Epi5 恋心ってなんだろう

「バカにする気なんて一切ない」


 三菅さんは言い切ってる。でも俺はその言葉を信じることができない。

 口では何とでも言えるからだ。俺と比較するまでもなく、三菅さんは才気溢れる凄い人だった。俺はと言えば親にも妹にもバカにされ、家には居場所がなく、書いた小説の尽くが駄作で読まれることも無い。なんの才能もない、平凡以下の存在にどうして凄い人が好きになるのか。

 三菅さんを見ると真っ直ぐ俺を見ている。


「ごめん。やっぱ無理。どう考えても釣り合いが取れないし、たったひとつの小説で好きになれるなんて、無茶苦茶にも程があると思う」


 じっと見つめるその瞳に映る俺はどう見えているのだろう。

 真一文字に強く結ばれた口元。口角が下がり始めると同時に、瞳は揺蕩たゆた水面みなもの如く定まらず、零れ出す水滴が頬を伝い流れ出した。

 三菅さんの表情で、こんな言葉が浮かんだ……。けど。


「えっと、なんで泣いてるの?」


 さっきまで固く結ばれた口元は小刻みに震えて、ゆっくりと上下に分かたれると同時に、か細い声が漏れ出たようだ。


「どうして、気持ちが通じないのかな……。あれだけ感動させてくれる、小説、書けるのに……」


 小さくなった肩も震えていて、手はきつく握り締められているようだ。

 これは、本当に理解してもらえないことから、悲しみを感じているんじゃないかって、そう受け取れなくもない。小説ではそうやって悲しみを表現した。

 あれ? でも、三菅さんが俺の小説を読んでいるなら、その表現を真似て見せることで、悲しんでいると思わせるのも容易い?


「と、とにかく、ちょっと信じるのは無理だから。泣かせる気は無いんだけど、でも、それも演技ってこと無いよね。俺の小説に似たような表現あったし――」

「演技なんかじゃない!」


 言葉を遮って叫ばれた。

 今度は口が尖ってるし、涙で溢れ返る目尻は上がって、きつさが増してるみたいだ。怒ったのか?


「全部理解して、なんて、無理なのはわかってる……。でも、ここまで気持ちが、通じないのは、やっぱ辛いよ……」


 一瞬叫ばれて驚いたけど、また震えるか細い声になって、下向いちゃった。


「どうすれば、信じてもらえるのかな? 頑な過ぎてわかんないよ……」


 急にしゃがみ込んだと思ったら声を張り上げて泣き出しちゃった。

 これ、どうしたらいいんだろ。俺のキャパを超えてるし、こんな時にかける言葉は全く思い浮かばない。信じろと言われても、相手が俺だから信じられるわけが無い。なんでこんな校内でも一二を争う底辺を好きになれるのか。

 これがせめてもう少し勉強できて、運動できて、見てくれがいい奴なら、それもあるんだろうけど。


「あの、俺、校内でも最底辺の奴なんだけど」

「違う!」

「でも、俺より下は居ないし、上なら全校生徒だと思う」

「違う!」


 否定しかしてないじゃん。

 最底辺じゃ無ければなんだって言うのさ。


「あの。ハンカチ要る?」


 泣きながらも右手を差し出してきた。

 俺のハンカチ、汚くないよな?

 取り出してみて汚れが無いのを確認したら、差し出された右手にそっと乗せてみた。すぐに目元に当ててると思うんだけど、俯いてるから正確にはなにしてるかわからない。


 涙を拭ったであろうハンカチは、そのまま手にして俺を見上げている。

 目が真っ赤だよ。本気で泣いてたんだと気付くも、俺を好きだなんて思えないし思いたくもない。だって、理由がない。一編の小説程度で好きになれるわけないじゃん。


 三菅さんが左手を差し出してきた。なにをしたいんだろう?


「立たせて」

「は?」


 三回同じことを言われて手を差し出し、三菅さんの手を握ると力強く握り締めてきたけど、手、手が痛いんだってば!


「痛いんだけど」

「あたしの愛情の深さと心の痛みだから」


 まるで恋愛小説のような出来事をここで体験するとは思わなかった。

 全てが虚構、全てが現実とはかけ離れた虚飾の世界に居るんじゃないか。そう思ってしまう程に俺にとって、この瞬間は現実離れしてた。

 なんて考えてたら腕を思いっきり引かれて、前のめりになって、立ち上がろうとしていた三菅さんと抱き合う形になってるじゃん!


