第4話 新宿ラグナロク

 ディレクターから過去最大級のお叱りと罵倒を受けた私はネットでも散々に叩かれ、急速に仕事の場を減らしつつあったが、神ノ兄妹はといえばあの生放送を境にこれまで以上にその人気が過熱しており、もはや太陽のような温度に達しつつあった。先日発売となった新曲は既に数百万枚を売り上げ、テレビで兄妹が映らない日はない。しかも、あの生放送での対立を裏付けるように兄妹それぞれがソロのCDを発売することが発表され、「ジョー派」「アイ派」はどちらのCDが売れるのか、ネット上で激論を交わすようになった。


「あたしはもちろんジョー派よ。あのとろけるような美声がたまらないのよね……」

「えー、私はジョーはちょっと苦手。カッコいいかもしれないけど、いくら兄だからってアイ様の信念に口出しするなんて信じらんない!」

「は? アイだってジョーの考え方を否定したりしてるじゃない!」

「何よ、文句でもあるの⁉︎」


 マクドゥガル新宿店。日々量産されているであろうハンバーガーを頬張る私のすぐそばで、女子高生達が刺々しい声を上げながら会話している。あれから神ノ兄妹は不和を隠さないようになった。片方がテレビで何らかの考えを提示すれば、別の番組でもう片方が否定する。ファンはいつの間にか分断されていた。ジョー派はアイ派を否定し、アイ派はジョー派を否定するようになった。


 もそもそとバンズを飲み込みながらTsubuyaiterを開く。

 そこでは、少し前からとある噂が大きな話題となっていた。


 ——神ノ兄妹が、ソロCDパフォーマンスのためのゲリラライブを行う。

 数日前、その噂を初めて見かけた際にちゃんと検索してみたものの、公式発表は一切なかった。一部のファンが言い始めたのがきっかけのようだが、そんなに乏しい根拠でも瞬く間に広まってしまったのは、ファンの期待の為せる業ということなのだろう。


 ゲリラライブが本当に何もかもゲリラであることは滅多にない。ご想像の通り、人気のアーティストであるほど、社会活動に支障が出るレベルの騒ぎになってしまうためだ。ほとんどのケースでは、単に公式発表を行っていないだけで、許可を取ったり各種調整を行ったりを事前に済ませている。であれば、それらの関係者から漏れたとしてもおかしくないのでは、というわけだ。


 そんな私も矢も盾もたまらず、噂の当日である今日、開催場所として最も有力視されていたこの新宿へ足を運んでいた。開始時刻とされるタイミングまではまだ時間があったのでマックに入ったが、いつもの数倍の来客数に席を確保するのも一苦労だった。


 食べ終えて店の外に出ると、往来は祭りじみた喧騒に包まれていた。何とか人混みをかき分けて新宿ステーションスクエアにたどり着くと、老若男女さまざまな人々があちこちを見回している。そこかしこで甲高い声と、言い争う怒号が上がっており、新宿駅前は異様な熱気が支配していた。隣に立つ若者はスマートフォンで神ノ兄妹のライブ映像を食い入るように見つめている。反対側に立つ中年男性はイヤホンをしたまま天を仰いで涙を流している。振り返って目に入った女性は両手指を固く組んで真剣に祈りを捧げている。


 そこへ二台の大型トラックが入ってきたときのテンションの高まりを言葉にすることは難しい。その二台は器用に横並びで停まり、荷台の側面が大きく開けられると内側からスモークが流れ出てきた。ゲリラライブ用のステージトラックだ。その場にいた人々がトラックへと押し寄せる。手際良く作られた柵が、何とか人の激流を押し留めていた。私もその流れに運ばれ、人にもみくちゃにされながらトラック付近までたどり着いた瞬間、神ノ兄妹の新曲が爆音でスタートした。


 女性達の叫び声と、男性達の雄叫びが混じり合い、それに負けない轟音が鳴り響き、新宿駅前は混沌の坩堝と化した。その中にあって、神乃ジョー、神乃アイはまさしく神だった。観客席下界でその光を求めて蠢き競い合う私達に、美と芸術という惜しみない愛情を注ぐ二人は現代に舞い降りた美神だった。


 新曲が終わり、晴天の下、興奮と混乱で我を失った観客達に向けて、神乃ジョーが話しはじめる。

「みんな、集まってくれてありがとう!」

 その一言だけで、その場は歓声に包まれる。女性の声が多いかといえばそうでもない。彼のカリスマは、男女分け隔てなく浸透している。


「今日は大事なお話があって、ここにやってきました。僕たち“神ノ兄妹”は……音楽性、そして性格上の不一致があり、本日をもって解散します!」


 一瞬の静寂。突如として突きつけられたあまりに残酷な言葉に、現実を理解しきれない観客達。次の瞬間に慟哭が響き渡るのではないかと思われた刹那、それを先読んだかのように神乃アイの言葉が届く。


