Ⅵ エスニック料理(2)

「――さあ、どうぞ。遠慮なく食べてくれ」


 城の食堂で、私は白いクロスの敷かれたテーブルの上に、今、調理したばかりの料理の載る皿を置くと、彼にそう声をかけた。


 本来なら給仕に運ばせるところであるが、この城には私一人しかいないので、致し方ない。


「………………」


 彼はその食欲そそる香り立つエスニック風の料理を、まんまると見開らかれた丸い目で、ただ黙って見つめている。


「ま、遠慮なく・・・・と言っても、味付けには君の持って来たニンニクと唐辛子を使わせてもらったんだがね」


 続けて私はそう付け加えると、口元を緩め、鋭い犬歯も露わに少し笑ってみせた。


「………………」


 それでもストーカーは表情を変えず、いまだ驚いた顔のまま皿の上に視線を落としている。


 その皿に盛りつけられている料理は、私自らが厨房で調理したものである。


 私はニンニクと唐辛子が別に苦手じゃない…というか、むしろ好きだということを彼がどうしても信じてくれないので、こうして彼の持ってきたそれらを使って一品を作り、それを彼の目の前で食してやろうという趣向である。


 ちなみに今夜のメニューは、昨夜、街からの帰りに偶然、仕留めた鹿の肉を使い、ニンニクと唐辛子で味付けしてビーフシチュー風に煮込んだジビエ料理だ。もちろん、ここら辺の地方の習慣に即して、付け合わせにたっぷりのマッシュポテトも添えてある。


「では、私もいただくとするかな……」


 一応、客人ではあるので先に勧めたが、それでも彼が手を付ける素振りを一向に見せないため、私は長大なテーブルの彼とは反対の端に位置する席に着くと、もう一つ用意しておいた同じ料理を先ずは自分から食してみせる。


「……うん。我ながら良い味に仕上がった。このニンニクと唐辛子の刺激が堪らないね。さあ、どうしたね?こんなに美味しいのに食べないのかね?」


 私は唖然とした顔で料理ではなく私の食べる様子を見つめている彼に、再度、食すよう促す。


 だが、よほど私がニンニクと唐辛子の効いた料理を平気で食べているのが信じられないと見えて、ストーカーはただただ、ポカンと口を開けているばかりだ。


「もしかして、ニンニクや香辛料が嫌いなのかい?それじゃ、むしろ私ではなく、君の方こそヴァンパイアみたいじゃないか」


 その度肝を抜かれているヴァンパイア・ハンターの顔がたいそうおもしろく、気を良くした私はふざけて彼にそうした冗談も述べてみる。


「な、何をバカな! 俺がニンニク嫌いなわけが…」


 私のその台詞が挑発になったのか、彼はようやく私の手料理に手を伸ばしてくれた。

 

「パクっ…」


 彼は無作法なスプーンの使い方でガチャガチャ音を立てながら、慌てて鹿肉のシチューを口へと運ぶ。


しかし……。


「辛ぁっ! ……な、なんだ、この激烈に辛い料理は!?」


 ストーカーは一口料理を口にするや、その口から火を吹いて叫んだ。


 「ヒィィィーっ! く、口の中が焼ける! み、水ぅっ~…!」


 そして、慌てて辺りに水を探すとテーブルの上に置かれた水差しを見つけ、コップに注ぐのももどかしいとばかりに、そこから直接、一気に中身を飲み干す。


「ゴクゴクゴクゴク……プハァ……ハァ~…ドラゴンよろしく火を吐きそうだったぜ……しかも、ニンニクの臭いもキツ過ぎるぞ! 貴様、俺を苦しめるために、わざとこんな地獄のように辛い味付けにしやがったな!?」


