後編


「前からずっと気になってました、オレと付き合ってください!」

「……は?」


 転機は突然にやってきた。彼は司馬大輔しばだいすけくん。クラスで一番背が高い男子で、サッカー部の次期部長候補らしい。

 そんな女子人気抜群の彼が、なんで私なんかに。でも、彼が隣に居るおかげか、今日はだれにもイジメられずに平穏な一日だった。

 夢みたい。彼は間違いなく、私のヒーローだった。


「鹿藤ってほんと性格悪いよな。でも、今度イジメられそうになったらすぐにオレを呼びなよ。助けてあげるからさ」

「あ、ありがと」


 帰り道。いつもの橋を、今日は二人で並んで渡る。何だか、凄く変な感じだ。

 いつもは一人か、背後から話し掛けてくるやつしかいないから。


「あの、司馬くんの家ってこっちの方角なの?」

「ううん、オレは駅の方」

「え!? じゃあ、反対方向じゃない! 送ってくれなくてもよかったのに」

「気にしなくていいよ。今日は部活休みだったし、彼女を無事に家に送るのも彼氏の役目だからさ」


 太陽のような笑顔を向けてくる司馬くんに、思わず顔を背ける。

 ヤバい、多分……いや、今の私、絶対に顔が真っ赤だ。

 自分の話を聞いてくれる人が居るって、それだけで安心するものだと始めて知った。


 そしてすぐに、私は絶望した。


「なーんてね。ドッキリでしたー! どう、騙された?」

「え……なにそれ、どういう」

「きゃははは! ダイスケ、罰ゲームおつかれー!」


 甲高くて、耳障りな笑い声。背筋が凍りついて、寒くもないのに奥歯がガタガタと震えた。

 どうして、鹿藤がここに居るの!? 


「もー、杏子ちゃん来るの遅いよ」

「アハハッ、ゴメンゴメン。ダイスケってば超役者じゃん! ほら、見て。コイツのこの顔。完全にアンタに惚れてるわ」

「うわー、やめてくれー。こんなの皆に見られたら恥ずかしくて学校行けないよ」

「えー? ま、こいつのこの顔撮れただけでも十分だから許してあげよう。あ、今の顔も超マヌケなんだけど!」


 ブッサイクー! 司馬くんの腕に抱きつきながら、片手で器用にスマホを操り、私に向けて何度もシャッターを切った。

 意味が、わからない。呆然としている私に、鹿藤が勝ち誇るように笑う。


「残念だったねー? ダイスケは罰ゲームでアンタに告白しただけよ。そもそも、ダイスケはあたしと付き合ってるし。それなのに、アンタの幸せそうな顔。マジで笑えた」

「う、うそ……」

「ていうか杏子ちゃん、橋の前でネタばらしするんじゃなかったの? いつまで続ければいいのか不安になったんだけど」

「だってー、二人で話してて楽しそうだったからさぁ? ジャマしちゃ悪いと思ってー」

「そんなわけないだろ。サッカー部の誰かに見られたらって、気が気じゃなかったよ」


 目の前で、指を絡めるようにして手を繋ぐ二人。私には向けてもらえなかった、甘い笑み。

 ようやくわかった。私は、騙されたのだ。信じていたのに、裏切られた。

 今までのどんなイジメよりもショックで、息も上手く吸えなくて。

 怒りのあまりに、視界が真っ赤になる。


「アハッ、怒った? だってさぁ、最近アンタ生意気なんだもの。金も持ってこないし、超ムカつく。だから、やり方を変えてみたってわけ。すっかり騙されちゃって、かーわいいー」

「ッ、最低!!」

「あ、今の顔もいいわー。最高にみっともなくて。どう、キレイに撮れてるでしょ? これ、明日金持って来なかったら拡散しまくるから。行こ、ダイスケ」


 手を繋いだまま、鹿藤達が踵を返す。いちゃつく無防備な背中に、黒い感情が嫌な考えを引き出す。

 周りには私たち以外、誰も居ない。この橋の欄干はそれほど高くない。橋の下は、梅雨時期だからか水量が増えて、流れも早くなった川。

 司馬くんは無理でも、同じくらいの体格の鹿藤なら力づくで川へ落とすことが出来るかもしれない。

 そうだ、最初からそうすればよかった。


 こんなやつ、生きていたって他人を不幸にするだけなのだから!!


