短い息、長い一人言

痛瀬河 病

第1話

 そこには二十円があった。

 どこまで行っても無機質な画面の中に二十ポイントと表示され、それは日本円の価値に直せば二十円に相当した。


 私はしがない趣味として自作の小説をネットのサイトに投稿している。反応がもらえる時もあれば、貰えない時もある。それでも黙々と投稿していた。誰に命令されたわけでもないのにご苦労なことだと思う。


 それにしたって本当に恵まれた時代だ。

 私が生まれる前ぐらい昔に比べればネットが発達し、こうやって自身のとりとめのない妄想を公開し、それをどこぞの神様のような人たちが読んでくださり、感想までくれたりするときもあるのだから本当に凄い。


 話は二十円に戻る。

 この二十円は私の投稿しているサイトの新しい機能として、閲覧数、PVともいう、それに応じて投稿者にいくらかの広告収入をサイトの管理会社がくれるのだというシステムだ。

 実装一ヶ月目の私の収入はなんと二十円である。

 勿論、このままでは只の数字だ。これを銀行の口座に振り込めるようにするまでの最低額というものがあるので、このままでは私の利益にはならない。


 でも、私は私の小説で二十円を稼いだと言うのは事実なのだ。


 それに私は震えた。


 趣味が実益を兼ねたのだ。

 言葉にすればありきたりで、でも現実に起こり得るにはあまりに奇跡だった。

 みんなはたった二十円と笑うだろうか。私も社会人二年目に突入し、毎月月末になれば二十万円そこそこのお給料が口座に振り込まれている。

 感覚は人それぞれだろうが、私は初任給に感動を覚えられなかった。

 大学時代、バイトをしている時だって、働けば自分の口座にお金は振り込まれていたし、それと何の違いがあるのだろうと本気で思っている。


 だって、あれだけ嫌な思い、怠い思い、辛くて、疲れて、一日を終えるのだ。

 そりゃ報酬ぐらいあってしかるべきでしょ。

 ってか、貰えないなら絶対しないし。


 そんな傲慢とも思える考えから、私にはどうしても当然の対価として受け取り、そこにありがたみが生まれない理由なのだ。

 バブルとバブル崩壊の落差でも味わったことのある世代ならまた違うのだろうか。


 でも、この二十円は好きなことをして得たお金だ。

 辛くなんてないし、自発的にやったことだ。

 それで得たのだ。


 先ほどのお給料を受け取る私の態度に間違っていると怒る者もいるのかもしれない。

 たった二十円だと笑う者もいるのかもしれない。

 いや、確実にいるだろう。


 でも、この感動にもしっかりとした理由がある。

 私は中学、高校と六年間バレーをやってきた。それはもう狂ったようにバレーが好きで強豪チームの門を叩き、朝から晩までバレーをやってきた。朝起きてもバレー、寝る前だってバレー、その事ばかりを考え生きていた。


 強豪チームでバレーをするのにはお金がかかった。

 いや、基本的にスポーツなんてお金のかかる事ばかりだ。

 遠征費、道具代、身体作り栄養管理の為の食費。

 私の親はそれに関して一度も文句を行った事はない。馬鹿な私はいつも当然のようにその代金を親から徴収し、好きなバレーに打ち込んでいた。


 しかし、それでも望む結果、理想に届くことはなかった。

 高校の三年次全国大会は逃した。レギュラーと控えを行ったり来たりしていた。

 当然、大学推薦の話はなかった。


 私にこの先はないのだ。


 後は趣味で遊びとしてやるだけ。

 一生華やかな舞台に手が届くことはない。


 つまり私の六年間は一銭にもなることはなかった。


 金が全てだと言うつもりはない。

 そこで得た経験、友人は財産だろう。


 だけど、お金は大事なんだ。

 

 お金なしに生きていける人間はいない。

 だから、大事だ。


 いつの日からか私にとってお金は生きることを許される日数の証明みたいに感じていた。

 必要最低限の最低限として食費だけで考える。

 千円あれば一日を生きていけるだろうか。

 一万円あれば一週間は生きられるだろうか。

 そうやって働いてお金を得て、私は生きていてもいいよと言われている気がした。


 生きていてもいいよ、だ。

 願われているのではない、許されているのだ。

 あくまで上から。


 だから、私は許しを請うように嫌な思いを重ねお金を稼いでいる。

 私は貯金をする。そしていつか死ぬまで生きてもいいよと許される額が溜まればその時何才だろうと、仕事を辞めるだろう。

 もう死ぬまで生きることを許されたのだから。

 

 それが私にとってのお金。

 私にとってとても大事なもの。


 同じサイトで小説を投稿しているネット内の友人は一日で三千円を稼いだと言っていた。私はそれを聞いた時、本当に感動したんだ。

 凄い、趣味、好きなことをして三日も生きることを許されるなんて!


 アホである。

 でも、それが私の考え方で、それはいつまでも変わらない気がする。


 私もいつか好きなことをして生きることを許されたい。

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