 水をたらふく飲み、口の中の辛味をなんとか弱めた彼は、濡れた口元を手の甲で拭うと、突然、怒りだして私に文句をつける。


「ん? そんなに辛かったかな? いや、いつもの味つけにしたつもりなのだが……」


 だが、そう言われても私には身に覚えがない。


 先程、自分の皿のものを食してみた時も、いつもと変わらぬ良い味であった。


「辛いかな……?」


 それでもと思い、私はもう一度、自分の皿に盛られた料理に口を付ける。


「モゴ、モゴ……いや、普通の辛さだと思うぞ?」


 しかし、やっぱり、いつもと変わらぬ食べ慣れた味付けである。


「ああ、そういえば、前にも友人と一緒にインド系料理のレストランで食事をした時、お前はかなりの辛党だなと言われたことがあったな……」


 私は、やけに辛いと喚き立てる彼の姿にそんなことをふと思い出した。


 その時のことや今夜のことを考え合わすに、どうやら私は人並み以上に辛いものが好きらしい。


「そうか! わかったぞ! ははあ~そういうカラクリだったか……貴様、俺の皿には特別、香辛料をふんだんに使ったものすごく辛い料理を盛っておいて、そのくせ自分の皿にあるのは唐辛子もニンニクも何も入ってないマイルドなもんなんだろ?」


 だが、私がそうして彼と私の味覚に齟齬のある原因について思い至ったのも虚しく、今度はそのようにあらぬ疑いをかけてくる。


「失敬な。そんな卑怯な真似を私がするわけが…」


「いいや! でなきゃ、こんな人も食べれねえような激辛料理、ヴァンパイアの貴様が平然とした顔で食えるわけがねえ。フッ…俺としたことが危うく騙されるところだったぜ。そこまでして騙し通そうとするとは……これではっきりした。やっぱり、お前の弱点はニンニクと唐辛子なんだな!?」


「まったく、疑り深いなぁ……」


 それまでと一転、顔色を明るくし、勝ち誇ったように人差し指をビシっと突き付けて宣言する彼に、私は溜息交じりに呟く。


「それじゃ、私の皿のものも食べてみるがいい。まったく同じ味だから」


 いい加減辟易した顔で、それでも誤解を解こうと、私は自分の皿を彼の方へ差し出してみるが……。


「ハン! そう言えば、俺が〝あ、自分からそう言うってことは、そうじゃないんだな〟とか思って、諦めると考えたんだろう? だが、甘かったな。生憎あいにく、俺はそんな手に乗せられるようなバカなヴァンパイア・ハンターじゃねえんだよ!」


 ストーカーは勝ち誇ったようにそう答え、ツカツカとこちらへ寄ってくると、私の皿の中にあるシチューを自分のスプーンでパクっと一口、口いっぱいに頬張った。


「辛ぁぁぁ~っ!」


 だが、彼が勘ぐったような事実はどこにもなく、彼と私の皿の料理はまったく同じものなのだから、当然、そのような結果となる。味見ならば、ちょっとにしておけばいいものを……ま、はっきり言って、バカである。


「ね、同じだろ?」


「…ヒー…ヒー……き、貴様はこんなもん、いつも食ってるのか!?」


「ああ、そうだけど……」


 痺れた舌を痛そうに突き出し、荒い息遣いでそう訊いてくるストーカーに、私は平然と答えた。


「み、味覚がどうかしてるぞ! こんな辛いもん、人間が食べる代物じゃねえ…ああ、お前はヴァンパイアだったか……ってか、ヴァンパイアなら、なおさらこんなニンニクと唐辛子が効きまくった料理食うんじゃねえっ!」


 彼はなんだか怒った様子でそんな文句を付けてくるが、随分と失礼な言いようである。


 だいたい、ヴァンパイアがニンニクや唐辛子を嫌うってこと自体、迷信なのだから、ヴァンパイアだからってエスニック料理を好きで悪いことがあろうか? そんなのは人間が勝手に作ったイメージであり、それでスパイシーな料理を食べてはいけないなどとは、あまりにも理不尽な差別である。


