Draw‼︎

生崎 鈍

Draw‼︎

 誕生日とは特別な日だ。


 その人が産れて、初めて世界に声を上げる日。

 

 誰にとっても特別で、だからその日に限っては、誰からだろうと頼み事をされてしまうと、まぁ誕生日なら仕方ないか。と安易に引き受けてしまう。



「あたしを描いてよ」



 だから彼女の頼みも、誕生日である今日ばかりは聞くことにした。


 絵の具の匂いの詰まった高校の美術部の部室、白いキャンバスの前に座り、キャンバスの先に座る彼女を見る。


『あたしを描け』などと言いながら、モデルである自覚があるのかないのか。彼女は窓の外を眺めながら椅子の上で足をぶらぶら揺らし、忙しないことこの上ない。


「ほら、動くな」と子供の散髪をする母親のようにせっつけば、「動いても問題ないでしょ?」と、笑う彼女に部室の入り口に置かれた棚を指差される。


 僕が県の絵画コンクールで、人物画を描き最優秀賞を勝ち取った時の賞状。描いたのは水彩画での自画像だったのだが、彼女は分かって言っているのか。動いていても想像で補えるだろう? と言うような、大胆不敵な文句を受けて、「美人に描いて欲しいのなら動くなよ」と念を押す。


 パレットに乗った透明水彩絵具ウォーターカラーを溶かしながら、なぜ引き受けてしまったのだ、と絵の具に後悔を混ぜ込んだところでもう遅い。


 彼女とは幼稚園の入園式で隣になってからの付き合いであるが、誕生日などと関係なく、高校生になった今に至るまで、強引に連れ回されてばかりいる。


 釣りに行こうと釣竿片手に、釣り針を引っ掛けれたかのように川まで引き摺られ、山に行こうと虫網片手に、網を引っ掛けられたかのように山奥まで引き摺られた。


 野球しようぜ、サッカーしようぜ、UFO呼ぼうぜ、と節操なしに。僕をキャンバスの前から引き摺って行く。


 僕は絵を描きたいのに気にもせずに。


 生きた人間をそのまま写し取ったかのような人物画を描くこと、小さな頃からそれが夢。だというのに彼女のおかげでそんな夢から遠退いてばかりだ。キャンバスに筆を走らせる時間をくれやしない。


 そんな彼女の方からわざわざ自分の絵を描いてくれなどと言うのは初めてのことで、誕生日だからなのか、ただそういう気分に彼女がなっただけなのか、それは僕には分からない。


 少なくとも美人に描いては欲しいらしく、動きを止めた彼女を見つめながら、溶かし混ぜ終えた肌色を筆ですくい上げ、目前に広がる白い大地の上に落としたところで、瞳を移した彼女と目が合った。



「あんたの絵、上手くなったよね」

「そう思うかい?」

「うん、だって幼稚園の頃初めてあたしを描いてくれた時と比べてさ」

「それは言うなよ……」



 嫌な事を思い出させてくれる。


 含み笑う彼女の横顔は、僕が初めて筆を手に取ったあの時と同じ笑み。


 幼稚園生に芸術性を求めるというのは酷な話で、自分ではよくできたと思っていた絵に、「絵じゃないじゃん」と吐き捨てた彼女の言葉をこれまで忘れた事は一度もない。


 お互いを描けなんていう幼稚園での絵の時間を終えたあの日から、なんとか見返してやろうと人物画をやたらめったら描きまくり、それが面白くなってのめり込んだ。


 ただ見てそれを写すだけではない。


 その時々の感情を、世界の色彩を、絵の具に混ぜ込み目で見えるように形とする。


 僕の中だけにある僕の形。


 その形ないものを形にできる快感が、僕の筆を走らせる力の源だ。


 だと言うのに上手くなったなどと、僕の始まりは彼女なのに人の気も知らず、その言いようもない想いを赤色に混ぜてキャンバスに落とす。



「で? 僕の腕が上がったから描いて欲しくなったのかい?」

「それもあるけどさ、あんた他の子の絵はよく描いてるじゃん。学校の生徒ほぼ全員。でもあたしの絵はまだでしょ? なんか癪じゃない。一番付き合い長いのに」

「一番付き合い長いからさ」

「なによそれ、描くまでもないってこと?」



 頬を小さく膨らませる彼女に笑みを返し、黄色と緑色を塗り重ねる。


 僕の手を引き連れ回す彼女の顔、何度も何度も違う景色の中、幼い顔も、成長した今の顔も、別に直接見なくても、目をつむれば鮮明に思い描くことができる。


 「動いても問題ないでしょ?」と彼女の言う通り、別に見なくても彼女の姿は鮮鋭に描けるだろう。


 笑った顔も、怒った顔も、隠れて浮かべる泣いた顔も、どんな顔でも関係なく。


 誰より彼女の側にいた僕だから、睫毛まつげの長さも、唇の色も、耳の形も、指の細さも、歩く時に手で制服のスカートを撫ぜる癖も、座ってる時足を揺らすのは、今を楽しんでる証拠だという事も知っている。



