と、運転手が、言った。蘭は、ああ、あの信号機の角を、右に曲がってくださいと指示を出した。運転手がその通りにすると、道路がえらく混んでいて、呉服屋さんにいくのには、えらい時間がかかった。雨は降っていなくても、渋滞というのは、誰でもイライラするものである。道路がやっと動き出したとき、蘭は、はあとため息をついてしまったのであった。

そうして、タクシーは、増田呉服店へ到着した。呉服店という看板が設置してある隣に、「リサイクル着物あります」という、貼り紙が、玄関ドアに貼られている。

「こんにちは。」

杉ちゃんと蘭は、タクシーから降ろしてもらうと、店の中に入った。

「はい、いらっしゃいませ。」

青い目をした、イスラエル人のカールさんは、杉ちゃんたちを出迎えた。店の中には着物が所狭しとおかれている。訪問着とか、小紋などといった伝統的な着物から、最近の雑誌などで紹介されそうな新しい着物もある。中には、しつけのついた、まだ使用されていない着物まであった。そんな着物たちには、1000円とか、2000円とか、それに似合わない値段がついていて、こんな値段で儲かるのかと、心配する位安かった。

「着物でもご入用ですかね?」

「はい、腰ひもが一本欲しい。作り帯を作るのに縫い付けたいんだ。」

カールさんが聞くと、杉ちゃんは答えた。

「了解です。作り帯を作るのであれば、長尺でなくてもいいですね。こちらにあるから、好きなだけ持って行って。」

と、カールさんは小さなかごを一つだした。モスリン製の腰ひもが、たくさん入っていて、値札には一本二百円と書かれていた。蘭が二百円を出すと、カールさんは、毎度ありと言って、それを受け取った。そして、領収書を書くからちょっと待っててくれ、と杉ちゃんたちに言った。

すると、ギイっと、店の入り口のドアが開いた。そして、若い女性が、店の中に入ってきた。女性は、洋服を着ていたが、能面の小面のような古典的な顔をしており、日本人らしい顔だちをしている。

「いらっしゃいませ。何かご入用ですか?」

と、カールさんが聞くと、

「あのう、着物を欲しいんですが、何を買ったらいいのかわからないのです。こちらの着物屋さんでは、安く売ってくださると聞きましたので、来させてもらいました。」

と、女性はちょっと恥ずかしそうに言った。

「おお、お前さんも着物デビューか。其れだったら、まず初めに、お前さんがどこで何をするときに、着物を着たいかだな。」

と、杉ちゃんが言った。

「ええ、長年着てみたいという気持ちはあったんですけど、着てみようと思っても、高くて入手できないでいたんです。」

と女性は答えた。

「そうじゃなくて、どこで何をしたいのかを言え。それを言ってくれないと何も始まらんよ。どこへ着物を着たいんだ?結婚式とか、そういうところか?それとも、お箏教室とか、お茶の教室とか、そういうところか?」

と杉ちゃんが聞くと、彼女はどうしようかという顔をする。

「杉ちゃん、そんな言い方をしたらだめだよ。そうじゃなくてもっと優しく聞いてあげられないのか。僕たちが着物を着ているとなると、場合によってはおっかない人に見られることもあるんだから。」

と、蘭は急いで杉ちゃんに言うのであるが、

「いや、マオカラースーツと着物は違うよ。暴力団と着物は関係ないの。それで、お前さんがどこに着物を着てみたいか言ってみろ。お教室でなかったら、コンサートとかそういうところかな?それも、お箏のコンサートとか、オーケストラとか、そういうところで変わってくるからな。女の着物ってのは種類が多いし順位付けもあって、大変だけど、楽しいよ。」

と、杉ちゃんは、話をつづけた。

「あの、そういうことじゃありません。私、どこかのお教室にいるわけでもないし、コンサートに着ていきたいとか、そういうことを望んでいるわけでもないんです。其れでも私は、着物を着てみたいだけです。其れは、理由になりませんか?それとも、着物というのものは、着用目的というものがないと着てはいけないものでしょうか?」

という彼女に、カールさんは、

「いや、そんなことはありません。そういう理由でうちの店に来る人もいらっしゃいます。理由はわからないけれど、着物を着てみたい。そういう方もいますから、安心してください。」

