残された時間

 美里はこの日の訓練で途中に教官たちからNGを連発されてしまい、もう退場するようにみんなの前で宣言された。遥は心配する暇がないほど、実践はとても厳しいものだった。

 黒田先輩の事が少し好きだったのかも知れない、美里は彼の事が頭から離れないことで自分の心の中の悲哀がどこから来るのか悟った気がしていた。穏やかな春の日差しのような笑顔と心地よい日本語の響きはこの殺伐とした世界での唯一の癒やしだった。誰しも、一度ここから飛び立って戻ったものはいない。だが、行った先の星で生きているのかも知れない、希望をほんのわずか残して、明日かも知れない出発の日が少しでも先であるようにと、ここにいる数千の若者は思いを馳せる。

 

 ある日、全員が持つ同じスマホに三日、もしくは五日後に出立する事が告げられる。日本でのいにしえの歴史だと赤紙のようなもので、自分たち日本人の間ではレッドメールと呼んでいた。

「来ちゃったんだよ、レッドメール」黒田先輩は苦笑いした。


 あのとき……。

 美里は隣にいた遥の腕を強く握った事を覚えていた。そしてその手を反対の手で強く握り返した遥もその手の震えを忘れる事はなかった。

 だから決めた、遥は残された時間を全身の神経をすべて集中させて美里の思いが自分に吸い上げられるようにと。切ない気持ちや、辛い気持ち、恐怖などすべて全部自分が奪い取る事ができれば、ここにいる事も少しは気の利いた存在理由で終う事ができるのではないかと遥は決めた。

 そんな遥の気持ちを知らない美里は、何かとシンクロする遥と自分に不思議な感覚に陥っていた。すべては神の裁量であり、この世を恨みつつも、わずかな幸せを探そうとする人間が起こした奇跡でもあった。


「黒田先輩、後から僕たちの誰かが行きます、KIMI-10で待っていてください。絶対に機影を探します。たとえそれが砂漠のど真ん中でも、生き延びてください」

 横にいた美里は目を伏せて遥が言うのに合わせて静かに頷いた。

「ありがとう、そうだね。君たちの誰かが来てくれるのを待っている」

 二個ほどある夕日、おそらく強い西日が黒田先輩の横顔の陰影を照らす。敢えてその先を追うこともせずに二人は頭を下げて、もう黒田先輩の顔を見ることなく部屋を後にした。机の上には先輩の彼女の写真が置いてあった。一枚は彼女がひまわりの花畑に佇むもので、もう一枚は黒田先輩とショートカットの女性が海辺で佇むもの。


 先輩は涙を拭うこともしなかった。でもそれを見られないように背中を見せた日を二人はしっかりと焼き付けた。

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