 だからこそ。



「そんなに描いて欲しかったなら、なんでいつも僕の邪魔をするかね」

「だってあんた、一度筆を手に取るとずっと絵しか描かないじゃないの。食事も寝るのもほっぽり出して、不健康不健康、まだ若いんだから遊ばなきゃ」

「僕にとってはこれが遊びで人生なのさ。いつまで描いても飽きないよ」

「なにをそんなに描くことあるのよ。描きたいものでもあるの? いつも違う子の絵ばっかり描いてるけどさ」

「ほっとけ」



 そう言って腕を組む彼女を目に、青い色を強く混ぜ合わせた。


 勿論ある。と、いうよりそれが描きたいが為に無数の人々の絵を描いていると言ってもいい。


 絵とは刹那を、目にした瞬間を想像を混ぜて削り出すもの。


今見る景色も、一秒後には既に異なる。ただ刹那を切り取るのなら、それこそ絵でなく写真でいい。カメラ片手に練り歩き、刹那をただ切り取れば。


 ただ僕は、その瞬間だけを削り出したい訳ではない。刻まれる一秒一秒を重ねるように、誕生から終わりまで、永遠をキャンバスという小さな世界に詰め込むように、全てを一枚の絵に閉じ込めたい。


 それが僕が描きたいもの。


 それが全て。


 人生の一生を僕の見たまま削り出したい。


 その為には、いくら時間があっても足りないのだ。描いても描いても終わらない。僕が唯一描けない人物画。それが今まさに目の前に座っている。



 誕生日だから。



 彼女が世界に産声を上げた、ただ一度切りの瞬間だから。



 描けないと分かっていながらも、一日たった二十四時間しかない時間の中で、絵を描いてと、その時間を僕にくれる彼女の頼みを断ることなどできはしない。


 不思議そうに首を傾げる彼女を見つめ、無理難題を紐解くように、混沌とした青色を静かにキャンバスの上に零す。



「それよりいいのか? 折角の誕生日なのにこんなところにいてさ。いつもならすぐにどこか飛んでく癖に。友達から誘われたりしてるんだろ?」

「うん、でもまあ誕生日プレゼントは貰ったし、だからあんたからも欲しいなってね」

「それで描いてなんて言ったのか。いいのかそんなのが誕生日プレゼントで」

「もっといいものでも用意してあるの? そうは見えないけど」

「よく分かったな、見たままさ」



 絵の具とキャンバスと一人の絵描き。


 彼女の前にあるのはそれだけ。


 付き合いの長い彼女への誕生日プレゼント、用意しようかと僕も少しばかり考えはしたものの、残念ながら日夜絵しか描いていない僕では、気の利いたものなど思い付かなかった。


 そういう意味では、彼女の頼みは渡りに船だ。絵しか描いていない僕だから、絵だけなら贈ることができる。プレゼントを紐で包むように、桜色の線を引き、紫色の線と結ぶ。



「そんな訳だから、どんな絵でも文句は言って欲しくないんだけどさ」

「あんたの絵が上手いのはもう知ってるし、別にそんな心配はしてないけどね、ただ太めに描いたりしてなければだけど」

「……もうちょっと細くしとこう」

「ちょっと」



 睨んでくる彼女を目にして、慌てて明るい色を足す。何度も何度も塗り重ね、彼女の輝きを表すかのように鮮烈に。


 口を引き結んだ彼女を見つめ、ただ丁寧に、鋭く、僕の心を重ねるように筆先を置く。


 僕と彼女しかいない部室の中で、掛け時計の秒針の走る音に合わせて、一歩づつ歩くかのように、キャンバスを筆で踏み締めて。


 緩やかに時間が流れる中で、生まれる静寂の中走る筆の音。僕と彼女の息遣いさえ吸い込んだ筆が、ゆっくりと時間さえキャンバスに貼り付ける。


 彼女との時間、彼女を前に見つめ続けられる静かな時間。彼女に吐き出しそうになる感情を、ただ削り出せる長くも短い夢の時間。


 これこそ永遠に続けばいいと思いはするも、絵とはいずれ形になるもの。どれだけ時間をかけたとしても、必ず『完成』が待っている。


 描けない彼女。僕が唯一描けないもの。


 彼女の全てを閉じ込める。


 僕の全てを筆に乗せて。


 ほぅ、っと息を吐き出して、キャンバスに描き切ったものを今一度見つめ、迷うように数度、無意識に筆を叩いた持ち手の人差し指に目を落とし、筆とパレットをやっとこさ置く。



