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遠い遠い、遥か向こうに。
ビー玉くらいの大きさの、小さな丸い青色が見えます。
地球です。
生まれた場所でこそないけれど、大切に育んでもらった、大切な人達のいる大切な場所。
……自分の幸せがある場所。彼方なるハッピーエンドが存在する場所。
「……」
かぐや
そこへ、足音が聞こえてきました。二人分の足音。
かぐや姫は思いっきり舌打ちをしてから、足音の主を振り返りました。
果たして、かぐや姫の血の繋がった両親が、こちらにやって来るところでした。
「おやおや、またそんな格好をして」
父親の方が、かぐや姫を見て呟きます。
大部分は黒色だけれど、数房だけ銀色になっている、腰辺りまである長髪。それを右側の側頭部で銀色のリボンでサイドテールにしていて。
服装は地球にいた時にお気に入りだった着物と同じ、紺色の布地に薄桃色の花があしらわれた、動きやすい着物ドレス。その下に履いた黒いストッキング。
父親は眉を顰めました。
「私達と同じように羽衣を着なさいと言っているのに」
「誰が着るか」
言下に答えて父親を睨みます。
母親の方が大袈裟に溜息をつきました。
「赤子の頃、全く言うことを聞かない悪い子だったから、罰として地上に追い出したのよねえ。ある程度時間が経って、そろそろ反省しただろうと思って連れて帰ってきてあげたのに、全然いい子になってないのねえ」
「まずそなたが『いい子』とやらの手本を見せろ。不可能じゃろうがな」
今度は母親を睨みます。
「どうして君はそうなんだい? 父上達はわざわざあんな穢れた地上にまで迎えに行ってあげたのに、なあ」
父親は続けて、自分達が付けた変な名前でかぐや姫に呼びかけました。
「そうよ。あんな穢れた生物共と我慢して会話して、
そうして、母親もかぐや姫を変な名前で呼びました。
かっ、とかぐや姫の頭に血が上りました。
もう一秒だって同じ空気を吸っていたくなくて、窓の反対側にある自室の襖の鍵(両親がかぐや姫のいない間に勝手に部屋に入っていることがあったので取り付けたものです)を開けて中に飛び込みました。わざとビシャーンと大きな音を立てて襖を閉め、鍵もしっかりと閉めます。
両親はまだ襖を叩いて何か言っていましたが、完全無視して部屋の奥へと歩を進めました。
かぐや姫は、血の繋がった両親を憎んでいます。
自分達の都合で勝手に地球に追放しておいて、かぐや姫が育ての両親や、仲を深めていた帝をかけがえのない存在として大切に思い始めた頃に、また自分達の都合で引き離したのです。
それも、かぐや姫の大切な人達に向かって「穢れている」などと暴言を吐きながら。
そうして、かぐや姫は二度と大切な人達に会えなくなり、血の繋がった両親という「敵」の住むお屋敷で暮らさなければならなくなってしまったのですから。
憎まないはずがありません。
親だろうが何だろうが関係ありません。
誰であれ「悪い奴」は「悪い奴」です。それを憎悪するのは、おかしいことでもなんでもありません。
地球人から見れば、月の人であるかぐや姫もその血の繋がった両親も同様に「宇宙人」なわけですが、かぐや姫から見ても、理解不能な言動を繰り返す両親は「宇宙人」です。
部屋の一番奥まで来たかぐや姫は、隅っこに置かれた刀掛けに目を落としました。まるで三日月のように湾曲した、一本の
竹光というのは、刀身の部分が竹で作られている刀のことです。
竹なので、本物の刀のように何かを斬ることはできません。通常なら。
かぐや姫はこの竹光に、その形状から「
今日も手入れをしようと、三日月環に左手を伸ばしかけた…… その時でした。
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
三日月環が小刻みに震え出しました。センサーが現れたのを察知したのです。
かぐや姫は少し息を呑み、そっと三日月環の鞘に触れました。
瞬間、かぐや姫の脳裏に、今センサーがどの物語にいるのか、物語の中でどんな被害を出しているのかといった情報が一気に流れ込みました。
(あの物語か……)
少し考えて、退治に行くことに決めました。
三日月環をしっかりと右腰にセットします。また、いつもの習慣で何かあった時にメモが取れるようにと持っていく、手のひらサイズの小さい巻物と筆ペンも、服のポケットにしまいます。
そして、もう一つの習慣で。
「行ってくるよ、✕✕✕」
両親と話していた時とは打って変わって優しく、どこか寂しげな小声でそう呟いてから。
かぐや姫は、ハッピーエンドの物語に転移しました。
とある物語の中、二人の猟師が、いや、猟師の姿をした二体のセンサー達が、森の中の木陰に隠れて登場人物達の様子を伺っていました。
呑気に歌いながらこちらにやって来る、七人の小人達。
センサー達は足元に水溜まりができるほどよだれを垂らしながら、襲いかかろうと一歩踏み出しました。
