金沢友禅ラプソディ
逢巳花堂
序話 友禅の魔女
加賀友禅の世界
階段を上りきると、そこには異世界が広がっていた。
部屋の中を埋め尽くすように、振袖や留袖が飾られている。衣紋掛けに掛かっているそれらは、柔らかな地色の上に鮮やかな花々や紋様が踊る、ハッと息を呑むほどに優美な着物の数々。
「加賀友禅は飾ってよし、着てよし」
祖父の言葉を、六歳の
百万石の都、金沢が誇る伝統産業「加賀友禅」。
その技法によって生み出された作品群。
数々の着物に描かれている、四季折々の自然を表現した色彩豊かな図柄は、加賀友禅のことをよくわかっていない藍子でも、時間が経つのを忘れて見入ってしまうほどに、繊細でありながらも優雅な美しさがあった。
こちらの振袖へ目をやれば、黄の地色に薄紅色の桜が満開に咲いており、あちらの留袖へと目を向ければ、黒い空間に白雪が舞い飛んでいる。この空間自体が、四季そのものであり、大自然を描いたギャラリーとなっている。
「お母さん、お母さん」
母のことを呼びながら、隣の部屋に飛びこんだ。
そこは作業部屋になっている。何人もの絵師さんが、ガラス机や彩色机の上に反物を広げて、下絵や彩色を行っている。
母は、一番奥で、下絵を描いている。
窓からは浅野川が見える。陽光を反射しながら、ゆったりと流れる水面を背景に、長い黒髪を時折かき分けながら、母は反物に筆を走らせる。
図案をもとに、下絵が出来上がっていく。
母の反物に描かれているのは、不思議な世界。
翼の生えた天女が宙を飛んでいる。着物の裾にあたる箇所には、木製の橋がかかる、川の流れが描かれている。
草木や花を描いている他の絵師と比べて、母が異質な絵を展開していることは、幼い藍子の目でもよく理解できた。
「お母さん、何を描いてるの?」
藍子の問いかけに、母は、ゆっくりと顔を上げた。
「『化鳥』よ」
「けちょー?」
「明治大正の文豪、泉鏡花の小説。お母さんの後ろを流れている、浅野川を舞台にした、とても綺麗なお話。人間の滑稽さ、美しさ、母子の愛。私の大好きな物語」
「ふうん……?」
母の話は、いつも難しい。藍子は首をかしげて、目を瞬かせた。
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