断る理由

五色ひわ

断る理由 【香苗】

 香苗かなえは着慣れた制服に袖を通して寝室を出るとリビングへと向かった。家族と挨拶を交わし、よく焼けたトーストとハムエッグを食べて、いつもと同じ時間にお気に入りの靴を履いて家を出た。


「おはよう、香苗」


「おはよう、蓮司れんじ


 香苗の家の前には、幼馴染の蓮司が当然のように待っていた。小学2年生の時に蓮司が家族と共に隣の家に引っ越してきてから6年。「小学校の場所が分からないから一緒に行って欲しい」と言われて始まった2人での登校は、中2になった今も毎日続いていた。


 断る理由なんていくらでもある。早く行って図書室に寄りたいとか、女友達と一緒に行く約束をしているだとか何だっていい。もう子供ではないのだから、お互いにその方がいいに決まっている。それでも香苗は言い出せないまま、今日も2人で並んで歩く。


 香苗と蓮司は登校中、何か話題があれば会話もするが、特になければ一言も話さない。長年幼馴染として過ごしてきた蓮司とは、静まり返った無言の時間でさえ、香苗には心地いい。今日も二言三言交わしただけで会話らしい会話もないまま、あっという間に2人が通う中学校の校門が見えてくる。同じ制服を着た生徒たちが校門に吸い込まれていく中、蓮司は友達を見つけて片手を上げた。蓮司と仲の良い同級生が蓮司を手招きしている。


「じゃあ、香苗、俺は行くから」


「うん」


 男友達の元へ走っていく蓮司をなんとなく目で追いながら、香苗も教室へと向かった。



 放課後、香苗は友人たちと教室で流行りの音楽について話していた。部活のない日はいつもこんな風にダラダラと教室に残っている事が多い。扉がガラリと開く音を聞いて香苗が顔を上げると、扉の前に蓮司が立っていた。


「香苗、そろそろ帰ろう」


 蓮司はいつも丁度良いタイミングで香苗のクラスにやってくる。これも幼馴染のなせる技だろうか。


「今、準備するから、待ってて」


 香苗は、友人たちの冷やかしの視線から逃れるように、バッグに教科書を詰めていく。香苗と蓮司の関係は冷やかしを受けるような甘いものではない。


 香苗はともかく、蓮司はモテる。香苗に言わせれば、蓮司はただ無口なだけだが、他の女子にはクールで大人っぽく映るらしい。蓮司は今までもいろいろなタイプの女の子と噂になってきた。小3のときには1組の佐藤さん、小5の時には3組の白石さん、二人ともクラスで男女共に人気のある魅力的な女の子だ。そのたびに香苗が冷やかすと、蓮司は面倒くさそうに笑うだけで否定はしなかった。それに香苗にだって好きな男の子くらい一人や二人……。その話は虚しくなるだけだから止めておこう。


 とにかく、蓮司と女の子の噂が流れている間も香苗との登下校は自然に続いていた。そのくらい、蓮司の中では香苗は女として意識されていないのだ。それは香苗も同じで、香苗の中でも蓮司は兄弟のような存在だ。


 そんなことを友人たちに説明していた事もあったが、ただの幼馴染だと言っても友人たちは生暖かい笑顔を見せるだけなので、最近、香苗は何も言わない。


 香苗は友人たちに手を振ると蓮司と並んで教室を出た。


 帰りの道が分からないからと言われて始まった2人での下校はなんとなく今もお互いに部活のない水曜日と金曜日に続けられていた。


 断る理由なんていくらでもある。友達ともう少し話がしたいだとか、帰りに買い物があるからとか何だっていい。買い物なら一緒に行くと言って蓮司もついて来そうだから、実際には何でもいいわけではないけれど……。ともかく、友人の誤解を生まないためにも断るべきだと分かっているのに、また香苗は言い出せなかった。


 靴を履き替えて中学校を出ると、慣れた道を2人で並んで歩く。何か話題があれば会話もするが特になければ話すことさえしない。そんないつもの帰り道のはずなのに、蓮司の様子がいつもと違う。なんか、緊張した顔でチラチラと香苗を見ていた。


「蓮司、お腹でも痛いの?」


「ち、違う」


「「……」」


 いつもと違って沈黙が重い。香苗ははじめて蓮司の隣に居心地の悪さを感じながら歩いた。


 家が見えて来たところで蓮司が急に立ち止まる。香苗は不思議に思いながら蓮司を振り返った。


「どうしたの?」


「明日の土曜日、隣町にできた遊園地に行かないか?」


 蓮司がひと呼吸おいてからいつもより大きな声で香苗に聞いた。


「うん、いいよ」


 香苗は迷う事なく返事をする。


 断る理由なんていくらでもある。明日は発売したばかりの漫画を読む予定だとか、苦手な教科の勉強をしたいだとか何だっていい。実際は、大好きな遊園地に誘われて即答してしまったけれど……


