ゴミ捨て場

安賀多くりす

君に逢いたい、ただそれだけ

「はぁ……はぁ……」


 僕は走っていた。

 夜の闇の中。

 ただ、ひたすら。

 目的地もなく、夜の道を。

 

「はっ……はっ……っ……」


 やがて、息が切れていく。

 踏み出す足が前に出なくなっていく。

 腕も上がらなくなり、全身の筋肉が重くなる。

 

「っあ……はぁ……はぁ……」


 そして、走れなくなった。

 数歩ヨタヨタと歩き、最後は止まってしまった。


「はぁ……、ぁっ……」


 一つ大きく息をし、辺りを見回す。

 夜中だからというのもあるが、誰もいない。

 いつもなら夜中だから人がいないで済むのだが、今は違う。

 今は日中でも人がいない。

 新型のウィルス感染症が流行しつつあり、外出が制限されている。

 保育園幼稚園、小中高、大学、そして役所や会社にもみんな行かなくなった。

 みんな家から出なくなった。

 街から人が消えた。


 僕らは学校という居場所を失った。

 自宅待機強要され、外に出ることは「悪」とされた。

 軟禁状態。

 状況が状況だから、というのはもちろんわかっている。

 人の命を守るためだというのもわかっている。

 でも。

 でも……。

 時間はただひたすらに過ぎていく。

 家にいてもやることと言えばゲームをするかひたすらオンラインで動画を漁るくらいだ。

 自宅待機中は自主学習を、と言われているが、果たしてどれくらいの人がやっているのだろうか。

 一人で学ぶことの難しさ。

 集団で学ぶことが如何に恵まれているかを気付かされた。

 コミュニケーションがないから張り合いが無い。

 ウチの親は大して頭が良くないし、相談する人がいないからわからないところが放ったらかしになる。

 無駄に過ぎる時間。

 本当なら君と学校で過ごすはずだった大切な時間。

 ただただ、氷が溶けていくように、時間は消えていく。

 親にただ時間が過ぎていくことに不安を感じていることを相談したことがあった。

 でも返ってきた言葉は、


「勉強すればいいじゃないか。今やっておけば他と差がつくぞ」


 とか


「人生今だけじゃないから。将来この経験が生きることもきっとあるわよ」


 とか。

 そのとおりかもしれない。

 でも、そうじゃないんだ。

 将来とか、そんなことはどうだっていい。

 僕に大切なのは、今なんだ。


 今は今しかない。

 今のことは今にしかやれない。

 今にしかやれないことをやれない不安を、大人はわかってくれない。

 僕は今、君と一緒に過ごしたいんだ。

 SNSでメッセージのやり取りをしたり、通話したりすることはできる。

 でも、そこに君はいない。

 君の声を聞きたい。

 君の呼吸を感じたい。

 君の鼓動をそばで聞きたい。

 君の……。


 そして、気がついたら夜の道を走っていた。

 やるせない気持ちをどこにも持っていけなかった。

 ただ、無意味に、体を痛めつけて、どうにかなってしまえばいいと、そういう思いで足を手を動かしていた。

 走り続け、体力が尽き、足が止まった。

 膝が地に付き、そして手も地につける。

 四つん這いになる。

 

「う……、あっ……」


 自分の感情に反して、目から涙がこぼれた。

 どうしようもない。

 何もできない。

 己の無力さを痛感し、行き場のない感情が涙として表に出てきた。


「ああああああああああああぁっ!」


 叫んでいた。

 涙を流すだけでは色々と抑え込んでいたものは発露しきれなかったみたいだ。

 喉が潰れて、声が無くなってもいい。

 とにかく、自分の中に押し留めていた感情を表に出さずにはいられなかった。


「うっ……うう……」


 やがて叫び疲れ、僕は地面に突っ伏した。

 このまま、消えてなくなりたい。

 君に逢えないなら……。


「……アキ? どうしたの? 大丈夫?」


 声が聞こえた。

 僕の名前を呼ぶ声。

 これは……君の声。

 でもこんな夜中に、こんなところに君がいるはずがない。

 逢いたい思いが強くなりすぎて、ついに幻聴が聞こえるようになったみたいだ。


「大丈夫? ねえ」


 体が揺すられる。

 え……?

