【6】花、匂うまえ(耀平視点)

花、匂うまえ①

 まあ、かわいい。目元が副社長にそっくり!


 一階事務所に用事があり二階副社長室から降りていくと、女性社員達に取り囲まれる。


 勤続年数が長いお母ちゃん社員を筆頭にして、『副社長、百日のお祝いをされたようで、おめでとうございます』との声かけに照れていると、もう女性陣で示し合っていたのか『お嬢さんの画像とかないのですか』と、彼女達の目が見せて見せてとものすごい光線で耀平を捕まえていた。


 いやあ、その。……これ、かな。

 実は耀平もまんざらでもない。そりゃあ、初めての娘が生まれてお披露目したくないわけがない。


 百日祝いのお宮参りで着せた初着や真っ白なベビードレスを着せてとりまくった画像を、持っていた黒いスマートフォンに表示させて、せがまれたからというのを理由にして女性達に見せた。


「かわいい! おっきなおめめ。副社長に似たんですね」


 女性達が心から言ってくれていると、耀平も心から感じている。それが自分に都合良くとらえているとしても、娘をかわいいと言われると、もうなし崩し状態だった。


「そうなんですよ。でも、そういうと花南が自分に似なかったのかと拗ねたりするんですよね」

「花南さんは、倉重社長の奥様に似ていらっしゃって、日本顔ですものね。でも女の子は、お顔はお父さんに似ても、年頃になると本当にお母さんの雰囲気にそっくりになっていきますよ。徐々に花南さんにも似てくるでしょうね」


「そうそう。花南さんも最近はお母様の雰囲気に似てきましたものね」


 倉重家の母娘、それは確かに血を分けた雰囲気を持っていると、長年この会社にいる彼女達も頷きあっている。


「千花ちゃんも、大きくなったら『倉重家の女性』らしくなられることでしょうね。楽しみですね、副社長」


 でもそう言われて、耀平はややヒヤッとしている。娘が、あの倉重家の女性達のようになっていくだと?


 義母の静佳は当主の夫人に相応しい凛とした険しさと柔らかさを備えていて、構えて話さないとしっぺ返しを喰らうこともある。


 長女で姉だった美月は清らかな姿の裏に、大いなるものを秘めていたあやかしの女。


 そして妻になった次女で妹の花南は、難しい気性でガラス一筋、そこ一点に視点を定めるととんでもない感性を発揮する。その時の花南は触ってはいけない開花前の花のよう。見守ることしかできない。触らせてくれない。


 そういう強烈な感性を持ち合わせる女性達と家族になった耀平のこれまでの苦労。もちろん、望んで立ち向かった苦労ではあるが、どうして苦労したかといえば、彼女達こそ家のために苦労してきたのだから、耀平も家族として巻き込まれるしかなかったのだ。


 そういう宿命を娘も負うのだろうか。ふと、そう思う時がある。

 

 でもきっと。この子も、祖母や亡くなった伯母、そして母親の花南のように、倉重家の女性らしい花になっていくのだろうという期待も持っている。


 女性達にかわいいかわいい、将来が楽しみ。もう少し大きくなったら、こちらにも赤ちゃん見せに来てくださいね――と歓迎され、耀平も気分を良くして事務所を去った。


『見た。副社長の嬉しそうな顔』


『私達には人当たり良くしてくれていたけれど、一人になると怖い顔ばかりしていたのにね……』


『そりゃ、前の奥様だった美月お嬢さんが、ねえ……あんな亡くなり方したら辛いに決まっているじゃない。まだ三歳の航さんを遺していったんだもの』


『やっと副社長も人並みの幸せを掴めたってかんじよね。安心したわ。一時、あの気ままな花南お嬢さんが奥様になったらどうなるかと思ったけれど……』


 彼女達の噂話が事務所外の廊下にまだいる耀平に聞こえてきた。


 もっと前からそう言われてきたから今更の噂話だった。


 死んだ妻の妹である花南を別宅に住まわせて通い始めた時も『やっぱりね。副社長はこの家をでていくはずないもの。今更、婿養子として築いてきた実績を捨てられるわけないじゃない。それには妹の花南さんを取り込まなくちゃね』なんて、辛い噂をされたこともあるし、耀平も花南を愛したかったとはいえ、そう見られることは覚悟の上でしたことでもあった。