と、優しく言った。

「そうですか。私は、着物を着てみたいだけなんですが、それでもいいのでしょうか?」

と、いう彼女に、

「ええ、大丈夫ですよ。着物を着たいという気持ちと、寸法さえ合えば、ちゃんと着ることができますよ。では、一緒に選んでみましょうか。普段着として着たいんだったら、紬やウール着物などが合うと思いますよ。そうですねえ、こちらの着物などいかがでしょうか?」

カールさんは、売り台から、着物を一枚取り出した。袷の長着で、紬でできている、可愛い感じの黒い着物だ。

「こちらは、紬と呼ばれる着物でしてね。江戸時代までは、お百姓さんの野良着として定着していた着物です。現在でも、普段着の着物の代名詞的な着物になっております。これなどいかがでしょうか。」

カールさんに着物を渡されて、彼女は、高そうだなあという顔をした。

「大丈夫ですよ。リサイクル着物が5000円を超えることはまれですよ。そちらの商品は比較的状態が良いので、まだ使えるところから、2000円で結構です。」

と、カールさんが言うと、彼女は、

「ありがとうございます!うれしいです。」

とにこやかに笑った。

「ありがとうございます。着物を着るのでしたら、着物だけでは足りませんね。まず帯と長じゅばんを用意しましょう。帯は、初心者の方ですと、半幅帯をおすすめしていますが、結ぶのが難しいようでしたら、作り帯も可能です。」

「作り帯って何ですか?」

彼女は、恥ずかしそうに聞いた。

「ああ、例えばこの帯のように、結び目をあらかじめ作ってある帯の事です。浴衣向きが多いですが、このように、袋帯で作ったものもございます。こちらの作り帯は、中古ですので1000円で結構ですよ。後は、長じゅばんですね。普段着用ですから、柄物の長じゅばんでもいいでしょうね。冬は、モスリンの長じゅばんも暖かくていいのですが、今は、一年中無双の長じゅばんを使っている人が多いかな。長じゅばんはこちらのかごの中にございます。どうぞ、お選びください。」

と、カールさんが言うと、

「あの、私、残念ながら、着付け教室には一度も行ったことがないんです。」

と、彼女は言った。其れなのに着物を買いに来たのかと蘭はちょっとあきれてしまったのであるが、

「ああ、そうなんだね。いずれにしても、着付けの教室何て、ただ、ものを買わされるだけで、なにもいいことはないよ。本当に、着物を着たいという気持ちから外されてしまうことも多いからな。其れなら、着付け教室にはいかないで、自分で勉強するんだな。」

と、杉ちゃんが言った。

「はい、動画サイトなどもみましたが、よくわからないのです。」

という彼女に、

「大丈夫だよ。着物を着れば、ちゃんとわかるようになるからな。」

と、杉ちゃんはカラカラとわらった。

「それでは、僕が着付けをお教えしてもいいですよ。レッスン料は、500円で結構ですし、変な販売はいたしませんし、オンラインレッスンもやってますよ。どうですか?」

とカールさんが言うが、彼女はまだ自信がなさそうだ。

「そうですねえ、オンラインレッスンを受けられるような道具がうちにないんです。こんな年の人間が、なんで何も持ってないのかと疑問に思われるかもしれないですが、私、働いてなくて、小遣いしかもらってないから、道具を買う事ができなくて。いま、仕事を探しているんですけど、どうしても続かなくて。」

「はあなるほどねえ。それで悪い自分を変えたく、着物を着るようにしたいのか。そういうやつもいますよね。それでは安い着物でもいいから、欲しくなるよねえ。よしわかった。じゃあ僕が、簡単に着られるように仕立て直してあげるよ。」

と、杉ちゃんが言った。

「簡単に着れる方法なんてあるんですか?」

と彼女が言うと、

「あるある。この着物を切って、巻きスカートと、上着に仕立て直すんだ。そうすれば、簡単に着られるようになるよ。其れも、簡単に着られるとはわからないように仕立て直せるからな。」

