第21話 デビューと聖女
「それと、そのリボン。 …貰ったものかい」
お辞儀をした私に、マダムはそう言った。
「はい、そうです」
神妙な面持ちをして、すこし、考えた後で、「仕事の時間は外しておきな…」と言う。
「良くないのでしょうか…?」
折角、戴いたのに…。
残念に思うが、良くないのなら仕方がないのか…。
「………、誰から貰ったか知らないが、高価な品だろう…。 こんな場所で付けるもんじゃない。」
「…はい」
「それに、うちのお客以外から貰ったものは、身に付けない方がお客からしてみれば嬉しいだろうねぇ」
「…! はい」
確かに。と納得したところで、「ほら、どうせ住む場所も無いんだろう?」と店の上にある、ひとつの部屋へ案内された。
「日が当たらない角部屋で悪いが、すぐ住めるのはここしか空いていないんだ」
「いえ…! 十分です…!」
だって、窓から美しい王宮が見える…。
ほう…、と眺めていると、「なにー? 新人ー?」と廊下からひょっこり顔を覗かす女性。
落ち着いた金色のショートヘアー、涼しげなグレーの瞳。
綺麗な人だ…。
「あっ…! よ、よろしくお願いします…!」
慌てて頭を下げる。
「今一番長く居るビクトリア。 こっちは今日から入ったエラだ。」
「うわっ。 まじで? マダム、こんな子どっから拾ってきたの…?」
「驚くだろうが、自分から来たのさ」
「はぁ…!? アンタ何処の生まれよ…!?」
「これっ! ぽいぽい個人情報聞くんじゃないよっ!」
こつん!と拳で軽く叱る。
「いったぁーい!」
何だか微笑ましくて、くすくすと笑ってしまった。
自分でも驚いた。
こんなにも自然に笑えるのだな…と。
「いいえ、気にしませんので。 バルドン領のタール地区です。」
「タール地区!?ヘドロまみれの!? 人が住むトコじゃないじゃん!」
「これっ…!」
「いったぁーい!」
くすくすと、また笑っていると「うるさいなー」「ビクトリア騒がし~」「寝てるんですけど」と次々に部屋から出てくる女性達。
皆、それぞれ綺麗な人ばかり。
エラは改めて自己紹介をして、そして、マダム・ロージーの仲間になった。
それからは、とても早かった。
時間なんか忘れるぐらい、覚えることや、普通の人としての生活…。
皆からしたら、ちょっとのことが、私にとってはとても大きな事ばかりだった。
たとえば、
二日目のあのときなんて、今思えば普通じゃなかったんだなって…。
「あ、すみません…、壺か、何かを、お借りすることは出来ますか」
「壺ぉ? 一体何に使うんだい」
「雨水を溜めたいのです。 飲み水や…、身体を洗うのに……」
「なっ…!」
「エラったら…! そんな事しなくたって蛇口をひねればいいのよ…!?」
「でも…、お金が…、雨水ならお金が掛からないので…」
「全く、店の儲けで払ってんだから気にせず使いな!」
「そうよ! 身体を綺麗にするのも、私達の仕事!」
「仕事……、」
「ほら、お湯に浸かって温まってきな!」
「え…、お湯が出るのですか?」
「もう…」「あぁ…」
あと初めて食べたパスタ。
今でも私のだいすきな料理。
「おい……、しい……」
「マダムが作るパスタは美味しいでしょう!」
「絶品なんだから!」
「はい…、初めて、食べました…。 こんなに美味しいだなんて…!」
「……、え? パスタを…?」
「はい」
「え? じゃあ今まで何を?」
「御役所の配給と、木の実や、虫…、雨上がりの蛙は美味しかったですよ」
「もう、本当に…!」「なんて子っ…!」「ほらっ!どんどん食べてっ…!」
「………、いえ、もう…」
「エラったら、もう食べないの?」
「そうよ!いっぱい食べなきゃ胸おっきくなんないわよ!」
「でも、私ばかり食べてると、皆さんのが…」
「「「え…?」」」
「……えっと、これ、一人分よ…? 私達はもう食べたからね…?」
「……え? これ、全部食べていいのですか…?」
「あぁ!エラったら…!」「んん~っ…!」「私もうダメっ…! 涙がっ…!」
それに、ビクトリアさんに付いて、初めてお仕事の見学した時。
「今日は新人の子が見学するから。」
「え"!? この子が新人なの…!? めちゃくちゃ可愛いじゃん……」
「見学するだけだからねッ…!」
「わ、わ、わ分かってるって…!」
「じゃ、新人はまず、口でするところから。」
「は、はいっ…!」
「え?ちょっと待って? 俺、みられるの?されてるところを??」
「そうよ! だからマダムに今回の料金は要らないって話でしょ!」
「えっ、聞いてなっ…」
「よ、よろしくお願い致します…!」
「……は、はぁ…。」
「本番は、口だけで50人お客を取ってからだから。まだまだ先よ!」
「はいっ…!」
「最初に簡単に手順だけ説明するわ。 こうして、脱がして、先ずは…」
