藍子の才

「お母さん、私も描きたい」

「じゃあ、他の作家さんの邪魔にならないよう、静かにね」

「うん!」


 藍子は元気よく頷き、トトトと小走りに、部屋の真ん中あたりで作業している、女性の作家のところへと駆け寄った。


 彼女は、千都子ちづこという。母より年上だが、友禅の世界では同じくらいの経験年数。いつだったか、千都子のことを、母は嬉しそうに「彼女はライバルよ」と説明していた。


「あまり反物や青花を無駄にするんじゃないよ」


 いつも仏頂面の千都子は、相変わらず険しい表情で釘を刺してくる。だけど、藍子が寄ってくるのを待ち構えていたかのように、サッと反物の切れ端を渡してきた。


「ありがとう、千都子さん」


 藍子は、自分専用に用意された小さな机の上に、反物の切れ端を置き、青花の染料を脇に置いて、さっそく下絵の作業に取りかかった。


 本来であれば図案があって、それを複写する形で下絵を描く。

 だが、藍子は、何もない状態から、筆を走らせ始めた。


 藍子は気が付いていない。自分が下絵描きを始めた瞬間、作家達が作業を止め、食い入るように観察し始めたことを。

 母だけが、歌を口ずさみながら、変わらずに下絵を描き続けている。


「まさか……あれは、あたしの作品……⁉」


 千都子が驚きの声を上げた。

 六歳の少女が、見る見るうちに、精緻な図柄を描き上げていく。それは、向かいの部屋に飾ってあった、千都子の作品と同じ絵。

 ほんの短い時間実物を見ただけで、何年も修行している自分の絵を、ここまで正確に真似できていることに、千都子は感動とともに、戦慄を覚えた。


「ねえ、お母さん」

「なあに、藍子?」


 他の作家達が手を止めて見守っている中、藍子と母だけが下絵を描き続け、会話を交わす。


「私も、お母さんみたいな、友禅作家さんになりたい」

「あら嬉しい。藍子ならきっとなれるわ」


 母はほほ笑みを向け、藍子も満面に笑みを浮かべた。


「こんにちはー」


 階下から、声が聞こえた。お客さんだ。


「藍子、きっと宮守さんだわ。こちらに案内して」

「はあい」


 母に頼まれて、藍子は階段を駆け下りた。

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