第2話

「次のニュースです。昨年十一月二十一日に発生した奥多摩地震について、気象庁が会見を開きました。一部で報じられている本震前後の震源の移動に関しては、『震源の移動については、気象庁では確認しておりません。またその後の丹沢・箱根地区の地震については火山性地震であり、令和元年奥多摩地方地震との直接的関連はないものと考えます』このように説明し、冷静な対応を呼びかけました。続いて、気象情報です」




「照明をお願いします」

 佐伯内閣官房危機管理審議官は、一同をぐるりと見渡す。明るくなった室内では、吉池内閣府大臣官房審議官を始め、内閣官房の危機管理部門や内閣府の防災部門の一般職員、防衛省の背広組と陸上自衛隊の士官らがずらりと席を埋めていた。会議室の正面にある百インチのモニターがテレビ映像から関東近郊の地図に切り替わる。


 佐伯が吉池に目配せする。吉池は部下の飯塚参事官を促す。飯塚が手元の資料を掴み、話を始めた。

「ご覧いただいたのは、今朝行われた気象庁の会見の模様です」隣の吉池が、そこで咳払いをする。「週刊誌がリークしてしまいましたが、本震前後に震源が移動したのは衆知の通りと思います。気象庁および防衛省のレーダー解析によれば、本震の発生する一時間前、奥多摩湖北西部の山間部において最初の振動が確認されています。そして西明野町での本震の後、震源は南に移動し、最後に確認されたのが丹沢湖周辺、この辺りです」


 モニターの地図がズームアップする。丹沢湖の北、湖よりも一回り狭い範囲が丸く囲まれる。間隔の狭い等高線が、急峻な峰が連なっていることを想起させる。

「今回の報道は甚だ遺憾だ。危機管理ができていないんじゃないのかね」

 声のした方へ、佐伯が目を向ける。防衛省防衛政策局次長の清水だった。震源移動という重要情報の出所は不明だったが、防衛省は内閣に責任を押し付けたいのだろう。


 発言しようとする飯塚を制し、吉池が清水に向き直る。

「すでに報道管制を敷いています。これ以上の情報流出はないものと考えます」

「内閣府は、今回のこの震源をどのように考えておいでかな」清水は相変わらず責めるような口調だ。佐伯は辟易とした思いだったが、清水の隣に座る局長は仏頂面を崩さず黙認の姿勢を崩さない。議論は思うように進まない。

「現時点では不明としか言いようがありません」吉池は視線を落とす。「気象庁ではどのようにお考えですか?」


「これほど表層に近い場所で発生した地震など経験がありませんから、それが伝播するのかしないのか、それを含めて現在も調査中です。なんとも言いようがありません」気象庁地震火山部地震津波監視課の逸見が早口で言う。それは未だ公表されていない、今回の地震の本質と言ってもいい謎の一つだ。逸見ら監視課の調査によれば、地震の震源はせいぜい地下十メートル前後で、ほとんど地表面と言っても差し支えない値だった。地震が起こるような応力が発生するはずもなく、山体崩壊などの可能性の方が高いが、平年並みの降水量ではそのような変化も起きにくい。湖を消失させるだけの広範囲に渡る山体崩壊など考えたくもないのが本音だった。それこそ、防災政策を一から考え直さなければいけない。


「防衛省の見解はいかがですか?」

 佐伯は清水を正面に見て、早口で言った。

「それについては、東部方面総監部の権藤一等陸佐からレポートしていただく」清水が待ってましたと言わんばかりに口を開く。清水の隣に腰掛けていた権藤は、すくと立ち上がり、モニターの下手に移動した。


「我々は先日、丹沢湖周辺、最後に振動が確認された地域を中心に、地震波による探査を実施いたしました」

 権藤はそこで言葉を区切り、「照明を落としてください」と呼びかけた。モニターの輝度が自動調整され、より黒が強調された画面に、丹沢湖周辺の詳細な地図が表示される。「湖北側、岸に沿って十メートル間隔のメッシュ状に探査を実施しました」地図上に赤色の格子が引かれていた。格子のラインが地震波探査の測線だろう。「地下構造を解析した結果がこちらです」


 映像が切り替わる。「丹沢湖は地下構造が複雑なことで知られています。それは伊豆・小笠原弧が本州に衝突した際に強い応力を受けたことを示すものですが、ここをご覧ください」

 権藤は湖の岸に近い場所の地下を指す。縦横無尽に走る地層や断層を抉るようにラグビーボールのような形状の影が映っていた。


「この場所だけ、明らかに周りとは物性が異なります。反射波の解析から、岩石や液体とは別のものだということがわかっています。我々は、この影が今回の災害の元凶であると考えています」

 議場がにわかにざわついた。素人目にも、それが普通でないことがわかる、そのくらいはっきりとした陰影に思えた。


「大きさはどれくらいなんですか?」

 佐伯が、全員の疑問を代弁するように、慎重に口を開いた。

「約八十メートルです。丸まっているだけで、実際にはより大きな物体かもしれません」

 会議室のざわめきが大きくなる。佐伯は腕を組み、じっとモニターを眺める。地中に鎮座するその「背中」側に、小さな凹凸が見えた気がした。

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