君に傘を借りまして

清水あお(シミシミ)

雨宿り

 横殴りの雨の中、僕と彼女の二人しかいないバス停にバスが止まった。

「傘、持って行きなよ」

「そんな……それじゃコウタが濡れるよ」

「大丈夫。俺の分は鞄にあるから、大丈夫」

 手で背中の鞄を指して僕は見え見えの嘘を吐いた。

 僕が体調を崩すよりも彼女が心配だった。

「じゃぁ、」と手が触れた。いや、彼女が触れてきた。

「全部終わったら――――」

 そこでいつもこの夢は終わる。


 目覚まし時計が。軽快な音で『あ・さ・で・す・よー』と僕の耳に叫んでくる。

「んっ、んーー」

 鼻から息を吐き出す。

 朝かぁー。

 脳裏にこびりついていた光景を振り返る。

 最近、同じ夢を見る。

 そして、いつも同じところで覚める。

 高校生だった頃の友達――ヒナミとのやり取り。ヒナミとは何時知り合ったのかわからない。いつの間にか友達になっていた。そんな友人だった。

 もうあれから何年経ったんだろう、と僕は窓の外の桜を見遣った。別段、この春の季節にそれがあったわけではない。ただ、彼女が桜みたいに消えてしまいそうなくらいに儚く、綺麗だっただけだ。



 あの日は――高校三年の十二月。

 受験を間近に控えた模試。

 個人的に受けた模試だったから知り合いはいなかった。

 退屈な一日が余計退屈になると思っていたが、偶然にも隣の席がヒナミだった。

 科目の合間の時間にたわいもない話をした。ヒナミとは廊下ですれ違いざまに軽く挨拶する程度の関係だった。

 だから――まともに話をしたのは初めてだったかもしれない。

 なぁ、あそこの問題って――とか、あーやらかしたーとか、難しかったよな?といったことだ。

 特に何も無い。たわいのない話。高校生らしい話だ。

 ヒナミとは受験科目が同じだった。必然的に終わる時間も同じだった。

 帰り道の方向も同じだった。

 ただ違ったのはヒナミはバスで、俺は徒歩。

 バス停まで二人で歩いていた。

 バス停まで。

 すると――雨が降ってきた。

 突然の雨。予報とは違う雨。予想外の雨。

 思いのほか、雨はきつく降った。

 俺とヒナミは雨宿りして、しばらく話をした。

 そして――彼女に傘を貸した。

「おはよ」

「あ、……お、おはよ」

 目の前にヒナミがいたのだ。イヤホンして勉強をしていて、わからなかった。

 でも、――なんでわざわざ教室にやってきて挨拶?