と杉ちゃんはさらりと言った。ちょうどその時、又店の入り口のドアがギイとあいて、今度は中年の女性が店にやってくる。カールさんは、今日は商売繁盛だなとつぶやいた。いつもは通信販売ばかりで、顔の見えるお客さんはなかなか来ないという。

「ごめんください。足袋を買いたいのですが、お願いできますか?」

と中年の女性が言った。確かに洋服を着ているが、何か堂々としていて、というより威張っているような、雰囲気のある女性だった。もしかしたらそのシャンとした姿勢などから、和の文化の講師なのかと思われるくらいである。

「はい、四枚と五枚こはぜとありますが、どちらにいたしましょうかね?」

と、カールさんが聞いた。

「ええ、当然のごとく五枚ですよ。四枚はダブダブして、格好悪くなりますもの。」

と、中年の女性はそういうことを言った。

「わかりました。足のサイズをおっしゃってください。」

カールさんがまた聞くと、

「はい、24センチです。」

と女性が答える。カールさんは、こちらでどうぞと言って、一足の白足袋を、彼女に渡した。そして、1200円と値段を示した。中年女性は、はいわかりましたと言って、1200円をカールさんに支払う。

「領収書を書きますので、名前をおっしゃっていただけますでしょうか?」

とカールさんが言うと、中年女性は、岡由美子と名乗った。カールさんはわかりましたといって、領収書に名前と金額を書き、岡に渡した。それでありがとうございましたと言って、岡は、出て行ってくれればいいと思ったのであるが、

「まったく、店の玄関で聞きましたわ。着物を、切って、二部式着物にするなんて、なんて着物がかわいそうなことをやっているのかしら?」

と、若い女性に向けて言う。ということはやっぱりこの人、着付けの先生とかそういうひとなのだろう。そういうひとは、若い着物愛好者に、必ず何か文句をつけることがお決まりになっているので。

「着物がかわいそうだって、そうしなくちゃ着れないんだから、其れは仕方ないことだ。着物だって、変な風にリメイクしてしまうよりも、着てもらった方が、悲しむことはなく、喜ぶと思うよ。」

と、杉ちゃんがでかい声でそういうことを言うと、

「喜ぶ?着物にはさみを入れて、そういうおかしなものに変えてしまうのが、喜ぶというの?着物は着物のままで着用するのが、一番だと思いますわよ。だって、昔から着物はおは処理をして着るものでしょう。其れが、出来なくなったのは、日本の若い人が、着物を着ようとしなくなったからですよね。」

と、岡が杉ちゃんに反論した。

「そんな時代は終わっただよ。もう伝統文化なんて、日本人であっても基礎の基礎でさえも知らないことが多いんだから、そういうことを、しっかり知って教えなきゃならん。出来なくて当たり前だと思わなきゃ。できないんなら、出来ないなりに工夫をしてやればいいんだよ。」

と、杉ちゃんが言うと、岡は強く言った。

「詭弁だわ。そんな甘えたことをいうから、日本の伝統文化というものがつぶれるんじゃないの。そういう風に、ぶっ壊すような真似を平気でするから、伝統文化が奥深いものではなくて、単に簡単に触れられるようになってしまうんじゃないの!」

「そうだけどね、お前さん。伝統文化が奥深いと感じられるような気持ちを、今の若い奴は誰ももっていない。其れよりも、簡単で、手軽で、気軽に入れるものを好むんだ。着物なんて、難しくてわからないものの代表選手じゃないか。お前さんは、難しいままで教えようとしているけれども、其れは無理だろうが。そうだろう?」

「でも、着物は、ちゃんと、しっかり手順を踏んで着るのが一番なのよ。寸法だって、しっかり守って、格も順位もしっかり守って、いまに伝統を伝えていくことが大切なんじゃないの!」

「だけど、お前さんは今洋服姿だろ。着物を気軽に着ようという雰囲気じゃとてもないな。其れはなぜなんだ?」

「だって、着物は晴れ着だもの。大切な時や、大事な時に着るものでしょう。今更、それを普段着てみたいからという安易な気持ちで、トライしてもらいたくはないのよ!」

杉ちゃんと岡がそう口論していると、先ほどの若い女性が、しくしく泣きだしてしまった。

「ほうらみろ。せっかく着物をにトライしたい気持ちより、お前さんは、着付け教室のメンツが大事なんだな。」

と、杉ちゃんが言うと、

「いえ、もういいんです。私が、軽い気持ちでここに来てしまったからいけない。幾ら値段が安くて気軽に買えると言ってもまだまだ、着物は若い人がやってはいけないんだということが分かりました。しっかり反省しますから、先生今日は許してください。」