「え、いいのか?」


 驚いたようにこちらを見ている蓮司に香苗は大きく頷く。小学生の頃には、どちらかの両親に連れられて蓮司と一緒によく遊園地に行った。蓮司とは乗り物の趣味もよく合うから、香苗の行くと言う返事は当然だ。


「うん、あの遊園地、一度行ってみたかったんだ。今、話題だもんね」


「え? 知ってたのか!?」


 蓮司が驚いているのが何だか心外だ。こういう話題は香苗から蓮司に教えてあげてることのほうが多い。


「もちろん。あそこのジェットコースターはオススメだって聞いたよ。最先端の技術が使われているんでしょ? 明日、乗るの楽しみだね」


「そ、そうだな」


 香苗がにっこり笑って言うと、なぜか蓮司はがっかりした様子で歩き出す。香苗は不思議に思うが蓮司に尋ねる間もなく、あっという間に香苗の家の前についてしまった。


「香苗、明日は10時に待ってるから」


「うん、また明日ね」


 蓮司は待ち合わせ場所も指定せずに隣の家に帰っていった。蓮司が迎えに来れば、過保護な父親も安心して外出を許すだろう。


 香苗は家の中に入ると台所にいる母親に「ただいま」と言いながら階段を駆け上がる。すぐに自分の部屋に入って制服をハンガーに掛けるとクローゼットを開いた。新しくできた遊園地に行くのだ。おしゃれがしたいに決まっている。明日は緑色のスカートにしようか、それとも乗り物にも乗るしジーンズの方がいいだろうか。香苗は母親から夕食ができたと声を掛けられるまで、クローゼットを引っ掻き回しながら悩み続けた。


 翌朝、香苗はお気に入りのワンピースを着て5分前に家を出る。壁に寄りかかるようにして蓮司はもうそこにいた。


「おはよう、蓮司」


「お、おはよう」


 昨日に引き続き緊張した様子の蓮司に香苗は首を傾げながら、2人で並んで駅へと向かう。そういえば、学校帰りにどこかに寄ることはあったが、2人っきりで休日に出かけるのは、はじめてかもしれない。


「遊園地、休日だし混んでそうだよね。話題のジェットコースター、何回乗れるかな?」


「そうだな」


 遊園地が楽しみで浮かれている香苗とは対称的に蓮司のテンションが低い。


「どうしたの? 蓮司?」


 香苗が蓮司の顔を覗き込むと、蓮司は大袈裟にため息をついて、駅の改札をくぐる。香苗も慌てて後に続いた。


 ホームに入ってきた電車に乗り込んで混雑する車内に並んで立つ。蓮司は香苗が潰されないようにしてくれていて、いつも通り優しい。ため息をついたりして機嫌が悪いのかと思っていたが、香苗の考えすぎだったようだ。


 遊園地の最寄り駅に着くと直結している遊園地のゲートを2人でくぐる。遊園地の中はたくさんの人で賑わっていた。


「まずは何に乗る?」


 香苗は遊園地の地図を広げてウキウキと蓮司を見上げた。


「観覧車」


「え、観覧車といえば、遊び疲れて途中で乗るものじゃない? この辺りの乗り物に乗って肩慣らししてからジェットコースターが王道でしょ?」


 他の遊園地に行ったときに蓮司と周ったコースを思い出しながら、香苗が地図上を何ヶ所か指し示すが、蓮司は頑なに首を降る。


 蓮司はどうしても最初に観覧車に乗りたいらしい。珍しく頑固な蓮司に香苗は仕方なく合わせることにした。


「観覧車は、どこかな?」


「こっちだ、行くぞ」


 地図を回しながら探す香苗の手を引いて、蓮司はズカズカと音がなりそうな勢いで歩き出す。香苗は慌てて蓮司のうしろをついていった。地図から目を離すと奥の方に観覧車が見える。


 正面から歩いて来た女性のグループが、香苗たちをさり気なく見てから声を潜めて話し出す。それでも香苗の耳には、はっきりと聞こえてきた。


「カップル多いね」


「SNSで話題になってたしね」


「あ、私も見た。観覧車で告白すると両思いになれるってやつでしょ」


 女性たちは楽しそうに去っていく。香苗は驚いて目の前を歩く蓮司を見上げた。一見するといつもと変わらないように見える蓮司だが、動揺している香苗にも、はっきり分かるくらいに耳が赤い。


 もしかして……


 香苗の顔にも徐々に熱が集まってくる。蓮司と繋いだ手が妙に恥ずかしい。香苗は黙って歩きながら、心の奥に隠した箱の鍵が、1つずつ外されていくのを感じた。


 どうして今まで蓮司との登下校を続けてきたのか?


 どうして今日、お気に入りのワンピースを着てきたのか?


 それはやっぱり……


 香苗の気持ちが追いつくより先に蓮司は迷いなく観覧車に向かって歩いていく。


 断る理由なんて何もない。香苗は蓮司の手をしっかりと握って観覧車へと向かった。

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