2
(……ここがあっちの『赤ずきん』の世界か……)
ガッシャガッシャ
(かわいいお家がいっぱいで、お花もいっぱい咲いてる)
ウィーンウィーン
(穏やかでいいところだなあ……)
ガッシャウィーン
「……ねえ…… ちょっと、何かな、あれ……」
「分からん…… 何だ……」
ひそひそ声でしたが、ルイーズには誰かが物陰でそう話しているのがかろうじて聞こえました。
(あ、まずい)
ウィンガッシャ ウィンガッシャ
体の作りそのものは人間のそれ。
けれど両腕も両脚も胴体も、銀や黒や灰色のつぎはぎ。カクカクしていて硬くて冷たく、動く度に妙な音がして。
頭に相当する部分には縦向きに配置された一台のタブレット。画面には頭巾で目元が隠れた無表情な顔のルイーズと、赤い薄闇に包まれた部屋が映し出されていて。
現代の人が見たら、すぐにロボットだと分かるでしょう。
そんな外見のロボットは、機械音を立てながら速やかにその場を離れました。
ルイーズ本人は、赤い薄闇の満ちた部屋で、タブレットの画面を見つめながら少し冷や汗をかいていました。その顔に表情は浮かんではいませんでしたが。
(危ない危ない。怪しまれないように隠れながらじゃないとね。それにしてもやっぱり目立っちゃうよなあ……)
ルイーズは自分で作ったロボットと自分自身の意識とをリンクさせる能力を持っています。リンクさせたロボットを分身としてハッピーエンドの物語の中に送り込み、自分は部屋から出ることなくセンサー退治を行うのです。
ロボットはルイーズのもう一つの体であるかのように思い通りに動きますし、物語の中の温度や音声や匂いを感じることもできます。ロボットの見た映像もルイーズのタブレットに時差なく、超高画質で届きます。
難点は見るからにロボットであるのが丸分かりなので、時折物語の登場人物に変なモンスターか何かだと思われて襲われそうになることです。
流石にもう少し人間っぽい外見にするか、目立たない小さいカメラのようなものにしようと試行錯誤はしました。が、素材や部品やデザインを変えるとルイーズの意志とうまく繋がらなくなり、いきなり変なダンスを踊りだしたりして戦うどころではなくなってしまったため、やむをえずメカメカしい見た目のままになっています。ちなみに、ロボットは壊れたゲーム機を組み合わせて作られています。
(さて、
ルイーズはロボットの体を止めました。建物の影で、何かが動いています。漂う気配から確信し、できるだけ音を立てないように注意して近寄りました。
やはりセンサーです。人の姿で、けれど建物の壁をバクバク食い散らかして大穴を開けるという、人ならばしないはずのことをしています。
ルイーズの本体は、自室でふわふわの座椅子に腰掛けたまま、タブレットに付属しているタッチペンを手に取りました。跪いたような体勢でいるセンサーの後ろ姿が、タブレットの映像に映っています。
ルイーズはセンサーのうなじにタッチペンを当て、すっ、と横に直線を引きました。
次の瞬間、センサーの頭は透明な液体を噴水のように撒き散らしながら垂直に吹き飛びました。
ルイーズはロボットが送ってきた映像に映るセンサーの体を、タッチペンでなぞることで切断できるのです。
「……」
ぐじゃっ、と地面に落ちて潰れた頭部と、脳という司令塔を失った体が無数のカラフルな花びらとなって消えていくのを無言で見届けました。
さて、他のセンサーを探しに行こう…… と歩き始めて、何歩も行かないところで。
どんっ
角から急に現れた何かと正面衝突しました。
(
すわセンサーかと身構えて…… 次に映し出された映像に、ルイーズはほんの少しだけ頭巾の下の目を見開きました。
年の頃は十代初めくらい。
顎のあたりで切りそろえられた少しくすんだ金色の髪。
胸元に黒いリボンのあしらわれた、赤いロングのワンピース。
笑ったら糸のようになるのではないかと思える切れ長の緑色の目。
髪の隙間からほんの少しだけ見える、小さな耳。
桃色の花びらのような小さな口。
何よりも。頭に被った―。
「
