Ⅷ 銀の弾丸(1)

 ――ギイィィィィ…。


 その夜、私はいつもと変わらぬ柩の軋む音を聞きながら、いつもよりやや重い心持で目を覚ました。


「ハア……今夜も良い月夜だな」


 私は柩から半身を起こすと、一つ大きく溜息を吐く。


 今宵の空には満月に近い月が青白い光を放ち、清々しい夜の空気が良く澄んだ天弓の下に満たされている。


 ……ワオォォォーン! ……ワオ…ワオォォォォーン……!


 遠く森の奥からは、満ちた月に反応したのか狼達の心地よい遠吠えが聞こえてくる。


 とても、寝覚めの良い夜である……。


 それなのに、なぜ、私の心がこんなにも重いのか?


 それは、昨夜の出来事にあった。


「あれだけひどい目にあったんだ。さすがにもう来ることもないだろうな……」


 私は思わず、そんな独り言を口にする。


 昨夜も性懲りもなく現れたストーカーという若きヴァンパイア・ハンターは、今度もヴァンパイアの弱点として定番のニンニクと唐辛子で攻撃を仕掛けてきたのであったが、そうしたものの効いたエスニック料理が大好きだった私は、彼を夕食へと招待し、彼の持って来てくれたその香辛料を使って、私手づからの料理を御馳走してあげたのである。


 すると、私よりも辛い物がそれほど得意ではない彼の方が逆にその料理に苦戦する羽目となり、それでも私がからかうと、彼は無理してそれを悶え苦しみながら食べ尽くし、そして、逃げるようにこの城を飛び出していったのだった。


 ……しかし、今の私は、そんな仕打ちを彼にしてしまったことを少し後悔している。


 そう思うのは、あの目を潤ませながらも、必死に我慢して料理を食べ続けていた彼の姿がどうにも頭から離れないためであろう。


 いくら迷惑千万なヴァンパイア・ハンターであったとはいえ、あそこまで苦しめる必要はなかったのではないか?


 そんな後悔の念が、ずっと私の胸の中にぼんやりとわだかまっているのだ。


 昨夜のことで、いい加減、彼も世に云われているヴァンパイアの弱点が迷信であることを理解したに違いない。きっともう、彼が私を倒しに再びこの城を訪れることもないであろう……。


 そう思うと、なんだか少し淋しいような気もする。


 ……だが、それでもやはり、毎夜々〃あのように襲われたのでは迷惑この上ない。これでよかったのである。


 それに三度撃退されても、なおも懲りずにやって来た人間だ。あそこまで痛烈に自分の過ちを実感させてやらなくては、きっとわかってくれなかったことだろう。


 ……そうだ。きっと、これで良かったのである。


 「さて、軽く血でも飲んでから、街に出かけるとするか」


 私はそう多少、強引に頭で割り切ってから、何かを吹っ切るように寝床の柩から飛び出した。


 起きた私は、いつものように大きな姿見の前に立ち、身支度を整える。


「ハァ……」


 鏡の中にスカーフを締める自分の顔を見つめながら、思わず私は再び溜息を吐いてしまった。


 頭では割り切ったつもりなのに、なぜか、そこはかとない罪悪感がこの胸に去来する。


 ……いや。私は別に何も悪いことをしてはいないし、当然のことをしたまでなのだ。


 そう自分に言い聞かせてから、私は必要以上に力を込めて姿見の前で踵を返し、階下の厨房へと向かった。


「ンニャ~ゴ!」


 一階の厨房へ足を踏み入れると、お腹を空かせたバスティーヌが猫撫で声を上げて足元にすり寄ってくる。


「バスティーヌ、お前もお腹が空いたか? はいはい。今、お魚をあげるから待っててね」


 そう言ってなだめながら冷蔵庫の扉を開けると、私は中にあった餌用の魚を彼女専用の皿に載せてあげた。


 これで魚のストックはもう最後なので、また買ってくるか、あるいは釣りにでも行くかして用意しておいてやらねばならない。


「ペチャペチャペチャ…」


 魚を見るや、彼女はいつものように無我夢中で食べ始める。


「フゥ……バスティーヌ、お前はなんの悩みもなさそうでいいなあ……」


 私は無意識の内に、そんなボヤキを彼女に向って呟いていた。


「ニャア!」


 すると、彼女はこちらの言っていることがわかっているのか、わかっていないのか、「うん」と答えでもしているかのように、こちらに顔を上げて一声、鳴く。


「そっか。やっぱり悩みないのか……」


 いや、返事をしたように見えたのは、おそらくこちらの主観的な思い込みに過ぎないのであろうが、それでもなんだかそう信じてみたくなって、私は再び彼女に返事を返した。


 ……と、その時のことである。


 ……バン! ……バン! ……バン…!