「できたの?」

「……できた」



 不安と期待。


 二つの感情を混ぜ合わせたような微笑を浮かべる彼女に向けて、返している僕の顔もきっと同じ表情だ。


 できは……多分悪くない。


 これが今の僕にできる精一杯。

 

 僕の中に浮かぶ全て。


 ただ、この一枚に詰まった全ては、彼女のほんのごく一部でしかない。永遠には程遠い一欠片、それが分かっているからこそ、ただ『できた』とだけ小さく返す。



「見てもいい?」

「ダメって言ったら?」

「見るけどね」



 即答する彼女の姿に抱く僅かな恐怖。「肩が凝った」と腕を天井に伸ばしてノビを一つ、椅子から立ち上がる彼女の動きがイヤにゆったりと目に映った。


 秒針の走る音が間延びして聞こえ、こつりっ、こつりっ、と床を蹴る彼女の足音が目の前から隣へと近付く度に心臓の鼓動が大きく跳ねる。


 数歩分しかない短な距離。


 ただそれは地球と月の距離程に遠く離れているように感じ、椅子に座ったままの僕を追い越し背に立つ彼女の方へと振り向くことがどうにもできない。


 大きく息を吸い込む音が背後から聞こえた。


 そのまま呼吸を止めた彼女の気配に、彼女の次の言葉を予測するが、怒ったのか、それとも呆れたのか、判断が付かない。


 じっとりと汗ばむ手を擦り合わせ、目の前のキャンバスを見つめ続ける。鼓膜を揺らす彼女の声は、怒ってはおらず、呆れてもおらず、失笑と共に吐き出された。



「絵じゃないじゃん」




『好き』




 極彩色で描かれた、ごく短いたったの二文字。喜びも悲しみも怒りも呆れも幸せも、あらゆる感情の色彩で、ただはっきりと想いを形にする。


 彼女一人を描くのに、まだまだ足りないものが多過ぎる。


 笑った顔も、怒った顔も、呆れた顔も、泣いた顔も、ただ一枚の絵に描き切るには、思い出と未来がまだ足りない。どれだけ彼女を描いたとしても、彼女だけは形にできないから。



「これが僕の精一杯だ。君を描く、僕にはそれがまだできそうもない。だからもう少し、この先も、君を見ていていいだろうか。君の隣で……」



 誕生日プレゼントというものは、込められた気持ちのことを言う。この想いを形にするには、どんな物でも釣り合いそうもない。いつか彼女を描けるその日まで、君の全てを描けるその日まで、僕の隣に居て欲しい。


 彼女がどんな顔をしているのか、怖くもあるが、どうしてもその顔が見たいから、恐る恐る振り返った先で、絵の具の匂いに混ざった彼女の匂いが鼻先を擽った。


 絵の具が溶け出し蒸発しそうな熱を唇に感じ、思わず椅子から転がり落ちる。


 そんな僕のことなど御構い無しに、彼女は僕の目の前を悠然と通り過ぎ、できたばかりの絵を手に持つと大事そうに抱え込み微笑んだ。


 窓辺から射し込む夕日のせいも相まって、燃えるような赤い顔を柔らかく歪めた彼女の潤んだ瞳が僕を見下ろす。



「絵は微妙なできだけど、今ので誕生日プレゼントってことにしてあげる! あんたの誕生日の時は三倍返ししてあげるから、期待しときなよっ!」



 そう宣言して僕に指を突き付けた彼女は、振り返ることもなく一目散に部室の外へと走って行ってしまう。絵を落とさぬように抱き抱えながら、走り去った後に残った彼女の熱に触れるように、唇へと手を伸ばしてため息を零す。


 誕生日とは特別な日だ。誰にとっても特別な日。ただ次の僕の誕生日だけは、きっと世界で一番特別な日になる。


 絵画用のエプロンを叩きながら立ち上がり、再び僕は筆を握る。


 今、この瞬間の感情を、忘れないよう形にするため。


 僕の誕生日、彼女からの三倍返しの贈り物。


 それを僕が受け取った時、今日、僕の想いを容易く飛び越えて行ってしまった彼女と、想いを引き分けDrawにすることができるだろうか。


 その日を楽しみに、今日も僕は筆を取る。


 どれだけ先になるか分からないけれど、僕の中に彼女を積み重ね、いつかきっと、彼女の姿を描くために。


 ただ今だけは、筆先が震えて絵にできなくても許しておくれ。






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Draw‼︎ 生崎 鈍 @IKUZAKI_ROMO

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