しばしおでこをさすっていた何か、いや、誰かは慌てて顔を上げ、タブレットに映るルイーズを見、驚いた顔になりました。
しまった。見られた。怖がらせてしまう。よりによって、この人を。
再び冷や汗をかきそうになりました。
けれど、ぶつかってきたその人は怖がるどころかパッと顔を輝かせたのです。
「すごーいっ! ねえ、どうしてお揃いなの!?」
自分の頭に被った、赤い頭巾を指差しながら。
別の意味で戸惑ってしまったルイーズに構わず、その子どもはルイーズの首から下にも目を向けました。
「すごーいっ! これって義手とか義足っていうやつ? 聞いたことあるよ! どうしてこんなかっこいいの!? あっ、よく見たらお腹もだ! っていうか頭もだよね! すごーいっ!」
笑ったことでやはり一層細められた目をキラキラさせ、ロボットを怖がるどころか興味津々で話しかけてきます。こんな人に会ったのは初めてでした。
そういえば、あたしも昔はこんな風だったな。
ルイーズはふと、懐かしくなりました。
「あっ、ごめんなさいっ。自己紹介まだだったねっ」
慌てて話を切り替えた子どもは、続けて予想通りのニックネームを口にしました。
「あたい、みんなから赤ずきんって呼ばれてるのっ! よろしくねっ!」
皆さんは、赤ずきんのお話をよく知っているでしょう。
最後に赤ずきんとおばあちゃんが猟師に助けられるという内容の、あれです。あのお話はずっと昔、グリム兄弟という人達によって書かれたものなのです。
けれど、実はそれよりもっと昔にも、赤ずきんの出てくるお話を書いた人がいたのです。
ペローというその人が書いた赤ずきんのお話も、大筋は皆さんが知っている赤ずきんと同じ内容です。そう、結末以外は。
ペローのお話に出てくる赤ずきんとおばあちゃんは助からないのです。オオカミに食べられて、それでお話が終わってしまいます。
このお話を変えて、ハッピーエンドにしたのがグリム兄弟なわけです。
つまり、ハッピーエンドであり、センサーに狙われているグリム兄弟の赤ずきんがルイーズに話しかけている子ども。ペローが書いたバッドエンドの赤ずきんがルイーズというわけです。
「あなたはお名前は? もしかしてっ、あなたも赤ずきんって呼ばれてたりするっ?」
「……あたしは、ルイーズっていうの」
絶えることのない笑顔を眺め、ルイーズは初めてもう一人の赤ずきんに話しかけました。ルイーズ本人の発した言葉が、そのままロボットの頭のタブレットから発されて相手に届きます。
「ルイーズちゃん、だねっ! ねえねえ、会うの初めてだけど、どこから来たの?」
「……すっごく、すっごく遠くの町」
「一人で?」
「ううん、瓜ちゃんと」
「瓜ちゃん? だあれ?」
首を傾げる赤ずきん。
「ええと……」
ルイーズは口ごもりました。「友達」だの「仲間」だの「恋人」だのを持つべきではないバッドエンドの主人公達は、チャプターのメンバーとの関係性を訊かれると戸惑うことがあるのです。
何故か、
三十年かそれくらい前でしょうか。ルイーズが自室で当時発売されたばかりの家庭用ゲーム機をプレイしている最中のことでした。
集中していたら、誰もいないはずの部屋の中、背後に突然気配が現れました。
「誰」
反射的に振り返りました。当時攻撃手段として使用していたゲーム機のコントローラー(画面に映るセンサーに向けてボタンを押すと爆発する仕組みでした。威力が強すぎて周辺にまで被害を及ぼしてしまうことがあったため、後にタッチペンでピンポイントに攻撃できるようにしたのです)を握りしめたまま、気配のした方に表情のない顔を向けます。
センサーではないでしょうが、傷付けに来た存在には違いないと思いました。
その頃のルイーズは誰のことも信用なんてできなかったのです。かつてオオカミを信用したがために命を落としてしまったのですから。
振り返った先には…… 誰の姿もありませんでした。
おかしい。間違いなく気配はあるのに。警戒を続けていたら、やがて。
頭の中がびりびりと震わされるような感覚がありました。
何がおかしいのか、気配の持ち主が笑っているのだと分かりました。