「う……、うぅ…、見られてると、なんか違うものに芽生えそう……」
「あの…、苦しそうなのは、気持ちいいって事ですよね?」
「うーん。 痛い時もあるから…、そうとも言い切れないわね。」
「それに大きさが全然違います……」
「あう、そんなにまじまじ見ないでぇ…。 マダムったら俺の扱い軽いんだからぁ…、はうぁあッ…!」
そうそう。
もう馴染みになってしまった、あのお客様。ブライアンさん。
たまに指名をされるけど、いつもビクトリアさんの話ばかりで…。
「プレゼントをしたいんだけど」とか、「今度いつ休みかな」なんて。
お話をするだけで、他にはなにもしない。
彼女のことが本当に好きなんだなって。
何だか微笑ましくなってしまう。
月日は流れ、9ヶ月が経った───。
普通の人としての生活の仕方や、掃除や食事の役割、買い出しに、仕事の内容以外にも、色々覚えることは沢山あった。
そうして9ヶ月間の普通の人よりも長い見習いを終えて、デビューを果たし、現在6ヶ月目…。
エラは、襲われないようにと貞操帯をマダムに履かされて、28人目のお客様。
同じお客はカウントされないので、回数で言えば50は越えた。
以前よりも、大人っぽく、そして色っぽく成長し、エラ目当てのお客も増え、マダム・ロージーの店が、騎士団もとい、貴族の間でも噂になっていた。
28人目の、このお客様は、太ももがお好きらしく、今も太ももを撫でながら話している。
聞けば何処かの商会の人らしいが、個人情報はここでは厳重だ。
「あ、そうだ。 噂になっているから知っているかもしれないけどね」と、少しお腹の出た紳士なお客様。
「聖女が現れたらしいよ」
聞きなれない言葉に、エラはほんの少し首を傾げた。
私のその反応に、「あぁ。」と細やかに気が付く商売人。
「君は貧しいところの出身だったっけね。 知らなくても当然か。 聖女なんてもの、結局は貴族達が囲い込んでしまうから」
いまだ太ももを撫で、たまに揉みながら、紳士なお客様は話を続ける。
「そうなのですか?」
「あぁ。 きっとこれから街はお祭り騒ぎだろう。 聖女関連の商品やビジネスも溢れかえるぞ!」
「うちも早めに波に乗らねばな!」と商人の血を騒がしているが、エラは聖女がどういう人物なのか、全く想像ができなかった。
言葉通りの聖職者なのだろうか。
「……その、聖女とは…、どんな事をなさる方なのでしょう…?」
「100年に一度現れて、聖魔法が使える方さ。」
「まほう……。 そんなもの、本当に…?」
「あぁ。 どんな傷でも癒すらしい。」
「へぇ……」
「貴族様の都合で、平民にもたまに聖魔法を使うらしいが…、平民と言っても貴族の都合上でしかないから、平民でも力のある平民さ。 例えば、私なんかのようにね!」
「ふふふ…!」
「まぁ、冗談抜きで言うのなら……、どんな傷でも癒すなら、それこそスラムなんかへ行くべきだと思うがね。」
商会の方らしく、貴族が嫌いなようで、嫌味たっぷりに吐き捨てる。
「まぁ…、そうですね…。 薬を買うお金も、無いですから……」
ふと、疫病の事を思い出した。
周りの住民や、お父さんの命を奪った、あの疫病。
聖女様なる方が居るのなら、勿論すがりたかった……。
いいえ。
私は、泉の底に咲いていた花を、無理矢理にでも食べさせられた筈なのに。
それをしなかったのは、幸せに死んでほしかったからだ。
もし、その時、傍らに聖女様が舞い降りても、私はお父さんを死なせただろう。
そんな事を考えていると、思い詰めた顔をしていたのか、お客様は太ももを撫でていた手を、私の頭に優しく乗せてくれた。
気を使わせてしまうだなんて、まだまだだなと思うも、心が温かくなって、微笑みを返した。
「……いつだったか、400年前、つまり4代前の聖女様は、貴族達を振り切って、スラムに手を差し伸べたんだとか。 よく思わなかった貴族に、直ぐ取り押さえられたらしいが。」
「ひどい…。」
「ま、まともな聖女は殆ど居ないよ。 聖女がどんな出身であれ、王族と結婚出来るんだ。 金に目が眩んで、強欲になる。」
「王族と結婚するんですか?」
「あぁ。 聖女が現れた代の王族、ま、だいたいは王子だな。 王子は聖女と婚約するしきたりだ。 どうしても上手くいかない場合以外は、そのまま王妃になる。」
「へぇ、」
結婚もしたくない相手と……、貴族様も大変だわ…。
あの方も…、婚約者が居るのだろうなぁ…。
今度は、ふと、エリック様の顔が浮かぶも、『だめよ。今はお客様が居るのに。 別の男性の事なんて…』と、エラは目の前のお客様に集中するのだった。
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