トイレから帰ってくると、席を先輩に取られていた。


 話し込んでいる先輩に気づかれないように、自分のグラスだけを掴み、僕は空いているところを探した。


 辺りを見回しているうちに、ふと顔を上げた女の子と目が合った。その前がちょうど空いていたので近づいていく。


「席を取られちゃって。ここ、いいですか?」


「どうぞ」


 僕はぎこちなく、彼女とグラスを合わせた。


「……一年ですか?」


「一年です」


 同学年とわかると、すんなり打ち解けた。妙な連帯感を共有しつつ、大学やバイトの情報交換したあと、話題は高校時代の頃の話になった。


「かなり受験勉強をしたんだ。結構、成績がやばかったら」


「私も。ここに入りたかったから、がんばった」


「でも、なかなか集中出来なくて、変な器具に頼ったんだ」


「……変な器具?」


「知ってる? ……ぶらんケット」


 僕がそう言うと、彼女は目を見張った。


「私もつかってた。……先輩からもらって」


「え、そうなんだ。……あれって、バグがあるって知ってた? ときどき混線してさ……」


「知っている」


「実は混線したことが、一回あった」


「……嘘っ」


「嘘じゃないよ。……どうしたの?」


 彼女は急に顔を強張らせた。


「私も一度混線したことがあって。足があたったの。……受験生の男の子だった」


「……僕も。受験生の女の子で、明日、試験だって。それも同じだなって……」


 そこまで話すと、僕らはしばらく沈黙した。


「え、どうしよう?」 


 彼女のつぶやきは、僕に向けられたものなのか、自分自身に向けられたものなのか、よくわからなかった。


 あの日の会話をもう一度思い出してみたが、他に手がかりになりそうなことは何もなかった。


「……こんな偶然ってあるのかな」


 思い詰めたように、彼女は僕に迫ってきた。


「確かめて、いい?」


「うん、僕も知りたい」


「やっぱり、脱いだ方がいいよね?」


 彼女は口に手を当て、小声で言った。


 少し離れたテーブルで、先輩たちが大声でふざけ始めた。


 そちらへ目が向いたのをいいことに、僕らはごそごそと靴下を脱いだ。もちろん、周りには気づかれないように。


「目を閉じよう。その方がいいと思う」


 ゆっくりと右足を前へ伸ばしていき、彼女のつま先に触れた瞬間、あの日の夜が甦った。


 プールの水が満ちてきて、僕らの心を包んでいった。不安だった気持ち、交わされた文字と文字。温まる気持ち。もうそれで、十分だった。


 彼女の親指が動き出す。


〈ごうかく おめでとう〉


 感謝の想いを噛みしめながら、僕も指を動かす。


〈おめでとう〉


 どちらからともなく足を重ねた。


 歓迎会の喧噪が遠のいていく。


 僕らはテーブルの下で、心を寄せ合った。


 瞳を閉じたまま、ただ密やかに。


   〈了〉

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ぶらんケット ピーター・モリソン @peter_morrison

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