「やー、びっくりー! 気付いてくれた人初めてだよ、ヒヒヒヒヒ!」
そんな意味の言葉が、脳内に伝わってきました。
「すごいねあなた! ねえ、お名前何ていうの? 『赤ずきん』じゃなくて、本名! ヒヒヒッ!」
背後から天井へと、気配が移動します。
気配を目で追って上を見上げ、戸惑い、コントローラーを構え…… けれど、意に反して答えていました。
「ルイーズ」
「そっかあ。じゃあ」
気配の主は、唐突にルイーズの隣に出現しました。
「あたし、瓜子姫っていうらしいよ! よろしくねルイーズちゃん、ヒヒヒッ!」
ここで初めて気配の主の姿と声、そして笑い方を間近で確認したルイーズは…… ぞっ、と全身が総毛立ったのでした。
「ルイーズちゃんの、大事な人?」
回想に浸っていたルイーズは、はっと現実に引き戻されました。
「あ、ああ、そうそう。瓜ちゃんは、あたしの大事な人」
うまいことを言ってくれて助かった。と少し安堵しました。
「そっか。うんうん。
ねえっ、あたい今からおばあちゃんのお見舞いに行くんだけど、良かったら一緒にどうかなっ? 新しいお友達ができたって、おばあちゃんも喜んでくれると思うんだっ!」
無邪気な赤ずきん。
―「新しいお友達」? 今出会ったばかりなのに? そんなんじゃダメなんだよ、そんなんじゃ……
けれど口には出しませんでした。
「じゃあ、ご一緒させてもらおうかな」
代わりにそう答えました。一緒にいれば、センサーから守りやすくなるかもしれませんし。
「よーし、けってーいっ!」
「あ、ちょっと待って」
駆け出そうとする赤ずきんの手を、機械の腕が掴みました。一つ訊いておきたいことがあったのです。
「どしたの?」
「お名前何ていうの? 『赤ずきん』じゃなくて、本名」
「ゲルデだよっ! そっちで呼んでもいいよっ!」
「分かった…… ゲルデちゃん」
二人は連れ立って森の中を進みました。ゲルデはルイーズにたくさんお話をしてくれました。好きなことや最近あったこと、おばあちゃんに教えてもらったことなど。
ちょいちょいとっちらかる喋り方でしたが、聞いているだけで楽しい気分になれました。ゲルデにバレないよう、合間合間にその辺にいる鳥やリスに化けたセンサーの首を落としていくのはなかなか苦労しましたが。
ふと、何か物音と声がして、ルイーズはウィンウィン歩きながらガッシャンと横を向きました。
斧を持ったお年寄りがいます。木こりのようです。けれど、どこか変です。
「くっくっ、くっくっ」
そう笑いながら、ざくざくざくざく。
とっくに切り倒されて、切り株になっている木を何度も何度も、執拗に斧で切りつけまくっているのです。
大きな木が周りにたくさん生えているのに、目もくれず。その切り株だけを、ざくざくざくざく。色々な方向から、力いっぱい。すごい速さで。その度にドバドバと液体を吹き出し、どんどん傷だらけのボロボロになっていく切り株。
木こりがようやっと手を止めた…… かと思ったら。
ぴょこぴょこ、ぴょこぴょこ
向こうから豆粒のような茶色の影が走ってきました。ウサギでした。小さなふわふわのウサギでした。
それを認めた木こりは、やはり「くっくっ、くっくっ」と一笑いし。
まだ離れたところにいるウサギめがけ、斧を放り投げました。
斧は見事にウサギのところへと弧を描いて飛んでいき、小さな頭を、豆腐のようにあっさりと真っ二つにかち割りました。
ウサギの血が大量に辺りの草花にぶちまけられたのを確認したルイーズは頭巾を引っ張って目深に被り直しました。静かに目をそらし、今の光景に全く気付かなかったゲルデの話に耳を傾けることに戻ります。
「くっくっ、くっくっ」という笑い声が、まだ耳に残っていました。
やがて、急にゲルデが立ち止まりました。
「ごめんねっ、なんか靴がおかしい」
「大丈夫?」
「小石か何か入ったかな。ちょっと待っててっ」
ゲルデがしゃがみこんで片方の靴を脱ぎ始めたのをいいことに、ルイーズは他にセンサーがいないか周囲を見回します。
(………………いる!)