 僕は慌てて体を起こす。

 すると、そこには。

 そこには……。


「……え? 薫?」


 心配そうに僕を見る、君の姿があった。

 逢いたくて逢いたくて仕方がなかった、君が、目の前に。

 心臓の鼓動が早くなる。

 なんでここに?

 喜びと動揺で、頭がパニックになる。


「大丈夫? どうしたの?」


 近づく顔。

 月明かりに照らされるそれは、まさしく君の顔。

 伝わる息遣い。

 夜の空気を震わせる、君の声。

 ああ、全部、全部僕が求めていたものだ。


「……!」


 無意識。

 僕は脊髄反射的に、君に抱きついた。

 本物の、本物の薫だ……!


「アキ……?」


「逢いたかった……」


 僕は薫の胸板に顔をつける。

 久しぶりの薫の匂い。

 懐かしさすら覚える。


「実は僕も……、アキに逢いたかったんだ。逢えるとは思っていなかったけど、もしかしたらアキに逢えるかもって思って、外に出てたんだ。ダメだってわかってるんだけどね」


 ハハ、と薫は笑い、僕を優しく抱きしめ返してくれた。

 伝わる薫の温度。

 伝わる薫の鼓動。

 生きている薫。

 やっと、やっと逢えた……。


 再び、僕の目から涙がこぼれた。

 でも、さっきの涙とは違う涙。

 逢えない辛さの涙は、逢えた喜びの涙に変わった。

 

 

「ありがとう」


 震えた声で、僕は薫に言った。


「それは僕のセリフだよ。ありがとう、アキ」


 薫はそっと、僕の頭に手を置いた。

 優しく、そっと髪を撫でてくれた。

 僕の中の、今までの全てが、薫のその手で洗い流されていくような、そんな感じがした。




「学校、早く始まるといいね」


 僕と薫は道の縁石に座り、話をした。

 他愛のない話。

 毎日SNSでメッセージのやり取りはしてるし、通話で声も聞いている。

 でも、目の前に薫がいて、表情を見て話をするのとは違う。

 本当だったら、当たり前にできること。

 それが今は当たり前じゃなくなってしまった。

 当たり前の日常が如何にかけがえのないものだったかを、強く感じる。

 本当なら薫と逢うのはもちろん抱き合うなんてことはしてはいけないことだ。

 そんなことは、頭で理解している。

 でも感情が理性を押しのけてしまった。

 


「あ、夜が明けるね」


 そういう薫の顔が、白んでいく空の薄明かりに照らされる。


「もう、行かないとだね……」


 夜中に家を出てきてることがバレたら、怒られるでは済まないだろう。

 みんなが起き出す前に家に帰らないと。


「ねえ、薫」


「ん? 何?」


 キスをしたいと言おうとした。

 でも、それは言えなかった。

 抱き合うだけでもかなりやってはいけないことをしている。

 僕が、薫としたいことは、流石に口にできなかった。


「……また、必ず前に戻るよ。そう、信じて生きよう」


 薫はそう言い、僕の手を握ってくれた。


「それまで我慢だね」


 ふふ、と薫は笑う。

 多分薫は僕が何を言おうとしたのかわかってくれたんだろうと思う。


「うん……」


 僕は薫の手を握り返した。


「じゃ、行こうか」


「うん」


 僕と薫は、お互いの手を名残惜しく離し、それぞれの家の方に向かって歩き始めた。

 

「またね」


「うん、また、ね」


 挨拶を交わし、お互いに背を向け、歩き出す。

 でも離れたくない想いは強く、何度も振り返る。

 僕が振り返ると、薫も振り返っていた。

 その度にお互い笑い、手を振る。

 お互いの姿が見えなくなるまで、それは続いた。


 薫の姿が見えなくなり、僕は家へ向かって歩き出した。


 残酷に時間は過ぎていく。

 それはどうすることもできない。

 今が辛いのは僕だけじゃない。

 薫も一緒だ。

 いつの日か、また薫と当たり前の日常を過ごせる日が来る。

 そう信じよう。

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