 突然のことで僕は戸惑った。

「えっと……どうしたの?」

 音楽を止めて彼女を見る。

「ううん! 何もないよ。ただちょっとね」

 ニヒヒー、とあどけない様子でヒナミは笑った。

「あっ、傘ありがとうね! あの後、大丈夫だった?」

「大丈夫もなにも、もう一本あるって言ったじゃん」

 呆れたように頬を綻ばせながら、僕は見え見えの嘘を突き通す。

「そうだったね。風邪引いたらって心配しちゃった」

「さすがに受験が近いからな」

「そうだねー。コウタは将来な――」

 予鈴が鳴った。

 教室のざわめきが増した。

「あっ、次移動教室だった。また後で傘持ってくるね」

「別にいつでも――」

「じゃ、またねー」

 軽く手を挙げて颯爽と去って行った。

 その日、最後のホームルームも終わった。

 後は帰るだけ。

 イヤホンをして適当な音楽をかける。

 教室を出て一直線に昇降口へ向かう。

 少しかがんで、自分の靴箱を開けて靴を取り出す。

「かーえーろー」

 近くで声が聞こえた。横を向くとそこにはヒナミが両手を後ろに組んで立っていた。

「あ、うん……」

 靴を手に持ったまま中腰で固まった。

 また、呆気に取られてしまった。

 イヤホンがポロッと片耳から落ちてしまった。

「どうしたの?」

 先に言われてしまった。

「いや……何もないよ。ちょっとびっくりしただけさ」

「ふーん。そっ! じゃ、行こ!」

 ヒナミはクルッと向いて歩き出した。

 両手にはあの日貸した黒の折りたたみ傘が――。

 急いで靴を履いて追いかける。

「どうしたの?」

 今度は俺から聞く。

「傘返そうと思ってね」

「いつでもいいのに」

「返せる内に返さないとね」

 校門を出るとヒナミは右へ曲がった。

「あれ? 帰りってそっちだっけ?」

 右はバスも地下鉄もないただの住宅街。ヒナミも俺も帰り道とは異なる。

 遠回りとなる道だ。

「ううん。こっちから帰ろ」

「いいけど? 大丈夫?」

「私は大丈夫だよ。コウタこそ大丈夫?」

「予備校とか行ってないからね。特に予定なんてないよ」

「そう。ありがとう」

 ヒナミはニコッと笑った。しかし、その笑顔はいつも見ていた笑顔ではなく――。

 作り笑いに見えた。

「ゆっくり帰ろ」

 太陽が冬空を照らしていた。


 今思い返すと、ただただその時間を間延びさせるかのように――――学生らしく、受験生らしく、年頃の男の子と女の子が話すような内容でつないでいた。

 彼女から聞かれるまでは。


「コウタって卒業したらどうするの?」

「ん? 普通に大学に行くつもりだけど」

「今どき大学進学だよね~」

「まぁ、今の時代大学行くのが普通だよなー」

「それじゃ、コウタは将来何したいとかある?」

「作家になりたいかな。でも、怖いから大学には行くつもり」

 誰にも言ったことなかった話をした。

「それじゃ、本とか書いてるの?」

「まぁ、多少なりとも……」

「すごっ!!」

 そんなに反応されると恥ずかしくなる。

 今度はヒナミに聞き返した。

「ヒナミは?」

「ん? 医者かなー」

 ちゅうをかいた返事だった。

「医者ってすごいな。じゃ、志望校は医大?」

「そんなとこ」

「やっぱり、賢いな」

「そんなことないよー。私なんて勉強してるだけだし。それに……」

「それに?」

「なんでもないよ。それよりも私に話をそらさないの! コウタが書いた小説の話聞かせて!」

「えぇー……」

 自己満足で書いた話を少しずつした。初めて人に話した。引かれないか怖かったが、ヒナミは目を輝かせ興味津々に聞いてくれた。


「すごい! 前々から思っていたけどコウタって賢いね」

「そんなことないよ。ヒナミの方が賢いって良く聞くよ」

「それとこれとは違うでしょ! 大学決まったら読ませてよ」

「まぁ、良いけどさー」

 押し負けたのだった。

「そういえば、大学どこにするか聞いてないや。どこ?」

「今のところはここの国立大学かな? 地方だとお金かかるし」

「……やっぱり、コウタって賢いじゃない」

 ヒナミはわざとらしく膨れた顔を見せた。

「そんな……ヒナミの方が上のクラスにいるじゃないか。それにずっと俺はD判定さ」

「でも、まだ時間あるからこれから伸びるよ!」

「信じて頑張るしかないかー」

 ため息が出た。


「ヒナミは将来医者になるのかー。凄いな」

 素直にそう思った。

「医者かな……」

 ヒナミはそれまで合っていた目を逸らした。

「そう、ね。今のところは」

「行けそう?」

「普通に行けちゃいそう」

 ヒナミは目を伏した。

「やっぱ、賢いじゃん」

「ううん……」

 それからしばらく沈黙がやってきた。


 風が吹いた。

 冬の寒さを一層実感する。

 いつの間にか太陽は雲で覆われていた。

「……あ、雨」