と、先ほどの若い女性は、すすり泣きながら、そういうのであった。

「お前さんのせいじゃないよ。お前さんの伝統に触れたいという気持ちが一番大事だよ。それをつぶそうとするやつに負けるな。」

と、杉ちゃんは、そういうのであるが、彼女はさらに泣き出してしまった。

「まったく、若い奴はなんでも自分のせいにしなきゃだめだと思っているようだが、其れはとんでもない間違いだ。其れは勘違いしないでくれ。お前さんのせいじゃないんだよ。許すとか許さないとか、そんな問題じゃないんだ。」

と杉ちゃんは言ったが、岡は勝ち誇ったような顔をした。

「まったく、お金さえあれば伝統に触れられるということを勘違いしないで、ちゃんと伝統を守っていく、という気持ちを大切にしてもらいたいものですね。」

そういって岡は、カールさんに、ありがとうございましたと言って、それでは、と堂々と店を出ていった。

「すみません、迷惑を掛けました。この着物は、私ではなく、ほかの、もっと伝統に触れるのにふさわしい人に売ってあげてください。」

と、若い女性は、カールさんに頭を下げて、帰ろうとしたが、

「ちょっと待て。」

と杉ちゃんが言った。

「お前さん、名前なんて言うんだよ。」

「はい、鬼頭です、鬼頭のぞみと言います。ちょっと変わった名前だねって言われるんですけど。あの、鬼の頭と書いて。のぞみは、ひらがなで希望と書きます。」

と、彼女、鬼頭のぞみさんは、小さい声でそういうと、

「そうか、鬼の頭か。鬼の頭をもっている、お前さんなら大丈夫だ。そのままの気持ちで、着物を着続ければいいのさ。ちゃんと、着れるように簡単着物に作り直してあげるから。大丈夫、お前さんの名前がそれを保証する。」

と、杉ちゃんが言うので、蘭は、一体何を言うんだよ杉ちゃんはと変な顔をするが、杉ちゃんは、

「いや大丈夫だ。ちゃんと、鬼という字をもっている以上、お前さんは、着物代官に負けず、着物を着ていくことはできるよ。僕も責任もって仕立て直してあげるから、安心してくれ。二週間くらいしたら、またここへ来てくれるか。よろしく頼むよ。」

と続けるのであった。

「本当に着ていいのでしょうか。さっきのおばさんの言う通りなら、私なんて、全然こういうものを着る資格はないと思うけど。」

と、のぞみさんは言うけれど、

「大丈夫だよ。誰でも、初めは何も知らなくて当たり前なんだから。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「ええ、大丈夫だと思います。知っていて当たり前の時代は終わりました。伝統を大事にする人には、こういうやり方はいけないと思いますが、そうするしか触れることができない時代になった以上、形を変えて、伝統に触れるということは悪いことじゃないと思いますね。是非、作り直してもらってください。」

と、カールさんは、にこやかに笑ってそういうことを言った。

「本当にいいのでしょうか。」

と、のぞみさんは改めてそういうと、

「ええ、それでいいと思いますよ。僕も、杉ちゃんの言うとおり、着物は着てもらうことを望んでいると思いますから。簡単着物に作り直してもらって、ぜひ、たのしんできてください。」

と、カールさんは、にこやかに言った。

「はい、それでは、お着物と作り帯で、とりあえず3000円いただいておきましょうか。」

「はい。」

とのぞみさんは、カールさんに3000円を渡す。カールさんは、

「ありがとうございました。」

と言って、それを受け取った。

「やれやれ、のぞみはかなったか。」

と、蘭は、カールさんが領収書を書いているのを眺めながら、そういうことを言った。杉ちゃんだけ一人口笛を吹いていた。




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これでいいとは思いませんが、これしかできない私には 増田朋美 @masubuchi4996

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