『でも。花南さんを自分の立場のために必死になってお世話していたのかと思ったけれど……』


 しばらく女性達がそこで言葉を止め、クスクスと笑い出していた。耀平は今度はなんだと落ち着かず、ドア越しに耳を立ててしまう。


『あの花南お嬢様が一生懸命にお弁当を作ったり……!』

『副社長のあのデレデレのお顔!』


 これはもう、本物の相思相愛、ご夫妻になられたってことなのね!


 女性達が口を揃えて大笑いをしたので、ついに耀平はドア越しに真っ赤になっていた。


『副社長、立場うんぬん通り越して、本当はずうっと本気で口説いていたのね~。ガラス工房まで会社事業にしちゃった時は、そこまでする!? て驚きだったけど、軌道に乗っちゃうし。花南さんも立派なガラス工芸作家になっちゃったものね。副社長の審美眼は社長もお墨付きで、間違っていないってことだったのね』


『あの気難しそうで、ガラスを造るのに男や結婚は邪魔って雰囲気の花南さんだったのにね。ガラス工房のことも含めて、副社長の長年の求愛に根気負けってところ?』


 根気負けじゃないぞ。カナは俺がカナを気に入る前、俺より先にもっと前から俺のことを好きでいてくれたんだ――と言い返したくなる耀平だがじっと堪え……。だがその気持ちをひた隠しにして、お義兄さんなんか嫌いという振りを続けてきた妹が崩れ落ちるまで口説いていたのは確かだからやっぱり言い返せない。


『航さんも花南さんに懐いていたしね~』

『これで倉重家も安泰ね。私達のお仕事もしばらく安泰かな!』

『定年まで、なんとかいさせてもわなくちゃいけないしね!』


 もう言うだけ言ってくれるなと呆れながらも、耀平もそこでくすっと笑っていた。


 女性社員達が定年までいたいと言ってくれているなら、この会社の運営も安泰であるのだろう――と。


 そして副社長室に戻りながら、ふと、生まれたばかりの娘の画像を目にして、やっぱり頬が緩んでしまう。


 初めて、俺と血の繋がった子供。でも二人目の子供。初めての娘……。


 あのカナが愛おしそうに小さな彼女を抱きしめている姿にも、耀平は癒されていた。


みて、お父さん。千花が目で追うの。みてみて、お兄さんの顔を見ているでしょ。いるのがわかっているの。


 お父さんと言ったり、未だにお兄さんと言ったり、今、カナに呼ばれるととてもややこしい。


 本家の会社と、山口の自宅と数日おきに往復しなくてはいけない今の生活サイクルはもどかしいが、ハウスキーパーも雇ったし、高校生になった息子の航も、初めて妹ができてカナと一緒になって赤ん坊の世話を率先してやってくれていると聞いている。だから留守をなんとか任せている。


 だが、耀平は、ある時、彼女達の噂話に新しい話題が加わっていたのを聞いてしまう。


『航さんって……。千花ちゃんと比べると、副社長に似ているわけでもないし、倉重のお顔でもない気がしない?』


『そうかな。目元は和風で、やはりお祖父様似なのよ。社長が素っ気ない顔する時に似ているじゃない』


 航は倉重の血は引いている。それだけが救い。祖父に似ているといえばそうでもあって、叔母であるカナと雰囲気が似ていると言われる時もある。


 だが誰も言わない。耀平に似ているとは……。

 そこにきて、生まれた娘が耀平似と言われると、これから航と千花は血を分けあっている従兄妹なのに、対照的な顔立ちになって比べられるのだろうか。それが、なにかのきっかけや、変な噂話に発展しないかと気になることもある。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 副社長室に戻り、木造りのデスクに落ち着くなり、置いたスマートフォンが鳴った。着信表示がカナだった。


