第5話 お月様が追っかけてくるよ

翔也の部屋をピャッと飛び出したみたらしは、長い廊下をらせん階段目がけて一直線。

追いかける雪之丞は、牙をむき出し鬼の形相で御座います。

途中、シアタールームを通り過ぎて、長女りりの部屋から零れる明かりも気にせず、らせん階段知らん顔。

突き当りには、匠がこだわりを見せた、かけ流し風の石張り浴槽をあしらえた浴室がありまして、隣の部屋は客室なんて洒落た造りになっております。

猫も急には止まれない。

浴室扉をポンと蹴っ飛ばしたみたらしは、狩の態勢を整えたばかりの雪之丞へと体当たり。

むんずほぐれつコロコロと、長い廊下を転がる転がる。

家政婦さんの掃除の賜物なんでしょうが、つるつる廊下は止まらないのであります。 

その姿はまるでボーリング。

すると、りりがヒョイと顔を出して眼光鋭く言い放ちました。


「うるさい!勉強の邪魔!」


半開きのドアにぶつかったボーリングのねこ玉は、勢い余ってらせん階段をぽんぽんと弾け飛んで、知恵の輪の如くやっとこさ解けたのでありました。

一瞬我を忘れたみたらしは、三角お目目の雪之丞の顔を見るなりまた逃げる。

逃げるとなったら追いかけるしかない雪之丞。

ここまでくると、理由なんてのはもはやどうでも良い訳でありまして。

野生の本能むき出しで御座います。

間仕切りのない開放的なリビング、和室、ダイニング。

匠の精神が所々に行き届いた、粋な計らい。

家族がひとつでいられる空間を、壁という名の抑圧されたシールドで抑制する愚かな超現代建築。

匠の真骨頂、おとなの遊び心は、そんな世知辛い世の中と真っ向勝負する技法で、半年をかけた改築で表現されたのでした。

すると、まあ、なんてことでしょう。

名も知らぬ匠の精神を、みたらしと雪之丞は、ひっちゃかめっちゃかに愚弄しているではありませんか。

春になると桜が見渡せる、大きな窓のリビングルーム。

ノルウェー直輸入のカウチソファーのクッションは、爪とぎよろしくズタボロであります。

ふと、みたらし。

肉球でもって、キキィーと急ブレーキ。

見上げると、天井で回転するファンシーリングに、クッションから飛び出た羽毛がハラリヒラリの大喝采。

天女さながら舞い踊る。

ここは地獄か天国か。


「わるいねこめ、ひげを引っこ抜いてやろうか」


閻魔化け猫雪之丞、背後でにんまりしたり顔。

おっかなびっくりのみたらしは、ギャッとわめいて再び逃げる。

リビングの12人掛けの大テーブルの下、2匹は椅子の柱を縦横無尽にスラロームして、奥の茶室に転がり込みます。

畳のへりもなんのその、江戸長火鉢に大ジャンプ。

これぞホントの。


結構毛だらけ猫灰だらけ。


大きなガラス窓と雪見障子の先。

灯篭のある小庭の池、云百万円で落札された錦鯉が、ゆらりゆらりと遊戯しながら演舞する。

しかし2匹は、そんな誘惑には目もくれず、垣根にあしらえた猫扉をくぐり抜けたのでありました。

ぼんやりお月様もあきれ顔であります。


柳ねこ町3丁目は、戦後の区画整理をくぐり抜け、昔とおんなじ脇道や小道、街道でもって造られた古い町で御座います。

町域沿いの街路樹の柳は、初代町長・一片舎吉十郎の発案で植樹されたもので、それがあいまって柳ねこ町と命名された区域は、野良猫天国として君臨し続けるのでありました。

目抜き通りの4車線。かつぶしロードを走り抜けるみたらしと雪之丞。

またたび銀座アーケードへと差し掛かります。

昭和の中頃、東京は路面電車の街で御座いました。

この古めかしい造りのアーケードも、チンチン電車の軌道の名残りだというから驚きです。

呉服屋に茶屋に精肉鮮魚、なんでも揃う商店街もこの時間とあっては何処もシャッターが下りている。

当たり前なんですが、そこを2匹の猫がピシャアーっと走り抜けていく様は、F1モナコグランプリさながら迫力満点じゃありませんか。

大豆の良い匂いが立ち昇る豆腐屋の角を過ぎると、間もなく猫目川に差し掛かります。

川沿いの小道を2匹はひた走る。

もう、なんで逃げているのか、どうして追いかけているのかも忘れてしまっております。

その証拠にみたらしは、チラチラ顔をあげながら笑っておりました。

ぼんやりお月様が、ずーっと後を追いかけて来るんです。

愉快痛快嬉々華華。

それに気が付いた雪之丞も、追いかけてくるお月様を見ながらキャッキャッと猫っ跳び。

怒りなんてすっ飛んでおりました。

イヤなものは、きれいさっぱり忘れてしまえ。

猫の猫たる所以で御座いましょう。



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