 突然、野外から銃声のような乾いた爆発音が聞こえてきたのだった。


「…!?」


 私は不審に思い、厨房から庭に通じる裏口の戸を開けると、外に出て辺りの様子を窺う。


「………………」


 庭に立ち、城壁に区切られた四角い夜空を見渡しながら耳を澄ませる。


 すると今度は……


「アレクサンドル・D・ノスフェルぇぇぇ~っ!出~て~来ぉぉぉ~い!」


 そんな、よく聞き慣れた怒鳴り声が正面の大門の向こうから聞こえてくるではないか!


 〝来た!〟


 その声を聞いた瞬間、私の心にはなんだか懐かしい旧友と再会した時のような、そこはかとない悦びの感情が湧き上がる。


 彼が……あの男が……あのクリストファー・ヴァン・ストーカーが性懲りもなく、また、この私を倒しにやって来たのである!


「やい! ノスフェぇぇぇ~ルっ! 今夜こそぉぉぉ~っ! き~さ~ま~の~最後だぁぁぁぁ~っ!」


 彼の雄叫びが、続けて澄んだ夜の空へ響き渡る。


「バスティーヌ! ちょっと出てくるから、今夜も留守番よろしく頼む!」


 私は一旦、厨房内へと戻り、早口に彼女へそう言い残すと再び外へ向って飛び出した。


「ニャア!」


 その背中にバスティーヌが返事をした声を聞きながら、私は大股に大門の方へと城内の道を急ぐ。


 いつもはゆっくり歩いてもさほどないこの距離が、今宵はなんだか、やけに長く感じられる。


 急ぐ気持ちを抑え、自然と早足となる歩調でその道を行く途中、私はふと、この急く心はいったいどこからくるものなのだろうか? と、その理由について疑問を抱いた。


 そして、不意に忙しく動いていた足をその場でピタリと止める。


 ……そうだ。私は何を悦んでいるのだろうか? あんなに迷惑だった者が、諦めもせずに再びやって来てしまったというのに……。


 そんな私の耳に、なおも城外で私を誘き寄せるために挑発するストーカーの声が聞こえてくる。


「や~い! この腰抜けヴァンパイア野郎がぁぁぁーっ! じつは俺のことが怖くてー、城の中から出て来れないんだろぉぉぉーっ! お前なんかなぁぁぁ~! 上品に貴族ぶってるけど、本当はただのキザでヘタレな吸血変態野郎だぁぁぁ~っ!」


「うっ……」


 その挑発の…というか、どうにも子供の悪口のようにしか聞こえない言葉に私は顔をしかめる。


 そして、一時でも彼の来訪に心踊らしたことを後悔した。


 ……そうなのだ。何も悦ばしいことなどないのだ! ようやく諦めてくれたと思っていたあの迷惑千万なヴァンパイア・ハンターが、またしても私を退治しようなどと、とんでもない考えを持ってやって来たのである!


 いい加減、昨夜で終わってくれたと思っていた彼の相手を、今夜もまた、したくもないのにしてやらねばならぬのである!


「あ~あ、もう! 私は何を考えていたのだ……」


 私は頭をふるふると振ると、一時の気の迷いを打ち消し、今度は嫌そうに眉間に皺を寄せながら再び門に向って歩き出した。


 ……そう……そうなのである。あの男が来て悦ぶなど、昨夜の一件で彼に負い目を感じていた私の一瞬の気の迷いだったのである。


「まったく、これまで散々失敗したというのに、まだ何か退治のアイデアが残っているとでも言うのか……」


 私は一瞬でも彼の来訪を悦んでいた愚かな自分の心を恥じながら大門へと急ぐ。ただ、急ぐとは言っても、先程までとはまったく別の感情からである。


「やぁぁ~い! くやしかったらぁぁぁ~! 俺と正々堂々勝負しに出てこぉぉぉ~い!この、チキン・ヴァンパイア野郎がぁぁぁ~っ! これまでは卑怯でヘタレな貴様のせいで失敗していたがぁぁ~! 今夜こそぉぉ~! 貴様との勝負に決着を着けてやるぜぇぇぇ~っ!」


 門に近づくにつれ、ストーカーの悪口…いや、挑発の声が徐々に大きくなってくる。


 やはり、いつもと同じに、この大門の外で私を待ち構えているのだろう。


「ああ、こちらも今夜こそ、このふざけた遊びに終止符を打ってやる」


 ……ガダン! …ゴゴゴゴゴゴ……!


 私は答えるようにそう独り言を呟くと、大門のかんぬきを抜き、いつも以上の力を込めて、一気に重く長大な木製の門扉を左右へと押し開いた。

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