きみといっしょに ④

 ぼくたちは、狂っていった。

 みかちゃんはぼくを「愛してる」と言っては、時々試すように他の誰かと睦まじさを見せつける。そして、ぼくが人を傷つけるのを嬉しそうに、幸せそうに見てる。

 ぼくは、この光景を、知っている。みかちゃんがうっとりと瞳を蕩けさせる姿は、まるでお母さんのようだった。お父さんが苦しむのを、うっとりと見ていたお母さんみたいだ。好きじゃなかったら、傷つかないって。そう言ってお父さんを甘やかすお母さんにそっくりだ。

 ぼくは、みかちゃんを狂わせてしまった。ぼくのなかで一番の、たったひとつだけだいじなものを。あの明るい屈託のない笑顔を、濁った寂しい微笑みに変えてしまった。

 どうして、ぼくは生きてないんだろう。ぼくが生きていたなら、きっとみかちゃんは、こんな風にならなかった。いつまでも、楽しそうに笑っていられたのに。

 そう思ったら、はじめてお父さんとお母さんを憎いと感じた。

 だけど、それは言い訳なんだ。だって、ぼくに側にいて欲しくて、どうやってでも縛ろうとするみかちゃんの姿は、ぼくを幸せな気持ちにさせる。

 ぼくはいつか人を殺してしまう。お母さんが、お父さんにそうさせたみたいに。


 さようならの門は、こんなぼくをまだ待っているのだろうか?

 近頃は、すっかりとぼくがぼくであることを忘れがちになってきた。ぼくのなかにあるのは、みかちゃんと、みかちゃんと過ごした思い出ばっかりで。

 ぼくは、なんなんだろう?

 時々忘れては、みかちゃんが呼んでくれるから思い出す。世の中の幽霊は、みんなこんな風に、何もかも忘れてしまいながら、大切ななにかを探しているのかな。

 人間であったことを忘れがちになれば、人を傷つけることを恐れたり、湧き上がる嫉妬や怒りを抑えたりできなくなってきている。

 ぼくはいつか人を殺してしまう。だから、早く消えてしまわなければならないのに。みかちゃんが、好きで、好きで、誰にも渡したくない。

 ぼくは、まだ人間のかたちをしているんだろうか?


 甘い甘い声が、吐息が、その暗い部屋の中を艶色に染めている。

 汗にまみれたからだを擦り合わせて、みかちゃんが裸で男と抱き合ってる。

 ぼくには触れないからだ。

 大人になれなかったぼくにはわからない、動物みたいな本能のたわむれ。

 それでも、柔らかそうなからだを震わせて、甘ったるく媚びた音で鳴くみかちゃんを綺麗だと思う。君をかきみだしてよろこばせてる相手を、憎いと思うくらいには。

 弾んだ吐息が、男を煽るように艶めいた呻きをあげて、その唇が音もなくぼくの名前を呼ぶ。

 それでも、君はまだぼくを求めてる。ぼくは、きみを、幸せになんてできないのに。


 ああ、憎い。全部、全部、滅ぼしてしまいたい。

 ―――ちがうよ、ほろばないといけないなら、それは、ぼくだ。

 みかちゃんをぼくから奪う人間なんて殺してしまおう。

 ―――そうじゃないよ、ぼくはみかちゃんを幸せにできない。

 なんで?みかちゃんだって、望んでるじゃないか。

 ―――そう望ませてるのは、まだみかちゃんにしがみついてるぼくじゃないか。

 だって、好きなんだ。みかちゃんがいなくなったら、ぼくは…。

 ―――ぼくは、もうとっくの昔にいなくなってる。

 でも、それでも………。

 ぼくには、ただ、みかちゃんだけ。


 彼女は純白のドレスをきて、背の高い真面目そうな男のひとと、綺麗な部屋の片隅で笑いあっていた。

 彼はものすごく強い何かをもっていて、ぼくが我を忘れて何かしようとしたって、傷つかない人間だった。

 ものすごく、安心した。人を傷つけずに済むことに。

 だけど、頭が焼け焦げて何もかも忘れてしまいそうなほど、なにもないはずの胸がくるしい。

 お嫁さんの準備をして、花のようなドレスを試着したみかちゃんが、すれ違いざまにぼくを見つめて微笑む。

 その瞳は揺るぎなくぼくを見つめて、うれしそうに。

 彼女のとなりに立っているのが、ぼくであるかのように。


 そうだ、きみだけは。

 ぼくがつれていこう。

 もう、つかれてしまったんだ、こんなぼくにも。

 ぼくに狂わされてしまった、かなしいきみの姿にも。

 だから、いっしょに。

 ただ、ずっと、いっしょに。


 神様がいるのなら、こんなぼくたちをどうか放っておいて。

 さようならの門はいらない。

 幸せになれなくていい。

 ただ、みかちゃんだけが欲しいんだ。


 結婚式の前に失踪した花嫁が、公園の片隅で血塗れで見つかったニュースが、町のなかを飛び交った。

 背中から心臓に突き刺さったシャンデリアの破片。どう考えても現実に起こり得ない状況だって騒がれている。

 花嫁が、小さな水色のサンダルを胸に抱いていたのも不可解なんだって。

 昔事件が起こった公園の怪異だなんて、人々の噂になった。

 閉鎖された公園の中で、彼女は屈託のない、嬉しそうな笑顔でぼくを見つめる。

 出会ったあの日の、幼いころの彼女みたいな。

 ようやく繋ぐことができた、温度がない冷たい手。

 それでもきみを抱きしめることができるなら、こんなに満たされることはない。


 ああ、消えてしまいそうだ。

 きみといっしょにいることができる。

 うれしくて、しあわせで。

 他に望むことなんかない。

 意識がなくなるかのように、かすんでいく魂。

 ねえ、ずっといっしょだよ。

 さいごにおぼえてるのは、しあわせそうな彼女の笑顔だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る