「はい。どうした、カナ」


 娘か航になにかあったのかといつも思ってしまう。


『お兄さん、今日は帰ってこられないよね』

「今朝、こっち本社に戻ったばかりだろ。次に山口に行けるのは明後日だと伝えただろう」

『だよね、わかった』


 もの凄く不機嫌なカナの声に、耀平は訝しむ。


「どうしたんだ」

『別にいいよ。じゃあね』


 ぷつんと切れてしまう。


 はあ? なんなんだ。あの義妹は。いや、もう妻なのだが。こうなると耀平も未だに義妹だと感じてしまう。


 もう一度かけ直して、きちんとした理由を聞こうとしたがもう出てくれない。


 そこでハッとした。


「まさか。またあれが来たのか」


 サッと血の気が引く。妊娠中だって、カナは蒸し暑い工房にいることは避けていたが、ガスバーナーでのトンボ玉造りに非常に熱中していた。だがあれは来なかった。それでも彼女の没頭する姿にはヒヤヒヤさせられていた。


 出産後、工房に少しずつ復帰。娘が生まれて「あれ」はまだ来ていない。


「まずい。キーパーさんと航だけで乗り切れるか?」


 航とはカナの「あれ」、制作に没頭する日々が始まってしまったらどうするかは話し合っていた。


 カナの人間生活を捨てたような没頭が始まったら、とにかく父親である耀平に連絡をすること。キーパーさんになるべく協力してもらうこと。父親に連絡が付かなかった時は、倉重の祖母、或いは仙崎の祖母に必ず連絡すること。そう航には言い含め、航一人でなんとかしようとしないよう釘を刺している。


 まさかカナも娘を放って没頭することはないとは思うが!

 ガラス制作に集中するあの姿は失ってほしくないと思っている。

 とんでもなく枯れた姿になっていくのが痛々しいが、その手元に自分の潤いをすべて集結させたかのように輝かしいガラスが生まれるあの美しさは絶対にあるべきで、それを耀平だけでなく航も守りたいと思ってくれている。


 そこは倉重の義母にも、耀平の実家である仙崎にいる母にも事情を説明して、いざというときの協力はお願いしてあった。


 だが耀平はひとまず、航のスマートフォンにもメッセージを入れておく。


【 カナから非常に不機嫌な声の連絡があり、訳がわからないまま切られてしまった。なんの連絡だったかわからずじまい。そちらの様子は大丈夫か 】


 だがいま学校で授業の時間。もうすぐ放課後の時間だから、メッセージに気がついてくれるだろう。


 それと当時に、山口の工房にも連絡をする。

 親方のヒロが出た。


『いえ。今日は淡々と切子をしてくれていますけれどね』

「そうか。いま切子をしているんだな。さっきな、すごい不機嫌な声の連絡があったんだが」

『休憩時間でしたけど……。その時に社長に連絡したんですかね。喧嘩……なんかしていませんよね?』


 ガラスというより、カナの機嫌を社長が損ねたのでは? と言われ、耀平は今朝までカナと一緒にいた時間を振り返るが思い当たらない?


『もし急に始まったら、連絡しますし。俺も舞も社長の留守中は、航のことも千花ちゃんことも気をつけていますから、安心してください』


「わかった。ありがとう」


 なにも起きていないようなので、ひとまずホッとする。

 だがどうにも払拭できず、落ち着かなくなる……。


「くそ。明日帰るには、これとこれと……。間に合わないか。うーん」


 手元にある仕事とスケジュールを確認して、なんとか明日帰れないかと思ったが無理。


「あの義妹め。不安にさせるような声だけの連絡するぐらいなら、よこすな」


 未だに振りまわされている気がする。


 静かな副社長室には、プライベートビーチの潮騒が聞こえ、そして潮の香もする。それが初夏の香りに変わったことに耀平は気がついた。


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