耳恋慕

くにえミリセ

第1話

「今、手首を切ろうとしている人、死ぬのは、明日でもいいじゃん…。明日になったら、そのまた明日でもいいじゃん。」


SNSの広告で見つけたラジオの投稿アプリから高めで軽やかな声が聞こえた。


誰でも気軽にラジオのパーソナリティになり、それを投稿したり、聴いたりするアプリだ。


ほんと何でも出来る世の中になったもんだ。


あたしはそれの「聴き専」だ。

そしてあいつがパーソナリティを務めるラジオ『しょうたろう』を毎日聴いてから寝るのが最近の習慣になっていた。


あいつというのは、幼馴染の翔太郎のこと。整った顔立ちをしてる。あたしとは同い年。幼稚園からずっとマブダチだ。


5歳から23年間もそばにいるあいつのことをあたしはすごく信頼してるし、尊敬してる。


世の中の自殺志願者に、はたしてどんな言葉をかけたなら、その先に行ってしまうのを引き留めることができるだろう。

いくら考えても、おざなりで、そこいらで聞いたことのあるような言葉しか思い浮かばない。


だけど、エバーミングの仕事をしてるあいつが言うと不思議に深く重く聞こえる。

「明日でもいいじゃん、今じゃなくいい。」って。


翔太郎がエバーミンクを志したのはいつのことだろう。医師だったあいつのお父さんが事故で痛々しく亡くなった大学の頃か。


「故人を寝てるみたいに送ることができたなら、それは遺族にとってこれからの支えになる。」と言ってあいつは、医大を中退してエバーミングの認定資格が取れる専門学校に入った。


ご遺体を消毒殺菌、防腐、化粧、そして生前の姿に近づける。


そんな仕事をする翔太郎に心から敬意を表する。



++++++++++



「もしもし?翔太郎?明日のママの誕生日、

あのお店でケーキ買うの、忘れないでね。」


「分かってるよ。おばさん、今年はローソク50本かぁ…。」


こんな静かな夜に電話をしたら、翔太郎のスマホの着信音が聞こえてきそうだ。真向かいにある翔太郎の家は、門かぶりの松がある。


翔太郎の部屋はあたしの部屋から灯りが確認できる。オレンジ色のカーテンはもう何年も前から変わっていない。

カーテン越しに暖色の灯りを見ながら眠りに落ちた。



++++++++++



うちのママは、翔太郎を小さい時からかわいがっていた。


ママはあたしが8歳の時に最愛のパートナー、つまりあたしのパパを亡くした。


亡くした…というか消えた。


ママはパパがもうこの世にいないことを信じちゃいない。海釣りに行ったまま帰ってこなくて行方不明。いくら警察や親戚にもう諦めろと言われても、いまだにどっかにいるって言い張っている。遺体をみていないから死んだなんて思えないと言うんだ。

そんなママはもう50歳になった。


あたしだって、結婚適齢期なんて世間がいう年齢をまあまあ過ぎてる。


「翔ちゃん、うちの舞香、もらってくんない?」


翔太郎が買ってきた、行列が出来るケーキを食べる前に、酔っ払ったママが唐突に言った。


けど、あたしも翔太郎も慌てるでもなく、顔を赤く染めるでもなく、「はい、はい、」と沈着冷静に酔ったママをふたりでかかえ、ソファーに座らせた。


あたしも翔太郎自身はもちろんのこと、

もう随分前から分かっているんだ。


翔太郎の心は女性なんだと。



++++++++++



いつも翔太郎のラジオが始まる23時に間に合うように歯磨きを終え、神さまにあいさつをしてから布団に入って待機をする。

今夜も同じようにしてあかりを消す…つもりだったが、今日に限っては、

1時間も前からそれをした。


時々やってくる偏頭痛で今日は早く布団にもぐったのだ。だからといってすぐに深い眠りにつけるわけもない。なんとなく違うパーソナリティさんの投稿ラジオをでも聞いてみようと思った。


『観覧車』というネームに目がいった。タップをすると優しく、低い、ゆっくりとしたテンポの声だった。ただ名作と呼ばれる本の朗読をしているだけのラジオ。


どこか懐かしさを覚えた。


頭痛が和らいでいった。ふんわりとした感じ。この人の声、何故か落ち着く。気がつくと毎日、『観覧車』を聞いていた。

おかげであたしは、22時の『観覧車』の朗読ラジオを聴くために布団で待機の規則正しい生活をする良い子になっていた。


『観覧車』のふんわり甘く優しい、この声の人ってどんな人だろう。いつしかそんなことを考えるようになり、遂には、妄想をし始めた。



“図書館。

棚の上にある本に、つま先を立てて手を伸ばすあたし。横から背の高い『観覧車』さんが「どうぞ」と言って取ってくれる。

うつむいて照れながら、あ、ありがとうございます…。と、あたし。

そっと顔を上げると爽やかなイケメン。

柔軟剤のサイダーみたいな香りが風と一緒にふわーっとあたしの髪の毛を揺らした…”



……みたいな。なんてベタな妄想なんだろう。でもついニタニタしてしまう。


あぁ、この気持ち何?