「だから再三にわたって、そんな世に云われているようなヴァンパイアの弱点は迷信だって言っているだろう? ……モゴモゴ…ま、これで私に香辛料も効かないってことがよーくわかったと思うから、君もその料理を食べ終わったら、いい加減、諦めて帰り給え」


 彼の無礼な言い様に多少カチンと来るものもあったが、そこはまあ、余裕ある大人の態度で我慢し、私は美味なる我が手料理を口に運びながら、もう一度、諭すように優しく彼に述べた。


「だ、誰がこんな辛いもん食えるか!」


 しかし、彼は無作法にも唾を飛ばしながらそう叫び、私の勧めを拒む。


「ハハハ。ニンニクと唐辛子の効いた料理が苦手だなんて、やっぱり私より君の方がヴァンパイアみたいだな」


 そんな彼に、私は少々意地悪をしたくなって、からかうように笑ってみせた。


「なんだとおっ! こ…これしきの辛さ、ヴァンパイア・ハンターたる者、どうということは…」


 すると案の定、アホなわりにプライドだけは高いらしい彼は、自分の方こそ痩せ我慢をして、再度シチューをスプーンで掬い、もう一度、その口に入れて見せたりなどする。


「辛ぁぁ~っ! …ヒー…」


 私としてはそれほどの辛さに感じないのだが、先程からひーひー言っていた彼は、無論、今度もその辛さに苦しむこととなる。


 その様子に、私は密かにほくそ笑みながら言う。


「辛いの苦手だったら、そんなに痩せ我慢して食べなくてもいいのだよ?」


「な、何を言う……せっかくのもてなし、残さず、全部いただいてやるぜっ! ……パク…うがっ! ヒー…ヒー…」


 私の挑発にストーカーは退くタイミングを完全に逸し、最後まで無理して食べ続けることとなった。


「ハグっ……辛っ…くないぞう……あ、ああ、旨い。やっぱりヴァンパイア・ハンターは、このくらい過激にヴァンパイアが嫌いな物の入った料理を食わないとな……パグ…うぎゃあっ!…あ、ああ、な、なんて旨いんだあ……」


 そんなことを嘯きながら、シチューを口に運び続けるストーカー……しかし、その姿は壮絶を極めている。


 額からは滝のような汗を流し、血走った目で、危険な味を拒む本能と闘いながら、震える手に握られたスプーンを、なんとかして辛口のシチューへと近づける。


 そのような調子なので、食べるスピードは平均一分間に一回、料理が喉を通過するくらいに遅い……。


 初めはおもしろがって見ていた私だったが、その地獄の責め苦にもがき苦しむが如き彼の姿を見るに、なんだか彼のことがかわいそうに思えてきた。


 それに身体まで震え出しているし、このまま食べ続けたら死んでしまうのではないかと心配にもなってくる。


「いや、ストーカー君。ほんとにそんな無理しなくていいよ。人には誰だって得手不得手というものがあるんだから……」


 今度は挑発ではなく、本心から私は彼に言った。


「ふ、不得手だと? ……だ、誰が辛いもの不得手なものか……お、俺は辛いものが大好きなんだ……ハグッ…ぐあっ!……ヒー…ヒー…あ、ああ、旨いなあ……」


 しかし、やはりプライドだけは無駄に高い若きヴァンパイア・ハンターは、私の差し伸べた手も振りほどき、なおも悶え苦しみながら食べ続ける。


「いや、ほんと、もう無理しなくていいから。君を挑発するようなことを言った私が悪かった。そんなに無理すると身体に障るよ……」


 私はよりいっそう彼のことが心配になり、彼にもう一度、食べるのを止めるよう勧めた。


「だ、誰が無理なんか……くそう。ヴァンパイア・ハンターがヴァンパイアに心配されるなんて……ハグッ……うっ!…くぅぅぅ……ヒー…ヒー……くそう……旨い…旨いなあ………」


 だが、それでもストーカーは手を止めず、汗だくの顔に悔し涙まで流しながら、私の作ったやや辛口のシチューをいつまでも頬張るのだった……。

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