 ヒナミは片手で水をすくうように、天に向けた。

 俺はヒナミと同じように見上げた。

 顔に一滴落ちてきた。

「え、うわ、ほんとだ。今日降らないはずなのにな」

 雨が降ってきた。

 雨はあっという間に強く、速く、空から落ちてきた。

 あの日みたく、きつい雨になった。

 少し離れた所にあった屋根付きのパン屋まで駆け足で。

 二人で雨宿りをした。

「また、雨降ってきちゃったね」

 どこかそらを見据えて誰に対して言うのでもなく、ヒナミは言った。

 俺は――彼女の横顔を見る。

 滴る髪が――鼓動を早めた。

「雨止むかなー」

「天気予報じゃ晴れだったからすぐに止むと思うよ」

「そう、ね」

 彼女は目を伏した。

「コウタはすごいね」

「え?」

「ひたむきに頑張ってるよね」

「そんなのヒナミだって、すごいじゃないか。医学部志願で志望大学も安全圏だって」

「ううん。私は全然。親に言われて仕方なくしてる感じ」

「今まで親に決められた道を進んできたの」

 諦めたように目を細めた。

「医者になって多くの人を助けなさいってね」

 ヒナミは白い息を吐いた。

「それに比べて、コウタはひたむきに頑張っているじゃない。自分が成りたいものに突き進んでるじゃないの」

 ヒナミは雨空を見上げる。

「私ね、本当は役者さんになりたかったの。でも、それを言ったらそんなものは何にもならないって否定されちゃった」

 ヒナミは冗談ぽっく笑った。

 しかし、その目には――――――


「役者さんになってね。いろんな役を演じて、いろんな人に届けたいの。それでの、少しでも元気になって欲しいの。昔の私がそうだったように――」

 ヒナミは続けて言う。

「昔ね。私身体が弱くて良く入院したの。今はこうして元気に過ごせているのだけれど。病気になりがちな私が――病院に来た演劇団の人らの演技を見て勇気をもらったの」

 雨が止むこと無く降りしきる。冬の雨は思ったよりも冷たい。

「だから――、私もみんなに届けたかったの――」

 声をかすれさせながら請う。

「でも、その夢も、もう……ね」


「ヒナミは」

 俺は声に出す。

「ヒナミは絶対になれるよ」

 ヒナミはゆっくりと俺を見た。

「向いてると思うよ。医者なんかより役者の方が絶対に向いてると思うよ」

 俺は息を吸い込んだ。

「だから、夢を追うべきだ」

 言葉を必死に探す。

「それに、ヒナミが応援してくれるから俺は頑張れたんだよ。何気ない朝の挨拶とか励ましのおかげで今まで頑張ってこれたんだ」

 何度、彼女の笑顔に助けられたことか。

「それに――ヒナミには笑っていて欲しい」


 太陽が雲の合間から射した。

 空を照らし、雨を照らし、彼女を照らした。

 彼女は大空おおぞらの元へ一歩踏み出し、そして――あの日の傘を開けながら――振り返った。

 光が綺麗に舞う。

「ありがとう」

 彼女は愛らしく笑った。

「じゃぁ、一つ約束。コウタには――」

 その笑顔。俺は彼女のその笑顔に心底――――。

「本を書いてもらいます」

 彼女は僕にそう告げた。僕のこの先の人生が決まった瞬間だった。



 あれから6年。変わるには十分すぎる時間か。

 6年前の昔に想いを馳せながら。

 朝の準備をする。

 今日は大事な用事がある。待ち合わせだ。

 電車を乗り継ぎ、待ち合わせ場所のハチ公前へ向かった。

 桜が舞って人の間に落ちていく。

 腕時計を見る。待ち合わせ時間の5分前。

 目を上げた。人混みの中、周りをキョロキョロする女性がいる。彼女が僕の待ち人だ。ほんの意地悪なつもりで黙って、その女性を眺めていた。

「あっ!」

 声が聞こえそうなくらいの反応が見て取れた。

 その女性は俺に気づき手を振る。

 僕は軽く手を挙げて答える。


「遅いよ!」

「まだ待ち合わせ時間にはなってないけど」

 ほれっと携帯画面を見せる。

「5分前」

「むむっ」

 彼女はしかめっ面を作った。

 それを見て笑った。

 なによ!っと頬を膨れる。それもまた可愛かった。

「あっ、そろそろ映画始まっちゃうよ! 行こうよ!」

 映画館を指して言った。

「そうだね」

 彼女はニコッと太陽みたいな笑顔を見せた。

「早く、早く!」

 彼女は俺の腕を引く。

 壁に掛かったポスターが目に入る。

 

 今から二人で見る映画だ。

 思わず笑みがこぼれた。



 君に傘を借りまして

 主演 山本日向実やまもとひなみ

 原作 森川孝太もりかわこうた


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君に傘を借りまして 清水あお(シミシミ) @simisimi411

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