声に恋した?声だけで?

完全に惚れてしまったようだ。


翔太郎に話してみると

「会ってみたら?」

翔太郎が呑気に言った。


「どうやって?」


「『観覧車』のコメント欄に何か書いて送信してみたら?」

呑気な翔太郎の言葉に触発され、あたしは、震える指先でコメントした。


《こんにちは。いつも聴いてます。

あなたの声、ステキです。とても癒されます………

以下、超長いので割愛。》


はじめてのコメントで長い長い文章を送信してしまった。

観覧車さんの返信は、思ったよりもすぐにきた。


観覧車さんは、あたしのことを

「美しい文を書く人」と言ってくれた。

こうやってコメントと秘密のDMを何回も繰り返した。


そしてとうとうほんとに会うことになった。



+++++ +++++



あたしが顔の知らない観覧車さんとコメントやら、DMやらを繰り返し、ふわふわ浮かれているある雨の夜。近所で交通事故が起きた。


急ブレーキのかん高い音の後、数分後に救急車のサイレンが近づき、ざわざわと遠ざかっていった。


後で聞いた話だけど、その事故で亡くなった方のエバーミングをしたのは翔太郎だった。

亡くなった方の真っ赤な血に染まる身体を、綺麗に拭いた時、翔太郎は、自分自身のことを考えたと言った。


「僕は何で、男性を纏っているのか?

何で神様は、僕に着せる服を間違えたの?

何で女性の身体を僕の心に纏わせてくれなかったの?」


「身は焼いてしまえばなくなる。

身は服なんだ。人間は生まれた時、男性か女性かどちらかの服を着て人生を過ごす。

僕は間違えた服を着てこの世に出て来てしまった。」


そう言った後、視点が定まらない様子で、上を向いた。翔太郎は目に溜まった涙を落とさないようにしばらくそのままでいた。


あたしは、その涙を親指で拭い、抱きしめた。

翔太郎のがっちりとした体格は

胸があたるポワポワとした感触はない。

でも、あたしは心底、ハグをしている相手を

「女友達」として感じていた。



+++++ +++++



「舞香!まーいーか!」

ショッピングモールのコスメコーナー。流行色の口紅を選んでる時、誰が後ろからあたしの名を呼んだ。


「僕が選んであげようか?」

翔太郎だった。


そういえば、あたしは普段から化粧なんてろくにしない。仕事も事務職だし、あんまりおしゃれとか気にしない。あたしなんかより、翔太郎の方がコスメに詳しいかも。と思った。