「杏子ちゃん危ない!」

「なっ!?」


 私は鹿藤を川へ落とすつもりだった。でも出来なかった。司馬くんが直前で鹿藤の腕を引いたから、私の手は彼女に届かなかった。

 怒りが更に増していく。


 司馬くん……どうして、そんな女を庇うの?


「ちょっ、何!? アンタ、何するつもりだったの!」

「あんたなんか大嫌い! 死ねばいい、殺してやる!!」

「はあ!? 誰に向かって言ってんのよ、このゴミクズ女が!」

「お、落ち着いて二人とも。こんな橋の上で騒いだら危ないよ」


 司馬くんが間に割って入る。そんな彼を見ていると、怒りと同じくらいに悲しみが込み上げてくる。

 ひどい。やっと私を助けてくれるヒーローが現れてくれたと思ったのに。やっぱり、期待するだけ無駄だった。私は二人に背を向けて、逃げ出すしかなかった。


 結局、私を救ってくれる人なんて、どこにも――


「ぐっ、な……なんだ、これ。息が、出来な」

「ダイスケッ!? うぐ……くるし、い」

「……え」


 突如、聞こえてきた声に反射的に振り向く。そこにはなぜか、苦しそうに顔を歪めさせる二人。

 そして二人の前に立つ人物に、私は思わず悲鳴を上げた。

 

「ひっ!? あ、あんた!? 何してるのよ!」

『だから言ったじゃないか。ぼくと同じになってしまうよ、って。死に執着する、呪いの権化にね』


 信じられない光景だった。薄ら寒い笑顔を浮かべたお化けが、左右の手で二人の首を掴んで絞めつけていた。

 鹿藤達には見えていないらしい。自分の首を絞めるお化けには目もくれず、私に縋るような目を向けている。


「なに、これ……くるし……」

「おねが……たすけ、て」

『あんなことしておいて、自分が死にそうになったら彼女に助けを求めるの? それは流石に都合がよすぎるんじゃないかな? ……なんて言っても、聞こえてないのか』

「ま、待って」

『待つ必要ある? だってこの二人、殺したかったんでしょ』


 何かが折れる音が二つ、橋の上に転がる。それが何かを理解する前に、息絶えた二人が私の視界から消えた。

 まるでゴミを捨てるかのように、お化けが二人の亡骸を川に投げ込んだのだ。悪夢のような光景に、私は膝から力が抜けてその場にへたりこんだ。


 死とは、こんなにも冷たいものなの?


『ふー、終わった終わった。まったく、いつの時代もああいう輩は居るものだねぇ』

「な、なんで……あんた、何者なの?」

『呪いだよ』


 彼が私の方を向いて、目を細める。猫のように笑うその姿は、ぞっとする程に美しかった。

 冷たい雫が、鼻先を打つ。いつの間にか、また雨が降り出したようだ。


『名前は変わってしまったけれど、この川の本当の名前は死と生の字を使って『死生境川しきざかいがわ』と言うんだ。生きていた頃のぼくが、忌み子であったことは話しただろう? あの話の続きになるんだけど。ある日大雨が何日も続いて、この川が洪水になってんだ。昔の人は、それを川の神様の怒りだと考えたんだよ。で、神様の怒りを鎮めるために、忌み子だったぼくが生贄に選ばれたわけ』


 クスクスと、彼が冷たく笑う。


『生贄として殺すには都合がよかったんだろうねぇ。散々痛めつけられて、最後は手足縛られて川に沈められた。しかもその時、あらゆる呪術の類を試されてね。身体は朽ちたけど、魂は見事に死をもたらす呪いそのものになっちゃいました! だからぼくがここに現れるのは、他人を殺したい程に呪う人が川の上を通った時なんだ。今回は、きみがそれ。他人の死を願う、呪いそのもの』

「ちが……わたし、そんな」

『ぼくと同じようにいじめられていたから、惨めな思いをしないように助言をしていたのに。牢屋で誰とも話せなかったぼくとは違って、きみには話が出来る家族が居ただろう? それなのに、きみはつまらない意地を張って一人で抱え込んだ結果、人の死を願った。結果、直接ではないものの人を二人も殺した』


 彼が静かに歩み寄り、私の前に片膝をつくと手を伸ばして頬に触れてきた。全身を濡らす雨よりもずっと冷たい指が、頬を撫でる。


 これは、死の温度だ。


『手遅れになっちゃった以上は、仕方ないね。これからは同類として、仲良くしよう』

 


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死生境川の呪いは美しく嘲笑う 風嵐むげん @m_kazarashi

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