「あ、ちょ、みす――」

「信じて」

「え、や、あの」

「キスしてもいい。あの変な小説に書いてあったこと、してもいい。信じてくれるなら」


 変な小説って、妄想全開の変態小説のこと? あの内容を現実にしたら警察沙汰じゃないの? それをしてもいい? 頭が混乱するだけで、でも、抱き締め合う形の心地良さは、これまでにない感覚を得てるのも確か。

 逃れようとしたんだけど放してくれないんだよね。

 制服の上からでもわかる小さく震える体。ここまで来ると信じてもいいのかと、勘違いしそうになるけど。ついでに感じる体の凹凸は刺激が強過ぎる。


「あの、誰かに見られたりしたら」

「かまわない」

「でも、それだと俺はともかく、三菅さんは」

「そんなの関係ない」


 熱いんです。一部が。


「信じてくれるなら離れてもいい」


 俺の胸元に顔を埋めて離れようとしない。更には下半身まで押し付けないで! それ以上接近するとヤバいんです。今まさにのっぴきならない状況なんですってば。

 密着度合いが高くなってくると、必然的に免疫を持たない俺では、無駄に反応することになるんだってば! ねえマジで。


「あの、ちょっと、拙いことが」

「いい。普通でしょ」

「じゃなくて」

「応えてあげる」


 じゃなくて。これどうしよう。バレてそうだし。

 女子に抱き付かれるのも人生初。泣かれたのも人生初だろう。なにもかもが初めて尽くしのこの状況。慣れた奴なら、軽く腰だの肩に手を回して慰められるんだろうけど、俺にはそんなことできないし、対処しようが無いんですって。


「信じてくれる?」


 これはもう、バカにするだけのために、ここまでする理由はたぶんない。つまり、三菅さんは本気で俺を好きだってことと、認識するしか無いってことなのだろうか。

 あり得ない。でもこの状況はあり得ないを覆す。


「え、と、信じる」

「ほんとに?」

「だって、バカにするのにここまでする理由がない」

「わかってくれた?」


 何度も確認させられて、胸元で顔を上げて俺を見つめる。下半身は密着状態です。俺の反応はしっかり伝わっているようで、互いに顔を赤らめていると思うけど。


「顔赤いよ大貴」

「そっちこそ」

「だって……」

「追及は無しで」


 顔近過ぎて、女子の顔をこんな間近で見たこともない。

 じっと見つめ合うこと暫し。三菅さんの顔がどアップになったと思ったら、唇に柔らかい感触が覆い被さった。


「!」


 驚いて体が跳ね上がるけど、少しの間離れることなく密着状態のまま。

 そっと離れた三菅さんは顔真っ赤。


「三菅さん」

「信じた?」


 こんなこと、普通はできるわけ無い。


「し、信じる、しかない」

「じゃあ、三菅じゃなくて明穂」

「あ、あああ、あき、ほ」

「ちゃんと名前で呼び合えれば、気持ちも通じるようになると思う」


 人生初がもうひとつ。

 まさかのファーストキスって奴。三菅さんも同じなのだろうか。絶対モテるはずだから既に経験済みの可能性もあるけど。


「初めてだから」


 俺の考えてることが読まれた?


「手くらいなら握ることはあっても、キスは初めて。そこから先はまだだから」


 これはもう、疑う余地なしってことなんだろう。


 紆余曲折の末に初めて俺に彼女ができました。

 誰に紹介しても自慢できる彼女だけど、三菅さんは俺じゃ少しも自慢できないでしょ。こんなに落差のあるカップルなんて、リアル美女と野獣だよ。


「ねえ」

「えっと、なに?」

「デートとかもしようね」


 返事に困る。

 でも、恋人同士なら当然あって然るべきことなんだよね。


「うん」

「それでね、大貴の家に遊びに行きたいし、あたしの家にも遊びに来て欲しいし」

「善処します」

「善処じゃなくて、そこは喜んでー! って言わないと」


 さっきまで泣きじゃくっていたのに、すっかり元気になったみたいだ。

 でも、その笑顔はとても眩しく愛らしい。まるで夢、いや、そんなありきたりな表現じゃ済まない。地球が太陽に飲み込まれてもおかしくない状況?


「今度の土曜遊びに行ってもいい?」

「え? そんな急に?」

「もっと信じてもらうのに必要だと思うから」

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