ルイーズの、ロボット越しでも敏感な気配を感じる本能が告げたのと、側の太い木の後ろから、無数の牙の生えた大きな口を開けた鹿が現れたのは同時でした。
自室でタッチペンを構えました。画面上の鹿の首をなぞろうとして…… けれど、手を止めました。
ざっ、ざざ ざっ、ざざ
ざわざわざわざわざわざわざわ
どっしーーーーーん
ひときわ大きな一本の木が、倒れてきました。ルイーズがさっとゲルデの手を引っ張って避けたため二人は無傷で済みましたが、鹿の姿のセンサーは間に合わず全身を押し潰されました。
ざっ、ざざ ざっ、ざざ
「ひゃっ!? 何、何今の!? どうしたの!?」
「古い木が倒れたみたいね。怪我はない?」
「うん…… 逃げてくれたんだね。ありがとう」
「どういたしまして。小石出せた? 行けそう?」
「うん……」
「良かった。じゃあ履いて。行こうか」
「うん…… すごいねルイーズちゃん、切り替えが早い」
「そう?」
まだ驚きが抜けきらないゲルデでしたが、ルイーズに手を引かれて再び歩き出しました。
ざっ、ざざ ざっ、ざざ
(びっくりしたなあ…… それにしてもあの倒れた木の葉っぱが擦れ合う音、なんか笑い声みたい)
わざわざ言葉には出しませんでしたが、ゲルデはそう思いました。
「そういえばさ、ルイーズちゃんのことも教えてよ! あたいばっかり喋っちゃって」
「あたしのこと?」
「うんっ、何が好きなのかとかさあ!」
小さな目から溢れそうなほどに期待を込めて、ゲルデは見つめてきます。
瓜子姫のことや瓜子姫から聞いた話などはそのまま伝えても分かりづらいでしょうが、ぼかしたり大筋が変わらない程度に変えて話せば楽しんでもらえるかもな、と思いました。
「……じゃあ、そうだね……」
口を開きかけた、その時でした。
「赤ずきんちゃん、赤ずきんちゃん」
頭上からあだ名で呼ばれ、思わず声のする方を見上げました。
そして、ずっと昔のことを思い出し、恐怖で固まりました。
ルイーズの三倍はある巨体。
灰色の毛むくじゃらの全身。
鋭い爪の生えた四肢の指。
ぶん、ぶんと風を切って左右に揺れる太い尾。
ギラギラ輝く二つの大きな目。
ピンと立った二つの大きな耳。
炎のように真っ赤な、大きな口。
オオカミ。あの日自分が出会ったオオカミとは違う。あのオオカミではない。
だとしても、「赤ずきん」にバッドエンドを与えようとするオオカミであるのは同じ……
目をそらせずに見ているはずなのに、視界がぼやけて、揺らいで、耳をふさいでもいないのに、周囲の音が歪んで聞こえて、何が、なんだか、わからなくなってきて、ぐちゃぐちゃで、でも恐怖だけははっきりしていて、それで、
「ルイーズちゃんっ!」
肩をばんっと叩かれて、ルイーズはやっと我に返りました。視界いっぱいに広がるのは、オオカミではなく心配そうなゲルデの顔。
「もうっ、どうしたの? オオカミさんとお話終わったから見たら固まっちゃってるんだもん!」
「ご、めん…… ぼーっとしてたみたい」
「大丈夫ならいいんだよっ! ねえ、オオカミさんが言ってたけど、おばあちゃんにお花摘んでいってあげない?」
ゲルデの指差す先には、見事なお花畑がありました。
「……うん」
平常心を保とうとしながら、タブレットの頭をゆっくりと頷かせました。
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