どんっ
直後、一体のセンサーは左胸に後ろから強い衝撃を受けたのを感じました。
何事かと胸元を見下ろします。
透明な自分の血で濡れた薄茶色の刃が生えていました。
振り向けば、その刃を左手で握ったかぐや姫の、氷のように冷たい目。
それがそのセンサーが最後に見た光景でした。
ビカッと一瞬輝く眩しい光となって消えた相方を目の当たりにしたもう一体のセンサーはすっかり怖じ気づき、かぐや姫に背を向けて逃げ出しました。
かぐや姫は少しも動じず、センサーの背を見ながら三日月環を横向きに構えます。
すると三日月環の刀身は月のような銀色に輝き出しました。かぐや姫が握る力を強めると、それが合図になったように、銀色の光は三日月の形状のまま刀身から放たれ。
既にだいぶ遠くまで逃げていたセンサーの胴体を、横一文字に切り裂きました。
ふう、と一つ息を吐き、かぐや姫は三日月環を鞘に戻しました。
妙な話だと思われるかもしれませんが、三日月環には意思があるようなのです。
センサーが発生した際に振動して教えてくれるのはもちろん、今やったようにかぐや姫の思いに反応して離れた場所にいるセンサーを光で斬ってくれたりするのです。
相変わらず何も知らずに去っていく小人達の後ろ姿を眺めていたら、不意に足に何かが当たりました。
「?」
桜色の厚底サンダルにくっついている、何か赤くて、丸いもの。そっと両手で包み込むように拾い上げます。
リンゴでした。片側は淡い赤色で、もう片側は毒々しいまでに濃い赤色をした、リンゴ……
「おやおや、拾ってくれたのかい。ありがとうねえ」
リンゴだと認識したのと、その声がしたのはほぼ同時でした。
とても穏やかな声でしたが、かぐや姫は脳の血管がブチッと切れたような心地がしました。
顔を上げると、一人のお年寄りがいました。みすぼらしい格好で、にこにこと愛想よく笑っていて。センサーではありません。れっきとしたこの物語の登場人物です。
けれど。思わず三日月環に手をかけていました。
『
登場する悪役は、主人公の継母。「自分より美しいから」という理由で、血は繋がっていなくとも自分の子どもを何度も殺そうとした敵。
子どもも生命と感情がある一人の人間だということを理解できない、かぐや姫の両親のような、極悪な存在―――
「返しておくれよ」
広げた手をかぐや姫に差し出してくる継母。
許せない。許せない。許せない。
目に力を込めて睨みつけ、今にも三日月環を抜刀し、斬りかかろうとして……
けれど、リンゴを継母の手にそっと落としました。
物語の登場人物を殺害したら、話がメチャクチャになってしまいますから。それに、憎きセンサーと同じになってしまいますから。
だから、かぐや姫は血の繋がった両親を憎悪しつつも、殺すことができないのです。
「ありがとうねえ」
継母は、まるでいい人であるかのような笑みを見せて去って行きました。
かぐや姫はその様子を、鬼のような形相で見送っていました。
初めは、気のせいかと思いました。けれど、確かに聞こえました。
音楽です。この近くで誰かが演奏しているようです。聞いているだけで踊りだしたくなるくらい陽気なメロディ。
これは…… 笛の音。
両親と接していた時とも、継母と会った時とも。
比べ物にならないくらい、かぐや姫の全身が熱くなりました。
その人物は、森を出てすぐの町中で笛を吹いていました。
赤や黄色や緑や白といった、色とりどりで目立つ服と帽子を身に着けて、小躍りしながら演奏しています。
明るく楽しい曲の流れるそこは、けれどそんな旋律とは裏腹に。
持っていたナイフで自分の喉を切ったり、木に縄を括り付けて首を吊ったり、自分の頭を割れるまで地面に打ち付けたりするなどして、センサー達がどんどん死んでいく光景が広がっていました。
センサーが死ぬ度に鳴る大きな音―――笛をどの穴も押さえずに力任せに息を吹き込んだ時に出るような音―――をいつものように不快に思いながらも、演奏を続けていたら、
突然、横から誰かの手によって、笛を叩き落とされました。
その人物は、驚いて手の主の顔を見ました。
一瞬誰だろう、と悩んで、けれど前髪に一房だけある銀色の髪を目にして、ああ、と合点がいきました。
「ンフフフフフ! 随分とご無沙汰だゾ! 何年くらい? 十年ぶりくらいかもだゾ!」
頭の左側でまとめた短い金色の三編みを揺らし、ヘラヘラとかぐや姫に挨拶します。
かぐや姫は、挨拶を返す代わりに、胸ぐらを掴んで自分の目線まで持ち上げました。
「十年…… 十年間、ずっとじゃ。まさか同じ話を助けに来ていたとはのう。そなたの悪運もここまでのようじゃの」
怨嗟に塗りつぶされた表情で。
「……ワガハイをどうしたいのだゾ?」
相手の質問に、かぐや姫は即座に、シンプルに答えました。
「殺す」
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