Ⅶ ヤケ酒(1)

「――ほやじ~! ひずをふれ! ひずを!(おやじ~! 水をくれ! 水を!)」


 地元では知る人ぞ知る料理のうまい大衆酒場の名店〝デアルグ・デュ〟の扉が乱暴に開き、転がるようにして一人の若い男が入って来る……。


「ひずだ! ひず!(水だ! 水!)」


 長い茶のマントにトラベラーズハットを被ったその男は、ひりひりする舌を口から突き出し、何を言ってるのかまるでわからない声で、カウンターにいる店の主人に水を注文する。


「ああ! てめえはこの前のヴァンパイア・ハンター野郎!」


 すると、主人が返事を返す前に、店の中で飲んでいた常連客の一人が男の姿を見て叫んだ。


 その男――それは誰あろう、かのクリストファー・ヴァン・ストーカー……自称ヴァンパイアハンターである。


「てめえ、何しに来やがった! また伯爵に無礼なこと言うつもりなら承知しねえぞ!」


 別の客も彼に気付き、同じく怒りを露わにすると、椅子から腰を浮かせて怒鳴り声を上げる。


 また、その他の常連客も、転がり込んで来たのが先日、ノスフェル卿をヴァンパイア呼ばわりしていた男とわかるや、険悪な表情で彼の方を睨みつけた。


「うるひゃい! ひまはほまへはにはははってるはあいじゃへえ! ほにはく、ほやじ、ひずだ! ひず!(うるさい! 今はお前らに関わってる場合じゃねえ! とにかく、おやじ、水だ! 水!)」


 だが、ストーカーは自分に敵意の視線を向ける人々には目もくれず、まっすぐカウンターへと向かうと、主人に再度、水を注文した。


「はあ、何言ってるかわかんないよ?……〝ひず〟って、水のことか?」


 店の主はその聞き取りにくいストーカーの言葉をなんとか解釈して彼に問い返す。


「そふだ。ひずだ! ひずをはやくふれ!(そうだ! 水を早くくれ!)」


「なんだかわからんが、どうも水飲まないと舌がうまく回らないようだな……あいよ!とにかく、まあ飲みな」


 急かすストーカーに、主が怪訝な顔をしてコップに汲んだ水を差し出すと、彼は奪い取るようにそれを掴み、一気に中のものを飲み干す。


「ゴクゴクゴク……ぷはあ…もっほだ! もっほ! ほれじゃひいさい。しょっひでふれ! ひょっひで!(もっとだもっと! これじゃ小さい。ジョッキでくれ! ジョッキで!)」


「ええ? 何? ジョッキで寄こせって? しょうがねえなあ……ほら、あんまし急いで飲むと腹壊すぞ」


 そうして親切にも彼のろれつの回らない言葉を翻訳してくれる主人からジョッキで水をもらったストーカーは、酒じゃないが駆けつけ三杯とばかりに水をがぶ飲みし、ようやく一息吐けるようになったらしい。


「フゥ………やっと舌のひりひりが治まったぜ……」


 そう……これまで彼の舌がうまく回らなかったのは、先刻、ノスフェル城の食堂で御馳走になった激辛鹿肉シチューを無理して食べたせいである。


 ノスフェル卿の手前、意地になってなんとか料理を完食した彼は、逃げるようにして早々城を後にすると、その足で水を求めてここまでやって来たのだった。


「ああ! あんたはヴァンパイア・ハンターの!」


 そんなところへ、店の奥に入っていたカミーラがちょうど顔を出し、彼女も見憶えのあるストーカーの顔に思わず声を上げた。


「ちょっと、あんた! この前はよくもお代を払わずトンズラしてくれたね! 今日はきっちり払ってもらうよ!」


 カミーラは腰に手を当て、ストーカーの前に仁王立ちになると、可愛らしい眉間に皺を寄せて彼に怒鳴る。


「フン。金か……金ならちゃんとここにあるぜ」


 大量の水で火を吹きそうになっていた口を冷やし、ようやく普通にしゃべれるようになったストーカーは、そう答えると懐から取り出した拳大ほどの袋をカミーラの方へと放り投げる。


 どうやら財布らしきその袋の中には硬貨がいっぱいに詰まっている様子で、それは木製のカウンターの上でガサリとかなり重そうな鈍い音を立てた。


「ん? やけに入ってそうだけど、まさか、金に見せかけて石ころでも詰まってるんじゃないだろうね?」


 そう呟いてカミーラは、その袋の口を疑り深そうな顔で開けてみるが……。


「まあ! 貧乏そうななりのわりにずいぶんと景気いいじゃないの!……まさか、盗んだ金じゃないでしょうね?」


 中には、正真正銘、本物の金貨と銀貨がぎっしりと詰まっていた。


「ハン! バカにするな。今日まで爪に火を灯して、一旗揚げるために貯めてきた軍資金だ……おい、おやじ! 今度は酒だ! この金で飲めるだけ酒を持ってこい!」


 そして、意外な大金に驚いた顔をしているカミーラへ吐き捨てるようにして言うと、どこかヤケクソな様子で彼は店主に酒を注文する。


「やい! ヴァンパイア・ハンター野郎っ! この店にはてめーに飲ませるような酒はねえぞ!」


「そうだ! そうだ!」


 すると、再び常連客達が険しい表情で口々に彼を罵り始めた。


「うるせえ! おまえらはただの客でこの店の主人でもなんでもねえだろ! んな野郎どもに文句をつけられる筋合いはねえ! ってか、おまえらどうせ、ツケで飲んでてお代もろくに払ってねえんだろが? おやじ! 俺はちゃんと金払って酒を飲もうっていう善良な客だぜ? まさか、そんなありがてえお客さまに飲ませねえとは言わねえよな?」


 しかし、ストーカーは身じろぎもせず、そう、大勢の敵対する客達に言い返すと主人に迫った。


「あ、ああ……まあ、金さえ払ってくれるんなら……」


 その勢いに、店主は押され気味に小声で答える。


「そうだ! おい、そこのみすぼらしい客ども! どうにもむかつく野郎どもだが、この際、おまえらにも一杯奢ってやるぜ!」


 どういう風の吹き回しか、さらにストーカーはそんな太っ腹なことまで口走る。


「え? ……奢ってくれるのか?」


 その言葉に、現金な常連客達の心も少し揺らく。


「あんた達………」


 その姿をカミーラは呆れた眼差しで見つめる。


「とにかく酒だ! 酒を持ってこい!」


 そして、おとなしくなった常連客達に背を向けると、ストーカーはもう一度、大きな声で店主にそう申しつけた――。

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