「でも私たちは二人とも、根っからのアイドル。それぞれ活動していきたいと思っていますが……とある事情のため、続けられるのは、私たちのうち一人だけということになってしまいました」

 会場にどよめきが走る。


「そういうわけで……神乃ジョーを支持する人は彼のトラックに、神乃アイを支持する人は私のトラックの前に集まってください! 二人のうち、支持してくれる方の多い方が、今後も活動を続けます!」


 再びの静寂。ライブで最大限まで高められた興奮と、続け様に浴びせられる驚愕の情報に脳の処理が追いつかないのか、観客達は明らかにまごついている。そこへ——


 パン、と両手を勢いよく叩く音。

 笑顔を浮かべたジョーとアイ。


「はい、スタート!」


 それが一つの契機となったのか。ジョー派、アイ派はそれぞれのトラックに殺到する。そこにいる万単位の人間が、お互いが支持し崇拝するアイドルのアーティスト生命を賭けて走る。人と人がぶつかる鈍く異様な音がそこかしこから響き、体重の軽い女性たちは跳ね飛ばされて地面に転がり、足腰の弱った老人たちは群衆から逃れようと這いつくばり、腕力に優れた男たち同士は激突するのに飽き足らず服を掴んで振り回し、顔を殴り、腹に蹴りを入れ、敵対派閥の人間を見境なく攻撃し始めた。


「ジョー様のためだ、アイ側のトラックには行かせねえぞ!」

「俺はジョー様派だ! そっちに行かせてくれ!」

「助けて……足が……助けてアイ様……」

「アイ様! 今いくぞ! アイ様!」


 支持するトラックに向かう人。それを阻止することで自身の派閥の票数を増やそうとする人。統率する人間の存在しない暴力はやがてそれ自体が目的となっていく。どちらのトラックの前ともいえない場所で殴り合う二人。どこかの店から持ってきた椅子を振り回す男性。手にした杖で少女を強かに打つ老人。骨折した足を引きずりながらそれでもトラックの前に向かおうとする若い女性と、その足をひっつかんで植え込みに投げ入れる中年の女性。荒れ狂う人の群れの向こう、超然とした美を崩さぬまま佇む神乃ジョーと神乃アイ。その二人の顔からは、何の感情も読み取れない。


 私はどちらの方にも動けない。真っ二つに割れた人々の気持ちのどちらにも寄り添えない。


『きみは どちらを えらぶの?』


 私の脳裏に、ジョーの声とアイの声が重なるように響く。一瞬だけ二人の両方と目が合った気がしたがそんなことはありえない。二人を平等に愛し、敬い、崇拝する私が見た罪深い幻想だ。だからこそこの場から動けず、二人のどちらを歓ばすこともできず、こうして絶望の真ん中で佇んでいるというのに。私の心がままならないせいで、私にとって誰よりも重要な存在となった二人を両方とも失望させようとしているというのに。


 群衆はもはや止まらない。本日のゲリラライブを知らずに新宿ステーションスクエアに出入りしようとした人々もこの狂騒に巻き込まれていく。今や日本に知らない者はなく、その圧倒的な破壊力によって人々の心に入り込んだ神乃ジョーと神乃アイは全ての人に平等に「きみは どちらを えらぶの?」と選択を迫り、人々は意識的にせよ無意識的にせよ自分の立場を決めてしまっている。テレビからもネットからも逃れうる人間はもはやこの日本にはほぼ存在しない。誰もが潜在的に立場を決めており、この激情の渦に触れた瞬間にそれを呼び起こされ、敵対者への憎悪が再生される。


 駅の方から、「電車が止まった」という声が聞こえてくる。

 店の方から、慌ててシャッターをおろす音が聞こえてくる。

 そこかしこから、痛みと苦しみの叫びが聞こえてくる。

 そこらじゅうから、激昂と怒号が聞こえてくる。


 取り返しがつかないほどに傷つけ合った、今日この場に居合わせた人々は、この日のことを忘れないだろう。敵対する立場の人間への憎悪を忘れないだろう。


「みんな、争うのはやめるんだ! いくらアイ派が信じがたいほど愚鈍であるとはいえ……」

「そうよ、傷つけ合わないで! どれだけジョー派が許しがたいほど蒙昧であったとしても……」

 暴動のダイナミズムに合わせ、その勢いが淀むことなく流れゆくように台詞を飛ばすステージの二人はその言葉とは裏腹にどうしようもなく息が合っていて。

 下界で振り回される私たちは、その代理戦争ですらない遊戯に、暴力と憎悪の快楽に導かれるままに、終末を楽しんでいる——

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超絶破壊力アイドル、そして新宿終末戦争 綾繁 忍 @Ayashige_X

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