「あ、サンキュ。そりゃそうだね。仕事柄、翔太郎の方が詳しいよね。」


「観覧車さんに会うためだろ?化粧品を選んでるなんてさ。」


見透かされていた。するどいな。やっぱ翔太郎は、繊細だ。


それからなんやかんや口紅以外の物も買ってしまった。翔太郎のやつ、セールスもうまい。


きれいな顔立ちの翔太郎と地味なあたし。

ふたりでショッピングモール内を歩いていた時、翔太郎が足を止めた。


「ん?どうした?」

あたしが翔太郎の顔を覗くと、その視線の先には、白黒のボーダーで長袖のシャツを着た青年が彼女らしき女性と笑顔で会話をしてた。


「いや、なんでもない。」

とうつむき加減に視線を逸らした翔太郎は、

それからの帰り道、無口だった。


それぞれの家へと別れる時、


「今度は、あたしが翔太郎の恋、

応援する!……じゃ!」


あたしはそれだけ言って右手を上げた。



++++++++++



応援する!なんてつい口走ってしまったけど、白黒ボーダー君には、彼女らしき人がいるのに、どうすりゃいいんだろう。

もしも、あの女性が彼女じゃなかったとしても、ボーダー君は、翔太郎の告白をすんなり受け入れてはくれないだろう。

でも、好きな人に「好き」と言うことが出来たなら、それだけであいつは、少しでも前に進めるんじゃないかな。


いや、やっぱ、これは大きなお世話かな。


オレンジ色のカーテンの、翔太郎の部屋に灯りがついた。


ラインで翔太郎の心を探ってみた。

「あたしに何か出来ることない?」


答えは

「大丈夫!気にすんな。」


こうなることは容易に予測できたはずなのに、あたしは、バカだな…。



++++++++++



世間では、未知のウィルスが蔓延して、行き交う人々が皆、マスクをしている。

こんなご時世でも、陽は昇り、小鳥が歌い、花が咲き、季節が移りゆく。

マスクはおしゃれの一部になって、リモート飲み会だのなんだのって、楽しもうとする人間たち。


世間が変わっても、そうでなくても、翔太郎みたいに悩み迷う人達が、なんら変わることがあるだろうか。


そんな中、あたしの恋も会う約束が「リモート」になった。リモートといってもラインのビデオ通話。


ドキドキのその日は、ママが出張でいないから、居間の中で一番、背景が映える場所を選んですることにした。


あたしのことをはじめて見て、観覧車さんは、なんて思うかな。嫌われないかな、などと考えてるうち、約束の時間が迫ってくる。休日のこの日、16時ピッタリに着信音が鳴るんだ。鳴るって分かっているのに、こんなに心臓がバクバクしてる。

心の中でカウントダウンをした。


そして…16時。


「こんにちは。舞香さん。」

あの優しい声が、スマホから聞こえた。


ん?だけど、画面に顔がない。バグっているようだった。仕方ないから、しばらく声と声でやり取りをした。


「は、は、はじめまして。」


緊張しているのは、あたしだけだった。

観覧車さんは、落ち着き払った感じで


「さて、何を話しましょうか?

本の話でもしま……」


っとその時だった。出張に行ってたはずのママが帰ってきた。


「えっ?ママ?なんで…」

とあたしが言うのが早いか否か、あたしの言葉を遮るようにママは、


「あぁ、あぁ…この声…」

と言い、持ってた鞄をその場にドスンと落とした。


「浩二さ…ん…。」


「はっ?えっ?何?

何でパパの名前を?」


空白の数秒後、バグってた画面が正常に戻り、観覧車さんが映った。


《えっ?お、おっさん?ハゲじゃん…。》


妄想とのギャップの激しさにあたしが固まっているその横でママは、


……泣いている。


「浩二さん!

やっぱり生きてた。ずっと待ってた。

愛してる。今も…」


ママはパパに二度目の恋をした。

16時5分。



++++++++++



いくら年齢を重ねても、容姿が変わって(ハゲになろうと)も、ママがパパを思う気持ちに変わりはなかった。夫婦愛の極みだ。


あたしなんかパパがいなくなってからの20年、パパの顔は、脳の引き出しの奥にあって面影も、温もりも薄くなってた。


でも、声は……懐かしさを感じた訳が今、分かった。



++++++++++



パパは20年前、荒波にさらわれた時、記憶喪失になってたんだけど、今、記憶を徐々に取り戻している。


そして今、一緒に暮らしている。


あ、翔太郎とボーダー君の恋…はというと、


あたしの勘違いだった。ボーダー君と笑い合ってた彼女らしき女性は、翔太郎の「いとこ」だった。


つまり、あの時、翔太郎が見ていたのは、ボーダー君ではなく、いとこだったのだ。いとこの今までの男ぐせの悪さを知っていて、心配していたらしい。そういう、かっこいいやつなんだ。翔太郎ってやつは。


現在の翔太郎は、「僕は、男性が好きなんだ」と、公言してる。すごい。ちゃんと前へ進んでいる。やっぱり成長の源はエバーミングという仕事なのかな。


やっぱり、あいつはあたしが尊敬し、信頼する唯一のマブダチ。


そういえば、


『観覧車』さんが何故、投稿ラジオのパーソナリティーネームを『観覧車』としたか、


それは、パパがママにプロポーズしたのが

観覧車の中だったんだってさ。

その記憶だけはふんわりパパの頭に残っていて、自分の帰る場所として認識していたという。


ママとパパの恋が今、再び始まった……。


ふたりが庭に並んで花を見てる。

虫たちが舞ってる。


あたしはそれを遠目に、自分に出来る最高の声で囁いてみた。


「みんな大好きだよ。」


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耳恋慕 くにえミリセ @kunie_mirise_26

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